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お雇い令嬢は恋多き王太子との婚約を望む  作者: 畑中希月
第五章 二人で歩む道のり

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第五十二話 未来へ

 帰年暦三六二六年、六月七日。あの謀反から約一年一か月半後に、ロスヴィータとシュツェルツは、幻影宮の主拝殿で結婚式を挙げた。

 純白の花嫁衣装に身を包んだロスヴィータを見て、母は「綺麗よ」と涙を拭い、父と兄も感極まって、言葉少なだった。


 シュツェルツが意図的に流布した作り話は、意外にも廷臣や国民の支持を受けており、今日の結婚式も国中が祝ってくれているのだそうだ。あとで行われるパレードが楽しみである。

「大恋愛の末に結ばれたお二人」と評され、ロスヴィータは嬉しいやら恥ずかしいやらだ。吟遊詩人たちの間でも、あの作り話を元にしたうたが歌われているらしい。


 普段は朝の礼拝に使われている壮麗な主拝殿で、黒い礼装姿も凛々しいシュツェルツに、大神官が問うた。


「シュツェルツ・アルベルト・イグナーツ。汝、ロスヴィータ・イーリスを妻として、生涯愛することを、信義の神にして、神々の中の神、ウィタセスに誓うか?」


「誓います」


 大神官が、こちらに顔を向ける。


「ロスヴィータ・イーリス。汝、ウィタセスの妃神、ワイスリーンのごとく、生涯、夫を愛し、苦楽をともにすることを誓うか?」


「誓います」


 大神官は微笑した。


「では、二人はただ今より、ウィタセスとワイスリーンの見守る中、夫婦となった。誓いの証に、指輪の交換を」


 大神官が結婚指輪の入った箱を差し出す。普段から着けていられるような、シンプルなデザインの指輪だ。

 手袋を取ったロスヴィータの薬指にシュツェルツが指輪をはめ、ロスヴィータも同じように彼の薬指に指輪をはめる。


 シュツェルツの灰色がかった青い目は、どこまでも優しく、ロスヴィータは幸せを噛み締めながら、手袋をはめ直した。


 腕を組んで、深紅の絨毯が敷き詰められた中央通路を歩いていくと、両親や兄姉、妹、それにティルデやオスティア侯爵夫人の礼服姿が目に入った。

 もちろん、アウリールも参列している。油断なく辺りを見回しているのは、警衛、警護の指揮を執るエリファレットだ。その傍らには、ルエンの姿もある。


 結婚式のために、ダヴィデ王子はもちろん、レオニス女公夫妻と、その幼い王子も駆けつけてくれた。

 五年前、夫妻の幸せそうな晴れ姿を目の当たりにした時は、自分が心から愛する人と結婚できるとは思わなかった。


 だが、確かに今、ロスヴィータは大好きなシュツェルツの隣を歩いている。

 ロスヴィータはみなに心から感謝すると、シュツェルツの腕の力強さを感じながら、主拝殿の出入り口に向けて歩み続けた。このお方と、一生添い遂げるのだ、と深く心に刻みながら。


     *


 シュツェルツとロスヴィータの結婚式が行われた夜、アウリールは王都ステラエの料理屋で、エリファレットと向かい合っていた。一応、式のあとにも豪勢な饗応があったのだが、ああいうお上品な場では話せないことを語り明かすためである。

 アウリールが目の高さにグラスを掲げた。


「では、殿下とロスヴィータ嬢──いや、王太子妃殿下に乾杯」


 エリファレットが唱和する。


「乾杯」


 白ワインを味わいながら、アウリールは感慨に耽らずにはいられなかった。

 出会った時、シュツェルツはまだ九歳になったばかりの少年だった。その彼が、二十一歳の立派な青年になり、素晴らしい伴侶と結婚式を挙げたのだ。おそらく、王子か王女が生まれるのも、そう先の話ではないだろう。


 子どもがいないばかりか、結婚すらしていないのに、すっかり子を送り出した親の気分だ。

 アウリールは傾けていたグラスを、テーブルに戻す。


「ようやく安心できるけど、あのお方のことだから、まだまだ心配が絶えないかもしれないなあ」


 エリファレットが困ったように笑う。


「まあ、殿下だからな。今は大人しくなさっておいでだが、いつ女好きの血が騒がないとも限らぬか。その時は、どうするのだ?」


「もちろん、こっぴどく叱る」


「おいおい、目が据わっているぞ。もう、酔いが回ったのではないか?」


「まさか」


 アウリールは前菜をつまみながら、白ワインをあおった。

 エリファレットが思い出したように言う。


「なあ、前に話していただろう?」


「何を?」


「殿下がご結婚なさったら、自分も結婚を考える、と約束したそうではないか。どうするのだ?」


 アウリールは一笑にふす。


「あんなの、約束のうちに入らないよ」


「だが、殿下は本気でお前のことをご心配なさっておいでだ。この先、お前がもっと歳を取った時に、独り身ではたまらない、とな」


「俺はまだ、三十二だ」


「今月で三十三だろ。過去の感傷に浸るのもいいが、そろそろ本気で将来を考えろ。結婚すると、家が賑やかになるぞ」


「はいはい。伴侶にも子宝にも恵まれている御仁は、羨ましいですねえ」


 茶化して応えたあとで、アウリールは色を正した。


「……君にも殿下にも心配をかけて、悪いとは思っているよ。まあ、おいおい、考えていくつもりさ。ベアトリーセの墓参りができるようになってから、だいぶ気持ちが落ち着いてきたからね」


 そう、謀反のあと、シュツェルツは渋るメルヒオーアを脅しつける形で、アウリールが側妾の墓地に入る許可を取りつけてくれたのだ。

 月に一度は墓参りをし、ベアトリーセと死産だったシュツェルツの弟王子に思いを馳せるうちに、心に刺さっていたいくつもの棘も、ようやく抜け落ちてきたような気がする。


 もしかしたら、シュツェルツは自分とベアトリーセを結びつけたことを後悔しているのかもしれない。だが、もし、ベアトリーセと恋をしていなければ、自分はこんなにも女性を深く愛することはなかっただろう。


「──でも、正直、忸怩じくじたるものがあるよ」


 エリファレットが怪訝けげんそうにこちらを見る。


「何がだ?」


「自分の復讐に、殿下を利用してしまったようでね。殿下がお止め下さらなかったら、俺はきっと、どんな手を使ってでも、国王をしいしていたと思う」


 アウリールの告白に、エリファレットは沈黙していたが、やがて、まっすぐな眼差しを送ってきた。


「お前はそんなことはしていない。お前が誰よりも殿下を大切に想っていることは、俺がよく知っている。……なんなら、財布の中身を全て賭けても構わぬぞ」


 アウリールはほほえんだ。


「……ありがとう」


 シュツェルツとエリファレットに出会えたことは、目論見違いの多かった人生の中で、本当に僥倖ぎょうこうだった。このまま、無医村の故郷で開業医をするという夢が叶わなくとも、自分は後悔しないだろう。


 それに、無医村に医院を建てるという目標なら、今のままでも達成できる。

 地位や権力というのは、不思議なものだ。罪なき人々の人生を狂わすこともあれば、多くの人々を救うこともできる。


(願わくば、シュツェルツ殿下が末永く、太陽神リュロイに照らされた道を歩まれんことを)


 誰にも気づかれぬように、アウリールは本当に珍しく、神に祈りを捧げた。


「アウリールの新しい家族に乾杯! 殿下にお願い申し上げれば、きっと、すぐにでも見合いをご手配下さるぞ」


 だいぶ酔いが回ってきたらしいエリファレットが、改めて宣言する。

 束の間、在りし日の愛しい人の笑顔が瞼の裏に浮かび、そして消えた。

 アウリールは苦笑しつつ、もう一度乾杯をした。


     *


 結婚式から四日後、晴れて王族の仲間入りを果たしたロスヴィータは、シュツェルツとともに側妾の墓地に初めて足を踏み入れた。

 ちなみに、婚約中はツァハリーアスに妨害され、なかなか関係が進展しなかった(ロスヴィータにとっては幸運なことに)二人だが、新婚初夜に名実ともに結ばれている。


 広い墓地をしばらく進むと、真新しいラヴェンダーの花が供えられている墓碑が見えてきた。


 そこには、「ベアトリーセ・ヴェレ」と記されている。


 シュツェルツが足を止めた。


「ここが、ベアトリーセの墓だ」


 ロスヴィータはまだ蕾の多いラヴェンダーの花束を持ったまま、しゃがみ込む。


「このラヴェンダーは……」


「アウリールだろう。ベアトリーセが好きな花だったからね。ラヴェンダーが三束になってしまうけど、華やかになって、かえっていいかもしれない」


 シュツェルツも片膝を突き、持ってきたラヴェンダーの花束を墓標に供える。ロスヴィータも彼に倣った。ラヴェンダーのすっと鼻に抜けるような強い芳香が、辺りに漂う。

 ラヴェンダーの本格的な季節はこれからだ。たくさんの薄紫の花々が風に揺れる光景を思い浮かべながら、ロスヴィータは呟いた。


「あなたを待っています」


「え?」


「ラヴェンダーの花言葉のひとつでございます」


 シュツェルツは目を見張った。そのあとで、自らに問うようにぽつりと言った。


「……ベアトリーセは今でも、アウリールのことを待っているのかなあ」


「そうかもしれませんけれど、きっとベアトリーセさまは、ロゼッテ博士に他の方とは一生結婚して欲しくない──とか、そういう思いは抱いていらっしゃらないと存じます」


「なぜ?」


「東殿に、ベアトリーセさまの幽霊がお見えにならなくなったからでございます。ティルデさまからも聞きましたし、みな、不思議がっていらっしゃいますよ」


 シュツェルツは呆然としている。


「……いつからなんだろう」


「はっきりしたことは分かりませんけれど、噂によると、わたくしたちが婚約式を挙げてからのようでございますよ」


 シュツェルツは首を捻っている。聡い彼も、女心の深いところまでは分からないようだ。ロスヴィータはくすりと笑った。


 多分、ベアトリーセは、ずっと心残りだったのだ。シュツェルツとアウリールが幸せになれるかどうかが。

 だから、幼かったロスヴィータの前に現れ、なんらかの警告を送ってくれたのだろう。自分と同じような目には遭わないでね──と。


 ロスヴィータとシュツェルツが正式に婚約したことで、彼女の心残りも消えたのだ。


 アウリールに関しては、まだ独身ではあるものの、きっと過去を乗り越え、前へ歩き出していくのだろう。

 ロスヴィータは確信を持って、言い添えた。


「ベアトリーセさまは神界で、ロゼッテ博士のお幸せを願っていらっしゃると存じます」


 シュツェルツは感心したように腕を組む。


「君が言うと説得力があるなあ。ベアトリーセと同じ、女性だからかな?」


「そういうことにしておいて下さいませ」


 ロスヴィータが答えると、シュツェルツはいたずらっぽく笑う。


「アウリールの奴、わたしが結婚したら、自分も結婚を考える、なんて強気な発言をしたことを、今更後悔しているんじゃないかな。わたしは、こうしてさっさと結婚したわけだしさ」


 得意げにそう言ったあとで、シュツェルツは提案する。


「ねえ、ロスヴィータ、アウリールに見合いを勧めてみるのはどうかな? 実は、彼にお似合いの女性がいるんだ」


「わたくしも賛成致します」


 そういえば、ベアトリーセの幽霊と会ったことがあるという話は、アウリールに伝えていなかった。かつては、とても言い出せる雰囲気ではなかったが、今は事情が異なる。


(今度、ロゼッテ博士にお話ししてみよう)


 ロスヴィータはそう心に決めると、墓前で祈りを捧げた。死してなお心優しいベアトリーセの魂が、神界で安らかであるように、と。

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