第四十話 全身全霊の告白
二月四日。今日は、ロスヴィータが三日振りに出仕してくる日だ。
彼女に会ったら、まずこの前の振る舞いを謝って、必ず自分の想いを伝えよう。そして、ロスヴィータの気持ちを聞き出し、相思相愛だったら交際を申し込むのだ。
何度も頭の中で繰り返した手順を、シュツェルツは再び反芻した。女性に告白するのは初めてではないのに、えらく緊張する。やはり、「結婚」という難所が待ち構えているからだろうか。
緊張で満足に眠れなかったシュツェルツは、寝台の上で本を読みながら、身支度を手伝ってくれる侍従たちが現れるのを待った。
しかし、どうにもそわそわしてしまい、天蓋カーテンを開けて壁掛け時計を見る。時刻は午前七時半過ぎ。この時間なら、もうロスヴィータは衣装部屋にいるはずだが、直接会いにいくわけにはいかない。あくまで普段通りに、彼女と顔を合わせるのだ。
やがて、二人の侍従が朝の挨拶とともに入室してきた。衣装部屋へ向かった彼らが、恭しく今日の衣服を持って戻ってくる。
あれ? と思い、シュツェルツは、その衣装をまじまじと見つめた。黒を基調とした、全身を細く見せる上下。これはどう見ても、ロスヴィータが選んだものではない。彼女なら、もっと繊細な色調の上下をコーディネートするはずだ。
胸騒ぎを覚えながら、シュツェルツは着替えを終えた。侍従が衣装部屋の扉を叩く。
シュツェルツの不安は的中した。衣装部屋から現れたのはロスヴィータではなく、ティルデだったのだ。
シュツェルツは思わず声をかけていた。
「ティルデ、ロスヴィータはどうしたんだい?」
いつものおっとりとした雰囲気が嘘のように、ティルデは眼鏡の奥から、鋭い眼差しをこちらに向ける。
「ロスヴィータ・ハーフェンが、もう一日休みたいと申しておりましたので、本日はわたしが衣装をお選び致しました」
ただならぬ様子に、シュツェルツは二の句が継げない。ティルデは厳しい声で詰問した。
「……殿下、彼女に何をおっしゃったのですか? 昨日、ロスヴィータ嬢は、女官を続ける自信がなくなった、と、わたしに相談しに参りましたよ」
では、ロスヴィータはティルデにシュツェルツから受けた仕打ちを話してはいないのだ。それならば、なぜ、ティルデはシュツェルツに原因があると思ったのだろう。
「……彼女は、他に何か言っていたかい?」
「何も。ですが、あれだけロスヴィータさまを傷つけることができるのは、殿下以外においでになりませんよ。殿下ならば、この言葉の意味がお分かりになりますよね?」
シュツェルツの頭の中で何かが弾けた。なりふり構わずティルデに詰め寄る。
「ティルデ、ロスヴィータは今、どこにいる!?」
怒りを露わにしていたティルデも、これには驚いたようで、素直に答えてくれた。
「え、中庭かと存じますが……」
「中庭……ありがとう!」
中庭は、自分とロスヴィータが初めて出会った場所だ。どんな気持ちで、彼女はあの場所へ向かったのだろう。かすかに胸が痛むのを感じながら、シュツェルツは大急ぎで中庭へと駆け出した。
*
ロスヴィータは中庭に咲き誇る冬の花々を、ぼんやりと眺めていた。
今日も、シュツェルツの顔を見るのが辛くて、仕事を休んでしまった。ティルデにも、オスティア侯爵夫人にも、迷惑をかける。
(……明日には、出仕しよう)
そして、女官を辞めるのだ。実家に帰り、父に別の結婚相手を探してもらおう。
そこまで考えた時、じんわりと涙が滲んできた。視界が曇る。
(殿下以外の殿方と結婚するなんて、嫌だ……)
「ロスヴィータ! 返事をしてくれ!」
突如として耳に届いたシュツェルツの声に、ロスヴィータはびくりとした。シュツェルツのことを考えていたら、自分を捜しているらしい彼の声が聞こえてくるなんて。
返事をするべきだろうか。
「ロスヴィータ!」
シュツェルツの声は、酷く切羽詰まっていた。そんな彼の声を耳にするのは初めてだったので、ロスヴィータも勇気を出してシュツェルツの姿を捜し始める。
回廊に沿って歩いていくと、シュツェルツが失せ物でも捜すように辺りを見回しながら、駆けてくるのが見えた。
「殿下……」
「ロスヴィータ!」
シュツェルツはロスヴィータに駆け寄ると、両膝に手をつき、呼吸を整えた。
「──君に謝りたい。女官を辞めないでくれ」
「え……」
ロスヴィータが驚いていると、シュツェルツは真剣な顔で続けた。
「君を傷つけたくなかったんだ。ああ……何を言っているんだろうな、わたしは──もし、付き合ったら、絶対に君を傷つけてしまうと思ったから、あんなことをしてしまった。だって、わたしにとって、君は、誰より大切な女の子だから。本当にごめん……」
シュツェルツの灰色がかった青い瞳が、真摯な光を宿す。
「君が好きなんだ」
ロスヴィータは、何度も瞬きした。シュツェルツが自分のことを好きだなんて、とても信じられない。だって、ずっと妹扱いを受けてきたのだ。
ロスヴィータの反応を見たシュツェルツは、少ししょげたようだった。
「……この前のことで、君は、わたしに愛想を尽かしたかもしれない。でも、どうしても、本心を言っておきたかった。──女官としてでもいいから、これからも、わたしの傍にいてくれないか」
あの、恋愛に関しては百戦錬磨に見えるシュツェルツが、こんなに不器用な人だとは思わなかった。でも、だからこそ、今の彼から紡がれる言葉は、紛れもなく本心なのだろう。
ロスヴィータは、シュツェルツのことを心から愛おしいと思った。四つも年上の彼にそんな感情を抱くなんておかしいのかもしれないが、素直にそう思った。
ロスヴィータはほほえんだ。
「殿下は、意外に女心が分かっておいでになりませんね──わたくしは、女官としてではなく、一人の女として、殿下のお傍にいとうございます」
今度は、シュツェルツが瞬きをする番だった。彼の顔に、ゆっくりと喜びが広がっていく。
「……じゃあ、わたしの恋人になってくれるのかい?」
シュツェルツの声は、少し震えていた。返事をするロスヴィータの声も震える。
「はい」
シュツェルツが、こちらに向け、歩み寄ってくる。ロスヴィータが微動だにしないでいると、両腕を伸ばしたシュツェルツにそっと抱き寄せられた。
シュツェルツには何度も抱擁されたことがあるけれど、今回は今までとは何かが違っていた。シュツェルツのつけている香水の匂いが鼻孔をくすぐる。いつものレモンの香りだ。
シュツェルツが耳元で、甘やかに囁いた。
「好きだよ、ロスヴィータ。今までも、これからも、ずっと」
「……じゃあ、どうして他の女性とお付き合いしてこられたのですか?」
ロスヴィータが唇を尖らせると、押し殺したようなシュツェルツの笑い声が聞こえた。
「君のことがこんなにも好きだなんて、気づかなかったんだよ。ごめんね」
笑い事ではない。シュツェルツはもてるから、これからも気苦労は絶えないのではないか、という気がする。
それでも、ずっと一緒にいたいと思ってしまうのだから、救いようがない。
「もう……」
ロスヴィータが小さくそう漏らすと、シュツェルツが腕に込める力が強まった。
「好きだよ、ロスヴィータ」
ロスヴィータは彼の言葉に応えるように、そろそろとシュツェルツの背中に手を回した。そのまま彼の肩に、頬をもたせかける。シュツェルツはそれから長い間、ロスヴィータを放さなかった。
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