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お雇い令嬢は恋多き王太子との婚約を望む  作者: 畑中希月
第一章 王太子殿下は女好き
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第八話 二人の側近

 快復し、王族や他の廷臣に風邪を移す心配がなくなったティルデが、やっと戻ってきた。


 あいにくと復帰初日だった昨日はロスヴィータの休日と重なってしまったので、ティルデは長く休んだことのお詫びも兼ねて、部屋に挨拶にきてくれた。それだけでも充分嬉しかったのだが、不思議なもので、職場で会うと久し振りに会えた喜びが倍増するような気がする。


 ロスヴィータとティルデは、午前の休憩時間に食堂で近況を語り合った。もちろん、シュツェルツに嫌われようと動いたことで、オスティア侯爵夫人に釘を刺され、自信喪失の危機に陥ったことは伏せてある。

 シュツェルツの助言がきっかけで、なんとか一人でも衣装選びができるようになってきたことをロスヴィータが話すと、ティルデはふふっと笑った。


「オスティア侯爵夫人は厳しい方だけれど、殿下はお優しいでしょう」


「……はい」


 悔しいが、それは認めざるをえない。

 それに、シュツェルツは人の上に立つ者だけあって、臣下を育て上げたり、人心を掌握する術に長けているような気がするのだ。王太子としては十分な資質である。


(主君として戴く分にはいいのかもしれないけれど……)


 不満を口に出すわけにもいかないので、せっかくティルデと話せたのに、悶々としてしまう。


 と、食堂に入ってきた自分たちと同年代の少女が、ティルデの傍で立ち止まる。彼女は王妃付きの名誉女官だ。このひと月半でロスヴィータも、時折シュツェルツを訪問する王妃に付き従う女官の顔と名前は、覚えるようになっていた。


 ただ、国王がシュツェルツを訪ねてくることは全くないので、国王付きの女官は少しばかりしか記憶できていない。そもそも、二階が持ち場の国王や王妃の女官たちとは、利用する詰め所や食堂も違うのだ。

 一階にある、この女官用の食堂をロスヴィータたちが広々と使えるのは、かつて、シュツェルツや前王太子に仕えていた多くの女官たちのおかげだ。


 もし、新たに王子や王女が生まれれば、一階の女官ももっと増えるのだろうが、残念ながら、そのようなおめでたい話の気配はない。

 わざわざ二階から下りてきたであろう名誉女官は、控えめに切り出した。


「あのう、ティルデさま、お仕事のことでご相談が……」


 その穏やかで公平な性格が信頼されるのか、ティルデは持ち場を超えて、同年代や年下の女官の相談を受けることがある。


「人に聞かれては差し障りのあることですか?」


 ティルデが問うと、名誉女官は小さく頷く。


「はい……できれば」


 ティルデはこちらを見て、申し訳なさそうに眉を下げた。


「ごめんなさいね、ロスヴィータさま。またあとでお話ししましょう」


「はい、わたくしでしたら構いません。どうぞごゆっくり」


 ロスヴィータは笑顔を作ると席を立ち、食堂を出た。ちょうどシュツェルツのことを考えてしまい、話が上の空になりそうなところだったのだ。外の空気でも吸って、気分転換したい。


 廊下をしばらく歩き、回廊に出る扉に辿り着く。扉を開けると、立ち並ぶ白い柱の間から、中庭が見えた。漂う夏の香りを吸い込みながら、ロスヴィータは、ふと思い出す。


(……そういえば、二年前、ここで王太子殿下と初めてお会いしたのだったわ)


 またシュツェルツのことを考えてしまい、ロスヴィータはぶんぶんと頭を振りたくなった。あんな浮気男のことはどうでもいいのだ。

 ロスヴィータは中庭に出ようと、外に面している柱に近づく。

 柱と柱の間を見渡すと、中庭には先客が二人いた。


(あ……)


 二人の男性のうち一人は、以前、廊下で出会ったアウリール・ロゼッテだった。

 もう一人は、シュツェルツに付き従っているのを見たことがある。確か、近衛騎士のエリファレット・シュタム卿。

「エリファレット」とは、隣国シーラムで使われる名で、「シュタム」はマレの姓だから、おそらく彼の母親か祖父母が、シーラム人なのだろう。


 二人は、回廊から少し離れたカサマツの木の下で、何事かを話し合っているようだった。視力のよいロスヴィータには、なんとか表情が分かる距離だ。

 エリファレットが仕方なさそうに笑う。風に乗って聞こえてくる笑い声は、いかにも武人らしい落ち着いたものだ。


「しかし、お前も手厳しいな。ここひと月のお前の冷たさを、殿下は嘆かれていたぞ」


 殿下、と聞いて、なぜか分からないが、ロスヴィータは釘づけにされたようにその場から動けなくなった。


「女性関係をいくらお叱り申し上げても、殿下に改めていただけなかったからね」


 アウリールが精緻な細工物のような顔をしかめて答える。その容貌に違わない、澄んだ柔らかい声だった。


「それが二股の件で爆発したか?」


 からかうようにエリファレットに問われ、アウリールはキッと彼を睨みつける。


「あれはあまりにも酷すぎる! 女官たちが殿下の前で言い争っている場面に、俺は出くわしたんだぞ!」


 あの光景を見たことでロスヴィータは衝撃を受けたが、アウリールは腸が煮えくり返る思いをしたらしい。なんとなく彼に共感を覚えたロスヴィータは、動くようになった足で移動し、柱の陰に身を隠した。


 立ち聞きなど淑女のするものではないと分かってはいるけれど、どうしても興味を惹かれてしまうのだ。顔を少しだけ出して、引き続き様子を窺う。

 エリファレットが苦笑する。


「まあまあ。その件に関しては、殿下も反省なさっておいでのようだし」


「本当か? 少なくとも、俺の耳には新しい恋を求めて女官を物色中という、ろくでもない噂が入ってくるんだが」


 本当にろくでもない噂だ。心からそう思い、ロスヴィータは呆れる。

 エリファレットは、達観したように夏の青空を見上げる。


「ならば、俺のように、殿下に関する噂など、耳に入れなければいい」


「耳に入れなくても、目に入ってくるんだよ。……前にも話しただろう。朝の拝診をしに寝室に伺ったら、殿下が女性と──」


「思い出した……。みなまで言うな」


 暗い顔をしている二人を見て、ロスヴィータは小首を傾げた。


(一体、寝室で何が起きたというのかしら?)


 エリファレットは、カサマツの木の幹にもたれかかる。


「まあ、人妻や恋人のいる女性に手をお出しになるわけでもなし、今のところは多目に見てもよかろう。きっと、女性というものが、いやに新鮮にお感じになるお年頃なのだ。国王陛下付きの女官には、お近づきにならないのだろう?」


「確かに縄張りを守っておいでというか、最低限の分別はお持ちのようだが……なあ、エリファレット。殿下があんな風になってしまわれたのは、俺の育て方が悪かったからなのかな……」


 ということは、実質的にシュツェルツを育てたのは、歳の離れた兄のような年齢のアウリールなのだろうか。

 エリファレットは慌てたように、アウリールに向き直る。


「そんなことはないだろう。殿下はご幼少の頃より女性がお好きだったし、お前の関わり方とは無関係だと思うぞ」


「しかしなあ、昔はあんなに可愛らしかった殿下が……」


「いや、お前、最初にお目通りした時から、相当生意気でおいでだったとこぼしていただろう」


「今に比べればマシだ! 百万倍はな!」


 力説するアウリールからは、廊下で会った時の優雅さや静けさなど微塵も感じられない。きっと、エリファレットには己を曝け出せるのだろう。それとも、単にシュツェルツが絡むと人が変わるのか。


 いずれにしても、シュツェルツはこの二人にとても大切にされているに違いない。ロスヴィータはなんだか羨ましかった。両親は、あんなにも自分のことを心配してくれているのだろうか。

 エリファレットはアウリールの肩を、ぽん、と叩く。


「とにかく、一度、殿下とお話ししてみろ。その前哨戦といってはなんだが、今夜飲みにいくか? 愚痴をじっくり聴いてやるぞ」


 アウリールは微笑したあとで、ゆるりと首を振った。


「いや、気持ちだけもらっておく。新婚なんだから、早く奥方のところへ帰ってあげなよ」


 エリファレットは口を閉じ、何か言いたそうな目でアウリールを見つめた。


「なあ、アウリール、前から俺は思うのだが……」


 何を言うつもりなのだろう。ロスヴィータが思わず身を乗り出した瞬間、足元の小枝がパキッと音を立てて折れた。


「誰だ!」


 エリファレットが鋭い声を上げる。焦ったロスヴィータは身を翻し、スカートの裾をたくし上げると、廊下へ続く扉めがけて走った。


 屋内に入り、扉に背中を預けながら、乱れた呼吸を整える。

 話を聴いていたことがバレたらまずかった。何せ、王太子の女性関係についての悩みを、その側近二人が話していたのだ。オスティア侯爵夫人の耳にでも入ったら、解雇されかねない。


 自分は何も聴いていなし、見てもいない。

 さっと回廊への扉から離れると、ロスヴィータは早足で食堂へと戻った。

 食堂に入り、中を見回す。もうあの名誉女官はおらず、ティルデが一人で席に座っていた。ロスヴィータは彼女に声をかける。


「ティルデさま、お話は終わりましたの?」


「はい。ロスヴィータさま、どうぞおかけになって」


 柔らかくほほえむティルデに促され、ロスヴィータは隣に座る。先ほどまで全神経を集中していたからか、酷くほっとした。


「伺ってもよろしいかしら。あの方はどんなご相談を?」


「詳細は伏せさせて下さいね。要するに、上役の方との人間関係に関するお悩みです。わたしにも経験のあることだから、他人事とは思えなくて……」


 そう言ってほろ苦い笑みを浮かべるティルデを見て、ロスヴィータは思った。自分も含めて、人というものは悩みの種が絶えないようだ、と。

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