第三十五話 アウリールへの相談
休暇を終えたロスヴィータは、大晦日の午後から幻影宮に出仕し、衣装係の仕事に戻った。
夜になり、「光溢祭」に出席するシュツェルツの衣装を選び終えると、いつものように侍従に手渡す。やがて、シュツェルツの着替えが終わったという合図があったので、ロスヴィータは衣装部屋を出た。
シュツェルツは澄み渡った夜空のような紺色の衣装に身を包んでいる。その姿が目に飛び込んできて、ロスヴィータは思わず見とれた。
目が合うと、シュツェルツがそっけなく言う。
「もう下がっていいよ」
ロスヴィータは耳を疑った。
いつもなら、シュツェルツは必ずコーディネートに対する感想と礼を述べ、軽い雑談を持ちかけてくるのに、この冷たさはどうだろう。
だが、ロスヴィータにはその理由を訊くことはできなかった。アウリールくらいの側近となれば話は別だろうが、自分は「かつてはお気に入りだった」一介のお雇い女官にすぎない。
もやついた気持ちのまま、「光溢祭」は終わり、新年が訪れた。しかし、シュツェルツの態度は変わらず、ついにはお茶や食事へのお誘いもなくなった。
ロスヴィータは不安を抑えられない。
(わたくし、誕生日パーティーで、何か殿下のお気に障るようなことをしてしまったのかしら……)
心当たりがあるとすれば、一緒に踊ったことくらいだが、三回も踊ったのはシュツェルツの意思であったように思うし、少なくともあの時までは、彼は普段通りに見えた。
もしかして、あのダンスを見て幸先がよいと先走った父が、パーティーの夜、シュツェルツにロスヴィータとの婚約を持ちかけたのだろうか。
しかし、パーティーの時点で、ロスヴィータの退官まで一年を切っていたとはいえ、あの慎重な父がそんなことをするとも思えなかった。
今日は一月最後の日。退官まで、あと九か月しか残されていない。
九か月後、父の目論見通り、自分はシュツェルツと婚約するのだろうか。それとも、それは叶わず、仕方なく他の男性と婚約させられるのだろうか。
(殿下以外の人と結婚なんかしたくない……)
不思議なものだ。女官になったばかりの頃は、シュツェルツとはとても結婚などできない、と思っていたのに。人の心とは、こうも変わるものなのだろうか。
ぼんやりとしながら廊下を歩いていると、シュツェルツがアウリールとルエンを連れて、やってくるのが見えた。立ち止まって会釈をすると、アウリールとルエンは目礼をしてくれたが、シュツェルツは目も合わせずに、軽く頷いただけだった。
本来、王族とはそのようなものなのかもしれないが、以前なら、立ち止まって話をしてくれたのに……と思わずにはいられない。
けれど、シュツェルツが今日身に着けている服は、ロスヴィータが丹精込めて選んだものだ。その衣装をシュツェルツが着てくれているというだけで、胸が甘やかに痛む。
こんな自分はどこかおかしいのではないか、と思うのだけれど、それが恋というものなのだろう。
あと九か月。それまでに、できることはやっておきたい。
好きな相手を見つけて、その人と結婚できるように力を尽くすべきだと言ったのは、他ならぬシュツェルツなのだから。
衣装の点検のためにシュツェルツの部屋に入ろうとした時、ふとアイデアが閃く。
シュツェルツの態度の変化を、アウリールに相談してみるというのはどうだろう。シュツェルツのことを最も理解しているであろう彼なら、きっとよい助言をしてくれるはずだ。
それに、彼は以前から独断で、ロスヴィータを「未来の王太子妃候補」扱いしてきたのだ。
今日は夜会がないから、シュツェルツの夜会服を選ぶ必要もない。その空き時間に、アウリールに会いにいってみよう。
ロスヴィータはそう決めると、少し元気を取り戻して、部屋の扉を開けたのだった。
*
日曜日の今日はアウリールの休日に当たるが、シュツェルツの朝と夜の拝診だけは、平日と同じように行っているはずだ。ロスヴィータはアウリールが拝診を終える時間を見計らって、シュツェルツの部屋の傍で待つことにした。
噂によると、子ども時代のシュツェルツが他の侍医にかかるのを嫌がったために、アウリールは休日も拝診をすることになったのだという。
シュツェルツは子どもの頃、相当わがままだったのだろうか。ロスヴィータは幼少のみぎりの彼を可愛らしく思い、つい、にまにましそうになってしまう。
(ダメよ。人目があるのに、そんな顔をしては)
扉の脇にたたずむ近衛騎士にだらしない顔を見られないよう、気をつけなければならない。
ロスヴィータが自分自身と格闘していると、シュツェルツの部屋の扉が開いた。中から出てきたのはアウリールだ。
ロスヴィータは半ば駆けるように彼に歩み寄った。
「ロゼッテ博士! 少し、お時間をいただけないでしょうか?」
アウリールはこちらを向いて、ほほえんだ。
「構いませんよ。人目がお気になるようでしたら、談話室を使いましょうか。この時間なら、誰も使っていないと思いますので」
アウリールは本当に気が利く。
「はい。そうしていただけると、助かります」
二人は談話室まで移動した。主に廷臣同士の歓談や話し合いの場として使われる部屋だ。テーブルと長椅子が置かれた室内に入る。
先に腰かけるよう、アウリールに促され、ロスヴィータは礼を言って長椅子に座る。向かいの長椅子に座ったアウリールが口火を切った。
「それで、わたしになんのご用でしょう?」
ロスヴィータは若干緊張しながら、「実は……」と切り出す。
「最近の殿下の、わたくしに対するご態度が変だと、常々思っておりまして……ロゼッテ博士は、そのことについて何かお心当たりはございますか?」
アウリールは、なんとも言えない顔で腕を組んだ。
「ははあ……なるほど」
それから、ロスヴィータの瞳を見つめる。
「確かに、最近の殿下は、あなたをお構いにならなくなりましたが……ロスヴィータ嬢は、以前の殿下のご態度のほうがよかった?」
それは、頭を撫でられたり、抱きつかれたり、しょっちゅう食事やお茶に呼ばれたり、ということだろうか。
言われてみれば、兄妹や恋人でもないのに、シュツェルツがそんな風に接してきたという過去のほうがおかしいのかもしれない。
改めてその事実を突きつけられたロスヴィータが、顔を赤らめると、アウリールは目を細めた。
「ロスヴィータ嬢、わたしは、今でも殿下とご結婚なさるのはあなたしかいらっしゃらないと思っております。ですが、殿下はまだその準備ができておいでではない」
どういう意味だろう。小首を傾げるロスヴィータに、アウリールは語った。
「今の殿下には、恋人はおいでになりませんが、それはあのお方にとって、あなたとすぐにでも婚約が可能だ、というような単純な状態ではないのです」
ますます意味が分からない。まるで、謎かけをされているような気分だ。
アウリールの表情が憂いを帯びる。
「ですから、あなたには我慢を強いることになってしまうかもしれませんが、もう少しだけお待ちいただけませんか。時が来れば、必ず、あなたが心苦しく思っていらっしゃるということを、殿下にお話し致しますから」
待つように、と言われても、自分にはそれほど多くの時間は残されていないのだ。
だが、アウリールはロスヴィータが急かしたからといって、言うことを聞いてくれるような人ではない。
「……かしこまりました。ありがとうございます」
表面上、ロスヴィータはそう答えた。
アウリールとともに談話室を出ながら、決心する。
こうなったら、シュツェルツに直接訊くまでだ。もちろん、まだ自分の想いを伝えるような真似はできないが、シュツェルツの態度がなぜ変わったのか、尋ねることくらいはできるだろう。
アウリールに別れの挨拶をしたあとで、ロスヴィータは決意を胸に歩き出したのだった。
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