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お雇い令嬢は恋多き王太子との婚約を望む  作者: 畑中希月
第五章 二人で歩む道のり

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第四十六話 暗礁に乗り上げる

 ベティカ公マクシミーリアーン・ハーフェンは、国王の謁見室である「七柱神の間」に足を踏み入れようとしていた。昨日、王太子シュツェルツと謁見し、娘との結婚の意を伝えられてから、丸一日もたっていない。


 我ながらせっかちだとは思うが、若い二人が結婚したいという意志を明確にしている以上、早く事務的なことは進めてやりたかった。

 昨日、二人に会い、正殿に戻った直後、国王に謁見の申し入れをしたのがよかったのだろう。今日の午前中に目通りの許可が出たのは僥倖ぎょうこうだった。


 シュツェルツがロスヴィータを好きになってくれたのも嬉しいが、やはり親としては、自分の見込んだお方のよさに、ロスヴィータが気づいたことが何より喜ばしい。

 ついこの間まで、自分に反抗的な態度をとっていた娘だが、恋をして、大人の女性へと変わりつつあるようだ。


 娘が巣立ってしまう。


 少しばかりの寂しさを感じ、ベティカ公は天井を仰いだ。

 ロスヴィータがついに婚約すると聞いて、妻は泣いていた。娘時代の自分がそうであったように、ロスヴィータが好きな相手と結ばれることが、何にも増して嬉しい、と言って。


 ──本当は、他の子たちのような自由のないローズィが不憫だったの。でも、これでやっと、あの子は誰よりも幸せになれますね。


 ロスヴィータを他の娘たちに比べて厳しくしつけてきた自分を、妻はずっと支持してくれた。その分、ロスヴィータとの関係があまりうまくいっていなかっただけに、喜びもひとしおなのだろう。


 大扉の両側に立つ近衛騎士に来意を告げる。二人の近衛騎士によって、扉が開かれた。

 侍従が声を張り上げて、ベティカ公の名を呼んだ。

「七柱神の間」に入ると、一段高い場所に据えられた玉座が目に入る。黄金と宝石で作られた玉座に腰かける国王メルヒオーアは、機嫌よくベティカ公を出迎えた。


「ハーフェン、よくぞ参った」


 ベティカ公は跪いた。


「このたびは、拝謁の機会を賜り、まことにありがたく存じます」


 メルヒオーアは手を振った。


「そのような前置きは無用だ。そちと予の仲ではないか。予もちょうど、そちに頼みたいことがあったゆえな」


 はて、なんであろうか。ベティカ公には心当たりがなかった。

 傍目から見ても、シュツェルツに無関心であるどころか、疎んじている節さえあるメルヒオーアが、王太子とロスヴィータの結婚話を持ちかけてくるとも思えない。

 ベティカ公は主君の次の発言を待つ。


 メルヒオーアは片笑んだ。


「実はな、そちの娘の一人、ロスヴィータを予の王妃として迎えたいのだ」


 ベティカ公は己の耳を疑った。目の前の男が何を言わんとしているのか、理解できない。

 数秒の間を置いて、ベティカ公は喉から声を絞り出した。


「──恐れながら、今、なんと仰せられましたか?」


「ロスヴィータを、予の王妃に迎えたいと言っている。もう王妃が逝ってから三年たつ。いつまでも王妃の座が空席では、民の気も休まらぬであろう。昨夜、東殿の一階に下り、ロスヴィータに会いにいったが、驚いたぞ。あれほど美しい娘は見たことがない」


 まるで毛並みのよい馬か猟犬でも欲しがるような言い草だった。


 メルヒオーアは一度欲しいと思ったものは、他人の恋人だろうが妻だろうが、平気で奪い取る。

 恋人を奪われたアウリール・ロゼッテも、その犠牲者の一人だ。シュツェルツが庇わなければ、今頃、アウリールは適当な女性と結婚させられた上で、宮廷を追放されていただろう。


 だが、絶対的な権勢を振るい、政務の上では有能な国王ゆえに、彼の非道を正面切って諌める臣下は、ほとんどいなかった。


 以前、一夜だけ妻を差し出せと命じられた廷臣がいた。その男は最後まで命令を拒否し、冤罪を着せられた挙げ句、断頭台に送られた。残された妻は、夫を殺したメルヒオーアのものになることをよしとせずに、自ら命を絶ったという。


 大法官でありながら、それらの悲劇を放置していた自分に巡ってきた因果だとしても、あまりに娘がかわいそうではないか。

 ベティカ公は静かに、ありのままを告げた。


「……しかし、娘は、王太子殿下のご寵愛を賜っております。殿下にはご結婚のご意志もあられ、わたくしがこたびの拝謁を願い出ましたのも、殿下と娘の──」


「諦めさせよ」


 冷ややかなメルヒオーアの声を聞き、ベティカ公は説得が失敗したことを悟った。


「王妃と王太子妃ならば、王妃のほうが格上ぞ。そもそも、娘を王室に嫁がせるならば、予であろうが王太子であろうが、大した違いはあるまい」


 ベティカ公は、歯ぎしりしたい気持ちを必死で抑えた。娘を自分よりも年上の男に嫁がせねばならぬ親の気持ちが分かるか、と怒鳴り散らしてやりたかったが、家族のために感情を押し殺した。

 メルヒオーアがこともなげに言い添える。


「王太子には、どこか適当な他国の王女でも見つけてやればよい。そちが探して参れ」


 娘を必ず幸せにすると明言してくれた時の、シュツェルツの真摯な顔が浮かんだ。ロスヴィータの幸せそうな泣き顔も。


「……わたくしが申し上げても、殿下はご納得なさらぬでしょう。どうか、殿下とお話し合いになってはいただけませぬか」


 食い下がると、メルヒオーアは不快げに眉を寄せた。


「予が王太子をどう思っているのか、知らぬわけではあるまい。あまり出過ぎたことを申すな」


 メルヒオーアの声が、一段と低くなった。


「予とて、古い友人であるそちに、あまり酷なことはしたくないのだ。せっかく秘書官となった、子息の将来もあることだしな。──もう一度言う。王太子との折衝は、そちに任せる」


 最後の望みが絶たれ、ベティカ公は心のなかでシュツェルツに侘びた。


「──御意」


 短い返答をなんとか紡ぎ出すと、ベティカ公は「七柱神の間」を辞した。

 幸せの絶頂にいるであろう娘に、この残酷な事実を伝えねばならぬことに、言いしれぬ悔しさと憤りを覚えながら。


     *


 いよいよ、ローズィも、正式に婚約してしまうのか。


 感傷にひたりながら、ツァハリーアスは大法官執務室で父の帰りを待っていた。けれども、帰ってきた父の若々しい顔は焦燥感に満ちており、不機嫌に椅子に座り込んでしまった。

 ツァハリーアスは父の機嫌が直るのを待って、謁見の首尾を訊こうと思ったのだが、父はやにわに驚くべき言葉を放った。


「……国王陛下が、ローズィとの結婚をお望みだ」


 ツァハリーアスは、何かの冗談だと思った。


「は……?」


 父は鋭く、こちらに顔を向ける。


「本当のことだ。よりにもよって、昨夜、ローズィに会いにいかれたらしい。もちろん、殿下のご意志を申し上げたが、無駄だった」


「昨夜……」


 では、もっと前に縁談を申し入れ、婚約が整っていれば、ロスヴィータはメルヒオーアに見初められずにすんだかもしれないのだ。

 ツァハリーアスは目に映る光景が真っ白に染まったような気がした。


「父上、父上──わたしは、ひと月前にローズィと殿下の思いを確認していながら、父上に申し上げなかったのです」


 父が目で続きを促したので、ツァハリーアスは残りの言葉を吐き出した。


「わたしは、ローズィが殿下に嫁いでしまうのが嫌だった。そんな子どもじみた理由で、あの子の幸せを奪ってしまった──」


 手で顔を覆い、うなだれていると、いつの間にか近づいてきた父が、ぽんと肩を叩いた。


「お前のせいではない。たとえ、ひと月前に縁談を申し入れていたとしても、ローズィに興味を持たれた陛下は、同じことを仰せになっただろう」


 涙が出そうになったが、今は泣いている場合ではない。顔を上げたツァハリーアスは、ずっと気になっていたことを尋ねた。


「……ローズィには、伝えるのですか」


「言うしかなかろう。黙っていても、どうせすぐに本人の耳に入る。ならば、父親であるわたしの口から告げたほうが、まだ衝撃も弱かろう」


 ツァハリーアスは歯噛みした。これほど、己の無力さを呪ったことはない。


「わたしも、ご一緒致します」


 決意を込めて口にすると、父は黙って頷いてくれた。

 そこで初めて、ツァハリーアスは、あることに気づく。


「王太子殿下にも、お伝えするのですか?」


 父は沈痛な面持ちで首を横に振った。


「今はまだ時機ではない」


「ですが、いずれ殿下のお耳にも──」


「あのお方のお耳に入れるためには、考えに考え抜いて、細心の注意を払わねばならぬのだ」


 いつの間にか、父の顔は一人の父親としてのものではなく、大法官のものへと変わっていた。


「不用意に殿下のお耳に届けば、かねてから仲違いをされていた陛下との間に、決定的な対立が起きる可能性が高い。宮廷を分裂させるわけにはいかぬ。殿下は、ここ数年で驚くほど力をつけておいでゆえ、下手をすれば国全体を巻き込む争いに発展しかねぬのだ」


 そうかもしれない、と思いはしたが、ツァハリーアスにとって、そんなことはどうでもよかった。

 ただ、もぎ取られそうになっているロスヴィータの幸せを取り戻してやりたい。それには、妹と愛し合っているシュツェルツの協力が、絶対に必要なのだ。


 しかも、シュツェルツがそこまで強い力を持っているというのなら、頼らない手はない。


「……かしこまりました」


 ツァハリーアスはある覚悟を胸に秘め、そう答えた。

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