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お雇い令嬢は恋多き王太子との婚約を望む  作者: 畑中希月
第二章 なぜか「妹」に

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第十四話 父との喧嘩

 ロスヴィータにとって、勝負の年末が訪れた。


 マレの国教である拝光教には、「神降節しんこうせつ」というシーズンがある。神界におわす神々が地上に降りてきてしばらく留まるという期間で、十二月二十一日から新年の一月四日まで続く。


 大晦日だけは別だが、その間は宮廷でも、廷臣たちに代わる代わる休暇を取らせることになっていた。ロスヴィータも、二十一日から五日間だけ休暇をもらう。


 その間に、父を説得するのだ。説得の算段は、この一か月強で考え抜いてある。しかし、長い間、政治家として海千山千の政敵たちと渡り合ってきた父を説き伏せられるかどうかは、いまいち自信がなかった。


 ティルデにしばしの別れを告げたロスヴィータは、実家から迎えにきた馬車に乗り込んだ。

 馬車に揺られながらぼんやりと考えていたのは、父に勝つための段取りではなく、これから帰省すると伝え、挨拶をした時に見た、シュツェルツの姿だった。


 ──気をつけてね。ゆっくりしておいで。


 シュツェルツにしては月並みな言葉だったが、そのせいだろうか。かえってロスヴィータの心に残ったのだ。

 窓外の冬景色が過ぎ去っていく様を、見るともなく眺める。すっかり落葉し、静かにたたずむ街路樹が並んでいる光景は、物寂しかった。


 やがて、馬車が停まり、いつの間にか生家に到着していたことにロスヴィータは気づいた。


(……わたくし、何を考えているのかしら。これから、殿下との婚約は諦めるよう、お父さまを説得しなければならないのに……)


 門番によって鉄の門扉が開かれる。馬車は長い石畳を進むと、車寄せで停まった。


「お帰りなさませ、ローズィお嬢さま」


 従僕に手を取られ、ロスヴィータは馬車から降りる。他にも、執事や侍女たちが車寄せで出迎えてくれた。

 ロスヴィータは、久し振りに会う彼らに笑みをこぼす。


「ただいま帰ったわ。みんなも元気にしていて?」


「はい、それはもう。イザベレお嬢さまもお帰りになっておいでですよ。奥さま方とご一緒に、居間にいらっしゃるかと存じます」


 執事の言葉に、ロスヴィータは顔を輝かせた。


「まあ、お姉さまが? さっそくお会いしてくるわ!」


 従僕が扉を開けてくれたので、ロスヴィータはお礼を言って、弾む足取りで玄関広間に入る。廊下を走り、居間に駆け込むと、母と妹とともに長椅子に座っていた姉のイザベレが立ち上がった。

 姉は結婚してからというもの、落ち着きが増した。そのせいか、元来の美しさが匂い立つようだ。


「ローズィ、久し振りね! よく顔を見せてちょうだい」


「はい」


「すっかり大人らしくなって……やっぱり、宮仕えを始めたからなのかしらね」


「そうかしら……自分では分からないけれど……」 


 照れながらロスヴィータはイザベレと抱擁を交わし、顔を上げた。


「今日はお義兄にいさまはご一緒ではないのですか?」


「あの方は今、お父さまとお話し中。午後になったら、いつも通り、みんなで『神迎えの儀』に出発する予定よ。大神殿であちらの家族と合流するの」


「神迎えの儀」とは、「神降節」の一日目に、地域を問わず各神殿で行われる、神々を迎えるための儀式のことだ。対になる儀式として、新年の一月四日に行われる「神送りの儀」がある。


 その両日には、拝光教の信徒であるマレ国民は身分を問わず、家族で連れ立って神殿におもむき、儀式に参列するのだ。普段は忙しい父や兄も、今日は休暇を取る習わしがあるくらいだ。


 十八歳の姉、イザベレはマレの公爵家に嫁いだが、家格がベティカ公家より下のため、義兄は舅である父にとても気を遣っている。その上、義兄は姉を大切にしてくれるので、夫婦仲もよい。父が決めたにしては、本当に素晴らしい縁組だ。


「ローズィお姉さま! イザベレお姉さまとばっかりお話しになって!」


 七歳の妹、ザビーネが頬を膨らませている。


「あらあら……ごめんなさいね」


 ロスヴィータが抱擁すると、ザビーネは機嫌を直したようだ。


「ねえ、お姉さま! 王太子殿下とは、いつご婚約なさるの?」


 悪意の欠片も見当たらないだけにたちの悪いザビーネの問いかけに、ロスヴィータは顔を引きつらせそうになった。


「……ザビーネ、確かにわたくしは王太子殿下付きの衣装係になったけれど、別に殿下とは特別な関係ではないのよ?」


「えー、どうしてですか? だって、こんなにお綺麗なローズィお姉さまを、王太子殿下が放っておかれるはずがないのに。殿下って、レンアイがお好きなんでしょう?」


 ロスヴィータは頭を抱えたくなった。シュツェルツが女好きだという噂は、ザビーネの耳にも届いているらしい。もしかして、お母さまが教えたのでは? と、恨みがましい目を向けると、母はのほほんとしてこちらを見守っている。

 膠着した状態の中、ロスヴィータにとっての救いの神が降臨した。


「ローズィ、お前も帰ってきていたんだな。俺より先に、女性陣にご挨拶か?」


 扉を開けて現れたツァハリーアスが、少しむくれたふりをして近づいてきた。ロスヴィータはすかさず言い返す。


「あら、お兄さまとは、頻繁に王宮でお会いしておりますもの。でも、お姉さまやザビーネとは、そんなに会えないんですからね」


「分かった分かった」


 ツァハリーアスが両手を挙げて降参した時、父と義兄が連れ立って居間に入ってきた。

 父の姿を目にし、ロスヴィータの背筋を緊張が駆け抜けた。周りに気取られないように深呼吸をすると、父の前に進み出る。


「お父さま、お義兄さまとのお話は、もう終わりましたの?」


 長身の父は、母がすっかり惚れ込んでいることが頷けるような美丈夫振りを、四十路になった今でも保っている。少し白いものが交じり始めた黒髪を短く切り揃えており、髭は生やしていないが、眼光が鋭く、マレの大法官にしてこの家の当主らしい威厳がある。

 父は紺色の目をロスヴィータに向けた。


「何か用でもあるのか?」


 父は宮廷でロスヴィータとたまたま出くわすことはあっても、兄のように自ら面会にくるようなことはない。だからこそ、せめて他に、何かしら言葉をかけてくれてもよいのではないかしら、と思うのは、わがままだろうか。

 ロスヴィータは表面上は落ち着き払って、次の言葉を紡いだ。


「はい。わたくしの将来に関することで、お父さまに大切なお話が」


「……ついてこい」


 ロスヴィータは父について居間を出た。螺旋階段を上り、向かった先は、父の書斎だった。

 書斎といっても、図書室のような大きな部屋で、本棚の手前に談話用のテーブルと椅子が置かれている。家族やごく親しい者と対話する時、父はこの部屋を使うのだ。

 父は椅子に腰かけたあとで、向かいの席をロスヴィータに指し示した。


「将来に関することというのは、王太子殿下にかかわる話か?」


 ロスヴィータは勧められた通り、着席する。


「はい」


「殿下は、お前を気にかけて下さるか? シーラムでは、誘拐犯から助けていただいたそうだな。まったく、殿下には、いくら感謝してもしきれぬ」


 やはり、父はシュツェルツに近づける目的で、自分を王太子付きの衣装係にねじ込んだのだ。


 自分が家を更に発展させるための駒でしかないことが、言い表せないくらい悔しかったけれど、ロスヴィータは怒りをぐっとこらえた。


「最初に申し上げておきますが、わたくしは、お父さまの意に沿うつもりはございません」


 父は片眉を跳ね上げた。性格はまるで違うが、こういう表情は兄によく似ている。


「ほう。それはなぜだ?」


 ロスヴィータは、理由を父に伝えることにした。もちろん、シュツェルツへの敬意は損なわないように。


「お父さまも、宮廷にいらっしゃるならご存知でしょう? 殿下は一人の女性の隣に納まるようなお方ではございません。今のままでは、二人も三人もご必要でしょう」


「それほど自信がないのか? わたしはお前を、他の女性の追随を許さぬような娘に育ててきたつもりだが」


 そうやって父は、遊ぶ暇も与えられないほどの厳しいお妃教育を課してきたのだ。

 いつも兄や姉妹たちが授業やお稽古の合間に戯れる様子や、使用人の子どもたちが庭で自由に追いかけっこをしている様子を、自分がどんな気持ちで眺めていたかなんて、考えもしなかったに違いない。


 ロスヴィータは、膝の上に置いた手を、ぎゅっと握り締めた。奥の手を出す時がきたようだ。


「では、殿下と結婚した場合、わたくしに男児が授からないとしたら?」


 これにはさすがに、父の表情が怪訝けげんそうなものに変わる。


「どういうことだ?」


「テオフラストゥスという、王妃陛下お抱え占い師の弟子が申しておりました。殿下と結婚しても、わたくしが産むのは女児だけだと。そうなれば、ことはわたくしだけの問題ではございません。もし、そんな状況で側妾が男児を産めば──」


 ロスヴィータは言葉を続けるのをやめた。父の目が、冷たく光っていたからだ。


「ローズィ、お前は占いで自分の将来を決めるのか」


 気後れしながらも、ロスヴィータは反論した。


「具体的な占い結果だったゆえ、無視できないと申し上げているだけです」


「わたしはお前を、そのような主体性のない娘に育てた覚えはない」


 自分を否定されたようで、ロスヴィータは胸が切り裂かれるような痛みを覚えた。


「……殿下だって、あの占い結果を申し上げれば、わたくしをお妃になさりたいなどとはお考えにならないでしょう」


「あのお方は占いなどに、決して惑わされぬよ。殿下は十四、五歳の頃には、既にそういうお強さがあられた。それに比べてお前はどうだ? 女官を辞めて、一からお妃教育をやり直せ!」


 父は怒鳴ったわけではなかったが、その怒りのこもった声は、ロスヴィータの心を押し潰した。

 無言で立ち上がると、ロスヴィータは書斎を駆け足で出ていった。


     *


 ロスヴィータは久し振りに戻った自室の鍵を固く閉めると、天蓋付きの寝台の上にうずくまった。


 あんな風に叱らなくてもいいではないかという父への恨み、今まで辛い思いをして受けてきたお妃教育の全てが無駄になってしまったような思い、女官を辞めろ、と言われたことへの怒りがない交ぜになって、ロスヴィータの心をぐちゃぐちゃに掻き乱していた。


 何より、説得が失敗したことよりも、父が娘の自分よりもシュツェルツを評価しているという事実のほうが、遥かにロスヴィータを傷つけていた。

 部屋に籠もってしばらくすると、遠慮がちなノックの音が虚ろな部屋に響いた。


「……ローズィ、そろそろ支度をしないと、『神迎えの儀』に間に合わなくなるぞ」


 ツァハリーアスの声だった。ロスヴィータは扉の前まで力なく歩いていくと、小さな声で返事をした。


「……わたくしは参りません。お父さまと顔を合わせたくないのです」


「ローズィ……」


 ツァハリーアスの呟きにかぶさるように、もうひとつの声がした。


「ローズィ、わたくしよ。部屋に入れてちょうだい」


「お姉さま……」


 ためらいながら、ロスヴィータは鍵を開けた。開いた扉の隙間からイザベレの顔が覗いた瞬間、張り詰めていたものが緩んだ。目に涙が滲み、視界がぼやける。


「ツァハは、ここで待っていてちょうだい」


 言いおいてから部屋に入ると、イザベレは椅子にロスヴィータを座らせた。


「お父さまとはどんなお話をしたの? わたくしに話せば、少しは楽になるかもしれないわ」


 促され、ロスヴィータはぽつりぽつりと先ほどの出来事を語り始めた。イザベレは優しく相槌を打ちながら、話を聴いてくれた。


「そう……。そんなことがあったの。お父さまもお厳しいわよね。……ところで、ローズィは王太子殿下のことが嫌いなの?」


 ロスヴィータはうつむいた。


「そういうわけでは……。助けていただいたこともありますし、それに、お優しいお方だから……」


「よいところが分かっているのなら、もう少し、殿下のことを知ってみたら?」


「殿下の……ことを?」


「そう。だって、考えてもごらんなさい。お父さまがあなたを不幸にするような縁談を勧めるはずがないわ。わたくしも、婚約前に占いをしてもらったでしょう?」


 本当にそうだろうか、と思ったが、ロスヴィータはイザベレの確認に対して頷く。


「はい」


「占い師には『夫婦になるなら、どんな相手とでも苦労はつきものです』と言われてしまったわ。でも、今はとっても幸せ。もちろん、子どもを授からなかったらどうしようという不安はあるけれどね。だから、悲観しないで、元気を出して」


(殿下のことを、知る……)


 そういえば、自分は積極的にシュツェルツを理解しようと努めたことはなかった。そればかりか、いつも彼に与えてもらうばかりで、何かを返したことすらなかったように思う。

 相変わらず父と会うことには抵抗があったが、姉の優しい笑顔を見ていると、凍りつき、縮こまっていた心が解けていくようだった。


 もう少しだけ、頑張ってみよう。


「……お姉さま、ありがとうございました」


 礼を言ったあとで、ロスヴィータは卓上のベルを鳴らした。しばらくすると、侍女たちが現れる。


「お呼びでしょうか、ローズィお嬢さま」


「『神迎えの儀』に行くわ。わたくしの身だしなみの確認をしてちょうだい。それと、お化粧を直して欲しいの」


 指示を出し始めたロスヴィータを、イザベレはにこやかに見守っていた。

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