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第四話 上垣の告白

 雷岬(らいみさき)町に来てから四日目を迎えた。

 空は昨日までとはうって変わり、雲が空を覆っていた。

 もしかすると、今日は雨が降ってくるかもしれない。

 そうは思っても、原さんの家には夫傘は二本しかなかった。

 そして、今日は原さんだけでなく原夫人もどこかに出かけているため、傘は残っていなかった。

 しかし、家の中ではやれることはないので、ぼくは雨が降らないように祈りながら家を出て、町をブラブラ散歩することにした。

 さすがに三日連続で雷岬(らいみさき)に行こうとは思わなかった。

 ああいう場所は本来一期一会的な感じで、一度だけ行くべきだと思うのだ。

 何度も何度も足を運んでしまうと、初めて訪れたときの感動が薄れるのではとぼくは思っている。

 しかし、原さんが以前言っていたように、ここでは雷岬(らいみさき)の観光以外にすることが本当にない。

 施設も小学校、町立の高校、町役場……。

 とても観光客が楽しめそうなところはなかった。

 もともと雷岬(らいみさき)町は観光する場所ではないのだから、仕方がないと言えるのだけれど。

 だからと言っても、宿泊施設もろくにないのだからただただ驚くしかない。

 この町では観光で生計を立てている人はほとんどいないのだろう。

 町にあるただ一つの港には漁船がズラリと並んでいることからも、この町では漁業で成り立っているのだろうかと思われた。

 そんな町ではあるが、ここに住む人々はとても優しい人たちばかりだ。

 原夫婦は言うまでもないが、老若男女問わずすれ違う人全員(もっとも午前中だけですれ違ったのは四、五人ほど)が頭を下げて丁寧に挨拶してくれるのだ。

 ぼくは挨拶されるたびに穏やかな気持ちになれた。

 しかし、だからこそ港羽さんが村八分みたいな目に遭っていないか心配になる。

 普段これだけいい人たちから、そんな扱いを受ければぼくだって嫌になるだろう。

 本当にそんな差別的な扱いをされているのか分からないけれど……。

 そんなことを考えながらあてもなく歩き続け、小さな食品スーパーの前までやってきた。

 多分、この町で唯一の食料品が買える場所なのだろう。

 昼を少し過ぎたこの時間に、この町にこれだけの主婦がいたのかと思うぐらいに多くの客が出入りしている。

 ぼくはそんな様子をただぼーっと眺めていたわけではない。

 その人波の中に、見知った顔があったのだ。

 ――港羽さんだ。

 両手に大きく膨れた手提げバックを持っていた。

 最近よく使われるようになったエコバックというものだろう。

 ということは、彼女は今買い物帰りというわけだ。

 買ったものが重いからなのか、彼女の足取りは若干重そうに見えた。

 昨日の夜感じた予感がまさか本当になるとは思ってもみなかったが、大変そうな彼女に近づくと、迷わず声をかけた。

「港羽さん」

「あ、あなたは……」

 彼女はぼくを確認すると、またかと言わんばかりの呆れ顔になった。

「私に付きまとわないで欲しいって、昨日言いませんでしたか?」

「こ、ここで会ったのはたまたまだよ」

「だとしても、声をかけないのが普通ではないですか?」

「その荷物が重そうだから、運ぶの手伝おうと思ったんだ」

 そう、ぼくが迷うことなく声をかけられたのはそれが理由だった。

 今も彼女の手は重さで握りこぶしを作り赤くなっていた。

「でも、そんなのは声をかける口実にしか聞こえないのですが」

「心配だったのは本当だよ」

「またそれですか。あなたに心配されるようなことはありません」

 彼女はそう言うと、昨日と同じようにぼくを置いて去ろうとした。

 だけど、ぼくは彼女の手から強引に手提げを奪った。

 持ってみて分かったが、男のぼくからしてもこれはだいぶ重い。

 そんなものを彼女はもう片方の手で持っているのだから、大変だっただろう。

「か、返してください!」

 港羽さんはぼくが奪った手提げを取り返そうと、空いた手をぼくの方に伸ばしてくる。

 しかし、ぼくはその荷物を彼女から遠ざけるように持つと、彼女に向かって口を開く。

「……理由がなければ、心配してはいけないのか?」

「え?」

 それは偽りなくぼくの本心だった。

 彼女の手がピタリと止まった。

「そ、それは……」

「重い荷物を運んでる君を見つけた。それだけで理由は十分じゃないか」

 あの日、ぼくと戸倉さんが初めて会ったあの雨の日のことが思い出される。

 彼女は軒下で雨宿りをしていたぼくに声をかけ傘に入れてくれた。

 その行為にきっと複雑な理由はなかっただろう。

 ぼくが困っているからというそんな単純な理由だったはずだ。

 港羽さんは何かを言おうと口を動かしていたが、それが音になることはなかった。

 やがて溜息を吐きつつ、彼女は言った。

「分かりました。それじゃあ、運ぶのを手伝ってください」

 荷物を返してもらおうとはもうしなかった。

 ぼくと港羽さんと並んで歩く。

 スーパーから離れて歩き始めると、左手に海が見え始めた。

 さっきまであまり感じなかった潮の香りが強くなる。

 昨晩のこともあってぼくらはお互いに黙ったままだった。

 ぼくもおしゃべりではないし、彼女の方はぼくのことを嫌っている。

 こうして荷物を運んでいるのも、ある意味ではぼくのわがままなわけだし。

 なんとかして会話のきっかけをつかめないものだろうかと思案していると、ポツンと肌に何かが当たった。

 雨が降り始めたのだ。

 ぼくは自分の願いが聞き届けられなかったことを悟るが、彼女は持っていたハンドバックに手を入れてごそごそとしていた。

 折りたたみ傘を持っているのだろう。

 しかし、待てど彼女のバックから傘が出てくることはない。

 港羽さんは溜息を吐くと、ポツリと呟いた。

「……傘、忘れました」


 ぼくらは次第に強くなる雨から逃げるように、駆け足で走ろうとした。

 しかし、やはり荷物が重いためそう長い距離を走ることはできず、たまたま見つけた屋根付きバス停の下で休みことになった。

 簡単なプラスチック製っぽい椅子に腰を下ろすと、腕の疲れが一気に現れた。

 それは一席空けて隣に座った港羽さんも同じだったらしく、腕を伸ばしていた。

 雨が屋根を叩く音がうるさいぐらいに聞こえる。

 またしても、あの雨の日を思い出してしまう。

 軒下で雨宿りをする昔のぼくと、バス停で雨宿りをする今のぼく。

 そして、戸倉さんと港羽さん。

 奇妙な符合だと感じてしまうのはあまりにも強引ではあるが、それでも何か運命のようなものを感じずにはいられなかった。

 雨はまだ止みそうにない。

 先ほどまで感じていた潮の香りは、すっかり雨の匂いにかき消されてしまった。

「あ、あの、お聞きしたいことがあるのですが」

 黙っているのにとうとう耐えられなかったのかもしれない。

 彼女の方から口を開くとは思っていなかったぼくは続きを促す。

「昨晩言っていた、不思議なものって何ですか?」

「え?」

「私から不思議なものを感じたって……それって、具体的には何なのですか?」

 真剣な目だった。

 言葉にせずとも、港羽さんは嘘や誤魔化しは決して許さないと訴えていた。

 だから、ぼくは彼女に話をすることにした。

 港羽さんを視界に捉えたとき、周りの音が消えたこと。

 瞳の奥にぼくが理解できない感情が見え、それで心配していること。

 そして……戸倉さんのこと。

 大分長い時間話していたし説明もつたないものだったと思うが、彼女は口を挟まず黙って聴いてくれていた。

「ぼくはずっと探しているんだ、戸倉さんのことを」

 いつしかぼくはうつむきながら話をしていた。

 隣に座っている港羽さんがどんな顔をしているのか怖くて見れなかったからだ。

「もちろん彼女はおろかその代わりになる人がいないことは頭のどこかで理解しているんだけど、それでもぼくは探してしまうんだ。そして、港羽さんと戸倉さんを重ねて見ていることも否定できない。だから、下心がないと言えば嘘になる」

 相変わらず雨はぼくの心の中にたまったよどみを洗い流すように、容赦なく降り続いている。

 下手をすればぼくは戸倉舞という名前を忘れるための道具として、港羽さんを利用しているのかもしれない。

 それでも、ぼくは正直に言わなければならなかった。

「けれど、君のことが心配だという気持ちは本当だ。余計なお節介かもしれないけど」

 それでぼくの話は終わり、雨が降り続ける音だけが残った。

 ぼくはぼく自身の話をすることで、彼女から罵られる覚悟がついた。

 端的に言えば、ぼくが話したことはぼくが抱え解決しなければいけない闇そのものだ。

 だというのに、ぼくが弱いせいで入辺だけでなく港羽さんまでその闇に巻き込んでしまった。

 そんな他人の醜い部分を見せられても、普通は困るだけだ。

 たとえば誰かの不幸話を聞いて「可哀想に」と同情を口にしていても、心のどこかでは不幸に見舞われるのはその人に責任があるからなのではと思いこむものだ。

 これは決して特別なことではない。

 “公正な世界の信念”と言われる概念としてこの世界に生きる人々の心の中に無意識に根付いているものだ。

 また、人は自分が持つ闇を他人の中に見出して攻撃することで自己のバランスを保とうとする傾向にあるものだ。

 だから、港羽さんから何かを言われることは決して特別なことでなく、当たり前のことなのだ。

 しかし、ぼくが話し終えてから一分、二分と経っても彼女は口を開かなかった。

 どうしたのだろう。

 ぼくは顔を上げて、彼女のほうを見た。

 港羽さんは先ほどのぼくと同じようにうつむいていた。

 その目は何かを見ているようで何もみていなかった。

 代わりに映っているのは、あの暗い光だった。

「港羽さん?」

 ぼくは訝しげに尋ねる。

 しかし、ぼくの声が全く聞こえていないように彼女は返答をせず、代わりに目を閉じた。

 考えるために自らの内へと飛び込んでいるようだった。

 ぼくは黙って待った。

 雨の音を聞きながら、雨に濡れる町を見ながら、待ち続けた。

 やがて、彼女は顔を上げて、ぼくを見る。

 その目はやはり鈍く光っているように見えた。

「上垣さんは今も大切な人を想い続けているんですね」

 その声に今までのような警戒は含まれてなかった。

 ただただ優しかった。

 ぼくの話を聞いて、どうしてそう思えるのか不思議でならなかった。

「私も……」

 しかし、彼女はそこまで言って口をつぐむ。

 唇をギュッと噛みしめていた。

「ど、どうしたの?」

「何でもありません」

 港羽さんは頑なに口を閉ざす。

 一体何を言いかけたのだろう。

 やはり父親のことだろうか。

 原さんの言い方からすると、港羽さんは父親と一緒に暮らしている感じではなかった。

 となると、独り寂しい毎日を過ごしているのかもしれない。

 ぼくと同じように……。

「分かった、じゃあ明日一緒に出かけない?」

 ぼくの提案に彼女は先ほどまでの優しさはどこへやらといった感じで言った。

「“分かった”の意味が分かりません。どうしてそういう話になるのですか?」

「ぼくのせいで暗い気分にさせてしまったから、そのお詫びというわけでなんだけど……」

 港羽さんがどう考えているのか分からないが、やはりぼくの話のせいで彼女は何かしらの悲しみを思い出してしまったのだ。

 だったら、その暗い気分を払拭してあげたいと思ったのだ。

「駄目かな?」

「駄目です」

 彼女はキッパリと言った。

「そんな同情みたいな理由で誘われても嬉しくなりません」

 ぼくは彼女がオーケーするとなんとなく思っていたので、少しショックを受けた。

 だが、彼女の次に言葉にぼくはそれ以上に驚くことになった。

「もっと、普通の理由で誘ってください」

「……えっと」

 それは、つまり。

「明日ぼくとデートしてください」

 こういうことなのだろうか。

 お詫びという後ろ向きな理由ではなく、好意があるからという前向きな理由で。

 こんな誘い方でいいのだろうか。

 しかし、ぼくの悩みは無意味だった。

「はい、喜んで」

 初めて港羽さんは笑顔になった。

 その表情にぼくはドキリとする。

 純粋に喜んでいる人の笑顔の破壊力は抜群だった。



 その後、ぼくらは連絡先を交換し合った。

 驚くことに港羽さんは携帯電話を所持していなかったので、ぼくのスマートフォンの電話番号を記入したメモを渡した。

 そして、明日の十一時にスーパーの前で会うことになった。

 あらかた必要なことを話し合った頃、ようやく雨が小ぶりになった。

 これなら、多少濡れる程度で済むだろう。

 ぼくらは再び二人並んで歩き始めた。

 会話は相変わらず少なかったけれど、雨が降る前と違いトゲトゲしい雰囲気はもうなくなっていた。

 バス停から歩いて十分ほど経つと、彼女が住んでいるというアパートにたどり着いた。

 ボロい二階建てのアパートだった。

 彼女の部屋は二階にあるというので、錆びついた階段を昇り、彼女の部屋の前まで荷物を運ぶ。

「ここまで運んでくれれば、後は私一人でやります」

 港羽さんはそう言うと、手提げを再び両手で持ち、そのまま部屋の中へ入っていく。

 ぼくは茫然と突っ立っていると、部屋の中から彼女の声がした。

「何しているんですか? 上垣さんも入ってください」

「いや、でも」

「さすがに濡れている人をそのまま帰すわけにはいかないです」

 一人暮らしの女性の部屋へ上がるということは、かなり覚悟のいる行為だ。

 それも、彼女はまだぼくに気を許しているわけではないことだし。

 だけど、港羽さんが言うことももっともだし、彼女本人がそう言うのだからお言葉に甘えようと思う。

「お邪魔します」

 玄関に入ると洗面台のほうからタオルを持った港羽さんが出てきた。

「これで体拭いてください。冷蔵庫の整理が終わったら傘を貸しますから」

「あ、ああ」

 ぼくは子供が母親の言うことを聞くように彼女の言葉通りに行動した。

 玄関で体を拭くというのは外聞に悪いだろうと思い、申し訳なく思いながら部屋へとあがる。

 玄関のすぐそばにある台所を抜けると、八畳ほどの広さの部屋があった。

 棚には文庫本が十数冊入っており、いずれも有名な恋愛もののタイトルだった。

 そして、クマやウサギのぬいぐるみが数体床の壁によりかかっていた。

 部屋そのものは女の子らしさはあまりないのだが、こうして見てみると案外女の子らしかった。

「あんまりジロジロ眺めないでください」

 そう言われては仕方がない、ぼくは部屋を見るのにおざなりになっていた手を再び動かし始める。

 タオルで体を拭き終わると、港羽さんはそれを回収して代わりにビニール傘を渡してきた。

 彼女はアパートの前まで見送ると言って、ぼくについてきた。

「傘、ありがとう」

「いえ、明日返してもらえますから」

 それもそうだった。

 明日も雨かもしれないし、彼女に傘を返した後に困るのでこの帰りに傘が売っていたら買っていこうと思った。

「それじゃあ、また明日」

「はい」

 彼女に背を向けて、ぼくは原さんの家へと帰った。

 雨は小降りではあったが、スマートフォンで調べてみると明日の天気は晴れになるらしい。

 せっかくのデートなのだから、天気予報通りに晴れてほしかった。


 その日の夕食で、原さんにこの地域の観光名所とか遊べる場所がないか聞いてみた。

 原さんはまず町から離れて、この半島で一番大きな町に行くべきだと言った。

 その町に行けば、水中展望船が運航しているし、浜辺もあるので遊ぶのに適しているらしい。

 ぼくはその話を元に、夕食後持ってきた唯一旅行雑誌をパラパラとめくる。

 たしかに雷岬(らいみさき)町では遊ぶところは皆無だが、帆呂又(ぽろまた)町ならいくつかあるようだった。

 もしかしたら港羽さんの方が詳しいかもしれないけれど、デートなのだから男がやっぱりエスコートするものだと思う。

 そういう考えのもと、ぼくは寝るまでずっと雑誌とにらめっこをしていた。

 明後日には帰る予定なので、明日が事実上最後の滞在日になる。

 思いきり楽しめるといいな……。

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