廃嫡された王子 悪魔と呼ばれた子供を育てる
清々した。
僕は、カール 十五歳。さっきまで王太子だったけれど、今はただのカールだ。
僕の母は庶民の出で、父の国王が誘拐するようにして、後宮へ入れた。
どこのゼウスだ。
無論、家筋血筋も申し分のない王妃様は別にいる。要するに、僕の母は愛妾なわけだ。それなのに、王妃様には娘しかいなかったため、無神経(溺愛?盲目?)な王のために、生まれてすぐに僕は王太子と宣言された。それからは、想像されるのも容易い嫌がらせの嵐。
どこのヘラだ。
そんなこんなで、僕の母は僕が十になるかならないかのうちに命を落とし、気落ちした父王はそれからみるみる体調を崩した。またそのことから、父王は僕を次期王にすることに執着し、僕は愛妾の残した遺児として無理やり王太子に乗っけられていたのだが、それも今日で終わり、廃嫡と相成った。
原因は、明日、臣下に嫁ぐ三つ年上の異母姉のせいだ。
昨日、僕を呼び出して、『最後の思い出に』なんてスカートをまくり上げるから、僕はおそれおののいて逃げ出そうとしたら、無理やり服を引っぺがされて、それでも無理だと抵抗したら、異母弟がやってきて姉を襲った暴漢として捕縛された。
異母姉もまさか自分から迫ったとは言いだせず、なのか、はなからそういう策略だったのか知らないけれど、僕をかばうことはなかった。否定したところで、証言は二対一で僕の多数決負けになるとわかっていたから、無駄な抵抗はしなかった。父王はすでに城内で力を失っていたこともあった。
そもそも、王太子など荷が重いと思っていたので、これ幸いというのが本音だ。後ろ楯がないから父王が亡くなれば暗殺必至だし、しかも、国家の財政は火の車だ。僕も少し政務を見て立て直しを頑張っているが、なかなか難しい。
異母姉だって、あんな暴挙に出たのは、人身売買のような政略結婚が嫌だったからに違いない。小さい頃から冷たくされていたから、好意とは考えられなかった。父王は、チョコレートの髪、アーモンドの瞳なんて溺愛していた母譲りの姿も、異母姉にかかれば泥水色だそうだから。
そんなわけで、無事、僕は廃嫡の上、母の実家に戻されることになった。
当然、後釜に王太子になったのは、一つ年下の腹違いの異母弟。異母姉は残念ながら、この騒ぎでも婚約解消されなかった。
まぁなんだ。色々がんばれよ……。
僕は、最低限の荷物と手切れ金を渡されて、母の実家へ戻る。母上の形見の指輪だけは、父上の温情で与えられたので大満足だ。
母の家にはすでに祖母しかいないのだが、待っていてくれるとは思えない。
なんせ、祖母はこの国で、古森の魔女と呼ばれているのだ。
でも、本当はただの薬草師。この国には、魔女なんかいない。
辻馬車を拾い、古森を目指す。辻馬車だから、近くの広場までしか運んではくれない。
僕は終点の広場で馬車を降りた。
小さな市が立っている。
この村は、小さいころから母の里帰りで立ち寄っていたから、勝手知ったるなんとやら、だ。
しかし今日は、見慣れない見世物小屋が立っていて、子供たちが集まっていた。
見世物小屋の前には、木で出来た小さな檻があった。
その前に、小石の入った小さな入れ物を売っている道化がいる。
よくよく見れば、その石を買って檻の中の動物にぶつける悪趣味な見世物らしい。
善悪の区別もつかないような子供から、分かっていて楽しんでいる大人まで、様々な人間が石を投げ込んでいる。
僕は嫌な気分になり、背を向けようとした。
その瞬間。
檻の中の生き物と目が合った気がした。
小さな子供だ。五、六歳くらいだろうか。
死んだ魚のようにくすんだ瞳は、希望を見いだせない黒。
縮れてべたついた髪も真っ黒。適当に切られた髪に、粗末な服、不潔な姿、傷ついた顔。男の子だろうか?
やつれた顔。傷ついた細い手足は立ち上がる力もなく、ただ檻の中に転がっている。
しかし、その背中には真っ黒な翼があった。しかもその翼は、微かに震えている。
鳥人の雛!?
昔、一度だけ見たことがある。母と遊んだ花の丘で、真っ白な鳥人を見た。自由に大空を羽ばたく姿に見とれたものだ。
しかし、これは正反対だ。
檻に閉じ込められて見る影もない。
まじまじと見ていると、石を持った道化と目が合う。
「お兄さんも一つどうだい?」
いやらしい笑いを浮かべている。
「悪魔だよ。悪魔を石で打てば天国へ行けるよ!」
呼び声高らかに歌う。
悪魔なわけがない。そんなわけがない。
この世には天使も神様もいない。
もし、そんなものがいるのなら、僕の母があんなふうに死ぬわけはない。
「ああ、買おう」
「毎度あり」
「その石全部買うから、この悪魔を売ってくれ」
そう言えば、道化はギョッとした。
「こんなもん、すぐ死ぬぜ。なにも食わねーし、動きもしねー。死んでからクレームとか困りますよ」
確かに檻の中に置かれた餌箱には、鳥の餌のような雑穀が山積みになっていて、隣の薄い皿には汚れた水が、少しだけ入っていた。
「死体が欲しいんだ、丁度いい」
「アンタも悪趣味な方ですな」
「ああ、僕は古森の者だからな」
そう答えれば納得したように頷き、檻の戸を開けた。
すえた獣の匂いがする。
悪魔は立ち上がる様子すら見せない。
「羽根を切ってあるから飛んで逃げることはないよ。走る力もないしな」
道化は笑った。
雑に切られた羽根が膿んでいる。どう考えても不必要に切ってあった。これはもう、羽根が伸びることはない。
残酷な。
もう二度と飛べないことを知ったら、本当に死んでしまうかもしれないな。そう思いつつ、僕は檻から悪魔を引っ張り出して、人形を抱くようにして連れて帰った。
村の広場から、祖母の家まではかなりの距離がある。
鳥人はそれは軽かったので、僕の負担にはならなかった。
ボロボロの板の戸を開ける。平屋の小さな家。
「ただいまー、おばあちゃん」
「おお、都落ちかね、元王太子殿下」
「相変わらず元気そうだね」
しわくちゃな顔。とがった鼻。真っ白の白髪。だけど、矍鑠としている古森の魔女こと僕の祖母は、鍋で何かを煮ていた。なかなかに臭い。
「おや、面白いもの拾ってきた」
「うん、でも、死にそう。何にも食べないんだって」
「そうかい。自分で面倒見るんだよ。見れないんなら捨ててくるからね」
祖母は興味なさげに言った。
「分かってるって。部屋使っていい?」
「ああ、そのまんまになってるよ」
母と里帰りのときに使っていた部屋がそのまま残されている。
小さな窓と、少し大きめのベッドは母子で寝るにはちょうど良かった。独りになってからはかなり大きいと感じていたけれど。
突然来たのに部屋には埃一つなくて、何時でもきれいにしていてくれたのだと分かった。
祖母は口や態度が悪くても、本当は良い人なのだ。
僕は、ベッドの上に鳥人の雛を横たえた。
相変わらず声も出さない。ただぼんやりと空を見ている。
「大丈夫? お腹空いてない?」
訊いてはみたけれど答えは返ってこなかった。
とりあえず、綿に水をしみこませて唇に含ませてみる。
カサカサに乾いた唇が、微かに動いた。
「飲める?」
答えはない。でも、もしかしたら、言葉がわからないのかも知れなかった。とりあえず、水を含ませれば力なく吸うので、欲しがるままに水をやれば、やがて眠ってしまった。
僕は汚れた髪や体を濡れた布でぬぐってやり、傷を手当てしてからそっと部屋を出た。首には小さな袋を下げていた。僕の首に下がっている母の形見の指輪と同じように大切なものだと思ったから、出来るだけ触れないようにした。
「おばあちゃん、鳥人の雛ってなに食べるの?」
「さあね、私は天使しか育てたことはないから」
ちなみに天使とは、今は亡き僕の母である。古森の魔女はただの親バカだ。
「鳥とおんなじじゃないのかい」
「でも、雑穀は食べてなかった」
「違うものを食べる種類なんだろ」
そうか、ハチドリなどは花の蜜を吸う。僕は納得して、森へ出ることにした。花を探しに行くのだ。
「おばあちゃん、森へ行ってくる、なにかとってくるものある?」
「薪と薬草とキノコ」
「わかった」
僕は、小さい弓を背に森へ出た。
古森は周りの人々には恐れられているが、とても良い森だ。きれいな清水や、花のあふれる丘、木の実だっていっぱいで、実り豊かな森だ。
ただ、人食い狼だとか、人食い熊がいるから少し危険なのだ。
人を食う動物は怖くない。だって、食べるのだ。その自らの血肉にするために人を殺すなら仕方がない。でも人は違う。食べないくせに人を殺す。無駄に殺す。
よっぽど怖くておぞましい。
薪になる小枝を拾いながら、昔白い鳥人をみた花の咲く丘を目指す。
途中、見慣れた薬草とキノコも集めていく。
花咲く丘にたどり着いて、子供の頃に蜜を吸った花を集める。他にも色とりどりの花を集めた。何が好きかわからないし、食料にならなくても、綺麗だから喜んでもらえたらいい。
帰り道で、ついでに清水を汲んで帰った。家の井戸水も美味しいけれど、こちらも美味しいのだ。
家に戻り、急いで部屋を覗いてみる。光のない瞳がポッカリと開いていた。
「起きた?」
ピクリと体が動く。
「これ、食べられる?」
籠から、僕が子供の頃に蜜を吸っていた花を取り出して見せた。瞬きする。唇が少しだけ開く。
僕はそっと唇に花びらを寄せた。
小さな唇が吸い付く。
やっぱり、花の蜜を吸うんだ!
求められるままに、花を唇に当てた。
少しずつ顔色が良くなって来たから、花籠を見せた。くすんだ瞳に光が点る。夜空に星が点ったみたいだ。
「他に食べられるのある?」
戸惑ったような顔を見せる。
「キミにあげるよ、全部」
鳥人の雛はじっと僕の顔を見て、オズオズと花籠に手を伸ばした。僕は求められるままに、花籠を雛へと手渡した。すると雛は籠を胸に抱いて頭を深く下げた。
僕の言葉は分かるようだ。
「キミ、名前は?」
雛は頭を緩く振る。
「ないの?」
コクリと頭を下げる。
「僕がつけても良い? 名前がないと不便だから」
そういえば、コクリと頷いた。
「ノアはどうかな? キミの瞳は夜空みたいだから、ノアールのノア。僕はカールだよ」
そういえば、嬉しそうに笑って、唇がノア、カールと形作る。相変わらず声はでないが、もともと話せない訳ではないらしい。
あんな目に遭えば、声を失ったって仕方がない。
ノアは、飛べない羽根を小さく羽ばたかせて喜ぶ。食べられない花は花瓶に飾ってやった。ノアはとても嬉しそうだった。
花いっぱいの部屋はそれだけで明るくなった。
僕らは同じベッドで眠った。
十で母が亡くなるまで、この家では一緒に寝ていたのだ。小さなノアと僕だったら問題はなかった。
ノアの性別は分からなかった。だいたい、鳥の性別なんてどこをみれば分かるのか知らなかった。
でも、ノアはノアで良いから、それで良いのだ。
同じベッドに人の気配がすることに、久々に温かい気分になった。
僕は祖母にお願いして、治療方法や薬の作り方を教わった。
どうしてもノアを元気にしたい、そう思ったからだ。できれば翼を治してあげたかった。だから僕は一生懸命勉強して、一生懸命看病した。
それからノアはメキメキと回復していった。ヒョロヒョロとした手足は相変わらずで、体は雲のように軽いけど、顔色はずいぶんと良くなって、自分で水浴びができるまでになった。
元気になったノアと一緒に花の丘へ向かう。途中、清水で水浴びしたり、薬草やキノコを集めたりする。ノアは毒キノコが分かるようで、僕が間違って取ろうとすれば、慌てて止めてくれた。
「ありがとう、ノア」
頭を撫でてやれば、気恥ずかしそうに微笑む。
「かわいい」
そういえば、ノアはブンブンと頭を振った。かわいいじゃダメなのかな? カッコいいかな? でも、可愛いのだから仕方がない。
花の丘にたどりつけば、ノアは嬉しそうに羽根を羽ばたかせ、駆け回った。翼の傷はふさがったけれど、飛べるまでにはならなかった。翼をはばたかせても、飛べないことが痛々しい。
ノアを傷つけたのは、僕ら人間だ。
ノアは花を摘み、蜜を吸う。僕はそれを見ながら、食べられる花を覚える。
あの白い鳥人を思い出す。空を飛ばせてやりたい。自由に戻してやりたい。そう願った。
ある早い朝、ノアが困った様子で僕を揺り起こした。
そんなことは初めてで、眠い目を擦ってノアを見る。
ぼんやりとした薄明かりの中、ノアは今にも泣きだしそうな顔で僕を見つめていた。
「どうしたの?」
怖い夢でも見たのだろうか?
ノアはおずおずとあるものを僕に見せた。
ノアの頭と同じくらいの、真っ黒なタマゴだ。
「卵?」
コクリと頷く。
「ノアが産んだの?」
ノアが青ざめて不安そうに頷いた。
「え! スゴイ!! すごいじゃん!! あ、あっためる? 僕、良く分かんないんだけど、布団もってくればいい?」
ノアはホッとしたように息をついて頷く。もしかしたら初めての産卵で不安だったのかもしれない。
僕は慌てて、沢山布団を持ってきて、鳥の巣のような形にしてみる。ノアはそこへ卵を置いて、幸せそうな顔をして温め始めた。
「ノア、女の子、だったの?」
訊けば、キョトンとした顔をする。
それにしたって、見た目は小さい子供なのに、鳥人としては成人なのだろうか。
分からないことがいっぱいだ。
鳥人の目撃談自体が少なく、その生態は不明だ。昔見た白い鳥人のことですら、誰も信じてはくれなかった。笑わなかったのは、母と祖母だけだ。
僕はそれから、せっせと卵を抱くノアのお世話をした。
花を摘んでノアに吸わせ、交代で僕が卵を抱いてノアを休憩させた。毎日が楽しくて夢中になった。手伝いがおろそかになったけれど、祖母は何も言わなかった。
そうやって一週間ぐらいたっただろうか。
卵が孵化した。
真っ黒なタマゴの内側からひびが入り、卵が割れる。僕とノアは心を躍らせて、その様子をジッと見た。生まれてくる雛はノアにそっくりなのだろうか。
しかし、その中身は空っぽだった。
僕は茫然とした。
ノアはじっと殻の中を見ている。
ショックで、涙があふれる。
「ゴメン、ノア。僕が何にも知らないから……」
僕が人間じゃなくて、鳥人だったらきっとこの卵は死ななかった。僕の世話の仕方がきっと悪かったのだ。
せっかくノアが産んだ初めての卵。雛が生まれてくるって疑いもしなかった。こんなことになるなんて、ノアに申し訳ない。
涙がとめどなくあふれてくる。ノアの雛が見たかった。
ノアは僕の肩を翼で包み込んだ。まるで慰めるようだ。
ノアの方がつらいのに、僕の方が泣いてしまうなんて、本当に僕はダメだ。
「ノア、ゴメンね、ノアの方が悲しいよね」
ノアはフルフルと頭を振って、僕の茶色の髪を撫でる。
「なんの騒ぎだい」
おばあちゃんが顔を出した。
「おばあちゃん! 僕のせいで雛が死んじゃった……」
言葉にしたら一層悲しくなって、滂沱のように涙があふれる。
祖母はベッドに近づいて、マジマジと卵の殻を見た。そして大きくため息をつく。
「カール」
凛とした声で名を呼ばれる。
「この卵はもともと何も生まれない卵だよ。無精卵だ」
「無精卵?」
「お前、ノアと交尾したのかい?」
「し、しないよ! ノアと僕はそうじゃないって知ってるでしょ!」
「だったら、子供が生まれるわけないだろう?」
言われて、ハッとする。
「おばあちゃんは……初めから知ってた? なんで教えてくれなかったの?」
「教えたら信じて卵を捨てたかい? 諦めきれないだろう? だったら経験したほうが早いと思ったのさ」
僕は慌ててノアを見た。
ノアはニコニコと笑って、羽根をばたつかせた。
その黒い羽根は、昨日までと違って大きく美しく広がっている。
「ノア! 羽根!」
ノアは大きく頷く。
「……こりゃ、驚いた。生まれたのは雛じゃなくて、ノアの羽根かい」
祖母が口をあんぐりと開けて、マジマジとノアを見た。
ノアは嬉しそうに翼を動かして見せる。
「まぁ、なんにせよ良かったじゃないか」
祖母も嬉しそうに笑った。
僕はノアを連れて花の丘に向かった。せっかく立派な羽根が生えたのだ。飛びたいに違いない。
「ノア、飛んでご覧?」
ノアは大きな翼をはばたかせ、真っ青な空に飛び立つ。気持ちよさそうに旋回して、大空を舞う黒い翼。それはあの日見た、鳥人と対をなすような美しさだった。
ゆっくり空を楽しんでから、ノアは僕のもとへ帰って来た。嬉しそうに頬を赤らめて、とても可愛らしい。
「ノア、君はもう飛べるから、自分の家に帰りな」
こんな人間の世界にいても幸せにはなれない。僕は鳥人に詳しくないし、きちんとお世話できないと今回のことで痛感した。
ノアは鳥人の住む世界へ戻った方が自然だ。
離れたくないけれど、ノアの幸せのためなら手放す方がいい。それだってきっと愛情だ。
ノアは驚いた顔で僕を見た。
そして、ジワリと瞳を潤ませて、イヤイヤと頭を振る。
「嫌なの? 僕の側にいてくれるの? だってもう君は自由だよ。僕は君を傷つけた人間と同じだし、君のことをきちんと大切に出来るか分からないんだ」
ノアはハラハラと涙を流しながら、僕の手を取った。そして、痛そうに顔を歪めたと思ったら、ノアの翼が背中から消えた。
「ノア!」
ノアは、これでいいかと伺うように僕を見る。
「違うよノア! ノアはそのままでいいんだよ! 僕が僕に自信がないだけなんだ! ノア! 翼を戻して!」
ノアは僕をじっと見つめる。
「ノアの羽根、僕好きだから」
僕を抱きしめてくれたノアの羽根。柔らかく心地よい羽根を、僕の言葉が奪ってしまうなんて嫌だ。
ノアは微笑んで僕に抱きついた。黒い羽根が背中に戻って、その羽根で僕を抱く。
「僕と一緒にいてくれる?」
そう聞けば、ノアはグリグリと額を僕に押し付けた。
それから、僕とノアは祖母の手伝いをして過ごしていた。ノアの羽根が仕舞えることが分かったから、一緒に薬を売りにいったりした。
さすがに羽根のついたまま町へ下り、悪魔呼ばわりされるのはごめんだ。
それでも一応、帽子を深くかぶって顔を隠して、町へ行く。
今までは、古森まで行かなければ買えなかった薬を売りに来るものだから、僕らは重宝がられた。籠いっぱいに持ってきた薬は何時も大体売り切れて、代わりにいろいろなおすそ分けを貰って帰るようになった。
ノアは花だけではなく、蜂蜜や果物も食べることが分かった。だから僕らは、冬に備えてジャムやコンポートを作った。蜂蜜もたくさん集めて、冬を越した。
そうやってあっという間に、ノアと出会って四年目の夏になった。
僕は少年から青年に、ノアは子どもから少女になっていた。
あれからノアは毎年卵を産んだ。
雛が生まれないことはわかっているけれど、それでも僕らは卵を抱いた。回数を重ねるうちに、巣作りも上手くなり手際も良くなっていく。
ノアは卵を産むたびに、姿が少しずつ変わっていった。
最初は翼。次は黒髪が金の髪に、そして黒い瞳はアンバーに変わっていった。
初めて会った頃とはすっかり変わってしまったが、ノアはノアだ。いつだって可愛い。
黒い卵にヒビが入る。僕らはそれをワクワクとして見つめる。
いつか本当に、ノアの赤ちゃんを見てみたい、そう思うけれど、僕と一緒にいたら一生叶わぬ夢かもしれなかった。
卵の中から光があふれて、ノアの翼が真っ白に変わる。
大きな翼を羽ばたかせ、ノアは優雅に微笑んだ。
「綺麗……」
黒い翼も綺麗だったけれど、白い翼もよく似合っている。醜いアヒルの子が、美しい白鳥に成長したかのようだ。
ノアは嬉しそうに笑った。
「もしかして、これがノアの大人の姿なの?」
ノアは恥ずかしそうに頷いた。
「ねぇ、空に行こうか!」
花の丘に向かう。咲き乱れる花の中、ノアが楽しそうに青空に舞う。その姿はまるで、母と見たあの日の白い鳥人のようだった。
空になじむその姿は、まるで天使のようで眩しくて、涙が零れそうだ。
ノアはここにいてはいけないんじゃないか。
そう思う。
雛から成鳥になってしまったノア。自分の群れに戻って、ツガイを探して、家族を作るべきなんだ。
でも、手放したくない、そう思ってしまうのだ。
野鳥を手元に置くことは、鳥にとって不幸でしかないと知っているのに。
ノアが僕に懐いているのは、ただの刷り込みだと知っているのに。
ノアが空から戻ってくる。初めて飛んだ日と同じように頬を赤らめて。どうしてあの日は言えたんだろう。家に帰れだなんて、言えたんだろう。
ノアをぎゅっと抱きしめて、金のくせ毛に顔を埋めた。
離れたくない。離れなきゃいけない。
「おかえり、ノア」
ノアも黙って、僕の背中に手を回した。
家に戻ると王家の紋章のついた馬車があった。
慌ててノアに翼を仕舞うようにいって、裏の納屋で布をかぶって隠れているように告げる。なんとなく悪い予感がしたからだ。
廃嫡された元王太子のもとに、王家の者が来るなんて、きっと悪い知らせだ。
何かの陰謀の首謀者にでも担ぎ上げられたのかもしれない。
ドアを開ければ、中には見覚えのある王太子の異母弟。従者と護衛の騎士。祖母は、いつものように草臥れたカップでお茶を飲み寛いでいた。王太子にはお茶すら出していないらしい。
しかし、まさか王太子直々のお出ましとは思っていなかった。
「お久しぶりです。殿下」
一応頭を下げる。悔しいとか、そういう思いはない。今が一番幸せだからだ。だから、その幸せを壊さないように、細心の注意を払う。
最悪はここで切り殺されてもおかしくないのだ。
「……お久しぶりです、カール殿」
異母弟はもともと神経質そうな顔を、苦々しく歪めた。
「お茶を入れましょう」
「いや、いい」
確かに、古森の魔女の家で出されたものなど、うかつに口にすべきじゃないだろう。
「そうですか。では、ご用件を聞いてもよろしいですか?」
「白々しい。お前が! 呪いをかけたのだろう!!」
異母弟は、いきなり怒鳴りつけた。
「なんのことです?」
「お前が城を離れてから、良くない事ばかり続く。父上の病状は悪化するばかりだし、姉上は子供に恵まれず、最近では病がちだ。財政も悪化して」
「しかし、それは私が廃嫡される前からです。父上の病気は治る見込みがないというお話でしたし、殿下が興味を持たなかっただけで、財政はもともとよくなかった。政策をその後どうしたか知らないが、あのまま放っておけば悪くなるのは当たり前です」
当たり前のことを答えれば、異母弟は憎々しそうに僕を睨んだ。
「でも姉上は! 姉上のことはお前がいなくなってからだ!」
「それは、私には分かりかねますが……」
「知っているんだぞ! 私はきちんと調べたんだ! お前が悪魔を買ったことを!!」
「……はぁ?」
ムカついた。未だにあの子を、僕の可愛いノアをまだ悪魔と呼ぶ奴がいるなんて。
「お前のせいで、私の結婚も上手くいかない! お前に嫁ぐ予定だった天空の姫が、お前が廃嫡されてから、身を隠してしまったんだ! みんなお前の差し金だろう!!」
「え、僕、天空の姫と結婚する予定だったんですか?」
それ自体が初耳だ。
異母弟はグッと言葉を飲み込んだ。
僕は、側に控える従者や騎士を見た。二人は何とも言えない顔をしている。
王妃側の圧力で、きっと僕には伏せられていたのだ。
天空の姫とは、古森の隣にそびえる高い山を統べる統治者の娘だ。とても美しく不思議な力を持つ人々だと伝え聞いたことはあった。
「ともかく、早く悪魔をだせ! でないとこの森を焼く」
「なにを! この森にどんな恵みがあるのか分かっているのか!」
最悪以上の最悪だ。僕が殺されるのは仕方がない。
たかだか人間の不幸のために、森を殺すなんて馬鹿だとしか言いようがない。
「私に口答えするのか! 不敬もの! 姉上に手をかけようとした薄汚れた暴漢!」
「それはあなた達の差し金でしょう? だから私は、抵抗せずにそれに従いました。それ以上私に何を望むのです」
「無礼な! あれは私の差し金なんかじゃない! お前が襲ったのを見たから捕らえただけだ。逆恨みはやめて悪魔を出すんだ」
「そんなものいない」
「嘘をつくな! 悪魔を差し出せば許してやる」
「悪魔なんかいない!!」
ノアは悪魔なんかじゃない。
「見つけました! 納屋に女を見つけました!」
ドアが荒々しく開け放たれ、強屈な騎士が布をかぶったノアを引き立てて来た。
「見ろ!! 悪魔を隠していたんだろう!!」
異母弟は勝ち誇ったように言う。
「悪魔なんかいない!」
「納屋に隠すんだ! 何か後ろ暗いことがあったんだろう!!」
「違う!!」
ノアに僕が引っ立てられていくところを見せたくなかっただけだ。
ノアの瞳が縋るように僕を見る。声も出せない少女を、どうしてこんなふうに言えるのだろう。
僕は携帯していた短い弓で、騎士の肩を打ち抜いた。血がノアの服に飛ぶ。僕は慌ててノアを取り戻した。
「王国の騎士に弓を引いた! どういう意味か分かっているのか! 反逆者め!」
「うるさい! 僕の大切な人に触るな!!」
僕は吠えた。
僕の大事なノア。綺麗なノア。人間の汚さなんか、これ以上知られたくない。
僕は、ノアを祖母に託し、二人を背に守りながら弓をつがえる。
「反逆? そんな意思初めからないって言ってるだろう? どうして僕の命だけで満足しない? 呪いをかけているのが僕だと思うなら、僕を殺せばいい。森もこの子も祖母も、王家には関係ないだろう!」
王国の騎士たちが、剣を抜き構える。あとは王太子の指示を待つだけだ。
「貴様!!」
「ここに手を出さないというなら、僕は弓を下ろす。約束されないなら、殺す。この矢には毒が塗ってある。解毒法は僕しか知らない」
矢を受けた騎士はサッと顔を青ざめさせた。
「嘘だ! 魔女が知ってるはずだ! コイツを殺して、魔女と悪魔を捕らえろ!!」
異母弟が剣を抜いた瞬間、ノアが僕の前に飛び出した。僕と祖母を守ろうと、翼を広げる。その白い翼は、そんな使い方するものじゃないはずなのに。
「ダメだよ!!」
「私は、天空の姫」
ノアは、布を取り外すと厳かに言葉を放った。
部屋の空気が凍り付いた。誰も動けない。
白い翼、金の髪、瞳の色も黄金に輝く。
僕らを庇おうとする凛とした姿は、まるで守護天使のようだ。
誰も彼女を見て悪魔だなんて罵ることはできない。
「私はカールと共に生きます」
カシャンと、王太子の剣が落ちた。
「まさか、……なんで、貴女は行方知れずだと」
「新しく王太子となった方と結婚せよと言われ私は城を飛び出しました。城には侵入者や逃亡者を防ぐための呪いがかけてあり、私はそれにかかってしまいました。声を奪い、小さな黒い惨めな雛にしてしまう呪い。でも、醜くなった姿の私を誰かが大切にしてくれたら、解ける呪いです。今カールが私を『大切な人』と呼んでくれたから、最後の呪いが解け、声を取り戻しました」
「……信じられない」
「証拠はこれです」
ノアは首に下げた袋の中から、天空の王家の紋章の刻まれた指環を出した。
「なんで、コイツなんだ……」
異母弟は絶望した顔で呟いた。
僕もだ。
会ったこともないのに、どうして、僕なんだろう。
「昔、罠を解いて、足を治してくれたのよ。お母様と一緒に」
ノアはあの日のあの白い鳥人だったのだ。罠にかかった鳥人の女の子を森で助けたことがあった。足を怪我していたから、母と僕とで治したのだ。鳥にとって、足は羽ばたくために重要な場所だから、母はそう言っていた。
コン。テーブルにカップが置かれる音が響いた。古森の魔女らしく、祖母が瞳を不穏に光らせて、こちらを見ていた。
「ノア、翼を仕舞ってこちらへおいで。そこの馬鹿どもは戦意を失ったみたいだからね。女の子が剣の前に立つもんじゃないよ」
ノアは素直に祖母の隣に戻る。
「アンタたちが思い違いしているようだから、教えてやるよ」
祖母は言った。
「国王、ああ、ムカつく男だよ。私の天使を奪っていったあの男。あの男の病気が悪化してるのは薬を飲んでいないからさ」
「薬だと? 王国の薬師が付きっきりでついているのだぞ!?」
「王は何時から体調を崩された? 愛妾が亡くなってからではないかい?」
「……」
「あの子は薬草師だったんだよ。国王は体調の悪さを知られたくなくてね、あの子を後宮へ入れた」
「……そんな……」
異母弟は顔を青ざめさせた。
「国王の命を繋ぐものを殺しちまってさ、どうしょうもない王妃様だね。あの子が死んだ後も、カールが処方をしていたけれど、少し効き目が良くなかった。あの薬は、愛情が要だからね」
「おばあちゃん、ゴメン。僕、知らなくて」
僕は言われたままに、ただただ薬を処方していただけだ。確かに、愛情をこめていたか問われれば、それほど込めていなかった。だって、父王がいなければ、僕ら親子は古森で幸せに暮らしていけたと思っていたからだ。
「お前は悪くないさ、アタシが言わなかったんだから」
おばあちゃんは、笑った。
「さて、もう一つ。アンタのお姉さんかい? その子も同じ病気じゃないのかい?」
「姉上が?」
「体調を崩したのは何時からだい?」
「結婚が決まってからだ」
「多分、だったら同じだよ。アンタは知らないかもしれないけれど、きっと王妃様はご存じだろうよ」
「だ、だったら! ここに薬があるんだろう!! 薬をよこせ!!」
「冗談はおやめ。国王ですらそんな物言いはしなかったよ」
おばあちゃんはピシャリと言い切った。
「それに言っただろう? その薬は愛情が要なんだと。大切な相手から大切だと思われること。それが肝要なんだ。そんな愛をこめてやれる人はいるかい?」
異母弟は俯いた。
異母姉は政略結婚だ。難しいかもしれなかった。
「死ぬのを待つしかないのか?」
「まだ若いからね、もしかしたら、他の愛を見つけたら死なないかもしれない。存外女は強いものだから、万が一があるかもしれないよ」
「兄上……。姉上に薬を作ってやってくださいませんか」
異母弟から久々に兄と呼ばれて驚いた。
異母弟は嫌々ながらといった様子で頭を下げた。
「多分、姉は、貴方が好きだった」
僕は驚いて、目をしばたたかせた。
「そんなことはないはずです。僕は間違いなく嫌われていましたよ。ろくに挨拶もしてくれませんでしたし、見た目を悪く言われてました」
泥水のような髪、汚らしい目で見ないで、私の横に並ばないで。
ツンと突き放されたことを覚えている。
「あの日の出来事は私の策略ではなかった。しかし、それを好機に利用したのは認めます。あれが本当に貴方の暴力でなかったのなら、姉の意志なんだと私は思う」
「政略結婚が嫌だっただけだよ」
「だったとしても、救いの手を貴方に求めた。私や母ではなく、貴方に」
僕はため息を吐き出した。
ノアは不安そうに、僕をジッとうかがっている。
「作り方を教えます。僕が作っても薬にならない。これからは殿下が、姉上と国王陛下に薬を処方してください」
「でも!」
「きっと僕が処方するよりは効き目があると思います。少なくとも、殿下は姉上も父上も大切にしてくれると思うから」
異母弟は納得しがたい顔をしてる。
「僕にはノアがいる。ノアより大切な子はいない。ノアが不安に思うことは、僕はしたくないから」
きっぱりとそう言えば、異母弟は渋々頷いた。
「あと、解毒剤、カールから貰っていきなよ。あたしゃ本当に知らないんだからね。今じゃカールの方が立派な薬草師だ」
祖母が言い放つと、異母弟は顔を青くした。
「申し訳なかった、兄上。無礼を承知でお願いする。解毒剤をあの騎士へ処方してやってはくれないか」
顔を青ざめさせて、一介の騎士のために頭を下げる姿に、異母弟も捨てたものではないと思う。
「ここさえ守れれば僕は良いんだ。このまま手を引いてくれるなら処方するよ」
「ありがとう」
異母弟はもう一度頭を下げた。
「天空の姫君におかれましては、知らなかったこととはいえ多大なるご無礼をお許しください」
異母弟は膝をついて首を垂れる。
ノアは笑った。
「もう私を求めない、そうしてくれれば父には話しません」
「ええ、もちろんです」
それから騎士の治療をし、異母弟へ薬草の調合法を教えた。彼らは、これに関する恩と謝罪を、古森の統治権を僕に渡すことであらわしてくれた。
「ノア、僕らを守ってくれてありがとう」
「ううん、カールはずーっと私を守ってくれていたから。醜かった私ですら、大切にしてくれた」
「黒いノアも可愛かったよ」
そう言えば、ノアは嬉しそうに笑った。
「ノアは本当の名前があるんだよね?」
「私たちは、結婚するときに新しい名を伴侶から貰うの。だから、私はノアでいい?」
「もちろん!」
僕は首に下げてあった、母の形見の指輪をそっと外した。そして、ノアの左手を取る。
「好きだよノア。結婚してください。今はこれしかなくて、立派な教会とかじゃないんだけど、でも、受け取ってくれたら嬉しいな」
ノアは瞳を潤ませて頷いた。
薬指にそれを通せば、ポロリと涙がこぼれる。
「じゃ、私も」
ノアは先ほど見せた王家の紋章の入った指環を出した。
「それは良くないんじゃない?」
「いいのよ。声と姿が戻ったら、好きな人に渡しなさいと母に言われているの」
「……すき……」
顔が熱くなる。僕はおずおずと左手を出した。薬指に金の指輪が通っていく。
「おめでとう」
祖母が祝福して、三人で笑った。三人ぽっちの結婚式。でも、僕らは幸せだ。
そして、その後、改めて天空の城で僕らは盛大な式を挙げた。
しかし、ノアと僕は、そのまま古森で薬を作って暮らした。
たくさんの子供にも恵まれて、古森は一層豊かになった。
いつしか、カールとノアの物語は、古森の王と天空の姫のおとぎ話となって、今も伝わっている。
義弟が異母弟ではないかとご指摘いただきました。
ご指摘の通り、同父、異母の兄弟です。
私の勘違いでしたので、訂正いたしました。
ご指摘ありがとうございました!
それにともない、地の文の義弟などを異母弟などへ、台詞中の義兄などは、兄などへ変更しました。
他にも誤字、脱字、誤用などたくさんあると思います。
教えていただけると嬉しく思います。
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