第五十話 対決
ロスヴィータが暇をもらってから、一週間が過ぎた。
その日の夜、ロスヴィータは国王に召し出された。父と兄に伴われ、久し振りに幻影宮へと向かう。車寄せで馬車を降り、南殿から渡り廊下を通って、住み慣れた東殿に入る。
廷臣用の階段を使い、二階に上がる。国王の寝室の前に着くと、ツァハリーアスが「大丈夫か」と視線を送ってきた。
ロスヴィータは頷いた。大丈夫だ。きっとシュツェルツが助けてくれる。
父がノックをすると、メルヒオーアの声が返ってきた。ロスヴィータは、一瞬、びくりと身体を強張らせたが、自分を奮い立たせた。シュツェルツを信じると決めたのだ。
扉が近衛騎士の手によって開かれた。父と兄に守られるように、ロスヴィータは入室する。
メルヒオーアは部屋の中央に立っていた。ロスヴィータの姿を見ると、両腕を広げる。
「よく参ったな、ロスヴィータ。もっと近う寄れ。……ベティカ公にゲヌア侯、そちたちも大儀であった。もう帰ってよいぞ」
ロスヴィータは戦う決意を持って、メルヒオーアの灰色の瞳を見返した。
その時、静かな部屋に、扉を叩く音が響いた。
「父上、お話ししたいことがございます。入ってもよろしいでしょうか?」
シュツェルツの声だ。ロスヴィータは反射的に扉を振り返った。
メルヒオーアが不愉快そうな声で応じる。
「今は忙しい。明日にしろ」
「明日では、間に合いませぬので」
シュツェルツは飄々とした声音で答えると、部屋に入ってきた。うしろには、アウリール、エリファレット、ルエンを従えている。ロスヴィータの傍に歩み寄ってくると、笑顔を見せ、メルヒオーアから庇うように前に立つ。
シュツェルツのただならぬ雰囲気に気づいたようで、メルヒオーアが眉をひそめる。
「なんのつもりだ」
対照的に、シュツェルツは笑いを含んだ、歌うような声で告げる。
「実は、父上に申し上げたきことがございます。……この宮廷は、わたしが掌握致しました」
メルヒオーアは唖然とした顔をしていたが、信じられぬ様子で問う。
「──掌握だと? どういうことだ」
「端的に申し上げれば、謀反でございますよ。近衛騎士団は、既にわたし直属の配下でございます。わたしが指一本動かせば、すぐに父上をご拘束申し上げる手筈になっておりますので」
シュツェルツがエリファレットを振り返る。
「こちらのエリファレット・シュタム近衛騎士団副団長が、団長や団員たちを説得してくれたおかげです。みな、父上の非道を知ると、奮い立ってくれたようでございますよ。誰でも、妻や恋人を奪われてはかないませぬから」
近衛騎士団は、この幻影宮全体に配備されている。千名に上るマレの精鋭部隊がシュツェルツ側についたのだ。いくら軍隊の指揮権を持つ国王といえども、近衛騎士団に拘束されてしまえば、なすすべがない。
メルヒオーアは、すぐにことの重大性に気づいたようだ。髭を蓄えた顔が青ざめる。
だが、すぐに国王としての貫禄を取り戻す。
「そのような偽りに惑わされるか! 謀反だ! 誰ぞ、参れ!」
張り上げた大声が、部屋の外で警衛している近衛騎士に聞こえぬはずがなかったが、駆け込んでくる者は誰もいない。
しばし呆然としたメルヒオーアは、卓上にあるベルを鳴らす。
やはり、誰も現れなかった。
シュツェルツが父と兄を見やり、淡々と告げる。
「それだけではございませぬ。ベティカ公も、わたしに協力を約してくれました。既に、侍従長や女官長にも手を回しております。ベティカ公の派閥に属する貴族や聖職者たちも、わたしの味方になってくれるでしょう」
「謀反など起こせば、諸外国が黙ってはおらぬぞ! たかだか女一人のために、他国に付け入る隙を与えるつもりか!」
「おや、それが本音でございますか。その女一人のために、どれだけの人々の人生をお壊しになってきたか……あなたはお考えになったこともないのでしょうね」
シュツェルツが振り返って、アウリールを見た。アウリールは、冷然と事態の推移を見守っている。シュツェルツは語を継いだ。
「諸外国の動向でしたら、ご心配なく。既に、イペルセの叔父とは鳩便で連絡を取り合っております。ご存知でしょうが、彼はイペルセの外務大臣です。叔父は、協力は惜しまないと約して下さいましたよ。元々、イペルセ側は、かの国の血を引くわたしの王位継承を、強く望んでおりますゆえ」
メルヒオーアの顔は蒼白を通り越して白くなっていた。ロスヴィータは一歩前に出て、シュツェルツの横顔を見上げる。目が合うと、こちらを安心させるような微笑が返ってきた。
「シーラムは北方のヴィエネンシスと対峙しているゆえ、こちらに干渉してはこないでしょう。それに、第一王位継承者のレオニス女公はわたしの親友です。いくらでも説得の余地はございますし、彼女も女性ですから、このたびの父上のご行状をお聞きになれば、なんと思われるか」
もはや、早急に助けを請える味方のいない国王の命運は、風前の灯火だった。メルヒオーアが呻く。
「シュツェルツ……貴様……」
シュツェルツは厳しい顔で、ぴしゃりと言い放つ。
「父上が悪いのですよ。わたしの妃になる女性を奪おうとなさるから」
シュツェルツは薄く笑った。
「さあ、どちらをお選びになりますか? わたしがあなたに代わって国王となるのを、幽閉されてお見届けになるか、それとも、ロスヴィータのことは完全にお諦めになって、余生を見せかけの国王として過ごされるか」
救いのない選択肢を提示されたメルヒオーアは、怒号を発した。
「それが父親に対する仕打ちか!」
シュツェルツの両眼がすっと細くなり、冷たい表情をたたえた。
「あなたに父親らしいことをしてもらったことは一度もない。ここにいるアウリール・ロゼッテこそが、わたしの父だ」
アウリールの若草色の瞳が、はっと見開かれた。
「殿下……」
そして、そのアウリールを手酷い目に遭わせたのは、他ならぬメルヒオーアなのだ。
父ではない、とシュツェルツに断言されてしまったメルヒオーアは視線をさまよわせ、ロスヴィータに目を留めた。ロスヴィータは、思わず一歩下がる。
メルヒオーアは媚びるような笑顔を作って、ロスヴィータに語りかけた。
「ロスヴィータ、予を哀れに思うなら、シュツェルツに取りなしてくれ。な? 頼む」
メルヒオーアは王としての威厳もあり、年齢よりも若く見える、端正な容貌の持ち主だ。それだけに、卑屈な態度が余計醜悪に映り、ロスヴィータは思わず目を背けたくなった。
だが、望んだことではないにしても、これは、自分が発端となって起こった事態だ。
ロスヴィータはシュツェルツの前に進み出ると、決然と口を開いた。
「わたくしがこの世でお慕い申し上げておりますのは、シュツェルツ殿下、ただお一人でございます。その殿下との婚約に水をお差しになったあなたさまへの同情など、わたくしは持ち合わせてはおりません」
メルヒオーアはしばらく呆然としていたが、ほどなくして、糸の切れた操り人形のように、肩を落とした。
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完結に向けて、ラストスパートをかけたいと思います。




