猛獣姫の首輪くん
一年C組には猛獣がいる。
いや、その表現は正確ではなかったかもしれない。しかし、妥当ではあった。
一般生徒は彼女の機嫌を伺い、ただひたすらに関わらないように生きる。
反発民はいつか来ると信じている革命に備え、今は目立たないよう静かに生きる。
暴君である彼女は―――怒っている。怒っていた。これからも怒るだろうし、未来永劫怒り続けるだろう。
このつまらない授業に怒っている。
義務教育でもないのにほぼ強制させられているこの教育システムに怒っている。
教育システムを施行する世間と政府に怒っている。
その結論に至るまでに積み重ねられた歴史に怒っている。
彼女はそのうちアウストラロ=ピテクスの存在に怒り始めるだろう。
しかしビッグバンは彼女の怒りから逃れられるだろう。彼女は文系なのだから。
唯一、臣民である僕は……僕も、静かに生きている。
何故なら、皆が彼女を怒らせたくないからだ。
学校という社会は、考えていたよりは単純で、思っているよりかは複雑だ。
ただ、僕だけはもう一つだけ理由を持っている。
僕は、彼女の怒った顔が好きだ。
でも、怒らせて嫌われたくはない。
ちょっとしたハプニングで彼女が怒るのを待つ生活。
それはとても楽しい。
だから彼女は、怒っているし、怒っていたし、これからも怒るだろう。
僕の斜め右前の席の男子が、偶然、消しゴムを机から落としてしまった。
消しゴムが、床に、落ちる―――――。
「うるさい!」
ただでさえ沈黙が耳に痛いような教室が、完全に凍る。
皆の心が一つになった。
またか――。
このクラスに置いて、この光景は日常茶飯事とも言える。慣れた人はまだ少ないだろうが。
大して音もしなかっただろうに、怒り狂った彼女は理不尽な文句をがなりたてた。
そうして、彼女は手持ちの鉛筆をかわいそうな男子へ投擲した。
まさに投擲だろう。
僕が男子を守る為にかざしたノートへ、鉛筆は綺麗に刺さったのだから。
「姫、授業中だよ。静かにしなきゃ」
「……ふん」
彼女は鼻息一つ残して、不機嫌な顔を黒板へと戻す。
教師も、彼女が恐ろしいのだろう。彼女の顔が黒板へ向くと、冷や汗をたらしながら授業を再開した。
僕は、唯一彼女に注意できる人間だ。
注意すれば静かになるんだ、と思って僕の真似をした奴が数人痛い目を見た。
いい気分だ。
僕が彼女にとって特別だと言うことを実感できる。
彼女とは幼馴染だ。
彼女と関わるようになって、ひどく辛い思いをした。
彼女と話すようになって、意外と楽しい気分だった。
彼女の笑顔を見ることができて、とても心がはずんだ。
そして彼女の怒顔が何よりも愛らしかった。
顰められた眉が。
目が合うと逸らせなくなるような猛獣のような瞳が。
荒い息が漏れる鼻が。
小さく可愛らしい花のような唇が。
激しくも鋭く、突き抜けるような張りのある声を出す喉が。
態度のわりにこぢんまりとした背丈と、体格に似合わない暴力が。
その全てが愛おしい。
彼女は変わらない。昔から暴君であり、今でも暴君だ。
唯一の臣民である僕は、静かに生きている。
怒っている彼女が好きなのだから、当然だ。