涙の行方3 「しゃしゃってンじゃねぇ」
オレの問いかけに、
「え?」
「そりゃあ『パねぇよ弁慶!』って思ってだけど?」
関守役の役者達は確認し合いながら言う。パねぇよって……うん、まぁ、弁慶スゲーってことだよな。
「だよね。じゃあ、もう一回だけ見てもらえる?」
ダメ押しでもう一度、同じシーンを再生してみた。
一行を追おうと言い募る関守達、それを遮る富樫。そして死を覚悟した表情で弁慶の心を説く富樫の言葉に、次々に泣き出す関守達……
「…………なんか、ヘン?」
不安げに尋ねてくる関守達に、皆の芝居が変なんじゃないよと前置きして、
「オレさ、これだけ完成してきた芝居を初めて観たから感じたのかもしれないけど……命懸けで弁慶を守った富樫に感動して泣いたように見えたんだ」
「マジで?」
そんなつもりじゃない、もう一度見せてくれと促され、
「ひとまず今の議論とか全部脇に置いといて、頭カラッポにして見てみて」
言いおいてから再生ボタンを押した。
すると、
「……あれ?」
「言われてみれば……」
「富樫の男気に対して泣いてるように見える、かも」
「富樫が泣いてないから余計に……」
一つの芝居の稽古に長いこと打ち込んでいると、陥りやすいミスがある。
何度も何度も練習し、互いの演技やその意図を共有していると、客席の観客もそれを分かっているものと錯覚してしまうんだ。
今回のケースでいくと、関守達が泣くのは弁慶のためだというのは台本にも書かれていることだから、大前提として皆の頭にあった。そして客席にも当然それが通じるものと思っていた。
けれど実際は、富樫の覚悟が伝わった後に関守達だけが泣くことで、あたかも彼らが富樫のため泣いたように見えていたんだ。これじゃあ富樫に対する好感度は上がるけど、本来の趣旨とは異なってしまう。
鞍干の芝居は確かに巧くて、その悲しい決意がひしひしと感じられるからこそ余計にそう見えてしまっていた。
観せる側があれもこれも伝えたいと練りに練り、こねくり回し過ぎた芝居は、時に観る側に本来意図していない風に受け取られてしまう。
いかに役作りを丹念に行ってたどり着いた演技だろうと、観客様は皆初見、こちらの思惑を一から十まで読みとってくれるわけじゃない。読みとって欲しい意図があるなら、例えありがちな演技に落ち着こうとも分かりやすく表現しないといけないんだ。
そういう意味では、現代人の目に弁慶がどう映るかを考えていた天野は、少し考え過ぎかもしれないけれど正しい。
「そっかぁ……それならやっぱり富樫も泣いた方がいいかもしれないわね」
「だねぇ」
「富樫が泣いたらちゃんと伝わるのかな?」
「少なくとも今の見え方のままじゃマズいよね」
言い交わされる言葉にホッと胸を撫で下ろす。よかった、なんとか富樫が泣く方向で落ち着きそうだ。
そこで相模が立ち上がり、威勢よく呼びかける。
「とりあえずいっぺん泣くバージョンで演ってみようぜ? またジャンに撮ってもらって見比べてみりゃいい」
気っ風のいい声に、役者達は早速持ち場に戻ろうと腰を上げる。方向がまとまったことで停滞していた場の空気が流れ出し、皆の表情が活き活きとしたものに戻ってきた。
傍らの天野を振り返ると、天野は小さく、けれどしっかり頷いた。表情は相変わらず動かないものの、少しばかり目を細めているように見える。
「そうですね。では、関守が義経を見咎めるところから……」
ところが、天野が指示を出しかけた時だ。
「おれは演らないぜ?」
盛り上がりかけたところへ、冷や水を浴びせるような声が響いた。
一斉に声の主に視線が集まる。
鞍干だ。
「え……なんで?」
まさかここへきて断られるとは思ってもみなくて、率直な疑問がそのまま口を突いて出る。
鞍干は黒い髪をイライラと掻き乱し、持っていた台本を手のひらで叩く。
「言いたいことは分かったけどよぉ。自分の命張ってでも他人を助けようとする男が簡単に泣くなんて、納得できないねぇ。役の性格に統一性がないっつーか、キャラブレてねぇか?」
喧嘩腰な声音に、再び場が冷え込む。
けれど流石の相模は臆することなく、
「富樫は義理に厚い人情家なんだし、ブレてはねぇと思うぜ? なんにせよ試しにいっぺん演ってみようや、それを観ておかしきゃまた考えればいいんだしよ」
大らかに振る舞って、鞍干の肩に手を置こうとした。けれどその手はつれなく払いのけられる。
「お前が富樫を語ってンなよ、富樫の役作りなんてしたこともないクセに」
「そりゃ、まぁ。けどよ、演り比べてみなきゃ分かんねぇことだってあんだろ?」
「お前が仕切るんじゃねーよ、主役だからってしゃしゃってンじゃねぇ!」
明らかに啖呵を切られた相模だったが、その反応は鈍かった。困ったように首を傾げ、
「しゃしゃってる……? しゃしゃってるってなんだ、どっかの方言か?」
尋ねた瞬間、鞍干はカッと顔を紅潮させたかと思うと、
「人をバカにすんのもいい加減にしろ!」
手にした台本を思い切り相模の顔に投げつけた。角が当たったのか、相模は右目を押さえかすかに呻く。
瞬間、沸点突破した怒りのあまり、女子二人の悲鳴が遠くに聞こえた。
「おまっ……なにしてんだ!」
イスを蹴倒し鞍干に飛びかかろうとするオレを、天野の腕が制した。それでも構わず進もうとすると、骨と皮だけみたいな細腕のどこにそんな力があるのか、オレのパーカーのフードを引っ掴み、無理矢理後ろへ下がらせる。
そしてまだ肩で息をしている鞍干へ冷ややかに告げた。
「鞍干君、役作り以前の問題です。君は役者としての心構えが足りていないようですね。本番前の役者の顔に傷をつけるなど言語道断。……相模君、大丈夫ですか?」
相模は駆け寄ろうとするオレ達に来るなと手で合図して、
「問題ねぇ、ちょっと驚いただけだ」
何度か瞬きを繰り返した。目尻の脇が赤くなってはいるものの、眼球に傷がついたりはしていないようだ。そのことに少しだけホッとして鞍干を見やる。鞍干はまだ怒りが収まらないといった様子で、相模を睨み続けていた。オレもそんな鞍干を睨んでしまう。
「鞍干君」
天野が再び口を開く。
「演りたくないのであれば結構です、下がっていてください」
そこまで言ってオレを振り返る。
「ジャン君、君は確か富樫のオーディションでこの場面を演じた時、泣いていましたね。彼の代わりに入ってください」
「え?」
オレの名前が出た瞬間、オレの目は天野に、鞍干のそれはオレに移る。突然振られた代役話に、鞍干への怒りがそっちのけになってしまうほど嫌な焦りが胸に広がった。
慌てて天野の袖を引き、小声でまくし立てる。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ! 天野は鞍干を富樫役から降ろすつもりなのか?」
「いいえ、そこまで考えてはいません。ただ彼に泣く気がないのなら、今は代役を立てるより他ありません」
天野もまた唇の内で早口に答える。
「なら今ここでオレが代わりに入るのはマズい、絶対!」
心底分からないといった様子で、天野は無表情のまま首を捻った。
演り比べたいという天野の気持ちは分かるけど、人一倍プライドの高い鞍干のことだ。『こんな風にやってみろ』と言わんばかりに目の前で実演され、面白いワケがないじゃないか。
ましてそれが誰もが認めるプロだとかならいざ知らず、鞍干が格下認定して憚らないオレなんかに演られたら……
と、
「……ロクに稽古に立ち会ってもないブタカンに、おれの代役が務まるって言うのか? ふざけんな!」
嫌な予感が的中してしまった。鞍干は声を荒げて怒鳴り散らすと、壁際に放ってあった鞄をひっ掴み、練習着のまま部屋を飛び出して行ってしまった。
「待てよ鞍干!」
急いで追いかけようとすると、
「待ってジャン君!」
思わぬ声に引き留められた。
有村さんだった。
結局この日は練習継続という感じではなくなってしまって、主役の相模が保健室へ行くため抜けてしまうこともあり、重い雰囲気のまま早めの解散となった。
保健室へは伊達と三河が付き添ってくれていた。天野と陸奥、それに心配して残ってくれた有村さんの四人で、言葉少なに三人の帰りを待つ。
「……ジャン君は、相模君に付き添わなくてよかったの?」
静寂に耐えかねたように、着替えを済ませた有村さんがそっと尋ねてくる。小さく整ったその顔には、隠しきれない疲れが滲んでいる。
「いいんだ、アイツ見た目どおり頑丈だからさぁ。大したことないって!」
ちょっとワザとらしかったろうか、無理矢理テンション高く答えたオレに、有村さんはほんのりと微笑んでくれた。
それに、今相模に付き添って周りの目がなくなってしまったら、鞍干のことを口汚く罵ってしまいそうで。
すると今度は陸奥が有村さんに尋ねる。
「有村さんこそ、鞍干追いかけて行かなくてよかったの? 僕、てっきり二人は付き合ってるのかと思ってた」
唐突な陸奥閣下の斬り込みに目玉が飛び出そうになる。有村さんは耳まで真っ赤に染めて、
「ち、違うよ? 鞍干とは中学で同じ部活だっただけで……!」
「そうなの? アヤしーい」
「そんなんじゃないったら」
「ホントにぃ? でもねー、相模はヤメといた方がいいと思うよぉ? 意外とナンパだよアイツ」
「それも違うったら! だから、もう……そんなんじゃないのっ」
……やだちょっとナニこのガールズトーク。片方ガールじゃないけども。
陸奥なりに有村さんの気を紛らわそうとしてるんだろうか。そう思って陸奥を見る。……あ、コレ絶対素だ、すげー楽しそう。
散々陸奥にからかわれ、有村さんは「もうっ!」と振り切りイスに座った。
「鞍干を追いかけなかったのは……昔からあの性格だから、今はなにを言っても聞かないと思ったの。
鞍干がそういう性格だって分かってたのに、こうなっちゃうまで上手くフォローできなくて……相模君にケガまでさせちゃって……だから」
「そんな、有村さんが責任感じるトコじゃないよ。なぁ?」
天野を振り返ると、黙ってなりゆきを見ていた天野はこっくり頷く。
「えぇ、あなたのせいではありませんよ。というか、わたしも二人は付き合っているものかと」
どさくさ紛れに真顔でナニ言ってんだこのモジャ男。お前らそんなに恋バナしたいか。
がっくりと肩の力が抜けたところで、ドアが開いた。
「ただいま~!」
「戻ったぞー」
その顔を見た途端、ひやり背中が寒くなる。戻ってきた相模の右目横には、思いの外大きなガーゼが貼られていた。
「相模、大丈夫か?」
「相模君!」
オレより早く、有村さんが相模の元に駆け寄る。そんな有村さんを見て相模は目を丸くした。
「あれ、有村も待っててくれたんだ? 悪かったなぁ」
「ごめんね相模君、鞍干の性格は分かってたのに止められなくて……大丈夫?」
目に涙を浮かべた有村さんに、相模はガーゼを指でつついて見せる。
「なんてことねぇよ。ただ、本番控えた役者の顔だからーっつって、斉藤センセが大袈裟にしただけだ」
相模の横に立つ伊達に本当かと目で問いかけると、伊達は小さく頷いた。
本当によかった……大きなケガじゃなくて。
……て言うか、なんなんすかね。お二人のなんかイイカンジなフインキは。相模、いつの間にか有村さんのこと呼び捨てだし。ねぇねぇ、なんなんすかね。恋人同士なのは役の中だけだよね? ね? ラブコメ展開なんて断固許さないんだからなー!
非モテの僻みに奥歯ギリギリしていると、天野がそっとポケットティッシュを差し出してくる。
「よかったですね、相模君大したことなくて。鼻水出てますよ」
「お、おう」
そりゃ鼻水も出るわいっ。人が裏方の間駆けずり回って必死こいてる間にちゃっかりモテやがって、今度はオレが台本ぶつけたろか! モヤモヤを鼻水と一緒にティッシュに丸めて捨てる。
そんなオレに天野がトドメをくれる。
「君は普段からリアクションに身体張りすぎなんですよ、口から物を噴き出したり鼻垂らしたり。もう少し控えたら彼女もできると思うんですが」
「うるせーよ、そのアフロ刈ったろかっ」
「アフロではありません、これは地毛です」
そう言い返しつつも天野は両手で髪を押さえた。
そんな痛いやりとりをしている間にも、あちらではラブコメもといシリアスな展開が続いていた。有村さんは相模を見上げ、言いづらそうにしながらも切り出す。
「あのね……実は鞍干、自分の言葉にコンプレックスがあって……さっき相模君にそれを指摘されて、それでカッとなっちゃったんだと思うの」
「言葉? あぁ、さっきの『しゃしゃってンな』ってヤツ?」
相模が言うと、三河は目をくりくりさせる。
「びっくりしたよ~、相模君分かんなかったの?」
「僕も知ってたよ、『出しゃばるな』『調子乗ってんな』みたいなニュアンスだよね?」
と陸奥。オレは聞いたことはあるけど使ったことはない、そんな言葉だった。
愛知の三河と秋田の陸奥が知ってて神奈川の相模が知らなかったんだから、方言じゃなく俗語か特定の世代が使っている言葉なんだろうか。
伊達が軽く首を傾げる。
「……言葉にコンプレックス、か。普段鞍干の言葉に違和感を感じたことはないが……二人の出身は?」
すると有村さんはほんのり頬を赤くする。
「え、っと……関東なんだけどね、地元は結構訛りが強いところで……栃木なの」
栃木!
栃木出身の芸人さんが、その訛りを使ったネタをやっているのを見たことがある。ネタにされるくらいだから、確かに結構訛ってるみたいだけど……
「いいじゃない栃木! イチゴイチゴ~!」
「修学旅行の定番だよね、東照宮に華厳の滝」
「あと中禅寺湖だろ? それにホラなんつったっけ、厄除けで有名な……」
「……佐野厄除大師か」
恥ずかしそうな彼女をフォローしようと栃木の有名どころを挙げていくと、小さく「ありがとう」と言って笑った。
「鞍干も地元にいるときは結構訛っててね、中学の時に直すのに苦労してたの。私もだけど……だから言葉のことを言われてカッとなっちゃったんだと思う。本当にごめんね」
鞍干が『アレやっぺ』とか『コレだべぇ』とか言ってるのが想像できない……有村さんもだけど。
あ。
だから鞍干、前に西のイントネーションを引きずってた三河にあんなつっかかってたのか。
自分は役者目指すために頑張って直したのに、なかなか直せずにいた三河が目について仕方なかったんだろう。馬鹿にしてたのか、同族嫌悪なのかは分からないけども。
有村さんは柳眉を寄せ、切なそうに言い募る。
「でも鞍干、演技に対しては本当に真面目なの。あんなヤツだけど、お芝居が大好きなのよ。相模君に謝って、態度を改めるよう話してみるから……天野君、もう一度鞍干にチャンスをあげてもらえないかな?」
美少女の涙ながらの懇願に、天野はデレる気配など欠片も見せず頷く。
「元より、鞍干君を役から降ろそうとは考えていません」
「よかった……」
彼女は胸に手を合て、心底安心したように息をつく。性格に難ありな鞍干だけど、彼女が同窓生として、一人の役者としてヤツを尊重しているのが伝わってきた。
もう暗くなってきたからと、相模は有村さんを送り出す。そんな相模を名残惜しそうに振り返りながら、何度も謝罪を口にして、彼女は一人廊下を去って行く。
それを見送る相模に忍び寄り、その脇腹を肘でつついた。
「いいのかよ、送って行かなくて」
こっそり尋ねると、相模は「はぁ?」とマヌケ面で聞き返してくる。
「俺が? 有村を? なんで?」
「なんかイイカンジだったじゃんよ」
からかい混じりに言うと、相模は少し困ったような、苦いような顔で口の端を歪める。その顔はとても大人びて見えた。
「役にのめり込むタイプみたいだからな、有村は。芝居の外でも役に引きずられてるだけだ」
彼女の気のある素振りに気付いていたみたいだ。
「うらやましー、有村さん可愛いしいい子じゃん。付き合っちゃえば?」
やっかみ半分本音半分、ますます肘に力を込めるオレを、相模はため息混じりに見下ろす。
「あのなぁ。恋人役の感情に引っ張られたまま付き合って、芝居が終わったあと醒めて傷つくのは誰だ?」
「醒めた彼女に速攻で捨てられるお前だろ?」
思ったまま答えると、間髪入れずにデコピンをお見舞いされた。痛い。なにすんだと抗議すると、相模はいつもの好戦的な顔でニヤリ。
「そんなんだからお前にゃ彼女ができねぇんだ、やっぱ十年早ぇな」
「なんでだよっ」
「それにな」
ふと真顔になってボソリと呟く。
「……俺、もっとこう、いかにも『安産型ですっ!』みてぇな腰や尻がバーンとした子が好きなんだ……」
「シネ」
世迷い事を迷わずぬかすその背中を、内履きのまま蹴り飛ばした。




