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お雇い令嬢は恋多き王太子との婚約を望む  作者: 畑中希月
第一章 王太子殿下は女好き

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第十話 結婚式のパレード

 船の帆が大きな音を立てて風を孕む。長大な甲板に立ったロスヴィータは飽きることなく、青い空に溶けてしまいそうな紺碧の海原を眺めていた。


 船の旅が始まって二日目の午前。船酔いが酷いティルデは、船室で休んでいるが、幸いロスヴィータは平気なたちらしく、こうして甲板の縁で船の揺れさえも楽しんでいる。この場に母がいたら、「日焼けをしてしまうから、部屋に戻りなさい!」と言うのだろうけれど。


 それにしても、海上貿易が盛んな港街のステラエで育ったのに、今まで船に乗ったことがなかったなんて、不思議なものだ。自分がとても損をしていたような気がして、ロスヴィータは食い入るように海を見つめた。

 船にぶつかった波濤はとうが、太陽の光を浴びて輝いている。


(とても綺麗……)


「何か、おもしろい魚でもいるのかい?」


 突然の声に振り返ると、シュツェルツが立っていた。彼も船酔いとは無縁な体質のようで、悠然と歩いてくる。

 少し離れた場所には、エリファレットがたたずんでいる。シュツェルツを護衛しているのだろう。

 シュツェルツが隣に並んだので、ロスヴィータは少しどぎまぎした。兄以外の若い男性に、こんなに近づかれたことはない。


「……そういうわけではないのですけれど、ただ、船旅が初めてなもので、物珍しいのです」


「不思議だよね」


「え?」


「ステラエからでも海は見られるだろう? だけど、船旅に出ると、陸から見た時とは、海がまるで違って見えるんだから。きらきらしている、というか……」


 自分が思っていたことと同じような感想をシュツェルツが口にしたので、ロスヴィータは驚いて彼を見上げる。


「どうして、船旅に出ると、海が綺麗に見えるのでしょう?」


 思わず、口から出た質問だった。


「そうだなあ……」


 シュツェルツは上を向いて考え込む。


「船旅に出たことによる高揚感が一番の理由だろうね。海の恐ろしさを知っている船乗りと違って、わたしたちは機嫌のいい海しか知らないわけだから。それに……」


 シュツェルツは、わずかに下を向く。


「わたしの場合は、解放されたからかもしれない」


 過去を見ているような瞳で、シュツェルツは呟くように言った。

 ロスヴィータはどきりとした。

 シュツェルツがどうしてそんなことを言ったのかは分からないが、旅に出ることで憂鬱な未来から解放されたような気がしていたのは、自分も同じだったからだ。


 それに今、目の前の立っているシュツェルツは、自分の知る陽気で軽薄な彼とは別人に見えた。

 戸惑いが顔に出てしまっていたのだろうか。シュツェルツはこちらを見ると、笑みを浮かべた。


「ところで、日焼け止めは塗った? 季節柄、甲板の日差しは結構きついよ」


 軽い調子で忠告してくる彼は、もういつもの王太子の顔に戻っていた。


「殿下、少々お話が」


 うしろから声がかかった。今さっき船室から出てきたらしく、アウリールが立っている。

 シュツェルツの顔がぱっと明るくなった。


「分かった。すぐ行くよ。じゃあね、ロスヴィータ」


 シュツェルツとアウリールは特に構えた様子もなく、何事か話し合いながら、船室へと向かっていった。

 この様子を見ると、二人はどうやら仲直りできたらしい。他人事ながら、ロスヴィータはなんだかほっとしてしまった。


     *


 天候に恵まれた船旅は順調に進み、結婚式の三日前には、シュツェルツ一行はシーラムの王都ターリスに到着した。王宮に用意された部屋で旅の疲れを休めたロスヴィータは、身に満ちるような緊張とともに式当日を待った。


 シュツェルツの予想通り、シーラム側は女官のロスヴィータにも、二人部屋ではあったが、素晴らしい客室を用意してくれていた。ティルデと同室になれたので、むしろ嬉しいくらいだ。

 生まれて初めての二人部屋を楽しんでいたロスヴィータは、王宮に宿泊するうちに、マレとシーラムの文化の違いを見聞きすることになった。


 シーラムはマレとは違い、女性でも国王や騎士になれると知ってはいた。けれど、一番驚愕したのは、この国では基本的に、女官は女王や女性王族にしかお仕えしない、という慣習だ。


 王妃が亡くなり、国王のいとこ姪に当たるレオニス女公マルヴィナが王宮に呼び寄せられるまでの間は、一時的に女官のほとんどが引退したらしい。さらに、残った女官も女性客の応対など、事務的な仕事しかしていなかったそうだ──とシュツェルツから聞いた時は、本当にびっくりしてしまった。


 国王にのみ側妾が認められるマレとは違い、一夫一婦制を取るシーラムでは、女官が国王や男性王族にお仕えするなど、あってはならないことなのだ。とはいえ、歴代の国王が王妃付きの女官を愛妾にした例は、そう珍しくもないそうなのだが。


 ただ、マレでは側妾が産んだ国王の子は、王子や王女として公に認められるが、シーラムでは王の愛妾が子を産んでも、その子はあくまで臣籍という扱いになるらしい。


「マレでは昔、王室に男児が生まれなくなった上に、戦争で男性王族が激減したという悪条件が重なって側妾制が採用された、近隣諸国でも珍しい制度の国だからね。他国から見れば、我々のほうが異質なんだよ」


 シュツェルツの口から語られる両国の文化の違いに、ロスヴィータは強い衝撃を受けた。世界は自分が思っていたよりも遥かに広いのだ。そんなロスヴィータを、シュツェルツはおもしろそうに眺めていた。


 シーラム行きにお供してからというもの、ロスヴィータがシュツェルツと話す機会は倍増した。シュツェルツのほうから声をかけてくるのだから仕方ない。彼に嫌われるどころか親しくなってどうする……とロスヴィータは内心で焦っていた。


(これでいいわけがないわ。即位なさったら、殿下は絶対に何人もの側妾をお迎えになるに決まっているもの!)


 対策を立てられないまま、日々は過ぎていった。

 そして、シーラムの次期女王、レオニス女公マルヴィナと、公爵令息フィラス・アスフォデルの結婚式当日。ロスヴィータはティルデとともに、シュツェルツの礼服や装身具を用意して侍従に手渡した。


 ロスヴィータとティルデはシュツェルツが宿泊している客室脇の廊下で、主君の着替えが終わるのを待った。この客室には、幻影宮にあるような衣装部屋がついていないのだ。


 やがて、シュツェルツが扉から姿を現わした。思った通り、黒い礼服は彼によく似合っている。装飾用の剣を腰にいた様は、まるで神話に登場する男神のようだ。

 シュツェルツに対する不満を一瞬だけ忘れ、ロスヴィータは彼に見とれた。

 ロスヴィータとティルデに向かい、シュツェルツが笑いかける。


「どう? 似合っているかな?」


「はい、とてもよくお似合いでございます」


 控えめな笑顔で答えるティルデを横目に、ロスヴィータはこう答えた。


「太陽神リュロイとは申しませんが、火神フラムスくらいなら……」


 リュロイは男神の中でも特に美しいとされている。対して、フラムスはその二番目くらいに美形の男神だ。要するに、そこそこ似合っていますという嫌味である。

 横に立つティルデが固まったのが分かる。ティルデにまで悪印象を与えたくはないが、こちらはシュツェルツに嫌われたくて必死なのだ。


「なるほど、フラムスねえ……まあ、いいんじゃないかな。リュロイは新郎のフィラスであるべきだ」


 シュツェルツは微笑とともにそう言い残すと、式の行われる王室拝殿へ向け、去っていった。

 今回も失敗に終わってしまったらしい。脱力感がロスヴィータを襲った。

 シュツェルツ付きの侍従や女官のための控え室で待機していると、ティルデが心配そうに声をかけてきた。


「ロスヴィータさま、どうなさったのですか? 先ほどのお言葉はあまり……」


 ロスヴィータは、がばっとティルデを見上げる。


「ごめんなさい、ティルデさま。障りがあって訳は申し上げられませんが、わたくし、どうしても殿下に嫌われたいのです!」


「ええ……!?」


 ティルデは困惑している。当然だ。

 二人とも黙り込んでしまい、気まずいままに時間は過ぎた。

 今頃、シュツェルツは華燭の典のただ中にいるのだろう。せっかく、今日はめでたい婚礼の日なのに、あんなことを私情に任せて言わなければよかった。


(結婚式のパレード、見たかったな……)


 結婚式のあとには、新郎新婦を乗せた馬車が市街をパレードする予定だ。シュツェルツにあまり応えた様子はなかったけれど、これでパレードを見送るお供に呼ばれる可能性はなくなったことに、ようやく気づく。


 ティルデもパレードを見たかっただろうに、彼女にも迷惑をかけてしまった。やっぱり連帯責任だろうか。どうしよう……。

 どうやってティルデに謝ろうか考え込んでいると、シュツェルツの侍従が控え室に現れた。


「お二人とも、拝殿までいらっしゃるようにと、殿下が仰せです」


 ロスヴィータとティルデは顔を見合わせた。侍従に急かされるままに、拝殿の扉まで歩いていく。両開きの白い豪奢な扉の前には、シュツェルツがエリファレットに護衛されながら待っていた。傍らにはアウリールも控えている。


「君たち、パレードを見たいだろう?」


 ロスヴィータとティルデは、そろそろと頷いた。シュツェルツは、うん、と頷き返す。


「わたしの供として、車寄せまで来なさい。そうすれば、新郎新婦が馬車で出発するところを見ることができる」


 ロスヴィータは恐る恐る問いかける。


「よ、よろしいのでございますの? ティルデ嬢はともかく、わたくしが……」


「どうして?」


 シュツェルツに訊き返され、ロスヴィータは二の句が継げなくなった。


「さあ、行くよ」


 シュツェルツに促され、ロスヴィータはティルデとともに、慌てて彼のうしろについていく。


 王宮の入り口にある車寄せに着くと、レオニス女公マルヴィナとフィラス・アスフォデルが王宮の外に現れた。二人ともまばゆい金髪の持ち主で、シュツェルツの言っていた通り、おとぎ話に出てくる王子さまとお姫さまのように綺麗だ。

 特に純白のドレスを纏ったレオニス女公は、月の女神ファルセーレもかくやという美しさで、とても幸せそうな笑顔だった。


 レオニス女公とフィラスの視線が、ふと交わる。二人は何を思ったのか、ほほえみ合った。

 ああ、あの方たちは、きっと心から望んだお相手と結婚できたのだ。

 そう思うと、ロスヴィータの胸は酷く締めつけられた。

 新郎新婦は、ファルセーレの化身である天馬の紋章が描かれた馬車に乗り込む。


 走り出した馬車を見送ったあとで、ロスヴィータはためらいながら、シュツェルツに切り出した。


「あの、殿下……ありがとうございます。……それに、申し訳ございませんでした。あのようなことを申し上げて……」


 シュツェルツは少し目を丸くしたが、すぐににっこり笑った。


「いいんだよ。気にしていないから。それよりも、いいのかい? わたしに嫌われなくて」


「え……?」


 もしかして、シュツェルツはオスティア侯爵夫人のように、とっくに感づいていたのだろうか。

 シュツェルツは笑みを深くすると、こちらに背を向ける。

 何と答えるべきだったのか分からないまま、ロスヴィータは、車寄せから王宮に入ろうとするシュツェルツのうしろ姿を、じっと見つめていた。

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