涙の行方4 「第三の富樫」
鞍干の台本投げ事件から数日。
結局あの一件は、相模が養護教諭の斉藤先生に『立ち回り中のミスでケガした』とすっとぼけてくれたことで、公になることはなかった。
落ち着いてから考えると、いくら軽傷とは言え生徒間のいざこざで傷害沙汰があったんだ、大事にならなかったのは本当に幸いだった。事情を知る誰もが、全てを呑んで漏らさない相模に感謝した。
一方で、当然と言ってしまえばそれまでかもしれないが、鞍干に対する風当たりは強くなった。
有村さんの説得のお陰か、はたまた持ち前の芝居に対する真面目さか、鞍干は周りに遠巻きにされようともきちんと練習に出てきた。アップのリーダーも引き続き勤めている。
けれど、問題のシーンの練習では頑として涙を見せない。決して自分の芝居を変えようとはしなかったんだ。
安宅の関の練習をする度に空気を乱す鞍干に、「これ以上まだ迷惑かけるのか」「黙っていてくれる相模君に少しでも感謝する気はないのか」と、周りの目は日を追おうごとに冷たくなっていった。
「……なぁ、どう思う?」
昼休み。
いつもの中庭、いつもの六人で昼食をとりつつぼそりと呟いてみる。
購買のサンドイッチにパクついていた陸奥がもっともらしい顔で唸る。
「うーん……今は付き合ってないにしても、元カレ元カノだと思うんだよね」
「え、なんの話?」
「え、有村さんと鞍干の話」
違う。
誰が恋バナしとるかっ。
今度は口の周りにクリームつけた三河が言う。
「本番までには消えるんじゃないかな~? もし残っちゃっても役が役だもん、らしくていいんじゃない?」
「え、なんの話?」
「え、相模君の傷の話~」
あぁ、うん。それはホント心配だよな。
大したことなくてよかったよ。
でも違う。
と、今度はオレに押しつけられたコロッケをかじりつつ天野がぼやく。
「そうですね……案外涙もろくて困っています。最後の最後まで泣かせてやる気はないんですが」
「えっ、鞍干泣いたの?」
二度目のスタリハの準備で忙しく、あまり練習に立ち会えていなかったオレが前のめりになって尋ねると、
「いえ、相模君の話です」
天野はぐりんっと相模の方を向いた。例によってデカい弁当をかっこんでいた相模は、苦笑いで箸を止める。
「いやぁ……つい感情移入しちまってよぉ」
「あれだけ悪役らしく振る舞っているのですから、しょっちゅう泣いてしまっては興醒めですよ」
あぁ、そっちか。
乗り出してしまった身体をしょんぼりと引っ込める。
そうなんだ。あの時の立ち稽古でも去り際の弁慶が涙目だったことが気になったんだけど、相模は意外と涙もろくて、あの場面だけじゃなく要所要所で泣きそうになってしまうんだ。
あやめを手放すところ、山に帰らせた義経に一人詫びるところ……最初は泣くのを堪える芝居でもいいかと思っていた天野だったけど、相模の荒々しい弁慶を見ていて最後まで泣く素振りすら見せない方がいいと判断し、そう指示していた。
でも泣く。泣きそうになってしまう。
例え涙を零さなくても、泣きそうになれば声は詰まり唇は震え、堪えようとして表情も強張る。つまりダダ漏れ。
よく泣く相模と泣かない鞍干、もうお前ら足して割ってくれよと思ってしまう。
……って、そうだよ鞍干!
「ちっがあぁう! 現実逃避すんなっ、分かってんだろ? オレが言いたかったのは鞍干! 鞍干富樫どーすんだっては・な・しっ!」
一音発するごとに膝を叩くと、弁当がカタカタ揺れた。
鼻息を荒くするオレに、缶コーヒー片手の伊達が物憂げに頬杖をつく。
「……そうは言ってもな。周囲の意見が纏まろうと、実際に舞台上で演じるのは鞍干だ。鞍干に泣く気がない以上、力づくで泣かせられるものでもないしな……」
「なんとか説得できりゃいいんだがなぁ」
「ムリムリそんなん! アイツぜーんぜん聞く耳持たないもん。有村さんの他にも仲のいい推薦組の子達が説得してるみたいだけど、変わる気配すらナシだし。あの空気の中でも動じないって、ホント心臓に毛でも生えてんじゃないの?」
と、同じく心臓に毛が生えてそうな陸奥が毒づく。
芝居のことも再び悪くなってしまった稽古場の雰囲気のことも、どうしたもんかとそれぞれ悩んでいると、天野はコロッケを一度置きフォークをくるりと回した。……細長い物はとりあえず回してみるのかよ。
「鞍干君は、『第三の富樫』を表そうとしているのかもしれませんね」
「『第三の富樫』?」
五人で揃って聞き返す。
天野はお茶を一口飲んでから説明を始めた。
「安宅の関のシーンの元になっている歌舞伎の『勧進帳』……そこへ登場する富樫は、山伏達が義経一行だと察しながらも、弁慶の行動に心打たれ通してやる人情家として演じられていますね。けれど、最初は違ったんです」
「え、そうなの~?」
小首を傾げる三河に、天野はポケットティッシュを渡してやりながら続ける。
「江戸時代中期の『勧進帳』初演からしばらく、富樫はまんまと弁慶の芝居に騙され関を通過させてしまう『冴えない男』として演じられていました。
しかし明治になると、さる一人の名役者が、義経一行だと看破しつつもあえて見逃した『情に厚い男』という富樫像を作りあげたのです。それが大層評判となり、その演じ方が今にまで伝わっているんですよ。
『冴えない男』、『情に厚い男』……そのどちらでもない新たな富樫の形を表現したいと、鞍干君は考えているのかもしれません」
へー……知らなかったなぁ。
この『鬼弁慶』を上演するにあたって、『勧進帳』のことはそれなりに調べたし、歌舞伎のDVDも観たのに。でも思えばそれらは、今現在の『勧進帳』のものばかりだった。
天野の推察どおりだとすれば、鞍干はやっぱり芝居に対して真摯で、勉強家だってことだ。
「いや、でもさ」
感心しつつも、それじゃあダメだよと首を振る。
「今のままじゃ、演出である天野の描いた筋と違っちゃうじゃないか」
「そうなんですよね」
天野は腕を組みよく晴れた空を見上げた。けれどその黒い目に、青空も白い雲も映ってはいない。
「弁慶には今のまま、粗野で野蛮でありながら腹に一本通った男として演ってもらいたい……これは譲れません。けれどそれは傍目に分かりやすいものではない、だからこそ富樫にはそんな弁慶の心を詳らかにしてもらいたい……そう考えているんですがね。
困りました。鞍干君の心意気は買うんですが」
皆してまた項垂れてしまう。
なにかいい方法はないのかな。
すっかり葉の落ちた木々すり抜け吹く風に、ぶるりと首を縮こめる。
静けさと寒さとに上着の前を掻き合わせ、天野はぽつりと零す。
「……こうなってしまうのなら、いっそわたし、独裁者のままいればよかっ」
「そんなこと言うなよっ」
最後まで言わせず、その口に卵焼きを押し込み黙らせる。
「皆と意見を出し合いながら芝居をよくしていける、それが楽しいっつってたじゃん。そりゃ色んなヤツがいるから、こうやって衝突することもあるけどさ。乗り越えられたらきっともっといい芝居ができるって。絶対!」
天野は無表情のままもぐもぐと咀嚼する。今日の卵焼きはちょっと固い。おまけにちょっとパサついている。それも手作りならではってコトでご愛嬌。
ようやく飲み下すと、天野はちょっぴり唇の端を持ち上げた。
「ンだねはぁ」
久しぶりの天野の笑い顔に、なんだかオレ達の方が嬉しくなってくる。
そうだよな、地元では演劇好きな仲間に恵まれなかった天野にとって、これが初めての舞台なんだ。なんとかうまくやらなきゃ。
各々そう奮起したときだ。誰かの携帯が鳴った。
三河だ。「ちょっとごめんね~」と断ってからスマフォを取り出す。たっぷり数秒間を空けてから、
「なにコレ~!」
叫ぶなり、画面を皆に向け突き出した。
見れば、三河の愛しの君・杏ちゃんからのメールだった。
『これ、ゆう君だよね? いつの間に有名人になったん?』
それを見て陸奥がニヤッとする。
「へ~ぇ、ゆう君って呼ばれてるんだぁ。ゆ・う・く~ん♪」
からかわれた三河は耳まで真っ赤になって、慌てて添付ファイルを開く。
「あ、その、あの、えっと……! みみみ、見せたかったのはこっちだにーっ!」
だにー?
ナニその語尾可愛いじゃんよ。
釣られてニヤニヤしながら画面に視線を戻す。
添付されていたスクリーンショットは、ツイッターの画面を写したものだった。
そのつぶやきは写真付きのもので、まだ夏の暑い頃、『鬼弁慶』のスタッフTシャツのまま駅前を歩く三河と陸奥の後ろ姿が写っている。顔は写ってないけど、確かに二人だ。
『今年も劇高祭Tシャツ着た学生さんを見かける時期になった。今年も観に行くよ!』
本文にはそんな風に綴られていた。
「いつの間に撮られてたんだろう、全然気付かなかった。でもなんか嬉しいね、こうやって応援してくれてる人もいるんだね」
ちょっぴりはにかみながら陸奥が言うと、相模は下部の数字に目を見張る。
「すげぇ、結構リツイートされてる! それで杏ちゃんの目にも留まったんだな。いやぁ有り難ぇなぁ」
「ホントだよなぁ。思えば、オレ達ってスタッフT着て歩く以外宣伝らしい宣伝してないよな……他の演目はどうしてんだろ? やっぱSNSとか使って宣伝したりしてんのかな?」
今更そんなことに気付いて焦りが募る。別にお客さんの入りの多さを競ったりはしないけど、やっぱり折角演るからには一人でも多くの人に観てもらいたい。その気持ちはどの演目も一緒だ。
うちの演目は天野耕助っていう大看板があるにはあるけど……
「なぁ、天野は公式ブログとかツイッターとか持ってないのか?」
尋ねると、天野は何故か怯えたように首を横に振る。
「わたし、コミュ障ですから。そんなリア充専用ツールを利用しているはずがないじゃありませんか」
「いやいや、ナニそのSNSに対する偏見……個人的には否定しないけど」
持ってたらそこに上演日程をあげてもらえれば一発じゃん、と思ったんだけどなぁ。
あ。もし持ってたらオレなんかがが言う前に、学校側から「全上演日程書き込め!」ってゴリ押しされてるか。なんだかなぁ。
モヤッとしていると、天野は意味ありげに素早くフォークを回した。
「大丈夫ですよ。試しに皆さん、『劇高祭』と年度を入力してネット検索してみてください」
「?」
言われるがまま、それぞれスマフォで検索をかけてみる。
するとまぁ、出るわ出るわ……ゲキ高生のブログやツイッター、フェイスブックやなんやかや。
どれも演目の上演日程とともに、練習風景や小道具なんかの写真がアップしてある。随分気合い入ってんなー……感心しながら検索画像一覧をめくっていると、見慣れた顔が目に飛び込んできた。
小具足姿の見目麗しい少年……コレ、もしかしなくても三ツ石義経じゃん!
更にめくっていくと、金剛杖を構えた相模弁慶に、黒い羽根を背負った天狗達こと陸奥と伊達、頭のてっぺんで髪を一束くるんと結った三河きさん太まで。他にも鞍干富樫や、刀を持った追っ手達の集合写真などなど。
衣装合わせをした時の写真だ。
ってことは、これをアップしたのって……
すると相模があっと声をあげた。
「コレ、あの双子ちゃん……じゃねぇや、栗沢姉妹のブログじゃね?」
その大きな手の中の小さな画面を、皆で額を寄せ合い覗き込む。プロフの名前は『くりさわ☆ツインズ』……あああぁ間違いないっ、嫌な予感しかしないっ!
記事を開くや否や目に飛び込んで来たのは、衣装を着付けた役者陣それぞれの写真。が、さっき見たものとは気合いの入り方がまるで違う。
プリクラかと見紛うほどの美肌仕上げに、目にも眩しいキラキラエフェクト。イケメンは超絶イケメンに、フツメンもなんだかイケメンに、元々可愛い女子二人は絶世の美少女に……詐欺とは言わないけども、美化一五〇%は固い。
おまけに、『これが推しカプや!』とばかりにハートのスタンプ満載のツーショット写真まである。えぇ、もちろん男子のツーショット。天野になんと言われようと鼻水出たよジャン君は。
おそるおそる四人の様子をうかがう。あぁよかった、相模も鼻水出てる、白目剥いてる。伊達は目を逸らしてる、でも多分口から魂的ななにかが出てる。陸奥はわなわな、三河はきょとん。……よかった、ここにはみ出し組の純真がいたよ! よし、気を取り直して次だ次!
別の記事には、衣装や小道具の製作工程がテンション高い文章で綴られていた。
ただの段ボールが鎧に変わっていく過程なんかは素人目にも興味深くて、ついつい古い記事まで辿っていくと、彼女達の趣味であるコスプレ衣装の写真が出てきた。彼女達の趣味を知らなかった四人は目を点にしながらも、妙に納得した風で頷く。
「あー……そういえば衣装着て写真撮られたとき、アップしてもいいですかーって聞かれた気がするー……なんにも考えずにいいよーって言った気がするー……するけど、するけど……てか、何気に閲覧数凄いんだけどー……」
放心しきった顔で呟く陸奥に、天野がさらりと言う。
「時代物の衣装や小道具は絵面にインパクトがありますからね。それに彼女達その道では有名人のようですので、閲覧数も期待できましたし。いや、お任せしてよかったです。他の皆さんも自主的にツイッターなどを活用して宣伝してくれているようですし」
モジャ男よ、お前の差し金か。
一斉にじとっと見やると、天野はパッと両手を広げ急いで言葉を継ぐ。
「あぁ、皆さん自作のコス……いえ衣装の製作工程を丁寧に載せているので、そういった趣向の人のみならず、舞台衣装製作の参考にと演劇関係者もよく訪れるそうですよ。コメント欄を見てください」
言われてコメント欄を開くと、コスプレ仲間と思しき人達からの「さすが双子ちゃん!」なんて絶賛コメントと並んで、「本番観に行きます!」という嬉しいコメントの数々が。「義経様を間近で見てみたい」「天狗兄に飛びつきたい」なんていう伊達真っ青なコメントもあるけれども……
……うん、まぁ、その、なんだ。
今まで演劇に興味なかったかもしれない人達にも、ビジュアルきっかけであれなんであれ、関心を寄せて貰えたならなにより……うん。うん。そうだとも。そういうことにしとこう。
一人でうんうん頷いていると、最後までスクロールするのが一苦労なほどのコメント達を読みながら三河が息をつく。
「すごいな~……ホントにこんなにいっぱいの人達が来てくれたら嬉しいよね。あ、でも会場整理担当の子達は大変かなぁ?」
「それは大丈夫だと思うよ、人手は結構割いてるし」
そう答えると、「さっすがブタカン」と掛け値なしに褒めちぎってくれた。素直に照れとく。
弁当を食べ終えた相模は、手の甲で口を拭って立ち上がり、
「なにはともあれ。こんだけ期待してもらってんだからよぉ、ビシッと決めなきゃな! 『鬼弁慶』の役者スタッフ一同心一つに……って、あー富樫……」
威勢良く放った言葉の途中で、大問題を思い出し口ごもる。皆もなんとも言えない顔で頭を抱えた。
そこへ、昼休みの終わりを告げるチャイムが響き渡る。ともあれ、まだ食べ途中だった相模以外は慌てて残りをかっこんで立ち上がる。
「まぁ、なんとかしようぜ」
「そうですね」
「なんとかなるなる」
「多分ね」
「多分って言うなっ」
「…………」
なんとも締まらないまま、バタバタと中庭を後にした。
――だけど、そう易々と「なんとか」なんてなるはず、なかったんだ。
その後、無事に二度目のスタリハを終え、役者達を含めた全員でのリハーサルを二度行っても、鞍干は一度たりとも泣かなかった。
仕上がった衣装を着けて太刀を佩き、大道具もセットした本番さながらの舞台の上でも、決して。
何度話し合っても自分の演技を変えないまま。
オレ達は鞍干を説得することができないまま、最終リハーサルの日を迎えることになったんだ。




