きりたんぽ前編 「パンツマン!」
「はぁ~……」
教室の机に突っ伏して、ぼへ~っと窓の外を眺める。
いい天気だなぁ……世の中明日からゴールデンウィークだ。
「はぁ~あ~……」
ため息が深くなる。
明日からの連休に思いを馳せて胸一杯、という甘いため息じゃない。どんよりとまではいかないけれど、そこはかとなく暗くて重い。
「どうしたのさジャン。だらしない顔してさ」
「……腹でも、減ったのか?」
声の主をちらりと見やる。
……おやおや、陸奥クンに伊達クンじゃないデスカ。
陸奥クンは今日も黒髪が艶やかデスな、伊達クンは相変わらずの男前デ……オマケにお二人ともとんでもない歌唱力の持ち主でイラッシャル。
はー、羨ましいこって……
「どうしたの~ジャン君。ゴールデンウィーク前なのにもう五月病?」
……おや、三河クンも。
ふわふわの栗毛と童顔が愛らしいこって。一部の女子の間で弟系男子なんて呼ばれて、密かに人気なようデスな。
そんな可愛い顔してダンスの腕前はピカイチ……
はー、羨ましいこって……
「なぁ、ジャンは今日明日ヒマか? もちろんヒマだよな、カノジョなんていねぇもんな」
……そんな風にからかってくるのは、剣道の有段者、相模クン。やっばり君デスか。人一倍逞しい身体に相応しい特技をお持ちデ……
それにいつもは他の面子の見目麗しさに霞んじゃイマスが、よくよく見れば褐色の肌に白い歯が眩しい、精悍な美丈夫じゃないデスか。
はー、羨ましいこって……
ワタクシめなど、才能も容姿もとるに足らぬ凡人は、放っておいてクダサイな。今のワタクシめには、君達は眩しくてマブシクテ……
ウダウダぐじぐじクサクサするオレの肩を、相模が揺すってくる。
「なぁなぁジャンよぉ。どうしちまったんだよ?」
「んー? たそがれてんの」
「まだ昼飯前だぜ?」
「その黄昏ぢゃないやい」
ヘコんでたけど、相模のアホなツッコミにどうでもよくなる。
……そりゃ落ち込みもするさ。
このクラスでたった五人、推薦組でもなきゃ演劇強豪校の出身でもない、はみ出し組の仲間だと思ってたヤツらがさ。実はオレ以外の皆すげー特技の持ち主でしたー、なんてさ。
素直にすげーじゃんって思う反面、オレときたら……って、ヘコみたくもなる。
底辺で仲間を見つけて、「オレだけじゃないや」って自分を慰めることが、いかに非生産的なことかはよく分かってる。
でも、そうは言っても内心ホッとしちゃうのが人間ってモンじゃんか。
えぇい、我ながらバカバカしい。
気を取り直して顔を上げる。
「おー、明日ヒマだよ。彼女なんていないからなー」
すると、誰かがぷっと吹き出した。近くを通りかかった鞍干だ。
……なんだよコイツ。お前も大概暇なヤツだな。
ムッとするよりも早く、陸奥が高らかに声をあげる。
「こぃだばうしゃらすぃぐね、あですな」
前回、第三レッスン室で陸奥が言った秋田の言葉だ。後で意味を聞いていたオレ達も、エセ秋田弁で続く。
「……んだ、あですな……」
「うしゃらしくねー、ね~」
「うしゃしゃしゃくねー!」
「うしゃーうしゃー!」
突如聞き慣れない言葉をしゃべり出したオレ達に、鞍干はたじろぐ。
「は? なに言ってんのお前ら……」
言い捨てて、そそくさと離れて行った。
それを見届けてから、うしゃうしゃ言ったオレと相模を、陸奥が笑顔で振り返る。
「……二人とも、秋田弁バカにしてんの?」
笑顔が怖い。
「してませんしてません、調子乗ってホントすいませんっしたー!」
相模と口をそろえ、机にずさぁっと身を投げ出す。
『あえだばうしゃらすぃぐね、あですな』
陸奥がレッスン室で言ったこの言葉は、
「アイツはどうしようもないから、相手にすんな」
という意味の秋田言葉だった。
最初の『あえ』というのがアイツの意味で、今は鞍干がすぐそばにいたから、コイツを意味する『こぃ』に変わっていたわけだ。
半分調子こいてしまったオレ達だけど、実は秋田弁の発音が難しくて言えなかったのもある。
ガギグゲゴは鼻濁音。鼻濁音というか美濁音と言った方がいいような、なめらかな発音をする。
うしゃらすぃぐね、の『すぃ』も、実際は「し」と「す」の中間のような音だ。口にするのも文字にするのも難しい。
ネイティブ秋田人の陸奥が話すと、どこか異国の言葉にさえ思える。それくらい独特で、不思議と懐かしくなる言葉だ。
陸奥は頬に手を当て、わざとらしく息をつく。
「実家からきりたんぽ鍋セットが届いたから、今夜皆で食べようかと思ったんだけど。二人はいらないみたいだね」
「きりたんぽ!」
もはや説明不要の秋田名物じゃないか!
再び相模と頭を下げる。
「そんなことありませーん! いただきまーす!」
「カノジョもいない哀れな俺達にお恵みをー!」
「ふむ、よろしい。じゃあ、今夜はまた三河の部屋に集合ね」
「ははぁ、ありがとーごぜーますだー」
……ということで、今夜も三河の部屋に集まることになった。
◇ ◇ ◇
「よーっす、あいむかみーん!」
夜。
三河の部屋のチャイムが鳴り終わるのを待たず、相模がドアを開ける。
最初は豪華なマンションにびびっていたオレ達も、何度か遊びに来るうちにすっかり慣れた。
エントランスのインターホンで、オレ達が来たことを知っていた三河が出迎えてくれる。
「はいは~い、でぃすうぇいぷりーず! お風呂にするー? ご飯にするー? って、あれ~陸奥君と伊達君は?」
「おう、きりたんぽは……じゃねぇ。陸奥は鍋セット取りに帰ったついでにシャワー浴びてくっから、ちょっと遅れて来るってよ」
「伊達は荷物持ちにドナドナされてった」
ドナドナ。
仔牛が荷馬車でゴトゴト連れられていくあの曲だ。それにちなんで、ドナドナされる=連れ去られる、なんて言い方をする。
考えてみれば方言じゃなくても、仲間内やその世代でしか通じない言葉ってあるもんだ。
相模は手土産のジュースを手に、ずんずんとリビングに入った。
リビングには、最初にここへ来た時よりも明らかに物が増えている。特に目を引くのが、部屋の角に積まれた四色の衣装ケースだ。
その名も『僕ボックス』。
五人で集まるとなると、一人暮らしの三河の部屋にお邪魔することが多くなる。そこで、簡単な部屋着や歯ブラシセットなどを常備するため、陸奥が三河に頼んで持ち込んだものだ。
用意したのは陸奥だけど、ここまで運んだのは伊達だ。
「なぁ、もう着替えちゃっていい?」
「どーぞー、ぼくもまだ着替えてないや、一緒に着替えちゃお~っと」
相模は赤い僕ボックスから、オレは緑の僕ボックスから、それぞれ部屋着を取り出して着替え始める。
三河が部屋着として持ってきたのは、某ゲームの黄色いモンスターの着ぐるみだ。
「三河、着ぐるみ好きだよなぁ」
今では慣れたけど、最初は随分驚いた。三河の着ぐるみコレクションは、動物やキャラクターものなど全二一着あるという。
「うん、すっごい温かいんだよー! 寝返りうってもお腹出ないし」
「子供かっ」
「まぁ、似合うんだからいいじゃねぇか」
そう言う相模を見れば……
あぁ、出た。
またやってるよこの男。ため息つきつつ、着替え中のその姿にビシッと指を突きつける。
「だぁから、なんでパンイチになるんだお前はーっ!」
念のため。
パンイチ=パンツ一丁。
相模の悪いクセ。
この男、着替えをする時にまずパンツ一丁になる。
真っ先にパンツ一丁になる。
とりあえずパンツ一丁になる。
なにはともあれパンツ一丁になる。
パンツ男は、なにがおかしいとばかりに両手を広げる。
もちろんパンツ一丁で。
「なんでだよ? 今日はちゃんと着替えを用意してから脱いだだろ?」
「あぁエラいエラい、成長したな相模。でもそういうコト言ってんじゃねぇわっ!
まずシャツ脱いだら着替えのシャツ着ればいいだろ? なんでシャツ着る前にジーンズも脱ぐんだよ!」
「え、え? なにが悪ぃの?」
「だぁから、人様の家でパンイチになるなっつってんの!」
「わぁ~、パンツマンだ~!」
言い争うオレ達の横で、モンスター化を終えた三河が無邪気に手を叩く。
……いや、そうじゃないだろ三河……
「パ~ンツマン! パ~ンツマン!」
「ふはははっ! あいむパンツマ~ン★」
三河の手拍子に合わせ、調子に乗った相模がボディビルダーのようなポーズをキメだす。
いやいや、なまじガタイがいいだけに、シャレにならないって……
「いいからズボンはけって!」
「ノー! お前だってまだパンツだろ」
「お前がアホなことしてるからだろっ。大体オレはまだシャツ着てるわっ! パンイチじゃねーし!」
「いや、逆に考えろ。シャツ・パンツ・靴下。パンイチよりそっちの方がよっぽど変態チックだろ!」
うぐっ。た、確かにそうかも……って、ここで策略にハマったらパンツマンの思うツボだ!
オレはやれやれと大袈裟に眉を寄せる。
「パンツマンよ。君は恥ずかしくないのかね。同じパンツでも、オレはトランクス、君はボクサーブリーフ。君のはボリューム感モロバレじゃないかっ!」
びしぃっと指さすと、相模は不敵に腕を組む。いや、だから隠せよ。
「だからどうだと言うんだ変態君。トランクスは確かにフォルムをカバーしてくれるが、下から見たらモロバレどころかモロ見えではないかっ!」
「誰が下から野郎のパンツのぞくんだよ! このフリーダム感サイコーだろ!」
「いーや、このホールド感が安心なんだよ! ボークサー! ボークサー!」
「トランクース! トランクース!」
「ボークサー! ボークサー!」
ガチャ。
リビングのドアが開く音にハッとして振り返る。
そこには大きな土鍋抱えた伊達と……般若のような形相の陸奥がいた。
その後から、ちびっこモンスター三河がとてとてやってくる。
「陸奥君達、きたよー!」
「お、おう……」
ヒートアップしすぎて、チャイムの音にも、三河が出て行ったのにも気付づかなかった。
「………」
「………」
向こうもなにも言わないが、こちらもなにも言わない。言えるわきゃない。
下手なことを言えば、暴君陸奥の逆鱗に触れるどころかもぎ取ってしまう!
固まる両者を見比べて、三河がんーっと首を傾げる。
「ぼくもトランクスだな~、楽チンだよね~」
ひいいいい! やめろバカやめてください!
これ以上パンツの話出さないでくれ!
伊達が口を開く。
「……自分は、ボクサー派だ……」
いやいやいや、冷静な顔してなに言ってくれてんだ! 実は動揺してるだろお前!
陸奥はふーっと長く深い息を吐く。その吐息がメラメラと燃える炎に見えたのは、オレだけじゃないはずだ。
どんな罵声が飛んでくるかと身構えていると、意外なことに陸奥はにっこり笑った。
「お待たせ。さ、お鍋の支度しようか」
バカどもはスルーが一番と悟ったらしい。
張りつめていた糸が切れて、難を逃れたオレと相模はへなへなとその場にへたり込んだ。
陸奥が三河を連れてキッチンへ行ってしまうと、相模がガクブルしながら肩を叩いてくる。
「俺ぇ、パンツマン引退するわ」
「是非そうしてくれたまへ……」
「でも、ボクサーは譲らねぇからな! ボクサー最高!」
「いーや、絶対トランクスだねっ!」
いがみ合うオレ達に、ようやく荷物持ちから解放された伊達がぽつりと言う。
「……どちらでも、よくないか」
まぁ、そうなんだけどさ。
納得したオレとは違い、未だにパンイチの相模は首を振る。
「いいや、これはハッキリさせねぇと! パンツは男の戦闘服だし!」
「……それはスーツじゃないのか」
「今のところボクサーとトランクス二対二か……おーい、陸奥ー!」
「はっ! おいバカ、やめろっ!」
制止が間に合わず、パンツマンはずんずんとキッチンへ歩いていく。
「なぁー、陸奥はどんなパンツはいてんのー?」
おいおいその台詞っ! 変態は間違いなくオレじゃなくお前だ!
キッチンカウンターの向こうで、陸奥がツ……と振り返る。
そして例の氷点下の笑みで……
「ノーパン。文句ないよね、ポークビッツ君」
おぉう……
……オレはそっと、殉職したであろうパンツマンの心に手を合わせた。
ブリーフ派やブーメラン派を忘れてたわけではないです。一応。
好きなの履いたらいいよね。