第四十九話 作戦会議
四月十四日の朝、ロスヴィータは侍従長と女官長の訪問を受けた。シュツェルツの予測を聞いていたので、何を言われようと、心の準備はできている。
予想通り、「国王陛下のご命令だから、退官して屋敷に帰るように」と告げられた。表向きは、自己都合による退官ということになるらしい。
今まで頑張ってきた女官の仕事を、半年もの期間を残して途中で辞めさせられるのかと思うと、胃を焼かれるような悔しさが込み上げてきたが、どうしようもなかった。
ティルデとオスティア侯爵夫人は、何も訊かないでくれた。もしかしたら、二人とも感づいていたのかもしれない。
オスティア侯爵夫人が、「今まで、よく頑張りましたね。あとで、お屋敷に何か記念の品を届けさせます」と言ってくれたことが、涙が出そうになるほど嬉しかった。
四年間で部屋に溜まった荷物は、あとで実家に送ってもらうことになっている。
ツァハリーアスに伴われ、馬車で屋敷に帰ったロスヴィータを、母と妹のザビーネ、それに使用人たちが出迎えた。
父から、ことのあらましを聞いていたのだろう。母はロスヴィータの顔を見るなり、泣き崩れた。
「お母さま……」
ロスヴィータは母をなだめ、居間の長椅子で休ませた。
こんなにも、母は自分が国王に嫁ぐことにショックを受けている。ロスヴィータは母を愛おしく感じるとともに、酷く切ない気持ちになった。
お妃教育を受ける前──幼児の時以来だろうか。久し振りに、ベティカ公家の令嬢として、何もしなくてもよい時間が訪れた。
末っ子のザビーネは、のびのびと育てられているせいか、母の様子を見ても神経質にならずに、遊んで欲しいと甘えてきた。ロスヴィータが帰ってきた本当の理由も、伝えられていないのだろう。
ザビーネと一緒にお茶を飲んだり、お人形遊びの相手をして過ごすが、どうにも時間の流れが遅い。
(殿下は、どうしておいでかしら……)
昨夜、彼と最後に会ったことが、何年も前に起こった出来事のような気がする。シュツェルツに会いたかった。抱き締めて、キスして欲しい。
自分もずいぶんとわがままになったものだ、とロスヴィータは自嘲した。
のろのろとしながらも時間は進み、夜がやってきた。自分を送り届けてから、また幻影宮に戻ったツァハリーアスが、父と一緒に帰宅した。
二人を出迎えたあとで、家族全員で食事をする。ロスヴィータの今後について触れてくる者は、ありがたいことに誰もいなかった。
入浴をすませ、寝間着に着替えたロスヴィータは、物思いに沈みながら部屋で休んでいた。
幻影宮から帰ってきた父と兄を見ていると、どうしてもシュツェルツのことを思い出してしまう。
天蓋付きの寝台に腰かけ、ぼんやりと歌を歌っていると、慌ただしいノックの音が響き渡った。
「お嬢さま! お嬢さま! すぐにいらして下さい!」
侍女の声だ。
「何? どうしたの?」
問いかけても、「とにかく階下にいらして下さい」としか言わない。
(まさか……)
国王が家にまで押しかけてきたのではないだろうか。
でも、だとしたら自分が応対しないわけにはいかない。メルヒオーアは冷酷な王だと聞いている。父や兄の生殺与奪の権は、彼の手に握られているのだ。
ロスヴィータは重たい足を引きずって、侍女に導かれるまま、一階の玄関広間へ向かった。
そこには、シュツェルツが立っていた。
ロスヴィータは考えるよりも先に駆け出すと、彼の胸に飛び込んだ。シュツェルツが優しく抱き締めてくれる。
幻覚ではない。姿形も、抱き締め方も、匂いさえも、間違いなくシュツェルツ本人だ。だが、彼はどうして屋敷に現れたのだろう。
「──殿下、どうして、こちらに?」
「君のお父君に話があってね。幻影宮では話が漏れないとも限らないから、お忍びでやってきたというわけさ」
シュツェルツが抱き締める手を緩めたので、ロスヴィータは辺りを見回す。シュツェルツの背後には、アウリール、エリファレット、それに、ルエンが控えている。
ルエンとは、今朝も顔を合せた。シュツェルツの命令で、寝ずの番をしてくれたらしい。
父が進み出た。うしろには兄の姿も見える。
「殿下、立ち話もなんでございますから、場所を移しましょう」
「分かった」
一同は、十分な広さのある応接室へと移動した。もちろん、ロスヴィータも一緒だ。少しでも、シュツェルツの傍にいたかったし、父も黙認してくれた。
口火を切ったのは、ロスヴィータの隣に座るシュツェルツだ。
「実は、今現在、ご令嬢を取り戻すために、ある策の下準備をしているところでな。こちらのロゼッテ博士と、シュタム近衛騎士団副団長にも、その遂行のために動いてもらっている。だが、速やかな達成のためには、大法官であるベティカ公の協力が、是非とも必要なのだ」
父は首を捻った。
「国王陛下に身を引いていただき、娘を殿下に嫁がせることができるならば、それに越したことはございませぬが……。どのような策なのでございますか」
シュツェルツは説明を始めた。時折、アウリールとエリファレットが、それぞれの役目を補足する。
話を聞き終えたロスヴィータは、動揺しながらシュツェルツの横顔を見上げた。政治においては百戦錬磨の父も、唖然としている。ツァハリーアスだけが唯一平静を保ち、腕を組みながら考え込んでいた。
しばらくして、父が口を開く。
「……確かに、わたしがご協力すれば、できないことではないと存じますが、失敗した場合、どうなさるのです?」
シュツェルツは不敵に笑った。
「その時は、わたしに心を寄せる者たちとそなたたち一家を連れて、イペルセかシーラムにでも亡命するさ。再起については、それから考える」
「本気、なのでございますね?」
「ああ」
シュツェルツの答えを聞いた父は、指を組み、思案に沈んでしまった。父の隣に座っていたツァハリーアスが、声をかける。
「父上、殿下にご協力致しましょう。ローズィを守るためには、もう、それしか方法はありません」
「全てを失うことになったとしてもか?」
ツァハリーアスは断言した。
「わたしは、大切な妹を国王に差し出すことで永らえる命など、惜しくはありません」
ロスヴィータは息を呑み、父は顔を伏せた。数秒後、再び上げられた父の顔は、すっきりとしているように見えた。
「……ベティカ公爵家の次の当主はお前だ、ツァハ。そのお前が決断したことなら、わたしは喜んで手を貸そう。──殿下、よろしくお願い致します」
シュツェルツは頷く。
「こちらこそ、よろしく頼む」
その後、シュツェルツは父やツァハリーアスたちとともに、疑問点を確認し合い、作戦の段取りを詰め始めた。
時間は深夜を回り、ロスヴィータは何度も退席を勧められたが、シュツェルツから離れなかった。
まだ夜が明け切らぬ、真っ暗な早朝、会議を終えたシュツェルツは幻影宮に帰ることになった。
ロスヴィータは屋敷の車寄せまでついていき、暗がりの中、シュツェルツを見上げる。
「今更、こんなことを申し上げるのはおかしいかもしれませんが……危険ではございませんの?」
シュツェルツはほほえんだ。
「心配してくれるのは嬉しいけど、君を取り戻すためには、これくらいしないといけないんだ」
それから、耳元で囁く。
「コルセットを着けていない君は、とても刺激的だったよ。また、見せてくれないか」
そういえば、そうだった。だって、仕方ないじゃないか。寝間着に着替えたあとで、シュツェルツがやってきたのだから。
(わたくし、寝間着姿のまま、殿下に抱き締められたのだったわ……)
顔から火が出そうになったロスヴィータが、恥じらいから思わず身を引くと、シュツェルツに抱き寄せられた。そのまま唇を塞がれる。
家族やアウリールたちに見られていることを思い起こし、ロスヴィータはさらに赤面した。シュツェルツはにっこり笑って、アウリールたちとともに馬車に乗り込んだ。
闇に慣れ始めた目で、馬車を追う。馬車が門を潜り、見えなくなってしまったあとも、ロスヴィータはその場にたたずんでいた。




