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第一話 十年後

 あれから、十年が経った。

 彼女が死んでから間もなく小学校を卒業して、中学校、高校と問題なく進学していった。

 だが、ぼくの人生はあの日を境に大きく狂った歯車のようなものだ。

 つまり、周りの人間とかみ合わないのだ。

 もっと言えば、ぼくは社会に適合できなくなっていた。

 もちろん、普段意識しているときは大丈夫だった。

 友人と話を合わせたり、先生と討論することだってできる。

 バイトだってこなせている。

 だけど、そうして人と交流できるということとは違うのだ。

 いくら周りに合わせようとしても、ぼくの中の魂の形はすでに固定化されてしまっているのだ。

 どれだけ上手く社会に合わせても、ピタリと空隙にぼくが入れることはない。

 理由は分かっている。

 ぼくが戸倉さんのことを引きずっているからだ。

 あの最高の数か月と今を心のどこかで比較してしまっている。

 彼女以上に素晴らしい人などいるはずもないのに、探してしまっている。

 そして自分勝手に落胆し、社会に対して失望を抱くようになったのだ。

 そんな社会に生きる必要はないのではないか。

 彼女のような存在がいない人の輪の中に入る必要はないのではないか。

 ぼくは常にそんなことを考えて生きている。

 友達は確かにいる。

 バイト先にいる上司やお客さんとだってコミュニケーションはとれている。

 だけど、ぼくの中にいる十歳のぼくは叫んでいる。

 ぼくが望んでいるのはこんな人たちじゃないと。

 戸倉さんのようなぼくを導いてくれる光を放つ人なんだと。

 十歳のぼくはいつまで経っても子供のままだ。

 二十歳になったぼくはそんなぼくに呆れつつ、しかし半分は同意している。

 戸倉さんの存在は特別なものだ。

 おそらく一生ぼくの目の前にはもう現れることはない。

 だけど、それに近い人はきっとこの世の中のどこかに一人か二人はいるはずだ。

 ……結局、十年経ってもぼくは子供のままなのだ。

 諦めることを知らず、ただただ探すために生きている人形になってしまったのだ。

 きっと戸倉さんが今のぼくを見たら、怒るに違いない。

 だけど、仕方がないだろう。

 ぼくの望みは彼女と過ごしていた日々を取り戻したいこと、それだけなのだから。

 身勝手な願いだとは分かっている。

 叶うはずもないと分かっている。

 だけど、それを探す自由はあってもいいはずだ。

 だから、ぼくは心の中で戸倉さんにいつも謝っている。

 申し訳ない、許してほしい、そんなネガティブな言葉だけしか出てこない。

 もっと明るい報告を彼女にしたいのに。

 後ろ向きな願いを背負っているためなのだろうか。


 だけど、決してこの十年暗く過ごしていたわけではない。

 期待に応えてくれそうな人に出会うことができたのだから。

 出会ったのは高校で二年生に進級したときだ。

 四月の始業式の後、自分たちの教室に帰り、担任の先生の提案で簡単に自己紹介をすることになった。

 出席番号順にやるということで、ぼくの前に席を立ったのが“彼”だった。

入辺準(いるべ じゅん)です。趣味は読書、部活は弓道部。以上です」

 そう言って彼は席に座った。

 簡潔に終わった入辺の自己紹介だが、ぼくの心には何も響かない。

 そのときはそれだけだった。

 数日後、放課後になりぼくはいつものように帰ろうとしていた。

 靴をはき変え、昇降口から出たとき、妙な音を耳が拾った。

 何かが空気を裂く音だ。

 その音の後にはトンと太鼓を鳴らすような軽い音。

 それらは一度だけでなく、耳をすませば二度、三度と止むことはない。

 ぼくは気になってその音の出所を探した。

 そして、校舎の裏手にある弓道場まで来たとき、見た。

 袴を着て弓を構える入辺の姿がそこにあった。

 短く整えた茶髪が夕日に照らされて真っ赤に染まっている。

 もともと切れ長である目がさらに細くなっている。

 弓を構える彼は神聖な……いや、仏像のようにただそこに存在している。

 周りを寄せ付けない圧倒的な存在感がそこにあった。

 それだけのはずなのに、ぼくはまるで戸倉さんを前にしたような魂の輝きが見えていた。

 空気を切り裂く音の後、矢が的に当たる音が聞こえた。

 的にはすでに二本の矢が刺さっていたがそれがどうしたと言わんばかりに三本目も的に当たっていた。

 弓道のことなど何一つ分からないぼくだが、それでも入辺の立ち居振る舞いが常人のそれを凌駕していることは理解していた。

 彼がもしやと思った。

 ぼくが探し求めて止まなかった人物なのではないのか。

 そう思うと、ぼくはいてもたってもいられなかった。

 ぼくは入辺に話しかけた。

「入辺」

 ぼくの声に反応して、彼はこっちに振り返った。

「……お前は、上垣だったか?」

「ああ、そうだ」

「何をしているんだ?」

「音がしたから、何をしているんだろうって思って見に来たんだ」

「見れば分かるだろう。弓を引いている」

 ああ、そりゃあそうだ。

 だけど、ぼくが聞きたいのはそういうことではない。

「それは分かってる。けど、今の君からはなんというか、こう……」

 先ほど感じたことを言葉にしようとして、ぼくは結局できなかった。

 あの気持ちを言葉にできるものであるのなら、ぼくはとうに見つけ出せているはずなのだ。

 考えられることと、それを口に出せるということは全く違う。

「ふうん、言いたいことは何となく分かった」

 だというのに、目の前の男はぼくの言いたいことが分かったと言った。

 ぼくの推量が確信へと変わろうとしていた。

「けど、俺はお前の望むような人間じゃない」

「ど、どうして?」

「俺は誰かを助けられるほどの力もなければ、そこまでのお人好しでもない」

 彼は確かにぼくの言いたいこと、望んでいることを理解している。

 その上でぼくの望みを拒絶した。

 彼の拒みは確かに残念なことではある。

 しかし、それ以上に疑問に思ったことはどうしてぼくの言いたいことが分かったのかだ。

 そのことを聞いてみると、答えはあっさりと返ってきた。

「そりゃあ、お前の目を見れば分かるよ」

「目?」

「自分で気づいていないのか? 俺から言わせてもらうなら、お前は教室の中でも異質な目をしている」

「異質……?」

「言葉に出してなくても、何となく伝わるものだ。お前は誰かを望んでいて、その誰かに助けてほしいって目をしてる。迷子の子供のような目をしている」

 迷子の子供とは言い得て妙だ。

 確かにぼくはさ迷っている。

 戸倉さんのような人を探して足掻いている。

「だが、俺は迷子の世話をしてやるほど善人じゃない」

「そうか」

 彼、入辺準はぼくの望む、否、ぼくの望みに応えてくれる人物ではなかった。

 しかし、このことをきっかけにぼくは彼と友達になれた。

 彼もお人好しではないと言っていたが、それは頼られるのが嫌いなだけなのだ。

 入辺はぼくの親友となったほど、ぼくと波長が合った。

 彼は戸倉さんを喪ってからの七年間で一番話が合い、ぼくが気疲れを起こさない相手だ。

 それから三年が経過し高校も卒業して大学へと進学した今も、入辺とはときどき会っている。

 大学生活内でもぼくは相変わらず探している。

 だけど、彼以上どころか以下の存在にも会えていない。

 もちろん、戸倉さんのような存在にも。



 二十一歳になった。

 だけど、ぼくは相変わらずだ。

 そろそろ就職活動を考えなければいけない。

 けれど、ぼくは具体的に何をしたいのか、ビジョンが全くなかった。

 それどころか、夜は眠れず、食事も残すようになった。

 精神的なものかと思い、入辺の勧めもあって精神科にかかった。

 どうやら、抑うつ症状が現れているらしい。

 いくつかの薬をもらったので服用をしてみるが、あまり効果はなかった。

 効果がないこと自体はそれほど不思議なことでもない。

 そもそも、体調が悪くなった原因も少し考えれば分かることだ。

 今のぼくは生物の本能――つがいを得て、子供を作り、自分の種の遺伝子を後世へ残すことに明確に反しているからだ。

 戸倉さんを……死んでしまった人の影を追い求めるぼく。

 これのどこが正常な人間だというのか。

 体調を崩し、精神的に狂ってしまっても何も異常ではない。

 それでも入辺はぼくのことを心配してくれているのだが……。

 このまま、大学にただただ通っていては、いずれぼくは理想と現実の乖離に嘆き狂人になってしまうだろう。

 そうなれば、これまでの十一年間を何のために生きていたのか分からなくなってしまう。

 ちょうど大学も夏休みに入るところだ。

 長期休暇にかこつけて、どこか人に合わない山奥とか浜辺とかに旅行に行こうか。

 人と会うことがストレスとなって、不調になっているのかもしれないし。

 そのことを入辺に言ってみると、彼は快く賛成してくれた。

 彼にはすでに戸倉さんのことは伝えてある。

 周りの人間でぼくの過去を知っているのは、彼を除けばあとはぼくの両親ぐらいだろう。

 その両親もぼくと戸倉さんの間の特別な時間のことは知らない。

 実質、入辺だけがそのことを知っている状態にあった。


 旅先はぼくの主観と入辺の知識と人脈で決められた。

 北海道西部にある帆呂又(ぽろまた)半島の海沿いにある雷岬(らいみさき)町という場所だ。

 なぜなら、そこには入辺の親戚が住んでいるので旅館に泊まるよりも費用が全然かからないからだ。

 そして、その町の近くにある雷岬(らいみさき)から見える絶景がぼくの精神に良い刺激を与えてくれるだろうというからだ。

 ネットで見た写真に興味が引かれたのも決めてとなった。

 場所が決まれば、日程やスケジュールはすぐに決まった。

 日程は夏休みに入ってすぐの一週間目に五泊六日。

 スケジュールは……特に決めることはしなかった。

 岬の観光以外には何もない町なのだ、やれることなど片手で数えても指が余るぐらいしかない。

 しかし逆に言えば、のんびりできるということでもある。

 スケジュールに縛られて、慌ただしく旅行を終わらせたくないという気持ちもある。

 だから、ぼくの中で一つ不安なことは入辺の親戚と仲良くやれるのかどうかという問題だ。

 彼は自分の叔父さんはぼくのことを実の息子のように扱ってくれるだろうと言ってくれている。

 しかし、その入辺本人は就活があるので来れないと言っているのだ。

「すまない。本当なら一緒に行ってやりたいのだが」

「いいよ、泊まれる場所を紹介してくれただけ助かっているんだし」

「叔父さんは良い人だし、上垣のことはある程度伝えてあるから大丈夫だとは思うが、迷惑はかけるなよ?」

「分かってるよ」

 こうして、ぼくは初めて旅行に出かけることになった。

 一人で旅行をしたことはないので、本心では少し楽しみにしていた。

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