第十六話 自称「兄」対お兄さま
懸案事項も解決し、「光溢祭」とともに年が明け、「神送りの儀」も終わった。なんの思い煩いもなく、ロスヴィータはゆったりとした気分で新年を過ごせるはずだった……のだが。
「ロスヴィータ、お昼を一緒に摂らないかい?」
休憩時間に、詰め所でティルデとおしゃべりをしていると、シュツェルツが現れた。
また来た……と思いつつ、ロスヴィータに断ることなどできるはずがない。臣下の自分には選択権がないという事情もあるが、シュツェルツは本来の食事やお茶の時間をずらしてまで、こちらを誘ってくれるのだ。
そういう気配りができるところは、さすが遊び人というべきか。
しかも、シュツェルツは自分に恋愛感情を持っていないばかりか、婚約しないことを確約してくれたのだ。彼と親しくなっても、問題はないはずである。
どうも彼は、大晦日のあの事件以来、ロスヴィータを「妹」扱いすることに目覚めてしまったらしい。こうして自分の居場所を突き止めては、食事やお茶に誘ってくる。
シュツェルツに特別扱いされることで、持ち場が違うとはいえ、他の女官たちからやっかまれるのではないかと心配もしたのだが、ティルデはもちろん、オスティア侯爵夫人や王妃マルガレーテ付きの女官たちも何も言ってはこなかった。
こういう時は、実家の威光をありがたく思わずにはいられない。
(それに──)
──よいところが分かっているのなら、もう少し、殿下のことを知ってみたら?
姉が口にしたあの言葉が、シュツェルツを前にしていない時でも、しきりに思い出されるのだ。
不思議なものだ。もう、シュツェルツと婚約しなければならない、という状況ではなくなったというのに。
まあ、期限づきの宮仕えとはいえ、主君のことをより深く知るのも、悪いことではないだろう。
そして、それとは別に、ロスヴィータにはもうひとつの目的ができた。
十七歳の誕生日までに、好きな人を見つけて、婚約に漕ぎ着ける、という目的だ。
ただ、密かな悩みもある。
恋をしたことのないロスヴィータは、異性を好きになるということがどういうものなのか、いまいちピンとこないのだ。
恋愛小説でも読み漁ったほうがよいのだろうか。恋多きシュツェルツのことを知るにつれて、恋愛とはなんなのかが分かってくるといいのだが。
期限は、約四年弱。決して短い期間ではないが、うかうかしていられない。
決意を新たにしたロスヴィータは、ティルデに断りを入れると、椅子から立ち上がった。
「陪席にあずかり光栄でございます。……ですが、たまには意中の方とお食事をなさってはいかがですの? きっと、寂しがっていらっしゃいますよ」
「大丈夫。今は恋人募集中だから。それに、この二人がいる場に、恋人は連れていけないよ。甘い雰囲気が台無しになるからね」
シュツェルツはウィンクしたあとで、うしろを振り返る。
そこには、アウリールとエリファレットがたたずんでいた。
ロスヴィータも最近になって知ったのだが、シュツェルツの食事やお茶には、決まって彼らが同席するのだ。シュツェルツはそれをごく自然なことと捉えているらしく、いつも和やかに二人と会話している。
シュツェルツは、たまにマルガレーテとも食卓を囲むらしいが、最近、具合の悪い彼女に気を遣って、もっぱらアウリールたちと食事を摂っているようだ。
もしや、その一員に自分も加えられつつあるのだろうか。
ロスヴィータは、仕方なくシュツェルツのあとをついて部屋を出た。最後尾は、護衛役も務めるエリファレットだ。
シュツェルツ専用の食堂を目指し、四人で廊下を歩いていると、向こうからツァハリーアスがやってくるのが見えた。
ロスヴィータとシュツェルツが一緒にいるところを見たからだろうか、ツァハリーアスの片眉が跳ね上がる。シュツェルツが、若干面倒そうな声をツァハリーアスにかけた。
「ご機嫌よう、ゲヌア侯。少し妹君をお借りする。それでは」
ゲヌア侯というのは、ベティカ公家の嫡子であるツァハリーアスが、爵位を継ぐまで名乗ることを許されている儀礼称号だ。マレでは嫡男に限り、当主が持つ二番目の爵位を、儀礼称号として使うことができるのである。
立ち去ろうとしたシュツェルツに、よせばいいのにツァハリーアスは鋭い視線を向けた。
「いつから女性のお好みがお変わりになったのですか?」
シュツェルツは振り返ると、これまた突き刺すような眼光でツァハリーアスを射る。
「そんな風にしか物事を見られないとは……想像力が乏しい証拠だな」
シュツェルツと親しく言葉を交わすようになって気づいたことがある。彼は距離を置いている男性の臣下と口を利く時は、いかにも王族らしい物言いをするのだ。
いや、この場合、単に距離を置いているというより、ツァハリーアスのことをいけ好かなく感じているのではないだろうか。
シュツェルツと火花を散らしながら、ツァハリーアスが意地悪く尋ねる。
「では、なぜ、妹をお連れ回しになるのです? 最近、噂になっておりますよ。王太子殿下が年上好みをおやめになって、ベティカ公爵令嬢にご執心だと」
それはまずい。父に付け入る隙を与えてしまう。ロスヴィータは内心で焦った。
対するシュツェルツは鼻で笑った。
「わたしは彼女の世話を焼いているだけだ。何せ、実の兄君が頼りないからな」
「余計なお世話ですよ。ローズィの兄は、わたし一人で十分です」
「よく言う。ロスヴィータの宮廷での働きぶりも知らないくせに」
「存じておりますよ。殿下こそ、家での妹の様子をご存知ないくせに、偉そうなことをおっしゃるのはやめていただきたい」
「おや、人間の意外な本性は、仕事にこそ現れるものだが」
「家での姿が、本物のローズィです!」
ロスヴィータは赤面して耳を塞ぎたくなった。なんなのだろう、この大人気ない言い争いは。しかも、論争の種は他ならぬ自分なのだ。恥ずかしいにもほどがある。
息を吸い込むと、ロスヴィータはあらん限りの大声を出した。
「お二人とも! おやめ下さい!」
二人は舌鋒を交えるのをやめ、同時にロスヴィータを見た。ロスヴィータは二人を睨みつける。
「議論の的になるわたくしの身にもなって下さいませ! しかも廊下で! 恥ずかしいです!」
「……悪かった、ローズィ」
ツァハリーアスがしょんぼりすると、シュツェルツもこちらと目を合わせてすまなそうな顔をした。
「ごめん、ロスヴィータ。確かに君の気持ちを考えていなかった」
「お二人とも分かっていただけたのなら、よろしいのです」
とりあえずの結果に、ロスヴィータはほっとし、満足する。
今まで沈黙していたアウリールが、ロスヴィータと並ぶように、すっと前に進み出た。
「いかがでしょう、ゲヌア侯も殿下との昼食に同席なさっては? そうなされば、妹君が普段、どのようなご様子で殿下とお食事を摂られているか、お分かりになりますしね。料理の数が増えることについては、わたしから給仕に申しつけておきますので」
綺麗な笑顔で提案され、ツァハリーアスも断る術を失ったようだ。「別に構いませんが……」と返答する。
こうして、相性最悪の二人が同席する昼食が、セッティングされることになったのだった。




