第二十四話 アルレス州都リーパ
ロスヴィータの心配は杞憂に終わった。シュツェルツは一か月間、喪に服し、出立時期こそ四月に延期したものの、視察を実現させたのだ。もちろん、当初の予定通り、ロスヴィータも随行することになった。
他の随行の面々は、アウリールにエリファレットといったシュツェルツの側近や侍従、護衛の近衛騎士たちだった。護衛の数のほうが、側仕えの者たちよりも数が多いくらいだ。
今回の旅は陸路だ。ロスヴィータは久し振りの長旅にうきうきしていた。
侍従や女官などの上級官吏のために用意された馬車に近づいていこうとすると、シュツェルツに呼び止められた。
「ロスヴィータ、わたしと同じ馬車に乗らないかい?」
「え……!?」
思わぬ申し出に、ロスヴィータが目を見張ると、シュツェルツは「侍従たちと一緒がいいのなら、無理強いしないけど」と付け加えた。
なぜかは分からないが、この機会を逃してはいけない気がした。ロスヴィータは力いっぱい首を横に振る。
「い、いえ! ご一緒させていただきます!」
もちろんというか、二人きりなはずはなく、その馬車にはアウリールも乗っていた。エリファレットは近衛騎士たちに指示を出す立場のため、同席していない。
シュツェルツの隣に座りながら、喪章をつけた彼の姿を、ロスヴィータはちらちらと見た。
なんだろう。ものすごくどきどきする。シュツェルツが話しかけてきても、受け答えが短く途切れてしまう。
ふと、向かいを見ると、アウリールがにこにこしながら、こちらを見ていた。
一行は、まず、ステラエの北西に位置するメッサナ州に向かう。
ロスヴィータは驚いた。シュツェルツは単に馬車から村々を遠目に視察するだけではなく、下車して住民の話を直接聴いた。さらに、州都に着いてからも、通り道にはなかった村々にまで、馬に乗って赴いたのだ。
ロスヴィータも実家の領地の街や村を、父の視察に参加させられるという形で訪れたことはあったが、その時は人々に向けて馬車から手を振っただけだった。
それだけで視察をした気分になっていた幼い自分を、ロスヴィータは恥ずかしく思った。
「あの……わたくしも、村への視察にお供させていただいてよろしいでしょうか? よい勉強になるかと存じますので」
「いいよ。君もついてくるといい」
シュツェルツが笑顔で許可を出してくれたので、それからはロスヴィータも村々への視察についていった。村人たちは雲上人である王太子の来訪に、一様に感激していた。
シュツェルツは何か困っていることがないか訊いて回り、城館のある街に帰ってからは、市民の代表たちから話を聴くなど、精力的に過ごした。
「仕事に没頭なさっておいでの殿下は、なかなか凛々しいでしょう」という、アウリールの表現が的確だったために、ロスヴィータは何も言葉を返せなかった。
……シュツェルツを売り込んでくる、彼の姿勢には辟易させられる。だが、半ば予想していたことなので、ロスヴィータは諦めることにした。
それよりも気になるのは、視察に出発して、シュツェルツをいつになく近くに感じてから、彼を見るだけで胸がきゅっと締めつけられるような、不思議な感覚がしてしまうことだ。
(なにかの病気じゃないわよね……)
小首を傾げながらロスヴィータは、視察はまだ長いのだから、この感情の正体を突き止めてやろう、と密かに決心したのだった。
一週間の滞在期間が過ぎ、一行はメッサナに別れを告げて、さらに西にある王太子領アルレス州を目指した。
アルレスに入ってからも、シュツェルツのすることは、なんら変わりなかった。真摯に領民に向き合い、時間をかけて移動していく。
北のヴィエネンシス王国や北東のシーラム王国との国境にも近いアルレスからは、天然の要害となっているミューラス山脈が見晴るかせた。白い雲にけぶり、国境沿いに堅固な城壁のようにそそり立つ、どこまでも続く青い山並みを見ていると、心をどこかに持っていかれそうになる。
そして、四月二十二日の午後、一行はアルレスの州都、リーパに到着した。
国境に近く、有事の際には前線となるリーパは、外周を高さの違う二重の城壁でぐるりと囲っている。ロスヴィータは、その威容に嘆声を漏らした。シュツェルツとアウリールも目を見開き、感心している。
急に馬車が停まったと思ったら、エリファレットが窓を覗き込みながら、扉を叩いた。
「これから、殿下がおいでになったことを門番に伝えて参ります。少々お待ち下さい」
「分かった。頼んだよ」
シュツェルツが返事をしてから、たっぷり時間を置いて、エリファレットが戻ってきた。
「お待たせ致しました。手前の門も奥の門も通れるそうです。門番が城館に伝令を送りましたので、そちらにはすぐ入城できるかと存じます。案内役の兵もつけてもらうことができました」
シュツェルツは笑顔になった。
「ありがとう。王太子が感謝していた、と兵たちにもよろしく伝えてくれ」
こういう時、ロスヴィータはシュツェルツの気配りに感じ入らざるをえない。
仕える側になって実感したのだが、清潔で美しい衣服も、おいしい食事も、誰かが作り、整えてくれたものなのだ。この世には当たり前のものなど何ひとつない。
おそらく、シュツェルツは王太子という身分でありながら、そのことを正しく理解しているのだろう。だから、他人に対して優しいのだ。
どうせ、殿下は女性にしか優しくないのだろう、と思っていた頃が遠い昔のようだ。何も知らなかった自分が恥ずかしい。
低い城壁に作られた最初の城門を馬車で潜り、濠の上の跳ね橋を渡る。二基の尖塔が高い城壁からせり出している光景が目に入った。
それらの真ん中に挟まれた、塔が生えたような外観の城壁の下に、次の城門がぽっかりと口を開けている。
どちらの門の両脇にも兵たちが並び、恭しく敬礼を送ってきた。そのたびに、シュツェルツも颯爽と答礼する。
門を通り抜けると、街の中へ出た。
騎乗した兵に案内され、市街を通過しながら、中心にある城館へと向かう。丘の上に建てられた城館は、市街からもよく見えた。
「賑やかな街ですね」
ためらいがちにロスヴィータが話しかけると、シュツェルツは頷きかけ、何かを考え込むような顔をした。
「……うん。でも、何か、メッサナやステラエとは違うような気がする。窓から見える人々の顔に活気がないというか……」
アウリールが言葉を引き取る。
「少し、視察を綿密にしたほうがよろしいかもしれませんね」
濠に囲まれ、周壁と一体になっている城館がじょじょに近づいてきた。
シュツェルツが訪れることを伝令から知らされているためだろう。既に跳ね橋は下ろされており、待っていた門番の敬礼に出迎えられる。
再び跳ね橋を渡り、落とし格子が設置された城門と内壁の門を潜った馬車は、宮殿前の車寄せで停まる。
城館は優雅さよりも堅牢さが勝っており、幻影宮に比べれば幾分か小さい。
シュツェルツに手を取られ、ロスヴィータは馬車を降りる。
彼の手に触れるのは初めてのことではないのに、指先がシュツェルツの掌に接触するだけで、手が熱を孕むような気がする。
不思議な気持ちを抱きながら、ロスヴィータは城館の兵士に先導され、アウリールやエリファレットのうしろを歩いていく。みなと一緒に、シュツェルツに付き従って城館の中に入った。
「王太子殿下、ようこそお越し下さいました。わたくしめが、アルレスを預かる地方長官を拝命しております、バスティアーン・ブレッターと申します」
玄関広間でお辞儀とともにシュツェルツを出迎えたのは、白髪交じりの壮年の男性だった。張りついたような笑みを浮かべているが、どことなく嫌らしい印象を受ける。
シュツェルツが一歩前に進み出て、ブレッターと握手をした。
「シュツェルツ・アルベルト・イグナーツだ。大儀であった。一週間ほど滞在させてもらうが、肩肘を張らず、いつも通りに過ごしてくれ」
「もったいなきお言葉にございます。一週間とおっしゃらず、お好きなだけこの城館にご滞在下さい」
「城館だけでなく、市街や村々も視察したいのだが」
一瞬だけ、ブレッターの目が、針のように細まった。
「それはそれは……もちろんでございますとも。……殿下ご一行をご案内しろ」
ブレッターのうしろに控えていた執事らしき若い男性が、恭しくシュツェルツを導き、二階へと案内してくれた。執事の腰には、鍵束がじゃらじゃらと揺れている。
二階の廊下を歩きながら、アウリールがシュツェルツに小声で囁く。執事には聞こえないであろう声量だが、シュツェルツのすぐうしろを歩くロスヴィータの耳には届いた。
「……あの地方長官、妙にうさんくさいというか、どこか気になりますね。しばらく、動向に注意してみましょう」
「気が合うね。わたしも同じ意見だよ。エリファレットはどう思う?」
「わたしも、殿下とアウリールに賛成です」
求められなかったので口には出さなかったが、ロスヴィータの感想も同じだった。何より、市街や村々を視察したいという、シュツェルツの希望を聞いた時のブレッターの表情が気にかかる。
(……わたくしも、何か殿下のお役に立てればよいのだけれど)
自然とそんな風に思ってしまった自分に、ロスヴィータは一人で慌ててしまった。
こうして、一波乱ありそうな視察の後半戦が始まったのだった。




