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お雇い令嬢は恋多き王太子との婚約を望む  作者: 畑中希月
第四章 恋が花開く時

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第四十五話 夜の遭遇

 幻影宮、正殿にある大法官の執務室は、部屋の主の威厳に負けぬほど、十分な広さと重厚な調度品を備えている。


 昨年から、正式に大法官の秘書官となったツァハリーアスは、執務室の机の前に腰かけ、書類をさばいていた。

 一段落がついたので、席を立ち、書類の束を父の机の上に置く。


「こちらが、大法官閣下にお目を通していただきたい書類でございます」


 公私の区別をつけるため、執務室の中では、ツァハリーアスは父のことを「閣下」と呼び、父も息子のことをゲヌア侯と呼ぶ。

 だが、父は珍しく、その暗黙の了解を破った。


「ツァハ、お前に訊きたいことがある」


 ツァハリーアスは、いつも以上に居住まいを正した。


「なんでございましょう、父上」


「ローズィのことだ。あれと殿下が交際しているという事実確認と、殿下の結婚のご意思の確認は、どうなっている? 間者は、今も二人が仲睦まじくしているという報告を送ってくるが、結婚の念押しを、彼らに命じるわけにもいくまい」


 毎日、覚悟していたことではあったが、ついに訊かれてしまった。

 正直に答えれば、ロスヴィータはシュツェルツと婚約式を挙げ、遅くとも来年には嫁いでしまうだろう。しかし、二人が相思相愛な以上、反対する理由も権利も、ツァハリーアスは持ち合わせていない。


 ツァハリーアスは、覚悟とともに答えた。


「ご報告が遅れて、申し訳ございません。二人は確かに交際中であり、殿下は──ローズィとの結婚をお望みでございました。拝謁の場にはローズィもおりましたが……二人が仲睦まじいというのは、真実であるように、わたしにも見受けられました」


 父が、これ以上ないほどの喜色を浮かべた。


「そうか! 前々から、わたしはあのお方こそが、ローズィにふさわしいと思っていたのだ。これで、ようやく悲願が叶う。エミーリエも喜ぶぞ」


 ふと、父の表情が不審そうなものに変わる。


「お前は喜ばぬのだな」


「父上こそ、ローズィが嫁いでしまうことに、なんの抵抗もお感じにならないのですか?」


 父は両目を閉じて、ふっと笑った。


「お前は昔から、わたしたちの言いつけを守ろうとするあまり、ローズィにべったりだったからな。……むろん、わたしとて、寂しいという気持ちはある。だが、自分が見込んだお方と娘が想いを通じ合わせて、結婚に至ろうとしているのだ。これ以上に嬉しいことはない」


 ツァハリーアスは安堵した。ロスヴィータには特に厳しかった父だが、きちんと娘の幸せを考えていたのだ。

 父は端正な顔に笑みを浮かべて、ひとつ頷いた。


「そうだな。今から殿下に拝謁を願い出れば、今日中にお会いできるだろう。ツァハ、申込書を作成してくれ」


 普段は石橋を叩いて渡るほど慎重な父だが、いったんこうと決めてしまうと、驚くほど行動が早い。大法官にまで上り詰めることができた理由のひとつだろう。

 父の命令とあらば、自分に拒否権はない。ツァハリーアスは物寂しい気持ちを抑え込みつつ、書類の作成に取りかかった。


     *


 仕事中、ロスヴィータはシュツェルツに呼び出され、彼の部屋を訪れた。

 シュツェルツは珍しく、わずかに緊張しているようだ。


「急に呼び出してすまない。……実は、君のお父君から、謁見の申し込みがあってね。多分、結婚のことを訊かれるだろうから、兄君の時のように、君にも同席してもらったほうがいいと思ったんだ」


 では、ついに、兄が報告したのだ。


 昨日、シュツェルツとその話題について話していただけに、ロスヴィータも目を見張った。

 前々からロスヴィータとシュツェルツを結婚させたがっていた父のことだ。二人の仲を咎めるようなことはしないだろう。


 しかし、シュツェルツからの愛情表現が時に過激なものになりがちなだけに、ロスヴィータも無心で父の顔が見られる自信がない。

 シュツェルツも同じような気持ちらしい。そわそわと落ち着かず、ロスヴィータの身体に触れてこようともしない。


 かつて、ロスヴィータは姉イザベレから、こう聞いたことがある。


 ──殿方はね、逃げ出したくなると、むやみやたらと歩き回るものなのですって。


 シュツェルツは部屋の中を歩き回っていないから、きっと覚悟はできているのだろう。

 そう思うことで、ロスヴィータもようやくシュツェルツの隣で、父の来訪を待つことができた。


 間もなく、ノックの音が響き渡った。


「ベティカ公、マクシミーリアーン・ハーフェンでございます」


「……入ってくれ」


 シュツェルツの声に応じて、扉が開く。


「失礼致します、殿下。……おや、娘もご一緒でございましたか」


「ああ。ゲヌア侯と会った際にも同席してもらったが、彼女にとっても関わりの深い話ゆえ、再び来てもらった。不都合か?」


「いえ。殿下は既に、わたしが何を申し上げたいか、お察しのご様子。まことに重畳にございます。殿下の明敏さは、六年前から少しも刃こぼれがございませぬな」


 シュツェルツは心底嫌そうな顔をした。


「その話は、もうよい。あの時は、円滑に王太子になるための後ろ盾が欲しかったからな。ベティカ一派の援助を得ようと、そなたの質問に必死で答えたのだよ。わたしが王太子にふさわしいか、試そうとしていたのだろう?」


 反対に、父は楽しそうに笑う。


「はい、さようでございます。ですが、ご器量を確かめるためのわたしの質問に、殿下はあやまたずお答えになりました」


 シュツルツはため息をつく。


「あのような難問は、もうこりごりだ」


 そんな話は初めて聞いた。シュツェルツには、まだまだ自分の知らない過去があるらしい。

 父は口角をつり上げた。


「今のこの状況は、難問ではないと?」


「あの時以上の難問だ。……ご令嬢が女官となった時、わたしはこう思っていた──もし、ベティカ公からご令嬢との縁談の申し入れがあっても、絶対に断ろう。ベティカ公の思惑が勝つか、それともわたしの意志が勝つのか、見物だ、と」


 シュツェルツは肩をすくめた。


「そなたの勝ちだ。悔しいが、完敗だよ。わたしは、心からご令嬢を愛しているし、妃に迎えたいと思っている。──ご許可を、いただけるだろうか」


 途中から真摯なものへと変わったシュツェルツの眼差しを、ロスヴィータは魅入られたように見つめた。

 父はすぐに頷くのだろう。ロスヴィータは当然のようにそう思ったのだが、予想は外れた。


 父は、シュツェルツからロスヴィータへと、視線を移したのだ。


「もちろん、と、お答えするのは簡単ではございますが──ローズィ、お前はどうなのだ? 殿下と同じくらい、お前もこのお方を愛しているのか?」


 ロスヴィータは頷くと、まっすぐに父を見つめた。


「はい、愛しております」


「もし、女の子しか授からなくてもか?」


 あの占い結果が出たのは、十三歳の誕生日だった。それが原因で喧嘩をしてしまったけれど、父はそんなことまで覚えていてくれたのだ。

 ロスヴィータは、不意に目頭が熱くなるのを感じた。


「……はい。構いません」


 もし、占いが当たってしまったら、自分も父も苦しむことになる。だが、それでもシュツェルツと添い遂げたい、とロスヴィータは思ったのだ。


 二人の会話を聞いたシュツェルツが、不思議そうな顔をしている。それはそうだろう。まだ結婚前なのに、授かる子どもの性別を気にする婚約者同士のほうが珍しいはずだ。

 父の表情は、今までに見たことがないほど、穏やかだった。


「それを聴いて安心した。幸せになるのだぞ、ローズィ」


 自分は単なる、家を発展させるためだけの道具ではなかった。今までに受けた辛いお妃教育や、胸の内に抱いていた寂しさの全てが報われたようで、ロスヴィータの頬を、自然と涙が伝った。

 シュツェルツがそんな自分を愛おしそうな目で見つめ、父に向き直る。


「ご令嬢は必ずわたしが幸せにするし、守り抜く。ベティカ公、こらからもよろしく頼む」


 父は重々しく首肯すると、ハンカチを取り出し、そっと目元を拭った。


     *


 その後の話し合いの結果、後日、父のほうから国王メルヒオーアに、正式な縁談の申し入れをすることが決まった。

 シュツェルツは父に、「これからは義父上ちちうえとお呼び下さい」と冗談を言われ、「……やめてくれ」と渋い顔をしていた。


「国王陛下は、わたくしたちの結婚をお許し下さるでしょうか?」


 ロスヴィータが問うと、シュツェルツは天井を向いて考え込んだ。


「ベティカ公の申し入れだし、多分、大丈夫じゃないかな。そもそも、父はわたしを嫌っているし、ベティカ公家と縁が結べるなら都合がよいくらいに考えると思うよ」


 シュツェルツとメルヒオーアの仲が悪いという事実を改めて目の当たりにして、ロスヴィータの心は痛んだ。だが、過去にシュツェルツが受けた心の傷を思えば、仕方のないことなのだろう。

 ロスヴィータはシュツェルツと別れ、仕事に戻った。


 夜が訪れた。

 シュツェルツの寝間着の用意をするために、ロスヴィータは同時に出仕しているティルデとともに、彼の部屋へと向かう。シュツェルツとの正式な婚約までの道のりが、順調に進んでいるという話を聴いたティルデは、我が事のように喜んでくれた。


「よかったわ。お父君のご許可も出たし、来年頃には、ロスヴィータさまも王太子妃になられるのね。これからも、仲良くしていただけると、嬉しいのだけれど」


「もちろんです。ティルデさまは、たった一人の、わたくしのお友達ですもの」


 その言葉には応えず、ティルデが足を止めた。

 向こうから、供を連れた人影がやってくる。壁に設えられた燭台に照らされたその顔を見て、ロスヴィータも反射的に歩みを止める。


(国王陛下……!)


 彼が一階にやってくるなど、今まで一度だってあったろうか。まだ、父は自分たちの婚約について、国王に報告をしていないはずだし……。


 心の中で首を傾げながら、ロスヴィータはティルデとともに、壁際に下がった。

 メルヒオーアが通る際に、ロスヴィータが膝を折り、頭を下げて、最上級のお辞儀をすると、目の前で彼が立ち止まった。


「面を上げよ」


 恐る恐るロスヴィータが顔を上げると、感嘆の息がメルヒオーアの口から漏れた。


「そなた、ロスヴィータ・ハーフェンだな?」


「……はい」


「やはりそうか。なるほど、間近で見ると、こうも美しいとはな。噂通りよ。歳はいくつだ?」


「……十六でございます」


「今年で十七か?」


「……はい、さようでございます」


 まるで、品評会に出される家畜にでもなったような気分だった。

 耐え難い息苦しさをロスヴィータが感じ始めた頃、メルヒオーアは小さな笑声を立てた。


「そなたは、予のことを恐れているようだ。国王に突然話しかけられれば、無理もあるまい。今日はこのくらいにしておこう。……では、また会おうぞ」


 不穏な一言を残して、メルヒオーアは踵を返した。向こうには、国王専用の階段がある。

 今のはなんだったのだろう。ロスヴィータが呆然としていると、ティルデが血相を変えて話しかけてきた。


「国王陛下がこちらにお見えになるなんて──もしかしたら、ロスヴィータさまに会いにおいでになったのかもしれません」


「え……なぜですの?」


 ティルデはため息をついたあとで、真剣な目をした。


「……ロスヴィータさまらしいですね。あなたの美しさは幻影宮でも評判なのです。女神がこの世に顕現したようだ──とまで、言われているのですよ。ロスヴィータさまは殿下とご結婚なさるのだから、お気をつけにならないと」


 確かに、君臣が集まる朝の礼拝で、今まで以上にじろじろ見られることが増えたような気はしていたけれど、シュツェルツとの恋に夢中で、そんなことは知らなかった。たとえ知っていたとしても、どうでもいいと感じていただろう。


 うわべだけで評価されるのは迷惑だ。自分は自分でしかないのに。

 シュツェルツはそんな自分の面倒なところも外見も、全てひっくるめて可愛いと言ってくれる。彼の前では、ずっと纏ってきた心の鎧を外せる。だからこそ、ロスヴィータはシュツェルツを心から慕うことができるのだ。


 不意に、ロスヴィータはベアトリーセのことを思い出した。彼女が側妾として召し上げられた時も、おそらく、今の自分とそう変わらない年齢だったはずだ。

 ロスヴィータは、背筋に氷が押し当てられたようなうそ寒さを覚えた。


 だが、自分と国王は親子ほどに歳が離れているのだし、いくらなんでも、息子の婚約者に目をつけるような真似はしないだろう。父が婚約の申し入れをすれば、メルヒオーアは諦めるはずだ。


「ロスヴィータさま、殿下にご相談なさったほうがよろしいですよ」


 ティルデがそう忠告してくれたが、ロスヴィータは曖昧にほほえんだだけだった。


(……もし、また何かあったら、殿下にご相談しよう)


 メルヒオーアは義父になる予定の人だ。自分のせいで、これ以上、シュツェルツが実の父親と憎しみ合うのは避けたい。

 それでも、込み上げてくる身体の震えが抑えられず、ロスヴィータは一刻も早くシュツェルツに抱き締めて欲しかった。

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