第二十話 父子の仲
シュツェルツは父王メルヒオーアと向かい合っていた。拝光教の主神の名を冠した国王執務室「ウィタセスの間」で、父が座る椅子の前に机を挟んで立っていた。
「父上、本日は拝謁の許可をいただき、ありがたく存じます」
シュツェルツは右手を胸に当て、恭しく頭を下げる。シュツェルツが儀礼的なら、父もまた儀礼的だった。親らしい温かな表情や言葉で迎えるわけでもなく、ただ一言、問いかけただけだ。
「して、謁見の理由は?」
第二十代マレ王国国王にして、シフ王朝第四代君主、メルヒオーア・ルードルフは今年で四十四歳。刃物のような鋭さを帯びた灰色の瞳と、短く刈り込まれたダークブラウンの顎髭は、威厳を感じさせ、口にせずとも長い在位期間を物語っているかのようだ。
自分の瞳の色合いと似た、父の灰色の瞳を目にするたび、シュツェルツは彼との血の繋がりを強く感じ、激しい嫌悪感を覚えずにはいられない。
そのような内心はおくびにも出さず、シュツェルツは簡潔さを意識して質問に答える。
「わたしの侍医にして私設秘書のアウリール・ロゼッテを、何とぞ正式にわたし付きの秘書官とする許可をいただきたく、参上致しました」
アウリールの名を聞くやいなや、父は見るからに不快げな顔をした。
「何度も何度も……そちも飽きぬな。いい加減、諦めよ」
「お言葉でございますが、ロゼッテ博士は今現在、侍医職と秘書職を兼任していながら、常に職務を滞りなく遂行しております。彼の能力、人柄ともに、秘書官とするには申し分ないかと存じ──」
「能力の問題ではない」
一蹴され、シュツェルツは思わず父の目を見据えた。
「では、何が問題だとおっしゃるのです?」
父は言い切った。
「あの者はそちに取り入り、国政に干渉しようとしている」
シュツェルツは思わず語気を強める。
「そのような事実は一切ございませぬ。むしろ、奥に引っ込みたがっている彼を、わたしが無理に重用しているだけにございます」
「そちを欺き、そう見せかけているだけではないのか」
頭の芯が焼き切れるような怒りを覚え、シュツェルツは必死で己を抑えた。
まだ第二王子だった頃、父母にさえ顧みられることのなかった自分に、初めて手を差し伸べてくれたのはアウリールだ。
その彼を貶されるのだけは、どうしても許せない。
シュツェルツは悟られぬように深呼吸をする。
──怒りに我を忘れそうになった時の、おまじないのようなものですよ。
子どもの頃、アウリールに言われたことを思い出す。
あの時は、神官の息子として生を受けたのに、神々さえも信じていない彼のような医者が、「おまじない」などと言うのが、おかしくてならなかった。だが、不思議なもので、実行すると靄が晴れるように心身が落ち着いてくる。
今、この父を説得するのは無理だ。ならば、皮肉のひとつくらい言って、撤退してやろう。
冷静になったシュツェルツは静かな目で父を見つめた。
「父上は、ロゼッテ博士の何を恐れておいでなのです?」
「……何?」
「もしや、あのことが原因でございますか? ロゼッテ博士にはなんの非もないではございませぬか」
言葉を発しているうちに、今度は静かな怒りが込み上げてきた。
「あれは、父上が──」
「ですぎたことを申すな!」
父の一喝を、シュツェルツは冷ややかな目で受け止めた。
(ふん、自分に都合の悪い話が出ると、すぐにこれだ)
こちらを睨めつけながら、父が付け加える。
「そちは年々、薄気味悪くなるな。アルトゥルが生きていれば、どんなによかったか……」
それは、二年前に死んだ兄の名だった。
子どもの時分だったら、心を深く切り裂かれていたであろう言葉。しかし、その言葉は、今のシュツェルツには毛ほどの傷もつけることができなかった。
謁見の潮時だと判断し、シュツェルツは再びお辞儀をする。
「では、わたしはこれにて失礼致します。拝謁の機会を賜り、ありがとうございました」
シュツェルツは父の顔を見ずに、「ウィタセスの間」を辞した。
(やはり、正攻法では無理か……)
となれば、アウリールに何か手柄を立てさせる必要がある。
彼を嫌っている父さえもねじ伏せられるような手柄を。
*
廊下に出ると、「ウィタセスの間」の扉が警衛の近衛騎士によって閉められる音とともに、窓から差し込む光が目に入った。
もろに光を浴び、眩しさに目を閉じかけたシュツェルツを、春の日差しのように柔らかな声が出迎える。
「殿下、お疲れ様でございます」
「アウリール」
「ウィタセスの間」の隣にある控えの間で待っているはずのアウリールが現れたので、シュツェルツは軽く目を見張った。アウリールの隣では、エリファレットがほのかな笑みを浮かべてたたずんでいる。
アウリールはシュツェルツの傍まで近づいてきた。
「もうそろそろ、殿下の堪忍袋の緒が切れる頃だと思いまして、早めに控えの間から出て参りました」
「……そこまで怒りっぽくないよ。わたしは」
アウリールには全てお見通しらしい。にっこり笑うと、若草色の目でシュツェルツを見上げる。ほんの少し前までは、アウリールのほうが背が高かったのに、今ではすっかり身長は逆転してしまった。
「それで、首尾はいかがでしたか?」
「もう分かっているんだろう? 今回もダメだったよ」
「わたしは秘書官の地位など、欲しくはございませんよ」
あまりにもさらりと言われた台詞に、シュツェルツははっとした。
もしかすると、それはシュツェルツを気遣って発せられた言葉だったのかもしれない。けれども、アウリールは以前、言っていたのだ。いつか、無医村の故郷に帰り、医院を開業するのが夢なのです、と。
本来、出世に興味がなく、侍医になるつもりもなかったアウリールなら、ささいなことがきっかけで、古くからの夢に心惹かれても不思議はない。
幼い頃から傍にいてくれたアウリールが自分の元を去るなど、シュツェルツには考えられない。考えようとしただけで、指先が強張り、身内が空虚になるような気がする。
シュツェルツは真剣な目をアウリールに向けた。
「アウリールは故郷に帰りたいの?」
「どうなさったのです。藪から棒に」
「いや……ついに、宮廷に嫌気が差したのかと思って」
「これくらいで嫌気が差すようなら、とっくの昔に侍医を辞しておりますよ。それに……」
「それに?」
「今のままでは、殿下の行く末が心配で、故郷に帰るなど、とてもとても」
シュツェルツは心から胸を撫で下ろした。




