第五十一話 こうして真実は作られた
結局、メルヒオーアはロスヴィータのことは諦め、余生を見せかけの国王として過ごす道を選んだ。
そのうち、協力者を見つけ、復権を果たそうとするのでは、とロスヴィータは心配したが、シュツェルツはその可能性をきっぱりと否定した。
「引き続き、近衛騎士団にはエリファレットを置いて、離反者が出ないよう目を光らせてもらうよ。軍隊に関しては、彼の伝手を使って、前から人心の掌握に努めていたから、たとえ、父──国王が脱出して、兵たちに呼びかけたとしても、過半数はこちらにつくだろう」
では、私兵を持つ、反ベティカ派の貴族はどうなのか?
「お父君に敵対している貴族に関しては、国王と連絡を取り合わないように目を配るつもりだよ。だけど、果たして彼を救出しようとする貴族がいるのかな? 圧倒的に少数な上に、外国からの援助も望めないのに」
ロスヴィータは察した。たとえ、自分の一件がなくとも、以前からシュツェルツは父王と対決する準備を着々と進めており、それが少し早まっただけなのだ、と。
それでも、シュツェルツが自分のために危ない橋を渡ってくれたのは事実だし、ロスヴィータにとってはそれで充分だった。
今日まで国王を守っていた近衛騎士団は、シュツェルツから以前の主君を監視する役目を仰せつかることになり、メルヒオーアは軟禁状態に置かれた。
これからは、表面的には彼の名代として、シュツェルツが今まで以上に、民衆の前や外交の席に姿を見せることになるのだろう。
そうして、シュツェルツは即位するまでの間に、完全にマレ全体を掌握してしまうはずだ。
なんだか、すごい人を恋人にしてしまったような気がする。ロスヴィータは誇らしさと不思議さが入り交じった気持ちで、シュツェルツの横顔を見上げる。
たった一夜で幻影宮の主となったシュツェルツは、廊下に出るとエリファレットに命じ、近衛騎士団の戒厳令を解いた。
緊張から解放されたからか、ふう、と、ため息をついたシュツェルツに、アウリールが歩み寄ってくる。
「終わりましたね、殿下」
「ああ、一区切りはついた。国王に人生を狂わされた全ての人の無念を晴らせたとは、思えないけどね」
「……わたしは、充分、報われましたよ」
アウリールは目を細めると、自身より背の高いシュツェルツの肩を抱き寄せた。
「それと……わたしに、こんなに大きな息子はおりませんよ」
この二人は、本当の親子以上の絆で結ばれている。ロスヴィータは温かい目で、彼らを見つめた。
シュツェルツはしばらくの間、潤んだ目で天井を眺めていたが、ぽつりと言った。
「……これ、ロスヴィータにしてもらったほうがいいなあ」
アウリールは、とたんに不機嫌になる。
「はいはい、どうぞご婚約者に存分にお甘え下さい」
急に名前を出されたロスヴィータは、頬を熱くさせた。まだ、正式には婚約していないのです、という突っ込みは、到底入れられない雰囲気だ。
国王の寝室に通じる扉を凝視していた父が、婚約という言葉に反応して、シュツェルツのほうを向いた。
「殿下、婚約式はいつになさいますか?」
「早いほうがいいな。準備の問題もあるだろうから、今年中にできればよいと思うが」
「かしこまりました。結婚式は、やはり気候のよい六月でしょうか」
「六月か……もう少し早いほうがいいのだが、まあ、ぎりぎり我慢できるだろう」
(我慢って、何を!?)
自分の意見が反映されずに、どんどん話が決まっていくことに、ロスヴィータは慌てた。ツァハリーアスは、そんな自分を見て、笑いを噛み殺している。
ふと、シュツェルツが真顔になる。
「ベティカ公、それにゲヌア侯。おかげで、一滴の血も流さずに、謀反を成功させることができた。この恩は忘れぬ。礼を言う」
父が恭しく答える。
「もったいなきお言葉でございます」
ツァハリーアスが生真面目に答える。
「わたしは妹が幸せになれれば、それでよいのです。こちらこそお礼を申し上げます、殿下。これからは、法と太陽の神リュロイが降臨したかのごとく、マレに正義が敷かれんことを」
「ふ、そなたは妹君以外のことも、きちんと考えられるのだな」
シュツェルツがからかうと、ツァハリーアスは立腹したようだ。
「殿下こそ、女性以外の事柄についても、意外に考えておいでのようで」
シュツェルツは、にやりと笑ったあとで、ロスヴィータを見た。
「ロスヴィータ、ちょっといいかな? 君に話がある」
「は、はい。もちろんでございます」
ロスヴィータが答えると、シュツェルツは父と兄を見やる。
「というわけで、少しご令嬢をお借りする。あとで必ず返すゆえ、安心してくれ」
シュツェルツと一緒に、初めて王子専用の階段を下りて、一階へと向かう。途中から、シュツェルツが手を繋いできた。彼と指を絡められることが、この上ない幸せに感じられる。
シュツェルツが向かったのは、中庭だった。彼と初めて出会い、そして、互いの想いを告白し合った場所だ。月明かりに照らされた夜の中庭は、いつもとは違って見える。
ロスヴィータは立ち止まったシュツェルツを、手を離さずに見上げた。
「それで、お話というのは?」
シュツェルツは彼にしては珍しく、困ったように切り出す。
「実は、謀反の事実を知らない廷臣たちに、どうやって説明しようか悩んでいてね。ほら、国王が君を諦めた理由をさ。宮廷は、君が急に退官した理由の憶測で溢れ返っているからね。みんな、国王が君に目をつけていたことに、感づいているんだ」
確かに、それは困りものだ。謀反の事実が明るみに出れば、人心は動揺するだろうし、表面上だけでも今まで通り、というわけにはいかないだろう。
ロスヴィータも考え込んだ。
「困りましたね……」
それから、はたと気づく。
「あの、こういうことは、ロゼッテ博士にご相談なさったほうがよろしいのでは?」
シュツェルツは甘くほほえんだ。
「それじゃあ、君と二人きりになれないじゃないか。この一週間、わたしはずっと寂しかったんだよ?」
自分だって同じだ。必ず成功すると信じながらも、毎日が不安でたまらなかったし、早くシュツェルツに会いたかった。
「殿下……」
シュツェルツが片手を繋いだまま、抱き寄せてきた。
「君を取り戻せてよかった」
しばらくお互いの温もりを感じながら、抱き締め合ったあとで、シュツェルツが「あ!」と、声を上げた。
ロスヴィータは思わず尋ねる。
「どうなさいました?」
シュツェルツは身体をわずかに離し、ロスヴィータの顔を覗き込んだ。
「そうだ、こうしよう。わたしが君と一夜をともにした、と命懸けで訴え出たことで、事態が解決したことにすればいいんだ。王統の安定のために、たった一人の王子を大逆罪に問うわけにはいかなかった国王は、君を諦めざるをえなかった、と、こういう具合さ」
ロスヴィータは、ぽかんと口を開けた。
「で、でも、それでは、殿下にとって不名誉では?」
「いいんだよ。そのほうが、事実よりも、世間のわたしに対する印象に近い。それに、わたしにとっては、流布させる作り話の内容よりも、君と結婚できるという未来のほうが、遥かに大切だからね」
シュツェルツはロスヴィータをもう一度抱き締め、口づけを落としてきた。
(わたくしは、幸せ者だわ)
大好きな人にこんなにまで結婚を望まれて、命まで懸けてもらって。
口づけに応えていると、シュツェルツが舌を滑り込ませてきた。未知の感覚にロスヴィータが慌てていると、少し舌を絡めたあとで、シュツェルツは唇を離した。ロスヴィータを抱き締めながら、耳元で囁く。
「……ダメだ。初夜まで我慢できそうにない」
先ほど父に言っていた「我慢」とは、そういう意味だったのか。これでは、作り話が世に流れる前に、嘘が真実になってしまう。
「だ、ダメです、殿下」
「どうして?」
そう問われてしまえば、ロスヴィータは返す言葉がない。
「わたくしは逃げも隠れも致しませんから……!」
ロスヴィータがなんとか言い返すと、シュツェルツはくすりと笑う。
「今、君を捕まえておきたいんだけどなあ」
結婚式まで、こうして甘いやり取りを繰り返すのは、とても幸せなことだけれど、それはそれで苦労しそうだ。
ロスヴィータは頬を染めて、シュツェルツの肩に顔を埋めた。
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