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緑のりんご  作者: MUNO
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青りんごでもなく、グリーンアップルでもなく

 確かあれは小学校の時だった。給食でフルーツとして青りんごが出た。当時の僕はその青りんごを見て迷わずこう言った。

「緑のりんごだ。」

それは何気なく出た言葉だった。なぜなら、そのりんごは確かに緑色をしているからだ。しかし、一緒に給食を食べていた人達はこう言った。

「え?青りんごって言うんだよ。」

「青りんご?だって、緑色してるよ?」

「じゃ、青信号の事、緑信号って言うの?言わないでしょ。」

「確かに。」

「緑のりんごだって〜。変なの〜。」

当時の僕は不思議で仕方が無かった。なぜ、緑色をしているりんごを皆は青りんごと言うのだろう、なぜ緑と感じたものを緑だと言った僕が間違いとされるのだろうと。この小さい時の恥ずかしい思い出を今も僕は鮮明に覚えている。


 桜が散り始めた頃、僕は中2になって初めての登校をした。クラスが変わり、部活での自分の立ち位置も変わる。先輩と呼ばれる。違和感とワクワク感の2つを持ち合わせ、桜が散りゆく中を学校へ向かって歩いていた。

「あの人、いつも勉強してるよね。」

桜のピンクが消え去り、木々が深緑を取り戻した頃、そんな陰口が僕の耳へと入ってくるようになった。新しいクラスになってしばらくすると僕は教室に一人で居るようになった。クラスにも友達は何人か居たが、その友達たちは僕を遠ざけるようになった。いや、違う。僕が友達を遠ざけたのかもしれない。そのことに最近気が付いてきた。

「さようなら。」

さようならの「ら」を言い終える前から教室のドアが開く音がする。帰りのホームルームが終わり、今日も長い1日を終えた。教室からはあっという間に人が去っていき、あっという間に僕は教室で一人になった。僕は周りに誰も居ないことを確認し、本を広げる。最近はこうして少し読書をしてから帰るようにしている。家では親に勉強をしろと言われて本を開く時間も無い。それに今帰宅しようとすれば、会いたくない人に出くわすことになる。そうなると嫌だからだ。別に何かをされるわけではない。僕が勝手に恐れているだけなのは分かっている。でも、恐れることを辞めることが出来なかった。もう大体の人は学校を出ただろうか。雨粒が木の葉に当たる音が聞こえてくる方向を僕は見つめる。すると、様々な傘が一定のリズムで右、左と揺れながら進んでいた。まだ、複数の集団が下校をしているようだ。

「ん?」

思わず、声を出して振り返ってしまった。教室のドアから誰かに見られているような感覚がしたのだ。クラスの誰かだろうか。僕は先ほど開いたページと同じところにしおりを挟む。そして僕は教室のドアから顔を出して廊下の様子を伺う。しかし、誰も居ない。気のせいか。僕は席に戻ってしおりの挟んであるページから読書を再開することにした。

 帰りのホームルームが終わってから30分程が経過した。僕は窓の方へと耳を傾ける。雨粒が木の葉に当たる音以外に中学生の騒ぎ声などが聞こえない。僕は本をカバンにしまって教室を後にする。

教室を出ると誰も居ない廊下が続いている。僕はこの時間の教室や廊下が大好きだ。何だか学校を独り占めしている気分になれるのだ。遠くの方で吹奏楽部の演奏が聞こえる。その演奏のリズムに合わせるようにして誰も居ない廊下を歩いていく。

玄関から外に出るとあちこちから運動部の掛け声が聞こえてくる。野球部のランニングの掛け声、サッカー部の顧問の怒鳴り声、陸上部の顧問が吹く笛の音。以前までは当たり前のように聞いていた音である。しかし、いつからか僕の耳はその音達を懐かしむようになっていた。カツン、カツン。学校を出ようと校門へ向かい始めると、何かが弾けるような音がする。懐かしい。その音のする方向を見てみると体育館でバド部が練習をしていた。体育館の入り口から覗いてみるとシャトルがふわり、ふわりと行ったり来たりを繰り返す。シャトルの行き来に夢中になっていた僕はいつの間にか首を動かしてそのシャトルの行き来を目で追っていた。ビュン。突然風を切る音が聞こえてくる。ビュン。僕はその音のする方へとゆっくり歩みを進める。この音、すごく懐かしい。ビュン。その音は僕が歩みを進めるとともに大きくなってくる。ビュン。

「あ、カンタ。」

音の原因はラケットの素振りの音だった。体育館の裏で栞が素振りをしていたのだ。栞は僕に気がつき、素振りをやめて近づいてくる。それと同時に僕の心拍数は早くなる。帰りの時間をずらしてまで会いたくない人に会ってしまった。

「頑張って。」

僕は栞にそれだけを言って、早く立ち去ろうとする。

「待ってよ!」

僕はその声を無視してさっさとその場を立ち去る。校門を駆け足でくぐり、グラウンド沿いを必死に走った。なぜ逃げているのだろう。走りながら自分に問うても答えは見つからなかった。でも、体は走るのを止めようとはしない。そして、後ろを振り向いてもグランドが見えなくなった頃、僕は走るのをやめた。そして気が付く。体が多くの酸素を求めて肩を上下させていることに、口が大きく開いていることに。

「これくらいで息切れするなんて。」

僕はすっかり鈍ってしまった自分の体に直面し、自分が嫌になる。


 小学校の頃から僕たちはバドをやっていた。最初は遊び感覚だったけれど、小学生の試合にも出るようになった。僕はどんどんバドにのめり込んでいった。元々多趣味じゃないし、運動だってどちらかと言ったら嫌いだった。でも、バドだけは楽しかった。そして、バドをする時はいつも栞が一緒に居た。小学生の時は2人でダブルスを組んで試合に出たこともある。そして中学に入学してバド部に入部すると、栞は1年生ながらレギュラーになった。そして、僕も先輩とのレギュラー争いをしていた。

「お前、うまいな。」

いつからか、僕にそうやって声をかけてくれる先輩や同級生が増えていった。元々自分から話しかけるのは苦手だったためか教室ではなかなか友達が出来なかったが、バド部の人たちとはすぐに打ち解けていき、そこから徐々に友達が出来ていった。教室では話せなくても、人見知りでも、バドがあれば友達が出来た。しかし、中2になってすぐに僕はバド部を辞めた。親から部活を辞めるように言われたのだ。理由は高校入試に備えるため。最初は部活と勉強をきちんと両立させると説得を試みたが、バドに夢中だった僕の中1の成績は芳しいものではなく、説得は難しかった。結局僕はバド部を辞めて、勉強ばかりの毎日を過ごすようになった。バド部の人とは何か気まずい雰囲気が出来るようになって話さなくなった。そうなると、僕は新しいクラスで友達を作る術を失う。だから、僕は必死に勉強をしてクラスに友人が居ない現実から目を背けた。そして、クラスの人達は休み時間もただ勉強だけをする僕を気味が悪いと思ったのか、誰も話しかけてこなくなった。それから僕は教室で完全に一人で居るようになった。

「何で辞めちゃうの?」

僕がバド部を辞めると言った時、寂しそうな声でそう言ったのが栞だった。栞は僕よりも少し早くからバドをやっていて、僕にバドのいろはを教えてくれたのは栞だったからだ。僕は「受験に備えるから。」と何度も言ったが、栞は「何でやめちゃうの?」と繰り返すだけだった。それしか言えなかったのだと思う。僕だって母さんに受験に備えるためにバド部を辞めるように言われた時、ろくに言葉を返すことが出来なかった。そして、不器用なくせに部活と勉強の両立なんて無謀なことまで言った。「高校受験に失敗したとしても、バド部を続けたい。」そんな覚悟は僕には無かった。所詮、部活なんてその程度である。学生が一番にしなくてはいけないこと、この社会で生き抜いていくために一番必要なもの。それは勉強とされている。将来のために勉強に専念するから部活を辞める。誰も否定が出来ない退部理由なのである。

 気が付くと僕の家の表札が視界に入った。傘をさして考え事をしながら歩いているといつの間にか家に到着していた。僕は傘を閉じる。すると、もう雨は止んでいて、傘をさしているのは僕くらいであったことに気が付く。そういえば先程まで僕の耳に響いていたはずの雨音はもう僕の耳には響いていない。僕は少し乾き始めていた傘をたたみ、玄関のドアを開ける。

「ただいま。」

「おかえり。」

母さんの声を耳で確認しつつ、僕はそのまま自分の部屋に向かう。バド部を辞めてから両親とも話さなくなった。両親と話をしていたのはバドのことが多かったからだ。

 部屋に入ると、ラケバが机の隣で場所を取っているのが毎日見える。ラケバは大きいので、僕の部屋のクローゼットには収納出来ない。なので、しょうがなくここに置いている。ラケバを見る度に僕は惨めな気持ちになる。これしかない、バドしか僕にはない。そう思っていたものを辞めた僕にはもう何も残っていない。すっかり埃を被り始めたラケバを見ているとその事を痛感させられる。このまま勉強をして、良い高校、良い大学、良い企業。その選択は賢い選択である。ただ、自分にとって「良い選択」であるのかは分からなかった。


「カンタ?」

 母の声とともに部屋にノックが響いた。僕は急いで問題集を開き、鉛筆を持つ。

「はい。」

そう返事をすると、背後でドアが開く音が聞こえた。

「カンタ、栞ちゃんがさっき家に来たわよ。」

栞が。一体何をしに来たのだろう。

「何だって?」

「カンタにバドをやらせてあげてくださいって言われたわ。ちゃんと栞ちゃんに説明したの?もうやらないって。」

「したよ。」

きっと、ろくに話も聞かないで逃げた僕を心配しているのだろう。

「カンタ、もうバドはやらない。いや、出来ないのよ。」

「分かってる。」

母さんは小さい時から僕に熱心に勉強を教えたし、勉強をさせた。そのお陰で、小学校の頃の僕は成績がいつもトップだった。でも、楽しくは無かった。そんな時に僕はバドに出会った。すると、急に毎日が楽しくなったのを今も覚えている。

「今までは許してきたけれど、これからは勉強に集中してもらいます。高校に入ったら、大学に向けて。大学に入ったら、就職に向けて。遊んでいる暇なんて無いの。」

母さんはそう言って、ドアを閉めた。僕は高校に進学してもバドは出来ない。中学でバド部入って成績が落ちた僕を見た母さんは高校からはバド部に入部させないと決めたらしい。そのことはバド部を辞めるように言われた時に言われたことだ。辞めるという一件だけで頭の処理能力が追い付いていなかった僕に、もうバドもさせないという母さんの言葉は上手く僕の頭に入ってこなかった。しばらく経ってから、僕はもうバドが出来ないという現実の残酷さが身にしみるようになった。しかし、その頃には僕はもう抵抗するだけの力を持っていなかった。「嫌だ。バドをしたい。」そう言う力が残っていなかった。開いたままになっていた問題集のページを見ると、問題の解説が載っている。こっちの世界は結果を出すためのやり方が全て載っている。でも、バドは違う。勝利という結果を得るためのやり方はどこにも載っていない。それは辛いことであり、楽しいことであった。

「こっちは楽だよな。」

楽であるものを選ぶこと。それは「賢い選択」であるのだろうか、それとも「良い選択」であるのだろうか。


 長い一日の半分が終わった。やっと昼休みだ。給食を食べ終えた僕は教室で一人勉強を始める。今日は晴れているから外に遊びに行っている人が多い。教室には静粛が訪れ、勉強には最適の環境だった。窓からは外で遊ぶ人達の騒ぎ声が聞こえてくる。僕はそれを意識的にかき消し、問題を解き始める。

「カンタ。」

問題文を1行読み進めた時、聞いたことがある声がした。その声はかき消すことが出来なかった。見上げると、少し心配そうな顔で僕を見つめる栞が居た。

「栞か。どうしたの?」

「数学の教科書貸してくれない?忘れちゃったの。」

栞とは別のクラスだから、こうして教科書の貸し借りをたまにする。最近僕が学校で話すのはこの時くらいだ。僕は机から数学の教科書を取り出して、栞に渡す。

「ありがとう。」

栞がそう言ったのが聞こえたので、僕は適当に頷いて問題文を読み始める。しかし、2行ほど読んだところで栞が一向に去っていかないのに気がつく。

「何?集中出来ないんだけど。」

「ねぇ、カンタはもうバドやらないの?」

そのセリフを聞いた後、自然とため息が出ていることに気が付く。バド部を辞め、今こうして勉強している僕にそんなことを聞くのは愚問な気がする。でも、長い付き合いである僕たちには愚問などというものはほとんど存在しないのかもしれない。

「昨日、家に来たらしいね。」

そう言うと、栞は驚いた顔をする。人の家に来ておいて、僕に話が伝わっていないとでも思ったのだろうか。

「う、うん。」

「もう家に来ないで。あと、もうバドはやらないよ。」

もう何を言っても、何をしても無駄だよ。そういうサインを送っているつもりなのだが、栞はなかなか僕の目の前を去ろうとしない。

「私、カンタが居なくなってから部活があんまり楽しくない。いつも一緒にバドしてたから。居ないとなんか変というか、違う気がする。」

栞はそう言って、僕の方をじっと見つめている。なんだか無性に腹が立ってくる。こちらの気持ちも知らないで栞は何を言っているのだろう。僕だって別に辞めたくて辞めたわけではない。

「バド部、本当に戻れないの?もう一度お母さんを説得してさ。私も協力するよ。カンタはバドやりたいんでしょ?だったら正直に言いなよ。バドやりたいって。」

正直であること。それは時に間違っていることがある。いや、世の中そんなことだらけだ。僕が今ここで正直にバドをやりたいと言って、良い高校に入れなかったらどうする。栞はそれを分かっているのだろうか。

「たった一人居なくなったくらいでウダウダうるさいんだよ!僕が居なくたって栞はいつも通りバドすれば良いじゃんか。僕はもうバドは二度とやらない。そう決めたんだよ。」

そう言って栞を睨みつけると、栞の目に涙がうっすらと膜を張っていることに気がつく。

「もう知らない!」

栞は数学の教科書を置いてそのまま教室を出て行ってしまった。僕がバドを辞めたって、栞はいつも通り続ければ良い。いや、いつも通り続けて欲しい。僕は栞がバドをするところが一番好きなのだから。ふと教室に風が吹き込む。広げていた問題集のページが勝手に進んで行く。


 帰りのホームルームを終え、今日も長い一日が終わった。いつも通り教室からあっという間に人が去っていき、あっという間に僕は教室で一人になる。そして、僕はいつも通り本を読んでから帰ることにする。続きから読もうと本を開くと、うまく挟まっていなかったのか、挟んであったしおりが床に落ちてしまった。

「だったら正直に言いなよ。バドやりたいって。」

しおりを拾い上げようとした時、昼休みに栞が言ったことを思い出す。正直。心が素直であること、偽りがないことを指す言葉。この前、国語の問題で出て来て調べた。僕は自分の正直な気持ちが分かっていない。果たして自分は良い高校に行きたいのか、バドを続けたいのか。でも、栞はなぜ僕がバドをやりたい。それが正直な気持ちだと言うのだろう。僕はしおりを拾い上げて、机の上に置く。すると、窓からわずかに差し込んでいたオレンジの夕日がそのしおりに写るチューリップを照らす。

「栞からしおりのプレゼントです。カンタは本いっぱい読むからしおりもよく使うでしょ?」

このしおりは小学生の時に栞からもらったものだ。チューリップの柄が入っていて、僕としてはなかなか使いづらかったのだが、せっかく栞がプレゼントしてくれたものなのでずっと使っている。もう使い始めて4年くらいが経つだろうか。僕はそのチューリップのしおりを手に取って見つめる。なぜ、栞はチューリップの柄にしたんだろう。未だに分からないし、見当もつかない。それに今考えると栞がしおりをプレゼントって、ちょっと寒い。

「ん?」

夕日に照らされたチューリップのしおりを見ていると、教室のドアから誰かに見られているような感覚がした。僕は昨日と同じように声を出して振り返ってしまう。同じことが2日連続で。僕は少し駆け足で教室のドアへと向かい、顔を出して廊下の様子を伺う。すると、何かが居る。

「ごろごろ。」

その何かは「ごろごろ。」と自分で言いながら転がっている。どんどん僕から遠ざかるようにして転がっている。

「待って!」

「ごろ。」

僕が気になって呼び止めると、その何かは転がるのをやめた。

「何で、青りんごが転がってるの?何で、青りんごが喋ってるの?」

僕は頭の中に浮かんだ疑問をそのままぶつけた。僕の目の前では大きな青りんごが「ごろごろ。」と言いながら転がっていたのだ。

「青りんごじゃないのら。」

そう言った後、大きな青りんごから手と足が生えた。僕は目を疑う。

「私は緑のりんごなのら。」


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