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お雇い令嬢は恋多き王太子との婚約を望む  作者: 畑中希月
第一章 王太子殿下は女好き
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第五話 計画実行の時

 お雇い女官になってからの日々は、目まぐるしく過ぎていった。

 まず、膨大な数の衣装や靴、装身具を、全て頭に入れなければならないし、シュツェルツの服装の好みも把握しなければならない。その上で、最適な本日のコーディネートを決定するのだ。


 しかも、シュツェルツが式典や夜会に出席する時は、ロスヴィータたち衣装係の責任は否応なしに重くなる。もちろん、シュツェルツの衣装を選ぶのは教育係のティルデの役目だったが、覚えることが多すぎて疲れてしまい、ロスヴィータの「王太子殿下に嫌われよう計画」はほとんど進んでいなかった。


 もっとも、式典や夜会がない時は他の女官に比べてゆっくりできるので、勤務にメリハリがつくという利点もある。

 おかげで家族や屋敷が恋しくなることもない。もっともそれは、幻影宮で父の私設秘書を務めるツァハリーアスが、頻繁に会いにきてくれるからでもあったが。


 そうして、ひと月余りが過ぎた。

 七月に入り、暑くなっていくにつれ、庭園の緑も濃くなり、日増しに夏の到来を感じさせる。

 その日、ロスヴィータは詰め所で、オスティア侯爵夫人からあることを告げられた。ティルデが高熱を出したので、仕事を休むというのだ。


「まあ……ティルデさまは大丈夫でございますの?」


「侍医の診断では、風邪のようですよ。まだお若すぎるほどですし、治るのも早いでしょう。くれぐれも、お見舞いにいってはいけませんよ。あなたにまで風邪が移ってしまっては、大変ですからね」


 ロスヴィータまで風邪を引いてしまっては、衣装係の仕事に差し障りがあると言いたいのだろう。それは分かっていたが、オスティア侯爵夫人の事務的な答えには、ちょっと納得がいかなかった。


(部屋はすぐ傍なのに、ティルデさまのお見舞いにいってはいけないだなんて)


 ティルデは初めてできた、大切な友人なのだ。ロスヴィータは反論することにした。


「ですが、一目くらいお会いしても……」


「ロスヴィータさま」


 オスティア侯爵夫人の目が、厳しさを増した。


「衣装係という職務は、王太子殿下のご衣装を預かる、とても重要なものなのです。くれぐれも、それをお忘れになりませぬように」


「はい……」


 それ以上の口答えを諦めたロスヴィータは、侯爵夫人の次の言葉を待った。


「もう、ひと月がたちましたから、あなたもある程度は、殿下の服のお好みが分かってきたはずです。今日はティルデさまに代わり、あなたが殿下のご衣装を選びなさい」


「え……」


 思ってもいなかった侯爵夫人の言葉に、ロスヴィータは戸惑いを隠せなかった。果たして自分にその役目が務まるのだろうか、と不安になる。


(あ、でも……)


 ふと、ある思いつきが頭の中に立ち上がり、ロスヴィータは頷いていた。


「かしこまりました。わたくしでよろしければ、そのお役目、承ります」


 ロスヴィータは思ったのだ。これはシュツェルツに嫌われる、またとない好機だ、と。

 シュツェルツの服の好みは、黒や紺などの暗い色であることは、この一か月でロスヴィータも承知している。だが、膨大な衣装の中には、シュツェルツが好みそうにないものや、明らかに似合わなそうなものも含まれていた。


 そういうものはティルデも決して選ぼうとしないし、「これは殿下のお好みではないから、そのうち、臣下に下賜なさると思います」という説明を受けたこともある。


 それらの「選んではいけない衣装」の中から、今日のコーディネートを選び、侍従に渡せば、いくら女性に甘いシュツェルツでも気分を害するのではないだろうか。


 今ならティルデが休みだから、衣装の選択ミスはロスヴィータだけの責任になる。普段のシュツェルツの態度から鑑みるに、責任を取らされるといっても、まさか家を没落させられるほどの怒りは買わないだろう。


 この一か月間でぼんやりと考えていた作戦を、いよいよ実行に移す時が来たのだ。

 おそらく、あとで峻厳なオスティア侯爵夫人から大目玉を食らうだろうが、ティルデの迷惑にならず、シュツェルツに不快な印象を与えられれば、それでよい。


 ロスヴィータは衣装部屋に入るために、初めて一人きりでシュツェルツの部屋を訪れた。両開きの扉の脇には近衛騎士がたたずんでいる。まだ眠っているであろうシュツェルツを起こしてしまわないように、ノックはしない。


(わざとノックをして、殿下を起こしてしまうというのも手ね)


 カーテンに覆われた寝台は静まり返っている。そちらをちらりと見たあとで、ロスヴィータは寝室の左奥にある衣装部屋に入る。部屋の壁一面に見渡せるクローゼットの引き戸を開き、衣装を探していく。


 シュツェルツの衣装は、この国の高貴な身分の男性が好んで身に着ける、詰め襟に裾の長い上着が多い。ズボンはそのほとんどが細身のもので、中には脚を細く見せる、ぴったりとしたシルエットのものもある。


 頭の中に思い描いていたシュツェルツに似合わないであろう服は、すぐに見つかった。最高級の絹地で織られた上下で、上着は目の覚めるような真紅だが、ズボンは黒。この一か月、ティルデが一度も手に取らなかった服だ。

 ベルトと靴だけは無難なものを選んでおく。ロスヴィータはティルデに教えられたように、丁寧に衣装を畳んだ。


 侍従に衣装を渡してしまえば、もう後戻りはできない。

 ロスヴィータは深呼吸をして、来たるべき時を待った。すぐに衣装が決まってしまったので、余計に時間の流れが遅く感じられる。

 やがて、見知った顔の侍従が二人、現れたので、ロスヴィータは丁重に衣装とベルト、靴を手渡した。


「お疲れ様でございます。こちらが本日のご衣装でございます」


「お役目、お疲れ様です」


 侍従たちは衣装を受け取ると、寝室へと去った。

 あの衣装を目にしたシュツェルツは、どんな反応を示すのだろう。

 シュツェルツの着替えが終わったという侍従の合図を待ってから、衣装係は部屋を辞すことになっている。

 あの衣装では、きっとシュツェルツは着替えずに突き返してくるはずだ。


 ロスヴィータはそう思い、侍従が再び現れるのを待っていたのだが、しばらくすると、扉を軽くノックする音が聞こえてきた。

 シュツェルツの着替えが終わったという侍従からの合図だ。

 なぜ、シュツェルツは服を突き返してこないのだろう。

 不思議に思いながら、ロスヴィータは衣装部屋の扉を開けた。


 衣装部屋からすぐ見える寝台の前に、ロスヴィータが選んだ上下を着たシュツェルツが立っていた。

 金で縁取りされた真紅の上着が、白皙の肌に調和している。黒いズボンは赤い上着の華やかさを引き締め、シュツェルツを精悍に見せていた。


 今まで、ティルデがこの衣装を選ばなかった理由が全く分からず、ロスヴィータは呆然とした。


「この服は君が選んだのかい? ティルデはどうしたの?」


 シュツェルツに声をかけられ、ロスヴィータはかしこまった。


「ティルデ・ファルケは風邪を引いて休んでおります。代わりに、わたくしが本日のご衣装をお選び致しました」


「そうか。あとで見舞いの品を持たせるよ。……ところで、何か言いたそうだね?」


 内心を言い当てられ、ロスヴィータの声は裏返りそうになる。


「い、いえ、そのご衣装が、とても似合っておいでなので……」


「ありがとう。これはわたしにとって特別な服だから、普段は袖を通さないんだ。まあ、そんなことを言っているうちに、めったに着なくなってしまったんだけどね」


 シュツェルツはにっこりと笑った。


「君のおかげで、久し振りにこの服を着られたよ。ありがとう、ロスヴィータ」


 ……もしかして、嫌われるどころか、逆効果になってしまったのだろうか。


     *


 シュツェルツの不興を買うはずが、逆に感謝されてしまった。

 思惑通りにならない現実にため息をつきながら、食堂へ向かう。朝食は朝の仕事が終わってから摂ることになっているのだ。


 壁に絵が飾られ、中央の天井からシャンデリアの吊り下がった、女官用の食堂に入る。十名ほどが一緒に食事をできるくらいの広さだが、東殿の一階を持ち場とする女官は、ロスヴィータを含めて三人しかいないので、広々と使える。

 ティルデが隣にいない寂しさを感じつつ着席する。ベルを鳴らして給仕を呼び、食事を頼む。


 数分後、食事が運ばれてくるのを待っていたロスヴィータは、身を強張らせることになった。あとから食堂に現れたオスティア侯爵夫人が、向かいに座ったのだ。

 服選びをわざと失敗しようと考えていた手前、彼女には罪悪感を抱いてしまう。

 給仕を呼び、お茶を頼んだあとで、侯爵夫人は口を開いた。


「先ほど、廊下で殿下にお会い致しました」


「は、はい」


「殿下は赤い御服ごふくをお召しでしたね。あのご衣装は久し振りに拝見致しました」


「はい……殿下は喜んでおいでのようでした」


(わたくしは全く嬉しくないけれど)


 オスティア侯爵夫人は、給仕の運んできた香草茶ハーブティーに口をつけたあとで告げる。


「当然です。あのご衣装は、王妃陛下が殿下にお贈りになったものなのですから」


 王妃マルガレーテはシュツェルツの実母だ。それで、シュツェルツはあの衣装を特別だと言っていたのか。


 でも、とロスヴィータは心の中で首を捻った。

 母親が息子に贈り物をすること自体は、それほど珍しくない。現に、母などは兄によく贈り物をして、密かに迷惑がられている。

 ロスヴィータの疑問を感じ取ったのか、侯爵夫人は補足した。


「大きな声では言えませんが、殿下のお兄君が亡くなられる前は、王妃陛下とシュツェルツ殿下の仲は、あまりよろしくはありませんでした。殿下はお母君をお慕いになっておいででしたが、王妃陛下はご病弱なお兄君にかかりきりでおいででしたから」


 そんなことは初めて聞いた。戸惑うロスヴィータには構わず、侯爵夫人は続ける。


「ですが、王妃陛下の弟君のご尽力で、お二人の仲は改善されました。お母君からあのご衣装を贈られた時の殿下のお喜びようは、いかばかりであったでしょうか……」


 驚くべきことに、あの冷厳なオスティア侯爵夫人が目頭を押さえている。


「それゆえ、殿下はご自分のお好みではないあのご衣装を、大切に保存なさっておいでなのです。衣装には、作った者や贈った者──人の想いが込められているものなのですよ」


 あの衣装にそんな逸話があったなんて。

 シュツェルツが意外に孝行息子だということを知り、ロスヴィータはなんと言えばよいのか分からなくなった。

 口ごもるロスヴィータに、オスティア侯爵夫人が鋭い視線を投げる。


「ですから、仕事は誇りを持って、しっかりとなさい。わたしが言いたいのは、それだけです」


(──ひょっとして、侯爵夫人はわたくしの意図に気づいていらっしゃる?)


 運ばれてきた朝食を、オスティア侯爵夫人の前で食べるはめになりながら、ロスヴィータは冷や汗をかかずにはいられなかった。

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