第十八話 運命神とのお茶会
アウリールにお茶に誘われたその翌日の午後、ロスヴィータは彼と向かい合って座っていた。場所は、侍従をはじめとした男性の廷臣用の食堂である。本来なら、ロスヴィータは女官用の食堂を使うべきなのだが、問題がないよう、アウリールが手配してくれた。
贅を尽くしたシュツェルツ専用の食堂に慣れてしまうと、幾分こぢんまりとしているように感じられるが、今日はロスヴィータとアウリールしかいなかった。
給仕が香草茶を二人分、運んできてくれた。ロスヴィータの分はアプリコット、アウリールの分はローズヒップだ。おいしそうなクッキーやマカロンも運ばれてくる。
しばらくの間、茶碗を持ち上げ、ローズヒップの香気を味わっていたアウリールが口火を切る。
「お仕事には、もう慣れましたか?」
「はい。まだ失敗することもありますが、よい上役と先輩に恵まれましたので……」
「首席私室女官のオスティア侯爵夫人は、お厳しい方だと伺っておりますが」
ロスヴィータは慌てて否定する。
「そういう面もあられますが、お人柄を深く知るようになるにつれて、思いやりのある方だということが分かって参りましたの」
「そうですか。あなたは物事の表面だけに惑わされない方なのですね」
珍しく性格を褒められてロスヴィータがはにかんでいると、アウリールは身を乗り出し、囁くように言った。
「では、シュツェルツ殿下のことは、どう思っていらっしゃいますか?」
質問内容と、ひそめられた色気のある声に、ロスヴィータはどぎまぎした。
「ええ……!? そうですね……様々な面をお持ちのお方だと思います」
「と、おっしゃいますと?」
ロスヴィータは言葉を選びながら答える。
「型にはまらなかったり、意外にお強くて頼りになったり、こちらのことを常に気にかけて下さったり……変化に富みすぎて、正直わたくしでは把握しきれません」
「なるほど。あなたの目には、殿下がそういう風に映っていらっしゃるのですね。では、女性として、殿下をどう思われますか?」
そう訊かれたとたん、心臓が大きく跳ねた。
「え……」
アウリールはにっこり笑うと、香草茶に口をつけた。
「それはともかく、ロスヴィータ嬢は、どうして女官になられたのです? あなたほどのご令嬢ならば、よりよいご結婚のための行儀見習いを目的として、出仕なさる必要性も低いでしょう?」
また唐突に変わる話題と質問内容に、ロスヴィータは目を白黒させた。
「わたくしはただ、結婚までに一度は働いて、世間を知りたかっただけで……」
アウリールの笑みが深くなる。
「お父君は、あなたのご結婚相手を、どなたになさるおつもりですか?」
言葉に詰まりながら、ロスヴィータは悟った。自分が罠におびき寄せられたことを。
アウリールはほほえんだ。性別を持たぬ運命神ロサシェートが、悪しき未来を告げる時は、きっと、このような表情なのだろうな……と思えるような美しい笑みだった。
「わたしは賛成ですよ。あなたと殿下とのご結婚をね」
ロスヴィータは今更ながら、周りに誰かの目がないかをきょろきょろと確認する。アウリールはお茶請けのクッキーをつまみながら、何気なく言った。
「大丈夫ですよ。人払いはしてありますから」
なんという周到さだ。この人だけは敵に回したくない、とロスヴィータは戦慄した。
これだけ頭の切れるアウリールを相手取るのは無理かもしれなかったが、ロスヴィータは反論を試みることにした。
シュツェルツは自分との婚約を否定していたが、何せアウリールは彼にとって、絶大な影響力を持っている。このままでは、シュツェルツとの結婚に着々と近づいてしまうかもしれない。
「そんな……わたくしが殿下と結婚など、恐れ多いことでございます……」
「筆頭公爵にして大法官のご令嬢ならば、殿下と十分に釣り合いが取れるかと思いますが」
あっさりと一蹴されてしまい、ロスヴィータは切り札を使うことにした。
「殿下は、わたくしとご結婚なさる気はないと仰せになりました」
アウリールは真顔になった。そういう約束がロスヴィータとシュツェルツの間に交わされていたとは知らなかったらしい。が、それも一瞬のことで、すぐに自信ありげな笑顔に戻る。
「なに、そうおっしゃることができるのも、今のうちだけです。賭けてもよろしいですが、二、三年後には、必ず状況が変わりますよ」
自分が大人になれば、年上好みのシュツェルツも態度を変えるということだろうか。
そう考えた時、ロスヴィータはふわりとした期待感に似たものを覚え、はっとした。そんなことを思ってしまった自分に戸惑いを覚え、思考を正常に戻そうと、ぬるくなった香草茶を一口飲む。
「ふたつだけお聞かせ下さい」
「なんなりと」
「まず、ひとつ目の質問ですが、父がわたくしと……その、殿下とのご結婚を考えているということは、宮廷では一体どれくらいの方がご存知なのでしょう?」
「よほど鈍い者でない限り、ほとんどが感づいていると思いますよ。宮廷とは様々な目論見が絡み合って動く場所ですから」
既に気づいていたと判明しているシュツェルツを除くと、早くから自分の意図を察知していたらしいオスティア侯爵夫人なら、正解に辿り着いていたとしても、おかしくはないと思っていた。
だが、まさか、そんなに大勢の人が父の思惑を知っていたとは。
ロスヴィータの頬は、恥ずかしさに熱くなった。頬の熱さを振り払うために、香草茶をもう一口飲む。
「ふたつ目の質問ですが……なぜ、わたくしが殿下に相応しいと思われますの? 殿下は色々な女性とお付き合いしておいでのようですし、それこそ、どんなご令嬢や他国の姫君でも、選び放題でしょう」
「だからこそですよ」
アウリールの口調が、にわかに深刻味を帯びた。
「わたしは、殿下の女性好きが酷くなるのを見るにつけ、あのお方は早く御身を固められるべきだ、と思うようになりました。単にお支えすることなら、わたしなどにもできますが……殿下には、きっと、守るべきものがご必要なのです」
アウリールの表情が緩む。
「ロスヴィータ嬢、あなたのご身分とご容姿は申し分なく殿下に相応しいですし、お父君の生真面目なお人柄から察するに、きちんとお妃教育も受けていらっしゃるのでしょう?」
「それは……まあ」
十二歳で出仕するまで受けてきた、泣きたくなるほど厳しいお妃教育を否定することは、どうしてもできなかった。
アウリールは遠くを見る目をした。
「以前、わたしは、シーラムのレオニス女公こそ、殿下に相応しいと考えておりました。ですが、あなたもご存知の通り、あの方は別の男性を選んでしまわれた……」
「それは、殿下がレオニス女公をお好きだったということですの?」
考えるより先に訊いてしまい、ロスヴィータは口元を押さえた。
「お気になりますか?」
そう尋ねてくるアウリールの表情は、今までの裏がありそうな笑顔とは違い、とても優しかった。
ロスヴィータは何も答えられなかった。シュツェルツが過去に誰を好きだったかなんて、どうでもいいはずなのに……。
アウリールは穏やかな声と表情で続けた。
「あなたのご気性も好ましいと、わたしは思っております。あなたは殿下に対して物怖じなさらないですし、あのお方もそんなあなたを当然のように受け止めておいでです」
自分は今、シュツェルツのことをどう思っているのだろう。
ロスヴィータは霧の中にいるような気分で、次の言葉を探した。
「ですが、わたくしは……」
何を言うべきか分からないでいると、アウリールが微笑した。
「だいぶ、困らせてしまったようですね。もちろん、今すぐに答えを出して欲しいと申し上げているわけではありませんよ。ただ、少しでもお考えになっておいて欲しいのです。あなたが恋をなさり、大人になられる前に」
アウリールは静かにそう言うと、残った香草茶を飲み干した。




