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お雇い令嬢は恋多き王太子との婚約を望む  作者: 畑中希月
第一章 王太子殿下は女好き
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第四話 初めての友達

 女好きなだけでなく、甘い言葉で女性をいい気にさせる殿方とは、やはり結婚できない。しかも、廊下での一件から分かる通り、シュツェルツは女性にもてるのだ。


 どうしたら彼に嫌われることができるのだろう。先ほどの嫌味も全く効果がなかったし。

 密かにため息をつきながら、ロスヴィータは二人の上役とともに廊下に出た。


「では、わたしはこれで失礼させていただくわ。あとはオスティア侯爵夫人が案内して下さるから」


 穏やかな女官長はそう言って去っていき、ロスヴィータは厳しいオスティア侯爵夫人と二人きりになった。侯爵夫人はロスヴィータを横目で見た。


「これから、王太子殿下にお仕えする女官の詰め所に参ります。あなたの教育係を紹介しますので、しばらくは彼女の下で仕事を覚えなさい」


「はい、かしこまりました」


「それと、先刻のあなたの王太子殿下に対する態度は、あまり褒められたものではありませんね。少しも申し訳なく思っているように聞こえませんでしたよ。王太子殿下がお優しいお方だからよかったようなものの……」


 正確には、優しいのは女性限定ではないか、とロスヴィータは睨んでいる。

 それよりも、表情を見られていなかったのに叱られてしまった。ロスヴィータはしゅんとして、オスティア侯爵夫人のうしろに続く。女官の詰め所は、シュツェルツの部屋からさほど離れていない場所にあった。


 ノックの音を聞いて、すぐに立ち上がったのだろう。室内には、ロスヴィータより一、二歳年上と思しき眼鏡をかけた少女が、四角いテーブルの脇に立っていた。

 オスティア侯爵夫人が、彼女を手で指し示す。


「ロスヴィータさま、こちらはラエティア伯爵家のご令嬢、ティルデ・ファルケ。あなたの教育係です」


「はじめまして、ロスヴィータさま。わたしもあなたと同じ衣装係なので、分からないことがあれば、なんでもお訊き下さい」


 ティルデのほうから軽く膝を曲げてお辞儀をしてくれたので、ロスヴィータも答礼する。


「はじめまして、ティルデさま。ベティカ公爵家のロスヴィータ・イーリス・ハーフェンと申します。もうわたくしの名前を覚えて下さるなんて、光栄でございます」


 革製のフレームにはめ込まれたレンズの奥で、ティルデの目が優しく細められた。綺麗な鳶色とびいろの瞳だ。


「まあ……。ベティカ公爵家のご令嬢だというから、どんな方がいらっしゃるのかと思いましたけれど、気立てがよさそうな方で安心しました」


 このマレ王国の筆頭公爵家出身で、当主が大法官だと、なんとなく怖い印象を持たれてしまうのだろうか。いずれにせよ、悪いイメージはこれからでも変えていけるだろう。

 ロスヴィータはオスティア侯爵夫人に促され、ティルデの隣に座った。

 ティルデが整った顔をこちらに向ける。


「わたしたち衣装係の仕事は、王太子殿下が毎日お召しになるご衣装を選び、侍従の方にお渡しすることです。他にも、ご衣装や、衣装目録の管理なども担当します」


 ロスヴィータは少しほっとした。


「お召し替えはお手伝いしなくてもよろしいのですね」


「はい。それは侍従の方のお役目ですから。国王陛下とは違って、殿下は必要最低限の女官しかお使いにならないのです」


「確か、わたくしを含めて三名しか殿下付きの女官はいないのでしょう。なぜでございますの?」


 ティルデは困ったように目を伏せた。そのあとで、向かいに座るオスティア侯爵夫人に視線を送る。

 侯爵夫人は仕方なさそうに口を開いた。


「わたしは用事がありますので、あとはあなたにお任せしますよ、ティルデさま」


 自分は席を外すから、好きなように話してよい、ということだろうか。

 ロスヴィータは意外さに目を見張りながら、扉を開けて去っていくオスティア侯爵夫人を見送った。


(厳格そうな方だけれど、下役にお気を遣われることもあるのね)


 残されたティルデは表情を緩めた。


「……さっきの話の続きですけれど、殿下はとても女性におもてになるの。だから、恋愛がらみの揉め事が起こらないように、ご自分付きの女官を少なくしておいでなのです。しょっちゅう人員が替わっていたら大変だから、って」


 ロスヴィータは心底呆れた。自分付きの女官でなければ、いざこざを起こしてもいいと思っているのだろうか。


「……まあ、そういうことでございましたの」


 ロスヴィータの声に交じってしまった棘を感じ取ったのか、ティルデが慌てたように補足する。


「あ、でも、殿下はとてもお優しくて聡明なお方なのですよ? ただ、女性のこととなると、少しはめを外してしまわれるだけで」


 あの王太子が聡明?

 ロスヴィータには、とても信じられなかった。


(あんな、臣下に無視されるような方が聡明だなんて、持ち上げすぎもいいところではないかしら)


 そういえば、廊下で見かけたあの美しい青年は、一体誰なのだろう。王太子を無視できるのだから、よほどの権力を持っているのだろうか。

 王太子付きの女官である以上、自分も知っておいて損はないはずだ。

 多少の好奇心も手伝って、ロスヴィータは尋ねてみることにした。


「あの、それはそうと、王太子殿下にお仕えしている方の中に、アウリールというお名前で、女性のような印象の、二十代くらいの殿方はいらっしゃいませんか? 先ほど廊下で行き合ったので、気になっておりましたの」


「ああ、その方は、アウリール・ロゼッテ博士だと思います。殿下の一番の側近で、侍医と私設秘書を兼任されている方です」


 ティルデは、ちょっといたずらっぽい笑みを浮かべる。


「でも、ご本人の前では、ご容姿に関することは言ってはいけないんですって。つい口を滑らせて怒りを買わなかったのは、ご幼少のみぎりの殿下だけだという噂だから」


 ティルデに話を聞いておいてよかった、とロスヴィータは心から思った。もし、王太子の側近の不興を買ってしまったら、仕事がやりにくくなるだろう。シュツェルツには、むしろ嫌われたいくらいなのだけれど。

 それはさておき、気になるのはシュツェルツとアウリールの関係だ。

 話が飛びすぎないように気をつけながら、ロスヴィータは重ねて訊いた。


「その……ロゼッテ博士は、殿下にはお厳しい方なのでございますの? ご幼少の頃からお仕えしていらっしゃる側近ということは、お目付け役のようなものでしょう?」


 ティルデはくすりと笑った。


「お厳しいというか、あのお二方はご兄弟のようなご関係なの。ロゼッテ博士は本当の兄君のように殿下のことを心配していらっしゃるから、ついつい厳しくなってしまわれることもあるのだと思います」


 ということは、二股をかけたシュツェルツを反省させるために、わざと手厳しい態度を取った可能性もあるということか。

 シュツェルツは臣下に尊敬されているのか、それとも見くびられているのか。それに、シュツェルツという人自体、どう評価したらいいものか、よく分からない。

 はっきりしているのは、彼が女性にだらしない、ということだけだ。


(婚約中に浮気をしそうな方とは、やっぱり結婚できない)


 ロスヴィータは強く思ったあとで、遠慮がちな笑顔で話を続けるティルデを改めて見やった。

 不思議な感覚だった。シュツェルツへの怒りや、彼との婚約を画策している父への憤りが、優しく包み込まれていくような……。


「わたくしは今年で十三になるのですけれど、ティルデさまはおいくつでいらっしゃいますの?」


 ティルデはふわりとほほえんだ。


「十四です。わたしたち、ひとつしか違わないのね」


 親しみやすい口調のせいか、なんだかティルデと話しているとほっとする。まるで、姉と一緒にいる時のようだ。

 今まで知り合った、こちらを腫れ物に触るように扱う貴族の令嬢たちとは違う。

 彼女たちはロスヴィータを輪の中心に置いて、褒めそやすばかりで、決して対等の友人にはなってくれなかった。


 それがなぜだか、ロスヴィータにはよく分かっている。

 自分が、完璧な令嬢を演じているからだ。

 王太子妃になるために育てられたロスヴィータは、いつの間にか、過剰に人の期待に応えるようになってしまった。自分の立場に苛立ちを感じても、父に反発しても、どうしても心の鎧を外せないのだ。


 でも、ティルデになら心を開けるかもしれない。もし、彼女が友人になってくれたら、何かが変わるかもしれない。

 ロスヴィータはためらいがちに唇を開いた。


「ティルデさま、もしよろしければ、わたくしのお友達になっていただけませんか?」


 ティルデは目をしばたたく。


「え?」


 唐突すぎただろうか。

 ツァハリーアスから「ローズィは意外にせっかちだよな」と言われたことを思い出し、ロスヴィータは慌てた。


「あの……お目にかかったばかりなのに失礼なことを申し上げました。それに、ティルデさまは先輩で、わたくしの教育係でいらっしゃるのに。今の話はお忘れ下さいませ」


「ち、違うのです」


 今度はティルデが慌てているようだ。


「ロスヴィータさまのような、自分よりも格上で、信じられないほど可愛らしい方が『お友達になっていただけませんか』と言って下さったので、びっくりしてしまっただけで……」


 ティルデは、はにかんだように笑う。


「わたしでよろしければ、是非、お友達になって下さい」


「本当……ですの!?」


「はい。ロスヴィータさまなら、友人だということに甘えて、わたしの話を聞かないということもないでしょうし」


「それはもちろんです。今後ともよろしくお願いします、ティルデさま」


「ええ、こちらこそよろしくお願いします、ロスヴィータさま」


 宮廷には仕事にいくのだから、友人を作る暇などないし、そもそも友人になりたい相手など現れないに違いない、とロスヴィータは思い込んでいた。

 それなのに、出仕初日に友人ができるなんて、まるで夢を見ているようだ。


 廊下でシュツェルツと女性たちを見かけて以来、いらいらしがちだったロスヴィータにとって、それは今日初めての「心から嬉しいこと」だった。

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