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お雇い令嬢は恋多き王太子との婚約を望む  作者: 畑中希月
第一章 王太子殿下は女好き
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第一話 最低最悪の婚約者(仮)

 目の前で、最悪の光景が繰り広げられている。


「あなた、殿下から離れなさいよ!」


「あなたこそ離れて下さらない!? 殿下はわたしのものなんですからね」


「違うわよ! 殿下はわたしのことを『好き』っておっしゃったのよ。あなたのことなんて眼中にないわ」


「嘘に決まっていますわ! 殿下はわたしのことこそ、本当に『好きだ』とおっしゃって下さったのです!」


 長い長い王宮の廊下で、今にも掴み合わんばかりに言い争う二人の若い女性たち。その真ん中には、一人の若者がたたずんでいた。遠目からでも秀でた容貌がよく分かる、すらりとした長身の若者だが、その端正な顔は引きつっている。まるで、顔中に「まずい!」と大きく書いてあるようだ。


「ふ、二人とも、ここはわたしの顔を立てて、そのくらいにしてくれない、かな?」


「殿下は黙っていらして!!」


 二人の女性に異口同音に怒鳴られて、若者は固まった。


「はい……」


 ロスヴィータと同じく、隣で立ち止まっていた兄が、端麗な顔に舌打ちしたげな表情を浮かべる。これ以上、妹の瞳に目の前の修羅場を映さないためだろう。ロスヴィータに背を向けて、すっと前に立つ。


「ローズィ、見るな。そして聞くな。目と耳が汚れる」


 兄は背が高いので、ロスヴィータの視界は、すっかりその背中に遮られてしまう。

 ロスヴィータは、先程から気にかかって仕方がなかった疑問を、恐る恐るではあるが、ついに口に出すことにした。


「……あの、お兄さま、『殿下』と呼ばれておいでということは、あの方がもしかして……」


 ちょっとした間があった。おそらくは、表情の動きを見られたくなかったのだろう。兄は振り向かずに応じる。


「──そうだ。あの方がシュツェルツ王太子殿下であらせられる」


 やはり、思った通りだ。この宮殿で「殿下」と呼称されているのは、王太子シュツェルツ・アルベルト・イグナーツただ一人。


(……女好きとは聞いていたけれど、まさか、二股をかけているなんて……!)


 目眩がした。

 なぜなら、ロスヴィータは、そのシュツェルツの妃──未来の王太子妃となるべく育てられてきたからだ。


 といっても、二人は許嫁同士ではない。それどころか、シュツェルツはロスヴィータの存在すら知らないだろう。まだ十二歳のロスヴィータは、彼が顔を出すような夜会に出席したことがなかった。


 ロスヴィータは、他国でいえば宰相職にも等しい大法官、ベティカ公爵の次女として生まれた。

 五歳年上の長女は、昨年、国内の貴族に嫁いだ。十歳の時、父の意向で王妃に目通りする機会があったが、「またいらっしゃい」という言葉はかけてもらえなかったという。つまり、王子たちのお妃候補から漏れてしまったのだ。


 一度は失敗した両親──特に権勢欲の強い父──が、次女を王太子妃として育て上げようと考えたのは、ひとえにロスヴィータが群を抜いた美少女に成長したからだ。


 雪白の肌に映える、黒絹のように艷やかな波打つ髪。卵型の輪郭に絶妙の間隔で配された、すっと通った鼻筋と薔薇のつぼみのような唇。これもまた素晴らしい配置の、長い睫毛に縁取られた大きな瞳。瑠璃色の双眸は、雲ひとつない宵闇の空を思わせると同時に、勝ち気そうな印象を与える。


 今日のロスヴィータは、強く抱き締めたら折れてしまいそうな華奢な身体を、参内用にあつらえた緑のドレスに包んでいる。その姿を、完璧な人形にたとえる者もいるかもしれない。


 だが、ロスヴィータから溢れているのは、自らが生身の人間であることを主張するかのような生命の輝きだ。ゆえに、名工の手によるどんな珠玉の人形でも、ロスヴィータの美貌にはかなわないだろう。


 三人姉妹の中でも特に美しいロスヴィータは、王太子妃となるために必要な、近隣四か国の語学、政治学をはじめとした教養、礼儀作法、ダンス、乗馬、弓術など、ありとあらゆることを叩き込まれて育った。


 顔も見たこともない相手に嫁がされる心情など、一切顧みられずに。

 幼い頃から慈しんでくれる兄や姉、それに可愛い妹の存在がなければ、ロスヴィータはとっくに全てを投げ出していたかもしれない。


 ロスヴィータにとっては幸いなことに、父には娘と王太子との婚約をためらう、ある理由があった。

 昨年まで王太子だった(・・・)第一王子は、二十歳までは生きられないだろう、と噂されるほど病弱に生まれついた。その上、彼とはひとつ違いの第二王子シュツェルツは健康だった。


 王太子を選ぶべきか。それとも、第二王子を選ぶべきか。

 父は娘をどちらの王子と婚約させるべきか、悩んだ。


 ロスヴィータと婚約したあとに王太子が亡くなった場合、何事もなかったかのように、シュツェルツに娘との縁談を持ちかけるという方法もあるにはあった。しかし、それではあまりにも外聞が悪い。


 王太子が、その病弱さゆえに他の令嬢や他国の王女との婚約が決まらず、シュツェルツも兄を差し置いて婚約するわけにもいかない、という停滞した状況も、慎重な父を大いに迷わせた。


 父の迷いを知ったロスヴィータは、考えた。

 たとえ王太子と婚約しなくても、いずれ誰かと結婚しなければならないだろう。

 結婚までに、ただ花嫁修業だけをして世間を知らずに過ごすのはつまらない。


 ならば、働いてみるのはどうだろう!

 貴族令嬢が就く職業といえば、女官が一般的だ。結婚までの行儀見習いとして働く幼い令嬢もおり、両親の許可も得やすい。

 王太子がまだ存命なうちに、ロスヴィータは両親を説得し、十三歳から十七歳になるまでの四年間だけは、女官として働いてもよいという約束を取りつけた。


 しかし、父は一枚上手だった。

 予定よりも早い任官が決まり、ロスヴィータは不思議に思っていたのだが、与えられた役職は、昨年、兄王子の死に伴い王太子となったシュツェルツの衣装係だったのだ。

 前任の女官が結婚したとかで、急遽人員に空きが出たからだというが、この配属に父の思惑が働いていることは、火を見るより明らかだった。


 王太子殿下に見初められてこい、と言わんばかりの仕打ちに、ロスヴィータは憤ったが、仕方がないと自分に言い聞かせることにした。

 とにかく、十七歳まで女官を続けられればそれでよい。

 そう前向きに考えて、兄に伴われながら、初めて宮廷に出仕したその日に、ロスヴィータは未来の夫最有力候補が巻き起こした修羅場に出くわしたわけだ。


(王太子殿下は、どうやってこの惨状──いいえ、窮状を乗り切るおつもりなのかしら)


 呆れ半分、興味半分で、ロスヴィータは兄の背中からぴょこんと顔を出し、シュツェルツの姿を捜した。

 ロスヴィータが過去を振り返っている間に、女性たちの争いは一段落ついたらしい。彼女たちは、元凶であるシュツェルツに詰め寄っている。


「殿下は、わたしと彼女のどちらがお好きなのですか!?」


「きちんとお答え下さいませ!」


「ああ、えーと、その──」


 シュツェルツが答えあぐねていると、廊下の奥から一人の青年が歩いてきた。

 近づいてくるにつれて、薄茶色の髪をうなじで束ねたその青年が、女性のようにたおやかな容姿をしていることが分かる。宮廷という公の場所で男性の服を着ているからには、まさか女性ではないだろうが、それにしても綺麗な人だ。


 女性たちへの対応に追われ、ロスヴィータより少し遅れて彼に気づいたシュツェルツの顔に、喜色が浮かぶ。まるで、漂流者が助け船を見つけたかのような表情だった。


「アウリール! ちょうどよかった。助けてよ!」


 アウリール──やっぱり男性の名だ──と呼ばれた青年は、シュツェルツと目を合わせると、にっこりと笑った。そのまま、何も答えずに王太子の横を通り過ぎていく。


 必死の訴えを華麗に無視されたシュツェルツは、アウリールの背中に手を伸ばし、途方に暮れた顔をしている。

 その瞬間、ロスヴィータは思った。


(やだ、絶対結婚したくない)


 兄を知っているのか、アウリールは立ち往生しているこちらの横を通り過ぎる時に優美な会釈をし、去っていった。

 王国一の権門と称されるベティカ公爵家の娘に生まれたからには、自分の望む相手とは結婚できないなんて、分かりすぎるほど分かっているつもりだった。


 でも、これはあんまりだ。

 二股をかけるほど女好きで、臣下にも雑に扱われる。あんな最低な人を夫にするなんて、御免こうむる。

 本当に、今までの努力が馬鹿らしい。


 ロスヴィータは決意した。

 なんとしてでも、任期中にシュツェルツとの婚約を阻止するしかない、と。

久し振りの投稿です。よろしくお願い致します。

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