第四十一話 休日の逢瀬
晴れてシュツェルツと恋人同士になった次の日、久し振りに出仕したロスヴィータは、再び彼の食事の席に呼ばれるようになった。
だが、困ったことがひとつ。
「ロスヴィータは可愛いなあ。美人だし綺麗だし、何時間でも見ていられるよ。君がいてくれれば、食事がパンだけでもいいくらいだ」
食事中、ずーっと、シュツェルツに熱い視線で見つめられてしまうのだ。
ロスヴィータが赤面してうつむいていると、食後のお茶を飲みながらその様子を見ていたアウリールが、シュツェルツを諌める。
「殿下、ロスヴィータ嬢が困っていらっしゃいますよ。人前でお戯れになるのはおやめ下さい」
シュツェルツが珍しく険悪な表情をアウリールに向ける。
「じゃあ、君が出ていってくれ。わたしは時間の許す限り、ロスヴィータといちゃいちゃしていたいんだ」
「殿下を野放しにしておいては、ご結婚前にロスヴィータ嬢の貞操が危機に曝されかねませんからね。こうして、見張っているのですよ」
「結婚」とか「貞操」とか、刺激的な言葉を聞いたロスヴィータは、耳まで熱くなるのを感じた。
アウリールが同席してくれてよかった。多分、シュツェルツと二人きりだったら、食事をするどころではなかっただろう。
シュツェルツがアウリールを睨む。
「ロスヴィータがますます困っているじゃないか。それに、わたしにだって節操くらいあるよ。心から大切に思う女性に、気軽に手を出したりはしない。……というわけで、ロスヴィータ、今度デートでもしようか。君とわたしの休日が重なる日でいいよ」
「なにが、『というわけで』ですか」
口を挟むアウリールを無視して、シュツェルツは期待に満ちた眼差しを、こちらに送ってくる。
シュツェルツとデートできるという事実に、ロスヴィータの胸はときめいた。
「は、はい。予定を確認しておきます」
アウリールが念を押す。
「殿下、くれぐれも──」
「はいはい、分かっているよ」
面倒くさそうに答えると、シュツェルツは再び、ロスヴィータに笑いかけたのだった。
*
ドキドキしながら女官の詰め所で予定表を確認したロスヴィータは、一気に落胆した。シュツェルツの休日は日曜日だ。なのに、自分にとっても休日に当たる直近の日曜日は月末だったのだ。衣装係の勤務は基本、交代制なのである。
これでは、シュツェルツとのデートが遠のいてしまう。ロスヴィータはがっかりしながら、シュツェルツにデートが遅れそうだということを伝えた。彼は残念そうな顔をしたが、「代わりにお昼とお茶の時間を一緒に過ごそう」と言ってくれた。
次の日曜日は、ティルデと出仕が重なった。彼女には、シュツェルツと顔を合せ辛かった時に、代わりに出仕してもらって迷惑をかけたし、相談にも乗ってもらった。
きちんと顛末を報告しておくべきだと思い、シュツェルツと付き合うことになった、とロスヴィータは照れながら告げた。
ティルデは驚きもせずにほほえむ。
「ロスヴィータさまの想いが届いてよかったわ。殿下が慌ててあなたを捜しにいかれた時に、こうなるだろうな、と思ってはいたのですけれど」
びっくりしたのはロスヴィータのほうだ。この前は、宮廷に居づらくなったから女官を辞めるべきかどうかを相談したのであって、原因がシュツェルツだとは一言も説明しなかったのに。
「え……ティルデさまは、どうして、わたくしが殿下のことを好きだとお分かりになったのですか?」
「ロスヴィータさまを間近で拝見していれば、誰だって分かりますよ。だから、ご相談の原因は殿下にあるのだろうなあ……と、すぐに気づきました」
秘めたつもりの想いが漏れていたのは少し恥ずかしいけれど、ティルデはそこまで自分のことをよく見てくれていたのだ。
シュツェルツの話では、ティルデはロスヴィータのために、本気で怒ってくれたらしい。いつも優しいティルデが怒っているところは想像がつかなかったが、自分のためにそこまで憤ってくれたということが、ロスヴィータは嬉しかった。
「ティルデさま、その節は、大変ご迷惑をおかけ致しました。これからは休むことなく、出仕致しますので」
「迷惑だなんて……」
「……あの、迷惑ついでに、また、ご相談があるのですが……」
「まあ、なんでしょう?」
ティルデが膝を乗り出したので、ロスヴィータは休日が重ならない関係で、シュツェルツとのデートが月末になりそうな旨を話した。
話を聴き終えたティルデは、ころころと笑った。
「それなら、簡単な話です。次の日曜は、わたしの休日なので、その日とロスヴィータさまの休日のどれかを、交換すればよろしいのだわ」
「あ、そうですね! 本当に、交換していただいてもよろしいのですか?」
「はい、もちろん」
こうして、ロスヴィータは十三日の土曜日だった休日を、十四日の日曜日と交換してもらうことになった。
*
二月十四日の朝、ロスヴィータはシュツェルツとともに朝食を摂ったあとで、馬に乗り、幻影宮が擁する広大な庭園へと向かった。
それは願ったり叶ったりなのだが、シュツェルツの要望で、一頭の馬に二人乗りをすることになってしまったのである。
ロスヴィータはドレス姿なので横乗りをしている。それはともかく、自分の身体越しにシュツェルツが手綱を操っているのは、どうにかならないものだろうか。
せめて、うしろに乗せてくれればよかったのに。どうしても身体が密着してしまい、落ち着かない。
「あ、あの、殿下、別々に馬に乗ったほうがよろしかったのでは?」
「どうして?」
「え……だって……」
「このほうが、君と親密になれる。せっかくのデートなんだからいいじゃないか」
ロスヴィータは羞恥心が限界を超えたので、うつむいてしまった。シュツェルツは鼻歌交じりに馬を歩かせる。
時折話しかけてくるシュツェルツに応対しながら、恥ずかしさに耐えているうちに、庭園に辿り着いた。
先に降りたシュツェルツが手を差し出したので、ロスヴィータはその手を取ろうとしたのだが、彼は降りかけたロスヴィータの背と膝裏に素早く腕を回すと、抱きかかえてしまった。
不意打ちに慌てていると、シュツェルツはそっとロスヴィータを下ろした。
「どうだい? わたしは結構、力があるだろう?」
ロスヴィータは思わず声を上げた。
「それはお認め致しますけれど、普通に降ろして下さいませ!」
シュツェルツは気にした様子もなく、にこりと笑う。木に手綱を結び、馬にしばしの別れを告げたあとで、ロスヴィータに手を差し出してくる。
「手を繋いで歩こう。それとも、腕を組んだほうがいいかな?」
「……手を繋ぐほうでお願い致します」
腕を組むと、また身体を密着させることになると思って、ロスヴィータはそう答えたのだが、シュツェルツはロスヴィータの手を取るなり、指を絡めてきた。
(え……!?)
こんな手の繋ぎ方は知らない。今まで読んできた恋愛小説が、お上品すぎたのだろうか。
ロスヴィータが焦っていると、シュツェルツは指と指を絡めた手をしっかりと握り、「さ、行こうか」と歩き出してしまった。
ロスヴィータはシュツェルツを見上げる。
「あの、殿下、この手の繋ぎ方……」
「恋人同士なら、これが当たり前だよね」
そう断定されてしまうと、ロスヴィータは返す言葉がない。
(それにしても……)
このままシュツェルツにリードされていると、アウリールが心配したように、いずれ、まずいことになるような気がする。何せ、男女の交際に関する知識量に差がありすぎる。
でも、こうしてシュツェルツと手を繋いで歩けることは、すごく幸せだ。庭園にはスイセン、マーガレット、クレチマスなど、冬の花々が咲いていたが、一人で眺める花よりも、なんだか美しく見える。
この庭園は広い。会話を交えつつ歩き続けていると、さすがに疲れてきた。絶妙のタイミングで、シュツェルツがこちらを気遣ってくれる。
「そろそろ疲れてきたんじゃないかい? 少し休もうか」
(殿下ったら、だいぶデート慣れなさってる……)
ロスヴィータにはそれが少し悔しい。自分と再会する前から、彼はこうして様々な女性と付き合い、逢瀬を重ねてきたのだ。
シュツェルツが顔を覗き込んできた。
「どうしたんだい? 急に不機嫌そうな顔をして。君はそういう顔をしていても、可愛いけどね」
「な、なんでもございません」
「そう? まあ、とにかく休もう」
シュツェルツが指差したのは丸屋根の東屋だった。東屋まで歩いた二人は、並んで中の椅子に腰かける。シュツェルツはおもむろに手を伸ばすと、ロスヴィータのかぶっている帽子を両手で外した。
何をするつもりなのだろう、とロスヴィータは息を殺して彼を見つめる。心臓がトクントクンと音を立て始めた。
シュツェルツはロスヴィータの頭を撫でたあとで、黒髪に長い指を絡める。髪を梳かれるたびに心地よい感覚がして、ロスヴィータはうろたえた。
「で、殿下……」
「嫌?」
シュツェルツに優しく問われ、ロスヴィータはふるふると首を振った。初めての感覚に、つい戸惑ってしまったが、嫌ではない。むしろ、もっと触れて欲しいような……。
シュツェルツがロスヴィータの髪を右手で撫でながら、頬に左手を添える。
「キスしてもいいかい?」
ついにきたか。
ロスヴィータは肩を震わせた。シュツェルツなら、絶対に言うと思っていた。ある意味、最も覚悟ができていた事案ともいえる。ロスヴィータは頬の熱さを自覚しながら、声を出さずに頷いた。
シュツェルツは両手でロスヴィータの頬を挟むと、口づけてきた。
一度だけで終わるのかと思ったら、顔の角度を変え、続けて二度、三度と唇を合わせてくる。息ができなくて、ロスヴィータが思わずシュツェルツの胸を手で押すと、彼はようやくキスをするのをやめた。
解放されたロスヴィータは、ほうっ、と息をつく。
シュツェルツは物欲しそうな目でそんなロスヴィータを見つめていたが、くすりと笑った。
「うーん、扇情的だなあ。このままいくと、もっと欲しくなってしまうから、この辺にしておこうか」
扇情的なのは殿下のほうじゃないか、と、ちらりと思いはしたが、ロスヴィータの頭の中は沸騰状態にあり、それどころではなかった。




