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お雇い令嬢は恋多き王太子との婚約を望む  作者: 畑中希月
第四章 恋が花開く時

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第三十四話 十六歳

 十一月に十六回目の誕生日を迎えたその年の末、休暇をもらったロスヴィータは、生家に帰ってきていた。帰年暦きねんれき三六二四年、十二月三十日のことである。


 今年の「神降節しんこうせつ」は、ロスヴィータのお披露目を兼ねた、大規模な誕生日パーティーが行われる。

 今夜初めて袖を通すドレスは、目の覚めるような深紅だ。着替えを手伝ってくれている侍女たちが、ため息を漏らした。


「ローズィお嬢さまは本当にお美しくなられて……お身体の線なんて、コルセットをおつけになる必要がないくらい、完璧なのですもの」


「そうそう。むしろ、コルセットをおつけにならないほうが、殿方の視線を釘づけにおできになること、疑いございません。羨ましいですわ」


 ロスヴィータは顔を赤らめた。ただでさえ、ここ一年の急激な身体の成長は、悩みの種なのだ。


「二人とも……やめてちょうだい」


「申し訳ございません」と言いながら、侍女たちは笑った。


 着替えと化粧、髪のセットが終わったロスヴィータは、パーティー会場となる大広間の隣に位置する控え室に入った。父が自分を客人たちに紹介する時が訪れるまで、ここで待つのだ。


(お父さまは殿下に招待状をお送りになったのかしら……)


 ずっと気になっていたけれど、それだけはどうしても、父からもシュツェルツからも聞き出せなかった。怖かったのだ。


 シュツェルツは相変わらず、年上の女性と恋をしては別れるということを繰り返している。最近は同い年の女性と付き合うこともあった。ロスヴィータはそんなシュツェルツの姿を胸苦しい気持ちで見つめていたのだ。


 だが、ここ一年ばかり、自分と接する時のシュツェルツは変だ。お茶や食事には誘ってくれるものの、以前のように頻繁ではないし、触れてくることもなくなった。

 それに、目が合うと、前はにっこり笑ってくれたのに、なんだか気まずそうにその目を逸らしてしまうのだ。


 もしかして、嫌われてしまったのだろうか──とロスヴィータは毎日、気が気でない。こうして、「神降節」の休暇を迎え、シュツェルツと顔を合わせないですむことに、正直ほっとしたのも事実だ。

 だが、彼と会えないのは、やはり辛かった。今夜は、たとえ言葉を交わせなくてもいいから、その姿を見ていたい。


 ぼんやりと物思いに耽っていると、ツァハリーアスが控え室に顔を出した。


「ローズィ、そろそろ出番だ。行こう」


 ツァハリーアスは、もう成長期が終わったのか、この二年間、それほど背は伸びなかった。その代わり、ぐっと青年らしくなり、凛々しさが増した。

 ロスヴィータを一瞥した兄は、ますます父に似てきた秀麗な顔をしかめる。


「その新しいドレス、似合いすぎているな。お前の誕生日パーティーでなければ、人前に出したくないところだ。男どもがどんな下心を持ってお前を見るか──考えただけで虫唾むしずが走る」


「お兄さま、それは過保護すぎるというものです」


 この返答は本心だったが、ロスヴィータは内心、困惑もしていた。原因はドレスのデザインだ。シフォンを何枚も重ねた上品なスカート部分とは裏腹に、首筋から胸元が大きく開いている。これでは、胸の谷間が見えてしまうではないか。


 大きくなりすぎた胸を隠すためにも、露出の少ない衣装を好んで着るロスヴィータにとっては、恥ずかしいことこの上ない。このドレスを著名な仕立て屋に注文したのは、母と姉らしいが……。


 シュツェルツが今夜の自分を目にしたら、どんな反応を示すのだろうか。いや、そもそもシュツェルツが招かれているかどうかも分からないのに、何を考えているのだろう。


 ツァハリーアスにエスコートされ、ロスヴィータは大広間の扉の前に立った。

 やがて、両開きの扉が開かれると、いくつものシャンデリアに照らされた大広間が広がった。父が振り返り、ロスヴィータを手で示す。


「こちらが、先月に十六歳の誕生日を迎えました我が娘、ロスヴィータ・イーリスでございます。みなさま、どうかよしなに」


 ロスヴィータは、片足をうしろに引いて膝を折って頭を下げ、スカートの両端を持ち上げた。宮廷で何度も繰り返すうちに、少しは洗練されてきたはずだ。

 顔を上げたロスヴィータは、自分を見つめるおびただしい数の客人の視線に少し気後れしたあとで、シュツェルツの姿を探した。


(あ……)


 シュツェルツは、居並ぶ客人の中心にたたずんでいた。ティルデが選んだのだろうか。金糸で縁取られた夜会用の黒い衣装がよく似合っている。今夜は長くまっすぐな黒髪をひとつに束ねており、とても精悍に見える。


 二十歳になったシュツェルツは、この二年間でさらに身長が伸び、その面影からは少年っぽさが消えた。中性的な美しさは大人の男性が持つ、しっとりした雰囲気に変わり、前以上に宮廷の貴婦人たちにため息をつかせている。


 父がロスヴィータを連れて真っ先に挨拶にいったのは、やはりシュツェルツだった。


「殿下、こたびはお越しいただき、光栄に存じます」


 シュツェルツ付きの従騎士となったルエンが、護衛の近衛騎士とともに、主君のうしろで姿勢を正す。


 近衛騎士団副団長となったため、直接シュツェルツの護衛ができなくなった師匠のエリファレットに代わり、ルエンは主君に随行することが多くなった。

 その剣技の冴えは、先日十三歳になったばかりの少年とは思えないほどだそうで、今もめきめきと実力を上げているという。


 シュツェルツは微笑した。


「いや、こちらこそ、ご招待いただき、感謝する。普段から、ご令嬢には大変世話になっているゆえ、是非とも駆けつけたかった」


「既にお知らせしております通り、このパーティーは舞踏会でございますので、存分にお楽しみ下さい」


「ああ、楽しみにしている」


 シュツェルツは、ちらりとロスヴィータを見やっただけで、何も声をかけてはくれなかった。それでも、彼を間近に見られたことが嬉しくて、ドレスと同じ真紅の口紅を引いたロスヴィータの口元は緩んだ。


 それからも、父はロスヴィータを伴って招待客に挨拶回りをした。みな、口々にロスヴィータのことを、夢幻的なまでに美しいとうたわれる、夢の女神ソムナネのようだ、と褒め称えてくれる。だが、ロスヴィータは虚しかった。自分が外見を褒められて満足するだろう人は、たった一人なのだから。


 挨拶が一通り終わると、先ほどまでの愛想のよさが嘘のような鋭い顔で、父はロスヴィータに囁いた。


「招待客の中で、もっとも身分が高いのは殿下だ。そして、このパーティーはお前のためのものなのだから、お前が一番最初に殿下と踊れ。できるだけ多くな」


 自分が殿下と踊る。

 娘と王太子を近づけたいという思惑があるにしても、傍目から見れば、父が口にしたのは舞踏会での慣習に過ぎない。だが、ロスヴィータは父への反発と、最初からシュツェルツと踊るという急激な緊張のあまり、つい反論を口走っていた。


「でも、女主人はお母さまでは……?」


 父は苦虫を噛み潰したような顔をした。


「エミーリエが殿下と踊ってどうする」


 確かにそうだ。母とシュツェルツでは、親子ほどの年齢差がある。招待客たちも、ロスヴィータとシュツェルツが踊ったほうが自然に思うだろう。

 娘が納得したと見て取ったのか、父は大広間の中心にロスヴィータを連れていった。それから、再びシュツェルツに歩み寄っていく。


「王太子殿下、どうか、娘とお踊り下さい」


 父の呼びかけに応じ、シュツェルツがロスヴィータの前まで歩いてきた。こちらをじっと見つめたあとで、シュツェルツがロスヴィータの手を取る。シュツェルツに触れられるのは久し振りだったので、ロスヴィータは思わず身を固くした。

 シュツェルツはロスヴィータの手の甲に口づけると、目を合わせた。


「わたしと踊っていただけますか?」


 高く音を立て始めた心臓の音を聞きながら、ロスヴィータは答えた。


「……はい、喜んで」


 楽団が音楽を奏で始めた。シュツェルツがロスヴィータの手を取り、その背中を支える。ロスヴィータも、おずおずと彼の左腕に手を添えた。

 シュツェルツが楽曲に合わせて踊り出す。ロスヴィータも彼の動きに合わせてステップを踏む。ロスヴィータを見つめていたシュツェルツが、そっと耳打ちした。


「そのドレス、よく似合っているね。今夜の君は、とても綺麗だ」


 待ち望んでいた言葉をもらい、ロスヴィータは頬を染めた。


「あ、ありがとうございます……」


 こうしてシュツェルツと踊るのは、アルレスの村で宴に招かれて以来だったが、だんだんと彼の踊り方の癖や呼吸の合わせ方が分かってきた。


 このまま、いつまでも彼と踊っていたい。


 ロスヴィータの願いに応えるように、曲が終わっても、シュツェルツは手を離そうとはしなかった。


 二回目のダンスが終わり、三回目も終盤に差しかかった時、シュツェルツが名残惜しそうな表情で、こちらを見つめた。


「二年前、『君が大人になったら、また踊ろう』と約束しただろう? 果たすことができてよかった」


 ロスヴィータもシュツェルツを見つめ返す。


「……覚えていて下さったのですか」


「もちろん」


 シュツェルツが頷いた時、ちょうど曲が終わった。同じ相手と続けて四回以上踊ることはできないため、二人はゆっくりと手を離す。シュツェルツの目が寂寥せきりょうを帯びる。


「今日はありがとう──さようなら、ロスヴィータ」


 シュツェルツは踊る人々の間を縫うように、去っていった。


「殿下……」


 小さく名を呼びながらも、いつもと違う彼の様子に戸惑い、ロスヴィータはあとを追うことができなかった。

 シュツェルツと踊ることができたというのに、充足感よりも、酷く胸騒ぎを覚える。


 踊る人々の輪の中に一人残されたロスヴィータは、ツァハリーアスがシュツェルツを罵りながら迎えにくるまで、呆然と立ち尽くしていた。

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