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涙の行方2 「同情や共感だけで」

 気持ち的にはちんまりと、それはもうちんまりと、息さえ潜める勢いで縮こまり、天野の横に座っている。ただ、傍目には普通にブタカンとして座っているように見えているだろう。と、思う。


 追っ手役の皆と別れレッスン室に踏み入れたオレは、その冷え切った空気にチビりかけた。

 顔をのぞかせるなり、件の安宅(あたか)の関の場面の立ち稽古中だと思われる役者達が、バミッた仮舞台の中で、あるいは外で、一斉に弱りきった顔でこちらを見つめてきたからだ。しかも無言で。

 揉め事の中心となっているはずの鞍干は天野を見据えたまま目もくれず、その刺さりそうな視線を受ける天野は長考グセの真っ最中で、物音一つしない異様な雰囲気だった。

 道化に徹して気付かぬフリでやたらと明るく踏み込んで、魂どっかへお散歩中の天野を正気に戻し、ツンケンする鞍干を下手(したて)下手に宥めすかし、他の役者達を励まし励まし……そしてなんとか、もう一度安宅の関のシーンを()って見せてもらうまでに漕ぎ着けた。


 ……もうストマックがバーンしそう。おぇ。

 いやいや、でも本当に胃が痛む思いしてたのは皆の方だよな。オレが知らないだけで、ここんトコこのシーンやる度にずっとこんな調子だったんだもんな。

 ちんまりまとまってる場合じゃないや、しっかり観てオレなりの感想を出さなきゃ。そのために来たんだから。

 手に構えたスマフォを握り直す。皆の了解を得て、動画を撮影しているんだ。さっき追っ手役の子達がやっていたことを早速真似てみた。演じている側が外からの目線で観ることで、気付くこともあるんじゃないかと思って。


「焼けた東大寺復興のため、諸国を巡り勧進(かんじん)している。邪魔立てするな!」


 行く手を阻む関守達に、相模弁慶が腹の底から一喝。ピンと張りつめた部屋の空気を戦慄かす。


「ならば勧進帳は持っていよう。読んでみせい!」


 それに負けず劣らずの迫力で鞍干富樫が応じる。

 その言葉にサッと青ざめる者、歯噛みする者、もはやこれまでと獲物に手を掛けようとする者と、郎党達はそれぞれの役の性格に合わせた芝居を展開する。もう立ち稽古し始めの頃のぎこちなさはどこにもない。ここまで仕上げるのに重ねた苦労がうかがえる。

 そして白紙の巻物を取り出し、あたかも記された文を読むかのごとくに堂々と朗ずる弁慶。

 ……あぁ、最初の頃は漢字が読めねぇだの長台詞覚えきれねぇだの苦心してた相模が……胃に続きジャン君涙腺まで崩壊しそう。

 腹にも目にも色んなものが込み上げる中、弁慶が義経を打ちに打ち、この場面も終盤に差し掛かる。


「もうよい、不愉快だ! その小男を連れさっさと行くがよい!」


 足腰が立たなくなるまで打ち据えられた義経を背負い、郎党達は足早に退場していく。

 まだ小男こと義経に怒りが収まらないといった様子の弁慶も、肩で息をしてから大股に歩み去った。ちょっと涙目に見えたのが気になったけど、粗野な弁慶らしい去り方だった。


 そこでいよいよ問題の箇所だ。

 関守の一人が富樫に寄って膝を折る。


「富樫様! あの人足(にんそく)の小男の人相、伝え聞く義経の特徴をことごとく備えておりました」


 他の関守達も次々に倣って言う。


「それにあの乱暴者。義経の腹心たる武蔵坊弁慶は身の丈六尺を超える大男とか……あのように大柄な者がそうそういるとは思えません。あやつこそ武蔵坊弁慶!」


「そしてそれを連れたあの小男こそ源義経に相違ございません。それをみすみす通すなど……」


「今からでも追っ手をかけましょう!」


「まだ分からぬか」


 詰め寄る部下達を、鞍干富樫は静かに、しかしきっぱりと退ける。


「全て承知の上のこと。そんなことも見抜けぬで関守のお役目を頂戴している私だと思うたか」


「は……では、何故……?」


 首を傾げあう部下達に富樫は、


「主のためとはいえ、その主を打ったあの者の心が分からんのか。あの者が示した忠義が、お前達には見えなかったのか。

 痛むのは打たれた者ではなく打ったあの者の心だ。それを見せられた上でその身に打つべく縄など、生憎持ち合わせておらん」


 そう告げたその目に涙はなかった。

 代わりに、どこか悲しげな色をした強い意志と覚悟を湛え、じっと空を見据えている。

 その背中に関守達は言葉もなく涙した。


 暗転。

 となるところだが、練習なので天野が手を打って区切った。関守達は瞬時に泣くのを止め、他の役者達もそれぞれの役から素の表情へ戻る。そして戻るやいなや、『どうよ?』とばかりにオレを見た。

 どうだすげぇだろ、という意味合いの『どうよ?』じゃない。どう思う? といったうかがうような、なんとも言えない顔だった。

 天野はしばし思案げにくるくるペンを回してからこちらを見やる。


「どうですか?」


 正直、一度見てみてある違和感を持った。しばらく稽古場から離れていて、ほぼ完成型の芝居を見たのが初めてだったから気付けたのかもしれない。でもそれを口に出す前に、双方の意見を聞いてみたいと思い鞍干に尋ねてみる。


「あのさ、台本じゃト書きで最後、富樫が泣くことになってるじゃん? どうして鞍干は泣かない演技にしたんだ?」


 もう何度も何度も天野や周りに説明したことだからだろう、鞍干は面倒そうに息を吐いてから語り始める。


「泣くのは簡単だ、別に泣けねぇから泣かないわけじゃない」


「それは分かるよ、鞍干なら泣こうと思えば一分で涙流せるだろ?」


 機嫌を損ねないようおだて混じりに言うと、鞍干は腕組みした手の指を黙って三本立てて見せる。

 ……どうやら『一分も要らねぇ、三〇秒だ』と言いたいらしい。

 くっそおぉ、やっぱコイツイラッとするなぁぁ!

 でもよいしょの甲斐あってか、鞍干は眉間のしわを少しだけ解いた。そしてオレの目を正面から見据える。


「ここの関守達は頼朝(よりとも)の手下だろ?

 頼朝の命令に背きゃどんな罰を受けるか分からない。斬った張ったの時代のことだ、まさか説教で済むなんてことはねぇだろ。義経達を通過させんのは文字通り命懸けの選択だったハズだ。

 それなりの年齢なら嫁子供だっているだろうし、歳いった両親だって面倒見てるかもな。そんな男が、同情や共感だけでそうそう命懸けられるかよ」


 あぁ、そっか……

 だから泣かないのか。

 関守達に対する『全て承知の上のこと』という台詞は、山伏一行が義経達だと分かっていたってだけじゃなく、彼らを見逃したことで後々自分に無慈悲な沙汰が待っていることさえも『承知の上』と言っているんだと、鞍干は解釈したんだ。

 一行を通してしまえば自分がどうなるか分かっていたのに、それでも富樫は弁慶の心に打たれ決断したんだ。弁慶のような男をみすみす死なせてはいけないと、自分の地位や命と引き換える覚悟で。

 弁慶が(おとこ)ならそれを見抜いた富樫もまた漢、その漢の覚悟に涙は似合わない。そういうことなんだろう。

 それなら鞍干富樫が最後に見せた、諦観とでも言うのか、見る者の胸に強く悲哀を訴えるあの表情の意味が分かる。


 鞍干の真っ直ぐな瞳から目が離せないまま考え込むオレに、天野がもう一度尋ねる。


「どうですか?」


 その問いかけには期待も不安もなかった。だから正直に答える。


「素直に納得した」


「そうですか」


 その返事にもまた、落胆も失望もない。そんな天野だからこそ隠し事なしで答えられる。一方で、そうだろとばかりに髪をかき上げる鞍干。

 改めて隣の天野に向き直る。


「天野は、どうして富樫に泣いて欲しいと思うんだ?」


 天野は少しの間考えて、またくるりとペンを回してから言う。


「弁慶のいきすぎた忠誠心に、観る人の気持ちを寄せるためです」


 なんですと?

 言われた意味が掴みきれず、ぽかんと口が開く。この切り口で話されるのは初めてなようで、役者達は戸惑ったように目配せしあう。天野はオレの問いに答える体で、そんな皆にも視線を向けながら続けた。


「弁慶の義経に対する忠誠心が強く現れる最初の下りは、吉野で追っ手に襲われ自ら殿(しんがり)を買って出、あやめと自らの子を囮にする場面ですね。

 当時の人々の感覚であれば、主の窮地を救うため己が命ばかりか家族・恋人をも捧げ尽くすことは不自然なことではなく、むしろ全くの第三者からは美談として受け入れられる行為であったことでしょう。

 ですが、現代人の感覚としてはどうでしょうね」


 そこまで言って一端言葉を切り、役者陣で二人きりの女子に目を向ける。


「『仕事のため、上司のために、妻と子供を捨てた男がいるんですよ。それが元で妻は病み、子供は亡くなったそうです』と聞いたら、どう思いますか?」


 静役、あやめ役の二人は戸惑いながら首を傾げる。


「奥さんと子供が可哀想」


「そんなに仕事命の人なら、最初から結婚しなきゃよかったのに」


 家族よりの二人の意見に、天野は小さく頷く。


「そうですね。弁慶の行動を現代風に言うと、こうなるんですよ」


 天野の細い指がパラパラと台本をめくる。


「我々は台本を最後まで読んでいますし、それぞれ役を演じるにあたり時代背景を学んだ人もいるでしょう。なので弁慶の行動を、主のための苦渋の選択であったと受け入れることができます。

 しかし観客はそうではありません。観客が目にするのは、苦悩しながらも最終的には涙一つ見せず、恋人と我が子を囮として死地に送り出し、自らは生き延びる男です。それを主に責められようと、言い訳も釈明もせず、だんまりを決め込む男です。

 この時点で、現代の感覚を持った観客の目に、弁慶という男はどう映るでしょうね」


 タイトルどおり、鬼のような男に映るだろうか。あるいは自分だけまんまと生き延びた卑怯者?

 個人的には、時代物という前提で観ているんだから、今時の感覚をそのまま当てはめて観る人はいないんじゃないかと思うけど……

 それでも、泣きもせず恋女房と我が子を手放した弁慶に、そこまでするかくらいは思うかもしれない。苦しい心の内を明かすことのない弁慶だから尚更。

 あ。

 それが天野の言う『いきすぎた忠誠心』なのか。


「富樫の最後の台詞は、そんな弁慶の心の内を分かりやすく観客にネタバラシする役割を持っています。

『弁慶はそれほど義経に忠義を尽くしているんですよ、そしてそれは当時の人々にとって涙を禁じ得ないほど尊いことなのですよ』と。

 それにより、それまでマイナスだった弁慶に対する観客の印象を変えることができる……そう考えているんですよ」


 だからこそ泣いてもらいたいのです。

 最後は鞍干に視線を投げて、天野はそう言葉を結んだ。


「素直に納得した」


 思わずさっきと同じことを呟くと、


「どっちだよ」


 すかさず相模からツッコミが、鞍干からは鋭い視線が飛んできた。

 どちらの言い分もそれぞれ理解できたんだから仕方ないじゃんよ……と苦笑いで応じつつ、オレなりの意見をどう切り出そうかと頭を捻る。

 すると、あやめ役の有村さんが控えめに手を挙げた。


「私は……このままでいいんじゃないかと思うの」


 おずおずと切り出した彼女に天野が続きを促すと、彼女はホッとしたように少し声を大きくした。いつもはポニーテールの彼女だけど、今は役に合うよう肩の下で緩く結んでいる。


「富樫が頼朝に逆らったらどうなってしまうのかって、台詞の中でハッキリ言及されてないじゃない? だから、今の富樫の芝居の方が、お客さんに『あぁ、きっと富樫はこのあと……』って気付いてもらえると思うんだけど……」


 すると今度は三河が手を挙げるなりしゃべりだす。


「確かに、それもそうだな~って思うんだけど……ここは弁慶が、ホントは鬼でもなんでもなくて、義経のために尽くしてるだけなんだよ~って説明するトコロでしょ? だからあえて富樫のその後をほのめかす必要あるのかな~って」


「だけどその方が、命を投げうってでも死なせたくないと思わせるほどの男なんだって、弁慶の凄さを強調できると思うんだけど」


「うーん……」


 三河が返しに困って黙りこんでしまうと、そこから役者達は各々の考えを口々に言い始める。


「でもやっぱり泣いた方がいいんじゃないかなぁ? それだけ弁慶の行動に心動かされたんだーって分かりやすいし」


「そうそう、軽い責任しかない関守達が泣くだけじゃ、説得力に欠けるっていうか……」


「そうかなぁ? 富樫が泣かずにいるからこそ、その姿が涙を誘うんじゃ?」


「富樫が涙誘ったってしょうがないだろ、ここは弁慶の忠臣っぷりでお客を泣かせたいところなんだから」


「涙で涙を誘うのはありきたり。あの憐れを感じさせる決死の演技、あれは鞍干君じゃなきゃできない芝居だよ。せっかく鞍干君が富樫を()るんだからさ、役者のポテンシャルフル活用しないと」


「ポテンシャルねぇ……」


「持てる全てを出し切らないでどうするんだよ」


 あぁだこうだと意見交換しているうちにヒートアップしてきて、段々と言い合いになってきてしまった。芝居をよくしようと真剣に思うからこその熱量だけど、相手の主張を叩くために向けられてしまうんじゃ意味がない。


 横目で天野を見やると、天野は顔ごとこちらに向けてオレを見ていた。

 天野はオレに、言い合いを止めろとは言わなかった。白黒つけてくれとも言わない。なにも言わない。

 ただその黒く静かな瞳が、「なんでも思ったことを言ってみてください」と促していた。

 それに背中を押され立ち上がる。


「えっと、皆の意見よく分かったよ。オレの意見も聞いてもらっていいかな?」


 途端、ぴたりと全員口を噤む。

 オレにリーダーシップがあるワケじゃない。皆は散々平行線な議論を繰り返してきていて、この現状を打開する新たな意見を待っていたんだ。

 真っ二つに割れてしまった役者陣を再び一つにまとめるためには、皆に納得してもらえるような意見を述べなきゃならない。何気に責任重大だ。

 乾上がる唇を舌で湿らせ、手許のスマフォを操作する。


「まず、ちょっと見てもらいたいんだ。今の芝居を録画した動画なんだけど……」


 全員近くに寄ってきてもらって、音量を最大にして動画を再生する。富樫が一行を通す少し前のところからだ。

 自分達の芝居を初めて客席側から見る皆は、小さな画面を食い入るように見つめている。


『もうよい、不愉快だ! その小男を連れさっさと行くがよい!』


 富樫の言葉で一行がハケると、それまで舞台全体を映していた画面は関守達に寄っていく。画像は荒いけどそれぞれの表情が辛うじて分かる。


『そしてそれを連れたあの小男こそ源義経に相違ございません。それをみすみす通すなど……』


『今からでも追っ手をかけましょう!』


『まだ分からぬか』


 顔を見合わせる関守達。富樫はそんな彼らに背を向け、客席に向かって言う。


『主のためとはいえ、その主を打ったあの者の心が分からんのか。あの者が示した忠義が、お前達には見えなかったのか』


 そのあたりから、後ろに控えた関守が一人、また一人と落涙。富樫の台詞を聞き終わったところで、それまで堪えていた様子の関守達も肩を震わせ泣き出した。

 そこで天野の手が鳴り、動画が終わる。

 画面からこちらへ移動してきた皆の視線に、唇ばかりか喉までカラカラになるけどなんとか声を張る。


「さっき皆の芝居を観せてもらった時に、オレはちょっと違和感を感じたんだ」


「違和感?」


 動画を巻き戻し、もう一度最後の富樫と関守達とやりとりを再生する。


「……これのどこがおかしいの、ジャン?」


 僕は泣いた方がいい派だけど、これはこれで違和感ないけど。

 そう陸奥が言うと、派を問わず皆頷いて首を捻る。鞍干だけは難しい顔で暗くなった画面を睨んでいた。

 皆に心から納得してもらうには、自分達で気付いてもらった方がいい。そう思って再度流してみたけど、反応は変わらなかった。皆この芝居にすっかり慣れてしまっているんだろう。

 ならばと、オレが感じた違和感の正体を口にする。


「この関守達、どうして泣いたんだろう?」




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