読者を単なる1PVに終わらせたくないと考えていたら堂々巡りしてしまったので一旦アウトプットしておいた文章
ペンネームを匿名希望にしてるのに、小説情報見たら同一作者の情報がバレバレじゃねーか!
探さないでください……。
目次:
1.はじめに
2.総合評価とは
3.各評価軸の指標としての評価
3-1.ブックマーク
3-2.評価
4.アクセス解析
5.感想・レビュー
5-1.感想
5-2.レビュー
6.お気に入りユーザ
7.おわりに
はじめに:
『総合評価[pt]』。それは本サイト「小説家になろう」において、作品を投稿している大部分のユーザーが、喉から手が出るほど欲している名誉、あるいは打倒すべき怪物であるということに異論はないと思う。ここでは、総合評価を公開している作品を投稿したユーザーをひとまとめにして『作者』と呼ぶこととする。作者は他の作者の作品を読者として読んだり読まなかったり、評価したりしなかったりもするかも知れないが、基本的に最低限の条件として、あくまでも総合評価を公開に設定している作品を投稿した人に限ることとする。
それでは何故、作者は総合評価を欲するのだろうか。それは、数値として可視化された評価が大きくなれば、純粋に嬉しいから、そして読者に読まれる可能性が増えるからだ。総合評価が大きくなれば、創作のモチベーションに繋がる。また、ランキングや外部サイトを通じて作者の期待する読者まで作品が露出、到達する機会も増える。極めて単純に言えば、こういうことであろう。
総合評価の増大の流れに乗れば、雪だるま式に総合評価が増えていく幸運に恵まれるだろう。しかし、それが簡単に手に入らないからこそ、ユーザーは作品の質に拘り、悩み、一喜一憂する(よね? しない?)。
中には、ただの数字からさらに踏み込んで、読者の血の通った「感想」や魂のこもった「レビュー」を切望する作者もいるかも知れない。それは「小説家になろう」に実装されたシステムの一つでもあり、正しい欲求である。また、投稿した作品単体ではなく、一人の作者として評価されたいとすら考える作者がいても不思議ではないと思う。「なろう界の村上春樹」とか言って持て囃されたり。むしろ、それが自然ではないだろうか。
これは単なる数字に踊らされている一作者である筆者が、総合評価なる名誉、あるいは怪物と、それ以外の評価の観点について、なんとなく考えた内容をまとめたエッセイである。従って、内容は創作論やテクニックではないのだが、タイトルにもある通り、たとえそういった実用的な内容を期待している読者であっても、単なる1PVに終わらせたくないという趣旨がある。お前の文章が生理的に無理という方も、どうか最後までお付き合いください。お願いします。いや、ホント。マジで。
総合評価とは:
総合評価について端的に説明しておく。
総合評価[pt]は以下の計算式によって算出される、各作品に対する評価の数値である。
(https://syosetu.com/man/hyouka/)
総合評価[pt] = 文章評価点(1~5)[pt] + ストーリー評価点(1~5)[pt] + ブックマーク件数 * 2
文章評価とストーリー評価は必ず両方付けなくてはならない。どちらか一方だけ付けてもエラーとなる。だから、一人のユーザーが一つの作品に付けられる評価は最低2[pt]から、最高12[pt]となる。(複アカとかそういうのはやめましょう。)
一人のユーザーからコンスタントに12[pt]を稼いだとしてもユーザー数は有限であるので、いずれ総合評価は頭打ちになるが、現時点で「小説家になろう」の登録者数は1,254,951人であるので、ブックマークだけでも理論上の総合評価として2,509,900[pt]まで得られると考えられる(自分の持ち点2ptを除く)。
そういうわけなので「テンプレ展開とブックマークだけで総合評価250万pt稼ぐ超チートメソッドを見つけたので試してみた」みたいなタイトルで、どなたかエッセイの執筆をお願いします。
各評価軸の指標としての評価:
ブックマーク:
まずブックマークを出発点に考えを進める。
(https://syosetu.com/man/favnovel/)
お気に入り作品としてブックマークできるのは一ユーザーあたり最大4000件なのだから、時として整理する必要が出てきてもおかしくない。ユーザーがブックマークを解除すると、対象の作品の総合評価は2[pt]下がる。
作者としては非常に辛い。たかが2[pt]、されど2[pt]。何が憎くてブックマークを剥がしたのだ……そこのあなた!
しかし、システム上の制約がある以上は仕方がない。完結して読了された作品が、いつまでもブックマークに残っているというほうが変な話だ。あるいは、諦めて4001件目のお気に入り作品はブックマークしないままにしよう……そんな読者もいるかも知れない。
同じ作品を繰り返し読み直したいという読者は別として、普通の感覚としてブックマークは読者に用意された一時的な作品管理機能として捉えたほうが、システムの設計としては自然であろう。というか、IT屋としてはブックマークってそういうものだと思う。
しかし、よく考えてみると、一時的機能でしかないはずのブックマークが何故、総合評価の2[pt]分に相当しているのだろうか。謎である。
そこで、他サイトでのブックマーク相当の機能の立ち位置について見てみよう。
「カクヨム」ではフォローという形でブックマークと同様のシステムを提供しているが、作品への評価には影響していないという調査結果が同サイト内のエッセイで発表されている。(ただし「カクヨム」運営において、ランキングのシステムについては公開していない。)
「アルファポリス」ではその名の通り「お気に入り」がポイントとして作品への評価点に加算されると、運営が明言している。しかし、同時に、「小説家になろう」では総合評価に影響しない、閲覧(PV)数や感想も評価ポイントに換算されるという独自の仕組みがある。
https://www.alphapolis.co.jp/pages/pointChange/
「ハーメルン」でも「お気に入り」は評価の一部にはなっているが、アルファポリスと同様に作品へのユニークアクセスが影響している。しかし、以下の計算式を見る限り、お気に入り数の影響は小さい。どちらかと言えば、ユニークアクセスの影響が大きい。
日間:(過去24時間の)UA数/20+(平均評価-5)*1000+√被お気に入り数*100
https://syosetu.org/?mode=faq_view&fid=107
こうして見ると、「小説家になろう」におけるブックマークの2[pt]は、他サイトと比較してシステムとしてはかなり微妙な立ち位置にあると考えられる。ブックマークの2[pt]とは、要するに、読んだかも分からない作品にすら、文章評価およびストーリー評価に換算して1点ずつをつけているのと同様だからである。
個人的な意見としては、「小説家になろう」を運営しているヒナプロジェクトが広告PVによる収益で経営されているのだから、各作品に対するアクセス解析の結果を総合評価に反映したほうが理想的な評価になるのではないかとすら思う。
いくら大量のアクセスがあって感想が書かれ、さらに広告が開かれ、ヒナプロジェクトの収益に貢献するような人気作品であっても、見かけの総合評価は低いという可能性もある。(実際にはほぼ無いと思います。今の総合評価のシステムや既存の書籍化作品がランキング、ひいてはPVを左右しているので)
いずれにしても、アクセス解析を行いながら、それを除外してブックマークを総合評価の一部として活用する評価システムを採用している、現在の運営の姿勢には疑問を抱かざるを得ないだろう。
評価:
文章評価とストーリー評価についてはどのように捉えれば良いだろうか。
少なくとも、1[pt]をつけることはできない。文章評価とストーリー評価はどちらとも付けなければならないものだからだ。
しかし、ジャンルとして詩やエッセイ、その他の文章表現が認められているにも関わらず、必ずストーリー評価を入れなければならないというのも、なんとも奇妙な感覚に陥る。表現が素敵だから文章5[pt]だけど、これは詩だからストーリー1[pt]なんて評価もあり得るかも知れないが、それが正しい評価の点数と言えるだろうか。
例えば、文芸以外の作品投稿、評価、レビューを行うサイトから評価軸について考えてみよう。
カカクコムグループが運営する「映画.com」では、映画の印象を12種類のタグから選択して評価することができる。「全米が泣いた」と言えるような感動作品であれば「泣ける」のタグ、家族で楽しめるアニメや大人向けのコメディであれば「笑える」など。
http://eiga.com/
他にも「ニコニコ動画」も同様に、ユーザーが動画にタグをつけることで、動画のインデックス化および間接的な評価を行うことができると考えられる。
現状、「小説家になろう」ではこうした直感的な感性に基づく評価を総合評価に反映させるシステムはない。タグは作者が作品の内容を端的に表すためのものとしてだけではなく、PVを狙って付けるものになっており、それによって高い総合評価を引き出すための戦術の一部になってしまっている。
タグによってアクセスだけを狙い、作品の内容を裏切るような行為が横行するとまでは言わないが、少なくとも、作者からの一方通行のタグ付けは、作品の評価やアクセスを歪める一因になっているといえよう。
アクセス解析:
上記のような総合評価から最終的に導かれるのが、どのような作品の発信形態かと言えば、いわゆる毎日更新し続けるというものである。
いくらPVを稼いだところで、総合評価には全くptが入らない。しかし、新規のユーザーを囲い込み続けなければ、総合評価はすぐに伸び悩む。そうなると、新規の読者を期待して作品の露出を増やす手段は、新着の作品として、ひたすら更新を重ねていくという地獄のチキンレースへと変貌する。
どうしてこうなった。
運営はアルファポリスやハーメルンのように、アクセス解析の結果を総合評価に反映してみることも検討してほしいと思う。
アクセス解析のシステムによってはページ滞在時間まで計測できるわけだから、技術的には無理なことではない。IT屋の私から言えるのはそれだけである。
感想・レビュー:
上記のような総合評価に関する指標や意見から離れて、次は感想およびレビューについて考えていく。
感想:
感想は以下の内容を書く3つの感想欄から成っている。
https://syosetu.com/man/impression/
1.良い点
2.気になる点
3.一言
実にシンプルな構成だが、何故、この3つなのだろうか。
良い点は良い。それが良い点だからである。わざわざ悪い点を書きに来る奴がいたら、作者は殺意以外の感情を忘れてキーボードその他を破壊しかねないので、良い点を書くことを推奨していることは理解できる。皆、お互いに誉め合って温かい世界を作るべきである。
気になる点はどうだろうか。誤字脱字が気になる。この先の展開が気になる。こうしたほうが良い。こうしてみては如何か。このような展開にならないか。ミステリーのトリックがわかり易すぎて面白くない。ご指摘、ご指導、ご鞭撻。実に有り難いものである。読者が何を気にしているか、それが作者に伝わることは執筆における一つの楽しみにもなる。
ここでもし、わざわざ勿体ぶって創作論を語り始める奴がいたら、作者は憤怒以外の感情を忘れてPC本体その他を破壊しかねないので、優しくオブラートに包んで気になる点として書くことを推奨していることは理解できる。皆、誤字脱字を報告し合って正しい日本語作品を作るべきである。
最後に一言。
余計なこと言ってんじゃねえぞ、お前に読ませる作品なんかありゃしねえ! 黙って帰れ! ……そんな横暴な作者はいないと考えられるので、一言だけじゃなくて二言でも三言でも書かれれば、その分だけ嬉しいと思う。私は嬉しい。
しかし、ここでわざわざ本当に「もっと更新が早いとありがたいですね^^;」とか書かれたら、作者はあまりのプレッシャーで頓死する可能性もあるので、取るに足らない一言だけを推奨していることは理解できる。皆、お互いに励まし合って居心地の良いサイトの空気を作るべきである。
しかし、よく考えてみると、これらの項目は読者にかなり「書かせる」負担を強いているようにも見える。そう、読者は感想を3つの観点から書くことを強いられているんだ。
評価や感想は作者の原動力となります。
読了後の評価にご協力をお願いします。
1項目の入力から送信できます。
サイト上では感想を書くことを推奨しているが、テキストボックスが3つも並んでいたら、拒否反応を起こす人もいるのではないだろうか。(携帯からアクセスしている人とか、どうしているのだろうか。)
1項目だけで良いなら、「一言」だけ書くというのが最もハードルの低い感想の形態となる。いきなり良い点を絞り出して、遠慮しがちに感想欄に書くというより、そのほうが感想を書きやすいように思える。そうでない以上、まず良い点が何なのかということから読者は必死で考えて、やはり、別に感想を書かなくてもいいかな……となるのではないだろうか。
さらに言えば「小説家になろう」の評価システムに通じた読者であれば、感想を書いても総合評価に繋がらないことを知っているわけで、それが感想を書かない、書きにくくする要因として働きかねないとも考えられる。
レビュー:
レビューは感想に輪をかけて、さらに敷居が高い。タイトルをつけた上で、内容は150文字以上400文字以内で書くという強烈な文字数の制約があるのだ。
もし恒常的に読んでいる作品があり、それを積極的に応援したいと思った熱心な読者がいたとしても、このような制約を受けて、レビューを書くことに挫折することは想像に難くない。というか、私は挫けた。400文字以内という文字数の制限は、レビューの投稿を困難にさせはしても、促進するものにはならないだろう。
自分の熱い思いをレビューで表現したいと思って、いざ筆を取った読者がいたとしても、このシステムでは読者が納得するとは思えない。読者全員がこの制限に慣れているわけがないのだ。「自分だって読んで、そして書こうと思った」という第一歩がこの壁に阻まれるのは、かなり辛い。レビューを書くくらいなら、Twitterでツイートするとか、自分のブログとかで書評を書くとか、別の方法に迂回するように思ってしまう。
お気に入りユーザ:
お気に入りユーザに入るのは、「小説家になろう」のサイト上で何かを書いたことで認知されたユーザー、即ち作者あるいは感想・レビューを書いた読者に限られると考えて問題ないだろう。
URLを叩いてユーザーIDからユーザーを探し回れば、何も書いていないユーザーを見つけ出すことも容易だが、サイトへ無駄な負荷をかけることはやめておいたほうが身のためであろうと思われる。
多作な人気作者であれば、誰かの胸の中の超有名作家として、読者のお気に入りユーザの名誉に与ることができると考えられる。あるいは、熱心のファンの読者をお気に入りユーザに入れる作者もいるかも知れない。ここまで来れば、もう総合評価とか、そういう薄汚い……否、数字の話はどうでもいい。
特定の作者の作品を読みたいという読者側の管理機能として、お気に入りユーザという機能は良いと思われるし、それ以外に活用すべき方法は見出だせない。
おわりに:
「小説家になろう」というサイトは作者と読者の境界線が極めて曖昧なサービスを提供している。他のエッセイでも、自分でも書けると思えるような作品が読者を獲得すると書いているように、作者と読者は表裏一体、等しく作品を評価する権利を持ったユーザーである。
その上で、作者も読者も同じサイト上で流行に過敏に反応し、ひたすらランキング上位の作品を消費し尽くす勢いで活動しているように思える。
そこで、第6回ネット小説大賞の書評から下記を引用して、このエッセイを結ぶこととする。
http://www.cg-con.com/novel/6_novelcon/info/005.html
>昨今、『小説家になろう』およびWeb小説サイトでは、読者と同等かそれ以上に著者の方が流行に敏感になってきたと感じます。
>それは決して悪いことではないのですが、ひとつ魅力的な設定が公開され、模倣して組み替えるだけでは、作品の魅力が衰退するタイミングも早くなってしまい、頭一つ抜け出すのが難しい時代になってきました。
>……、そもそも『差別化』と申し上げますが別の人間が書いているのであれば究極的には同じ作品はひとつもないわけであり、そういった意味で作品に対して差別化するためには、『いかに作者自身の感情を出すのか』であると考えます。