第三十話 鍵を手に入れろ
シュツェルツたちとともに昼食を終えたロスヴィータは、口元を拭ったあとで、給仕をしていたブレッターの執事に声をかけた。
「あの、少しお話が」
ブレッターは賓客であるシュツェルツの給仕を、腹心の執事に任せている。少しでも点数を稼ごうとする、ブレッターの抜け目のなさが垣間見える。あるいは、他の使用人だと機密情報を漏らしてしまうとでも考えているのだろうか。
執事が歩み寄ってきた。
「なんでございましょう? お嬢さま」
執事の態度は恭しい。ロスヴィータがベティカ公家の娘だと知っているのだ。
ロスヴィータも丁重に応対する。
「実は、今朝から殿下のお部屋の鍵が見当たらないのです。防犯上心配なので、予備の鍵があれば、是非貸していただきたいのですけれど」
「お安い御用です。よろしければ、すぐにでもご案内できますが」
「はい、よろしくお願い致します」
ロスヴィータは席を立ち、執事のあとについていく。同じ室内にいるシュツェルツたちと目を合わせないように気をつけながら。これは、あくまでも自分の独断でしている行動だということを、執事に印象づけるためだ。
執事は一階に下りていき、鍵のかけられた小部屋に入る。そこは、壁に鍵がずらりとかけられている保管庫のような部屋だった。
鍵の形はどれもそっくり同じで、上に打ち付けてある木札に、対応する部屋の名前が刻まれている。
「殿下のお部屋の鍵はどれかしら」
ロスヴィータの呟きに応え、執事は「二階、続き部屋」と書かれた札の下にかかっている鍵を取り外した。
「こちらでございます」
ロスヴィータは笑顔を作った。
「ありがとうございます。ですが、鍵がひとつだけだと、またなくしてしまいそうなので、できれば鍵束ごと貸していただきたいのですけれど」
怪しまれたらどうしよう、とロスヴィータは一瞬、緊張したが、執事は表情を変えなかった。
「では、こちらをお使い下さい」
「二階客室」と書かれた札の下にかけられた鍵束を、執事は手に取り差し出した。ロスヴィータは再び礼を述べて、鍵束を受け取る。
これで、作戦の第一段階は終わった。次が本番だ。
ロスヴィータは部屋を出ながら、こっそりと鍵束を開き、鍵を二本だけ取り除いた。
執事は、「昼食の後片づけの指示を出すために、二階に戻る必要があるので、ご一緒致します」と言った。ロスヴィータは密かにほっとしつつ、彼とともに二階に上がる。
廊下に足を踏み入れたところで、誰かが執事にぶつかった。ルエンだ。
それとほぼ同時に、ロスヴィータは鍵束の輪を開き、床に落とす。執事には気づかれないようにロスヴィータが目配せすると、ルエンは鍵束を拾った。
「も、申し訳ございません!」
腰に下げた鍵束がなくなっていることを確認してから、執事はルエンをぎろりと睨みつけた。鍵束をルエンの手からひったくるように受け取る。
「お前か。全くヘマばかりして……今後、気をつけろ」
ロスヴィータは執事とルエンの間に、割って入った。
「わたくしからも謝らせて下さいませ。さ、ルエン坊や、行きましょう」
ロスヴィータはルエンの背中を押して、シュツェルツの部屋へと歩き出す。途中、急ぎ足にならないよう、懸命にこらえながら。
シュツェルツの部屋が見えてきた。扉の脇に立つシュツェルツ付きの近衛騎士に目礼すると、ロスヴィータとルエンはノックをし、返事を待たずに室内に入る。扉に手をつきながら、二人は揃って、ふーっ、と、長いため息をついた。
シュツェルツが長椅子から立ち上がる。
「二人とも、首尾はどうだい?」
ルエンがシュツェルツに駆け寄り、鍵束をじゃらりと見せる。
「殿下! やりましたよ! 執事の野郎……じゃなくて、執事の鍵束をすり取るのに成功しました!」
シュツェルツは鍵束を受け取った。
「執事は、鍵束がすり替えられたことに気づきそうにないかい?」
ロスヴィータもシュツェルツに歩み寄ると頷く。
「はい。この城館の鍵は、どれも同じような意匠でしたから、すぐには気づかないかと存じます。鍵の本数も、ロゼッテ博士がおっしゃった通りに調整致しました」
ロスヴィータは鍵束から取り除いた鍵を二本、掌に乗せてみせる。ちなみに執事が元から下げていた鍵の本数は、アウリールが覚えていた。彼は頭だけでなく、記憶力もいいらしい。
シュツェルツが満面に笑みを浮かべる。
「そうか。二人とも、よくやったね」
ロスヴィータがダミーの鍵束を手に入れ、ルエンが執事から秘密の小部屋の鍵束をすり取る。その上で、ロスヴィータが落としたダミーの鍵束を、ルエンが執事に渡し、すり替える──それが、今回の作戦だった。
だが、鍵束をするにしても、代わりの鍵束を用意できなければ、すぐに盗んだことが発覚してしまうだろう。そこで、アウリールはまず、ダミーの鍵束を入手することを考えたようだ。
シュツェルツの部屋の鍵をなくした、とロスヴィータが申し出れば、執事はほとんど疑いを持たずに予備の鍵束を渡すだろうと睨み、アウリールはダミーの入手役にロスヴィータを指名したのだ。
ロスヴィータは快諾するつもりだったのだが、これにはシュツェルツが難色を示した。
「もし、あの執事が美少女好みだったらどうするんだ。ロスヴィータと二人きりにするのは心配だよ」
これには、さすがのアウリールも呆れたようだった。
「殿下、ご自分を基準に、人の行動を予想なさいませんように」
「人を変態みたいに言わないでくれ!」
ロスヴィータは気取られないようにため息をついた。なんだか、兄が二人に増えてしまったような気がしたのだ。
「よろしいですか、殿下。ロスヴィータ嬢はマレ随一の権門のご令嬢なのです。そのような方に──もし仮に、殿下が美少女好みだったとして、手をお出しになりたいと思われますか?」
「……なんか、無性に腹の立つたとえだな。ベティカ公が怖くて、手を出せないに決まっているじゃないか」
「そうでしょうそうでしょう。ですから、何もご心配をなさる必要はございませんよ」
アウリールに理詰めで説得されたシュツェルツは、渋々ながら納得した。
アウリールが「あとは、執事が腰から下げている鍵束をすり取ることができれば、話は早いのですが」と言った時、「それなら、できるかもしれません」と手を挙げたのがルエンだった。
ロスヴィータが「する」とはどういう意味なのか、と訊くと、その場にいた一同はぽかんとしていた。自分より身分の高いシュツェルツですら、「スリ」という盗人のことを知っていたという事実に、ロスヴィータは軽く衝撃を受けた。
「よく小説や戯曲に出てこない?」と、シュツェルツは言っていたが、ロスヴィータはその手の本や演劇は目にした覚えがない。シュツェルツは相当な読書家なのだろう。
「それにしても、ルエンのスリの腕前は大したものだね」
シュツェルツに褒められ、ルエンは嬉しそうに鼻をこする。
「えへへ」
「今回は殿下のお役に立ったからよいようなものの、本来、スリが得意というのは称賛されるべきことではないぞ」
エリファレットが厳しい顔をすると、ルエンは慌てたようだ。
「あ、もちろん、普段からスリをしているわけではないです。僕、生まれつき、人の動きがゆっくり見えるんですよね。だから、結構簡単に、ものをすることもできるだけで。あなたの動きなんかは、すごく無駄がないから難しそうですけど」
「何……?」
エリファレットは驚いたようだが、それ以上は追求しなかった。
シュツェルツもしばらくルエンを見つめたあとで、みなを見回す。
「早く行動を起こさないと、鍵束がすり替えられたことに執事が気づいてしまう可能性がある。それに、アルレスの領民たちを一刻も早く解放したい。城内の見張りが少なくなる夜を待って、例の部屋に行こう」
アウリールが口を挟んだ。
「そのご意見には賛成致しますが、殿下ご自身が出向かれるのには反対です」
「いや、でも……」
「部屋には見張りもいたと、ルエン坊やが申していたでしょう。もし、何か不測の事態が起こった場合、殿下がご壮健でおいででなければ、全てが無に帰します。どうか、わたしどもをお信じになって、ご自重下さい」
シュツェルツは悔しそうに考え込んでいたが、やがてアウリールを見据えた。
「……分かった。みなに任せることにするよ。それじゃ、誰が部屋に向かうか、これから人選を行おう」
この言葉を皮切りに、秘密の小部屋へ行くメンバーが決められることになった。




