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お雇い令嬢は恋多き王太子との婚約を望む  作者: 畑中希月
第五章 二人で歩む道のり

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番外編 早すぎた出会い

 シュツェルツと婚約式を挙げてから、初めて迎える大晦日。ロスヴィータは今年も、宮廷で行われる「光溢祭こういつさい」に出席していた。


「光溢祭」の夜には、王族や廷臣を集めた饗応が行われる。今年はシュツェルツの婚約者として彼の隣に座れることが、何よりも嬉しい。

 シュツェルツの左手の薬指には、自分がはめているものと同じデザインの、ダイヤモンドをあしらった婚約指輪が輝いている。


 廷臣たちが序列順に座る饗応が一段落すると、シュツェルツは国王メルヒオーアの代わりに、一年間の労をねぎらうスピーチをした。


 あの謀反から約八か月で、シュツェルツは次期国王としての存在感を確実に増しつつある。

 何も知らない廷臣たちは、シュツェルツとは対照的にすっかり元気をなくしたメルヒオーアを見て、近いうち国王陛下は王太子殿下に王位を譲るつもりなのではないか、と噂しているようだが。


 このあと、廷臣たちは思い思いにこの饗応の場である中央広間に残っておしゃべりを続けたり、二階の「ワイスリーンの間」に上がったりする。

「ワイスリーンの間」からは、「光溢祭」の名の由来ともなっている、夜の十二時になると街中に灯される光の海が見渡せるのだ。


「ロスヴィータ、二階へ行こう。君と一緒に最高の新年を迎えたい」


 聞いているこちらが恥ずかしくなるような台詞を、席に戻ってくるなりシュツェルツが囁いた。

 ロスヴィータは思わず頬を染めて頷く。


「は、はい。参りましょう」


 立ち上がったロスヴィータは、廷臣として同席している家族に目で挨拶をすると、シュツェルツに伴われ、階段に向かった。階段を上った二人は、「ワイスリーンの間」の窓際に立つ。寒いからバルコニーに出られないのが残念だ。


 ロスヴィータは柱時計を見た。十二時になるまで、まだ三十分以上もある。同じく柱時計に目をやったシュツェルツが、のんびりと言う。


「少し話そうか」


「はい」


「ロスヴィータ、君、最近、何か言いたそうな顔でわたしを見ることがあるよね。あれは、何?」


 鋭い質問をいきなり食らい、ロスヴィータは慌てた。言うべきだろうか。だけれど、白状したら絶対にシュツェルツにからかわれる。

 シュツェルツはロスヴィータの逡巡を楽しむような表情をしている。それもまた恥ずかしくて、耐えきれなくなったロスヴィータは素直に答えることにした。


「……実は、殿下と初めてお会いした時の話なのですけれど」


「うん」


「わたくし、殿下と何をお話ししたのか、少ししか覚えていなくて……今になって、その内容がとても気になり始めたのでございます」


「なるほど。好きな相手と最初に交わした会話というのは、思い出すと心地いいものだからね。思い出せなくて悔しいから、余計に気になったというわけかな」


 図星を指されてしまい、ロスヴィータは顔を赤らめた。その上、自分がシュツェルツのことを好きだと指摘されてしまったのも、嬉しいけれど腹立たしい。


「す、好きな相手だなんて……ご自分でおっしゃらないで下さいませ」


「ふふ、でも、事実だろう? ──あの時、君はまだ小さかったからね。記憶が曖昧でも仕方ない。でも、わたしはよく覚えているよ。わたしもね、君との初めての会話を、よく思い出すんだ」


 シュツェルツは甘やかにほほえんでみせたあとで、語り始めた。


     *


 六年半前のその日、十四歳だったシュツェルツは精神的な疲労を感じていた。

 ベティカ公と面会し、円滑に次の王太子になれるよう支援をしてもらう約束を、どうにか取りつけたものの、いくつもこちらを試すような質問をされてしまい、酷く緊張したのだ。


 その上、最後に「殿下はご婚約なさっていらっしゃいませんが、ご結婚は考えておいでですか?」と訊かれてしまった。

 彼の娘と自分を結婚させたいのだな、と察し、シュツェルツは交渉がうまくいったことに安堵すると同時に、厄介事が降りかかってきそうな予感を、ひしひしと感じたものだ。


(恋愛も満足にしていないのに、婚約なんて、まだ早いよ)


 そればかりでなく、ベティカ公がその台詞を口にした時、同席していた彼の令息のツァハリーアスが、ものすごく剣呑な目をこちらに向けてきたのだ。

 なんだか嫌な奴だな、とシュツェルツは感じ、彼には気をつけようと思った次第だ。


 そんなわけで、シュツェルツは中庭に出て、気分転換をすることにしたのだった。

 回廊から中庭に足を踏み入れようとすると、まだ蕾が多いものの、ようやく咲き始めたばかりの青紫の花々が目に入る。故人の好きだったラヴェンダーの花を前にして、シュツェルツの胸は締めつけられた。


 ふと視線を上げると、ラヴェンダーの花畑の奥に先客がいた。緩くウェーブのかかった長く豊かな黒髪を背に流した華奢なうしろ姿から、自分より年下の少女だと分かる。


 シュツェルツの気配に気づいたのか、少女が振り向いた。初夏の風に揺れるラヴェンダーを前に露わになったその姿に、シュツェルツは息を呑んだ。


 少女の顔は、恐ろしく端正だった。歳は十歳前後だろうか。身に着けた襟元の詰まったドレスは、光沢のある落ち着いた茶色だったが、それがかえって少女の華麗さを引き立てていた。

 彫刻や人形ではありえない、強い光を宿した瞳が、じっとこちらを見つめる。


(どこの子だろう)


 廷臣の誰かが、娘をこの東殿に連れてきたのだろうか。

 一瞬、小首を傾げたものの、シュツェルツは引き寄せられるように少女に近づいていった。


「こんなところで、どうしたの?」


 できるだけ、優しく声をかけたつもりだったが、二人の距離が一イルト(約二メートル)くらいまで狭まった時、少女の表情がみるみるうちに硬くなった。


 そうか。少女にとって、自分は子どもとはいえ、会ったこともない年上の異性なのだ。


 しかも、身に着けているドレスの素材と仕立てからして、彼女は間違いなく貴族の娘だ。お付きの者が傍にいないことを考えると、おそらくはその目を盗んで中庭に出たに違いない。

 開放感に浸っている中、見知らぬ相手が現れれば、不機嫌にもなるだろう。


 そのことに気づいたシュツェルツは、ほほえんでみせた。なんだか、見知らぬ人間を警戒する仔猫にでも出くわした気分だ。


「近くにいってもいいかな?」


「……あなたもお父君に連れられて、王宮にいらっしゃったの?」


 子ども特有の、高いが鈴を鳴らすような声だった。この年頃の少女が丁寧な言葉遣いをしていると、なんというか、非常に愛らしい。


 それはともかく、逆に質問されてしまい、シュツェルツは考え込んだ。

 自分は参内したわけではなく、この宮殿に住む王子なのだ、と答えたら、少女はかしこまって、ますます固くなってしまうかもしれない。

 それに、自分が王子だと知らない相手に出会ったという珍しい経験に、シュツェルツは愉快さを感じてもいた。


「そうだよ」


 シュツェルツは、さらに少女との距離を詰めた。間近で見ると、少女の双眸は吸い込まれそうな色合いの瑠璃色だ。


(本当に可愛いなあ。文句のつけようがないよ)


 思わず頭を撫でてみたい衝動に駆られ、シュツェルツは必死で己を抑えた。この子は犬や猫ではないのだ。


 名前を訊いてみたいが、用心されて、教えてもらえないかもしれない。

 そう考えたシュツェルツは、女の子の前なのに、何を話してよいのか分からず、黙り込んでしまった。

 どうも、年下には慣れていない。やっぱり、女性はこちらを包み込んでくれる年上に限る。


 少女がこちらを見上げた。


「あなた……王宮には、よくいらっしゃいますの?」


「うん、しょっちゅう来るよ」


 これは、あながち嘘ではない。訪れるか、住んでいるかの違いだ。

 その答えを聞くと、少女はうつむき、急にもじもじし始めた。そういう仕草も、いちいち絵になるほど可愛らしい。

 シュツェルツは自然と笑顔になった。


「何?」


「あの……」


 少女は、意を決したように口を開く。


「王子殿下方にお会いになったことは、あられますの?」


 シュツェルツは瞬きした。


(鏡に映った自分の姿を見るのを、会ったことがある、とは言わないよなあ)


 一瞬の間のあと、シュツェルツは答えた。


「王太子殿下になら、あるよ」


 少女は並々ならぬ関心を整った顔にたたえ、こちらを見上げる。


「どんなお方ですの?」


 シュツェルツは兄の顔を思い浮かべた。記憶の中にある兄は、いつもほほえんでいる。自分はあんなに兄を嫌っていたのに。


 父が自分をシーラムから呼び戻したのは、兄の病状が悪化したからだ。兄に何かあれば、自分が次の王太子になる。

 具合が悪いのに、笑顔を絶やそうとしない兄の姿を思い出すだけで、胸が穿うがたれたように痛む。


 シュツェルツは無理やり微笑した。


「……とてもお優しいお方だよ」


「そう……」


 少女は頷いたあとで、呟くようにぽつりと言った。


「第二王子のシュツェルツ殿下は、どんなお方なのかしら……」


 不安そうなその表情を見て、シュツェルツは、正体を明かしたほうがいいかもしれない、と思った。

 少女がどうして自分のことを知りたいのかは分からないが、それで彼女が安心するのなら、そうしたほうがいい。


「あの、実はね──」


 シュツェルツがそう言いかけた時、女性の声が己の声にかぶさった。


「お嬢さま! こちらにいらっしゃったのですか!」


 振り返ると、若い女性が血相を変えて走ってきた。こちらに会釈をすると、少女の小さな手を掴む。


「心配したのですよ。さあ、帰りましょう! 旦那さま方がお待ちでいらっしゃいます」


「え、ええ……」


 少女は見つかってしまった気まずさと、この場から引き離されることへの戸惑いが入り交じったような顔で、こちらを一瞥する。

 シュツェルツが目を細めて応えると、少女は諦めたように侍女らしき女性に手を引かれて、中庭から回廊へと遠ざかっていく。廊下への扉がぱたんと音を立てて閉じられた。


「行っちゃった……」


 シュツェルツは、名残り惜しい気持ちで扉を見つめる。

 あの子は服装と物腰から考えて、廷臣、それも貴族の娘のようだし、自分たち兄弟に関心を抱いていた。そして、あの優れた容姿だ。いつになるかは分からないが、いずれ、また会えるだろう。

 シュツェルツはそう結論づけると、夏になりかけている青空を仰いだのだった。


     *


「まあ……わたくし、そのようなことを申し上げましたの……」


 シュツェルツが王子だと気づかなかったばかりか、彼がどんな人なのか、本人に尋ねてしまったなんて。

 それに加えて、あの頃の自分は兄と姉妹にしか心を開いていなかったから、シュツェルツが話していた以上に、失礼な態度をとってしまったことだろう。


 何より、初対面の時から、シュツェルツがそんな自分を好ましく思ってくれていたという告白に、胸がいっぱいになる。道理で、彼にいくら嫌われようとしても、無駄だったわけだ。

 羞恥と喜びにロスヴィータが赤面していると、シュツェルツは懐かしそうに笑った。


「まさか、君がベティカ公のご令嬢だとは思わなかったよ。ロスヴィータがこんなにわたし好みになるんだと分かっていれば、もっと早くに婚約したんだけどなあ。そうしていたら、成長を見守りながら、心ゆくまで可愛い君を愛でられたのに」


 婚約前、いや、恋人同士になる前から充分愛でられていた自覚のあるロスヴィータは、軽く戦慄した。


「もう……お戯れをおっしゃって」


「それにしても、酷いな」


 突然のシュツェルツの言葉に、ロスヴィータは首を傾げる。


「え?」


「君は再会した時、すぐに気づいてはくれなかっただろう? わたしは君とまた会えて、とても嬉しかったのに。その上、会話の内容まで忘れていたんだから」


「でも、あの時はまだ子どもでしたから……先ほど、殿下もそのように……」


 おまけに、再会した時は、あんなに可愛らしい印象の少年が、ここまで背が伸びて、目の醒めるような美男子に成長しているとは、思いもしなかったのだ。

 ……シュツェルツにますますからかわれるだけなので、絶対に言うつもりはないけれど。

 反論するロスヴィータを、シュツェルツはじっと見つめた。


「ねえ、お詫びをしてよ」


 甘い口調で紡がれた台詞に、ロスヴィータはよからぬものを感じた。


「お詫び……?」


「そう。ロスヴィータは、わたしのことを、いつも『殿下』と呼ぶよね。たまには、名前で呼んでよ。もちろん、『殿下』はつけないこと」


「『殿下』はつけないで……」


 一見、無理な要求ではないが、幼い頃から王族への礼儀作法を叩き込まれてきた自分には、乗り越えなくてはならない壁が高すぎる。

 あまつさえ、普段はめったに口にしないシュツェルツの名を「殿下」をつけずに呼ぶなんて、言い表せないほど恥ずかしい。


「──シュ……」


「うん」


「シュツェ……」


 そこまで口にしたところで、ロスヴィータは口をつぐんだ。

 どうしても抵抗感があって、シュツェルツのことを名前で呼ぶのは無理そうだった。ロスヴィータは耳まで熱くなるのを感じながら、うつむく。


 その時、「ワイスリーンの間」に、柱時計が十二時を告げる音が響き渡った。 


「ロスヴィータ、見てごらん」


 シュツェルツが声を上げた。彼の視線を目で追うと、窓の外にそびえる大神殿の塔に、ぽっと炎が灯った。

 その炎に呼応するように、窓から見渡せる家々がいっせいに明かりを灯し始める。またたく間に、光は街中に広がり、黒い海に面した港までを埋め尽くした。


 うしろから歓声が上がる中、ロスヴィータは、うっとりと光の海を見つめる。


「何度見ても、綺麗……」


「そうだね。でも、わたしの婚約者のほうが綺麗だ。ほら……」


 歯の浮くような言葉を口にしたあとで、シュツェルツはロスヴィータの顔に手を伸ばした。頬をゆっくりと撫ぜると、唇を親指の腹でなぞる。


 ロスヴィータは顔を真っ赤にして、シュツェルツを見上げた。


「あの、殿下……人前でございます……」


「うん。でも、大丈夫だよ。わたしたちは公認の婚約者同士なんだから」


 けろりとした顔でそう言ったあとで、シュツェルツはロスヴィータの耳元に唇を寄せた。


「新年おめでとう、ローズィ」


 初めてシュツェルツに愛称で呼びかけられ、ロスヴィータの心臓が大きく跳ねた。シュツェルツは追い打ちをかけるように目を合わせ、美しくほほえむ。


「なかなか、破壊力があるだろう? 呼び慣れない名前で呼ばれるというのは」


 なんだか悔しくて、ロスヴィータは軽く唇を噛んだ。そのあとで、ふと思いつき、誰よりも愛しい人の名を声に乗せる。


「……シュツェルツ、さま」


 シュツェルツが目を見張る。そのあとで、優しく目を細めて囁く。


「君の傍で新年を迎えられてよかった。今年もよろしく。もちろん、その先もね」


 シュツェルツが落としてきた口づけを、ロスヴィータはしっかりと受け止めた。



『早すぎた出会い』──完

あとがき


 この物語が連なる『最果ての国々の物語』シリーズは、できたら公募に投稿しようかな、と考えていた習作のような、やたら長い作品が原型でした。

 結局、未完に終わってしまったその作品の設定を大きく変え、公募に投稿した作品が、ロスヴィータとシュツェルツも登場する『わたしのすてきな後見人』です。


『後見人』を書いた時は、まさかこの二人の物語をここまで長尺で書くことになろうとは、考えてもみませんでした。

 ただ、わたしにとって、ロスヴィータとシュツェルツというキャラクターは、奇妙に吸引力のある存在で、何年も前から、この二人の物語をいつか書きたい、と密かに思っていました。


 今回、それが実現でき、色々と問題のある(特にシュツェルツ)二人をハッピーエンドに導けて、とても充足感を覚えています。

 その分、公開したことで次の課題もおぼろげながら見えてきました。いやあ、小説って本当に難しい。


 時系列順に並べると一番新しいエピソードに当たる『後見人』には、『お雇い令嬢』のネタバレがあるので、終盤に少し仕掛けを用意しました。シュツェルツのパートナーだけあって、ロスヴィータも結構、食わせ者です。


 この物語を書くことで、人物たちの生きる世界観を掘り下げることができ、また、自分の小説に対する姿勢を考え直すこともできました。そういう意味でも、今回の執筆は得難い経験でした。


 長い拙作を読んでいただき、ありがとうございました。ブックマークと評価、それにPVには、本当に励まされました。誤字報告もありがとうございました。


 次回作で、またお会いできることを祈って。

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