02 後悔しても 時は戻らぬ
「笹木晴基です。2ヶ月も遅れちゃったけど、よろしくお願いします」
6月はじめに転入してきた男の子は、とても綺麗な人だった。色素が薄くて、育ちの良い上品さみたいなものがあって、クラスの男の子たちとは別の生きものに見えた。
「ハルー! お前、中間テストの後に転入とかやるな! 今から受けろっ」
「ハル、放課後バスケしに来いよ」
「はぁー? ハル、野球のがいいよな!」
笹木君はあっという間にクラスに馴染んで、楽しそうに喋っている。
微妙な時期の転入に、どんな理由があるのかとちょっとドキドキしたけれど、普通に親の仕事の関係で引っ越しただけらしい。
病気とかじゃなくて良かった、と教室の隅で胸をなでおろした。
笹木君がクラスメイトに加わった翌週。授業が早く終わり、暇になってしまった私はスーパーで完熟梅を吟味していた。
やっと熟した梅が出てきたか。青梅でシロップはもう作ったけど、梅干しはまだ。去年は2キロしか漬けなかったから、やっぱり足りなかった。お裾分けもしたいし……倍だと多すぎるだろうか。そうだ、小梅も漬けよう。
うんうん唸っていたのか、よっぽど面白い顔をしていたのか。
笑い声が聞こえて振り向くと、そこには口を押さえる笹木君がいた。
「笹木君、こんにちは」
「こ、こんにちは」
「私に用? それとも梅が欲しい?」
何の目的で真後ろに立っていらっしゃるのですか。いま、笑いましたか。
真意を探ろうと見つめる私を見下ろす笹木君は、綺麗に微笑んで、笑ったことをごまかした。
「いや、俺も買い物に来て、たまたまここを通っただけ。何してるの?」
「梅を何キロ買うか、迷っていました。面白い顔だった?」
恨みがましく掘り返す私に降参したのか、笹木君は今度こそ隠さずに思いっきり笑った。
「ふはっ、だって! 本田さん、親の仇を見るみたいに梅を睨んでいるから! 嫌いなのかと思えば、足りない……って呟くし! あ、やばい、ツボった」
お腹を抱えてひいひい言いながら笑う笹木君の前で、私は途方にくれていた。
この1週間、綺麗な男の子としか認識していなかった笹木君が、意外と笑い上戸だと知りました。
「うぁー、笑った! 本田さん、実は面白い人? 俺が知らなかっただけか」
「笹木君は笑い上戸だね?」
「あー。そうかも。なぁ、梅どうするの?」
「梅干しにする」
「梅干し! しょっぱいやつ? 酸っぱいやつ?」
「塩が結晶化するくらい、しょっぱいやつ」
「ばあちゃんの家で出てくるやつだ! あれ好き」
「ほんと!?」
いきなり詰め寄った私に、笹木君は驚いたような顔をして頷いた。
昨今の減塩ブームのせいか、私の漬ける梅干しはしょっぱすぎると家族に不評だった。だけど私は、ひいおばあちゃんが漬けてくれたこの梅干しが忘れられない。
近所のおばあちゃんもしょっぱい方が好きと言ってくれるから、家族の意見は毎年無視だ。
「しょっぱいの嫌いって人が多いから、なんだか嬉しい」
「俺、かに雑炊食べるときにあの梅干が無かったら泣きそうなくらい好き」
「かに雑炊とか、セレブだね」
「どこがセレブよ。本田さん何雑炊食べてるんだよ」
「……白がゆ?」
「やべぇ、俺セレブだった!」
スーパーを出る頃には、私の中の笹木君は『綺麗な生きもの』ではなくて、『イマドキの笑い上戸なクラスメイト』になっていた。
「本田さん、家どっち?」
「このまま真っ直ぐ行って、運動公園の前のコンビニで曲がったところ」
「俺もこっち。もっと遠いけど」
そのまま一緒に帰ることになった。
「笹木君は何を買ったの?」
「冷やし中華の材料。昼に食べたいな〜と思って」
「自分で作るのか、偉いね」
「料理できちゃう系男子ですから」
自慢げな様子が可愛らしくて、思わず笑ってしまった。
「本田さんって趣味とかある?」
「急にどうしたの」
「いや、本田さんのこと全然知らないなって思って。しょっぱい梅干し好きで非セレブという微妙な情報しか」
「えー……また笑われそうだから言わない」
「大丈夫、笑わないから。俺の趣味はバスケね。はい、本田さんの番!」
「……俳句」
「まじか! 一周回って新しいわ!」
「嘘つき。笑いすぎでしょ」
「いや、ごめん! 本当に笑うつもりはなかったんだけど。予想外すぎた」
眉を下げて謝る笹木君は、やっぱり綺麗で。
こんなに綺麗な人に怒れるわけないじゃないか、となんとなく理不尽に思う。
悔しいから、わざとふくれて見せた。
「ゆるさない」
「ごめんなさい本田さんお許しください」
「いやです」
「やばい! ……嘘つきな ボクを許して 本田さま。一句できた」
「季語がない」
「手厳しいな」
季語がなくても、別にいいんだけど。
つーんとする私の足先に、ポタリと水が落ちた。誘われるように空を見上げると、いつの間にか黒い雨雲が広がっていた。次々と雨粒が降る。
「え、雨?」
「うわぁ、急げ! じゃあ本田さん、また明日。ほんとごめんねー!」
走り去る笹木君を見つめて、ハッとする。
待って、私の家がすぐ近くにあるから、傘を持って行って。
言葉はすぐに出てこなくて、笹木君はとっくに居なくなってしまった。
仕方なく家に入って、ソファの上でちょっと落ち込む。何気なくテレビを付けると、梅雨入りのニュースが流れた。
もう梅雨入りか。毎年これぐらいの時期だっけ?
窓の外に目をやると、雨がざあざあと降っていた。笹木君、家遠いって言ってたよね。私ったら、ぼうっと見送っちゃったよ。不親切すぎる。
「ごめんねと 言葉が降って 入梅す」
濡らして帰らせてしまったお詫びに、去年漬けた梅干しを持って行こうかな。残り少ない、貴重なやつ。
かに雑炊にしょっぱい梅干しを乗せて喜ぶ笹木君を想像して、なんとなく心がほっこりした。