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お雇い令嬢は恋多き王太子との婚約を望む  作者: 畑中希月
第三章 王太子の試練

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第二十五話 ルエン・アスト少年

 その日の夜、リーパの城館で、王太子シュツェルツと側近たちを招いた晩餐会が開かれた。

 それにしても、おかしな話だ。本来なら、この城館の主はシュツェルツであるべきなのに、彼が「客」扱いとは。


 腑に落ちないロスヴィータだったが、招待される側近の中に自分も含まれていると知り、驚いた。

 アウリールやエリファレットが招かれるのは当然として、公式に近い場で自分が陪席にあずかってもよいのだろうか、と思い、ロスヴィータは辞退しようとした。

 だが、シュツェルツはこともなげに言った。


「大丈夫だよ。幻影宮では、毎日のようにわたしと同席していたじゃないか。それに、君以上にテーブルマナーを叩き込まれたご令嬢は、マレ中を探しても、なかなか見つからないと思うよ」


 そんなわけで、ロスヴィータはレースの縁取りが美しい、白いテーブルクロスのかけられた食卓を囲んでいた。主人役は地方長官ブレッター夫妻が務める。賓客のシュツェルツは、暖炉の前に腰かけた夫人の右側に座る。


 反対に、ロスヴィータの席は入り口に近く、夫人の向かいに座るブレッターの右隣だ。エリファレットが夫人の左隣に、アウリールがブレッターの左隣に座った。席次はアウリールが一番低いことになるが、これは彼が自分の身分をわきまえているからだろう。


 若い王太子を名実ともに育て上げたアウリールがこの席に座った時、シュツェルツはわずかに複雑そうな表情を浮かべたものの、口に出しては何も言わなかった。

 彼としては、アウリールの判断を仕方ないと思っているのだろうし、二人の腹心のうち、どちらが格上かなど考えたくもないのだろう。


「ところで、ブレッター長官。市街の人々を馬車から見たが、なかなか活気があって、実によろしい。これも、そなたのまつりごとのおかげだな」


 執事が注いだ食前酒に口をつけたあとで、昼間、馬車で漏らしていた感想とは逆のことをシュツェルツが言った。

 ブレッターは自身の頭髪を撫でながら、笑顔で応える。


「さようでございますか。殿下にそうおっしゃっていただけると、光栄でございます。いや、わたしも政務に励んだ甲斐がございました」


 シュツェルツが向かいに座るアウリールと、ちらっと目を合わせた。

 ロスヴィータはようやく気づいた。シュツェルツはブレッターにかまをかけたのだ。

 しかし、ブレッターは誘いに乗ってこなかった。シュツェルツの勘が外れただけなのか。それとも、ブレッターが何かを隠したがっているのか。


(この長官……相当、曲者なのかもしれない)


 シュツェルツは、その後も政務に関する質問を重ねたが、ブレッターが返答に詰まることはなかった。先入観かもしれないが、まるで、あらかじめ答えを用意していたかのようだ。

 やがて、前菜が運ばれてきた。執事がロスヴィータのグラスに、ジュースピッチャーから果汁を注ぐ。


 次に、まだ九歳くらいにしか見えない給仕の少年が、赤ワインの入ったデキャンタを運んできた。茶色の髪と、顔に散ったそばかすが印象的だ。

 ブレッターが得意げに言った。


「せっかく殿下がおいで下さったので、ワインは非常に美味な、新しいものを用意してございます」


 ワインを保管するための容器といえば樽が一般的だ。けれども、樽に入れたワインは、一年ほどしか保存がきかない上、空気が入りやすいので、新しいもののほうがおいしく飲めるのだ、と兄から聞いたことがある。


「ほう。それは楽しみだ」


 シュツェルツがそう答えた時、ちょうど執事と少年が、扉の近くで盆を交換しようとしていた。少年がデキャンタを乗せた盆を差し出し、ジュースピッチャーの乗った盆を執事から受け取ろうとする。

 ロスヴィータを含めたシュツェルツたち客人への給仕は、引き続き執事が行い、少年がその補助をする手はずなのだろう。


 少年が両手から右手のみに持ち替えたデキャンタの盆が、わずかに傾いだ。


(あ、危ない……!)


 次の瞬間、デキャンタは花模様の絨毯の上で砕け散り、遅れて銀製の盆が音を立てずに落ちる。

 飛び散ったワインが、鮮血のように絨毯を染めてゆく。


「あ……あ……」


 少年はうろたえながら、屈んでデキャンタの破片に手を伸ばし、顔をしかめた。指を切ってしまったのだろう。

 そんな少年を、椅子を蹴倒さんばかりに立ち上がったブレッターが怒鳴りつけた。


「お前、そのクリスタル製のデキャンタとワイン……それに、この絨毯がいくらしたと思っているんだ! お前などが十年働いても返せない額だぞ!」


「も、申し訳ございません……」


 少年はがたがた震えており、泣き出す寸前だ。

 ブレッターはお構いなしに言い放つ。


「もういい! お前は首だ!」


「そ、それだけはご勘弁を!」


「勘弁して欲しいなら、永久にタダ働きをしろ! 給料がもらえなくても、口減らしになって、お前の家族は喜ぶだろうよ!」


 高価なものを壊したとはいえ、わざとではないのだし、子ども相手にその言い様はあんまりだ。

 さらに腹立たしいのは、少年に同情的な視線を送っているのは、シュツェルツ側の者たちだけで、夫人も執事も、彼に冷たい眼差しを向けていることだ。


 デキャンタや絨毯の弁償の肩代わりをしようと、ロスヴィータは口を開きかけた。

 おもむろに、シュツェルツが席から立ち上がる。絨毯に落としていた視線を、斜め向かいに立つブレッターに移す。


「長官、そのワインは、わたしのために用意されたものだ。それに、この城館の本来の主はわたしでもある。ならば、そなたの代わりに、わたしがこの少年に罰を与えても構わぬな?」


 思わぬ提案だったのだろう。ブレッターは渋々といった様子で頷いた。


「……殿下がさようにおっしゃるのならば」


「ありがとう。アウリール、怪我の手当を」


「御意」


 アウリールは立ち上がると、少年に近づいた。びくりとする少年の前にしゃがみ込み、その手を取ると、腰に下げた小さな鞄から包帯を取り出す。あっという間に、少年の指はきっちりと包帯に包まれた。

 その様子を見届けたシュツェルツは長官に念を押す。


「ところで、この少年を首にするという決意は、変わってはいないか?」


「は、はあ……」


 ブレッターは完全にシュツェルツのペースに巻き込まれているようだ。かくいう自分も、次にシュツェルツが何を言うのか、全く予想ができないでいる。

 シュツェルツはテーブルを回り、少年の前に立った。背を曲げて少年と目線を合わせると、笑顔を向ける。


「君の罰は、わたしに近侍として仕えることだ」


「え……?」


「多分、給金は今までよりも多くなると思うよ。家族にもたくさん仕送りをしてあげられる」


「ほ、本当ですか!?」


「ああ、本当だ。君の名前は?」


 王太子に名前を訊かれたからだろうか。少年は二、三回、琥珀色の目をしばたたかせた。


「……ルエン・アストと言います」


「そうか。これからよろしく、ルエン」


 シュツェルツはブレッターを振り返った。


「長官、デキャンタやワイン、絨毯はそなたの私物だったな。わたしの近侍がした粗相だ。わたしがルエンに代わり、弁償をするが、それでよいか?」


 呆気に取られていたブレッターの表情が、気まずさと愛想笑いを交ぜ合わせたものに変わる。


「い、いえ、滅相もない。デキャンタもワインも絨毯も、公費で購入したものですので……」


 呆れた。ロスヴィータはブレッターをじろりと見る。

 シュツェルツは皮肉げな微笑を浮かべた。


「なるほど。わたしも国民の税で養われている身だから、そなたの気持ちはよく分かる。では、晩餐会を続けようか」


 中断していた晩餐会は続行することになった。ブレッターとしては、一刻も早く、絨毯に広がったワインの染み抜きをしたかったに違いない。


 降って湧いたような災難と幸運が重なり、シュツェルツの近侍になることが決まったルエン少年は、まだ十歳だということだった。実年齢よりも少し幼く見える原因は、栄養状態の悪さかもしれない。貧しい羊飼いの父親に奉公に出され、ブレッターの雑用係を務めていたようだ。


 ちなみに、ルエンは八人兄弟の四番目に生まれたらしい。彼にとって、家族に十分な仕送りができるかどうかは死活問題だから、給金のためにブレッターからの酷い仕打ちにも耐えていたのだ。


 ルエンにはシュツェルツの部屋に近い、近侍用の個室が与えられた。「一人部屋に寝泊まりするのは初めてです」と満面の笑みを浮かべるルエンを見て、ロスヴィータは自分のことのように嬉しくなった。


 シュツェルツの優しさは、か弱き者たちにも向けられている。

 そのことがとても嬉しく、ロスヴィータの胸は、ほんのりと温かくなるのだった。

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