裏方の矜持4 「台本二冊」
広げたノートの上に頬杖をつき、ほけーっと窓の外を眺めている。
夏の入道雲は消え、代わりにハケでもって軽く掃いたような筋雲が、東へ東へ流れていく。吹き込む風は、金木犀の甘い香り。
ほけーっと開けっ放した口から、知らずほけーっとため息が出た。
異臭騒動……もとい衣装合わせの日からひと月近く経った。
その間オレは、来る一回目のスタッフリハーサルに向け裏方班の間を駆けずり回っていた。
大道具はスタリハまでに塗装はともかく形だけは拵えないといけないので、身体が開いた時はそちらへ手伝いに行き。
照明班は特にオレ達の前に演る演目からの引き継ぎが重要なので、葛原達を連れて例のおっかないブタカンさんと打ち合わせを重ね。
衣装・小道具班には細々した追加材を頼まれ、駅前の百均や手芸店に買い出しに走ったりもした。予算の残りはもう三百円を切ってしまった。
家に帰ると今度はそれぞれの班と話し合ったことを忘れないように紙に起こし、必要なところは舞台の図面や台本に書き込んで……
そんな日々が続き、さすがにヘバッてきたらしい。例え雑務でも芝居に関することならいくらでもバリバリ手を動かせるけど、日常に戻った途端どっと疲れが襲ってくる。
固まった首をコキコキ鳴らし、またほけーっと息を吐いた。瞬間、
「あたっ!」
パコンと頭をはたかれた。なにすんだと言いかけ顔を上げると、
「……そんなに私の授業は退屈かね?」
古風な黒縁眼鏡を光らせた那須センセが、丸めた教科書片手に立っていた。即背筋を正し頭を振りまくる。
「いえその全然! 化学楽しいですハイ!」
咄嗟のこととはいえ、我ながらアホな返答だと思う。教室内にクスクス笑いが広がっていく。そのさざめきを突っ切って教卓に戻ると、那須センセは猫背気味の背を更に丸めて生徒達を見下ろした。
「やれやれ……諸君、劇高祭が近付き浮き足立つのも解るがね。いいかい、であればこそ一層真面目に授業に取り組むべきだ。中間試験で赤点をとり補習や追試になれば、放課後の練習に参加できなくなってしまうのだからね」
はーい、とまばらな返事があがると、那須センセは授業を再開した。
いけねいけね、那須センセのご忠告は真にもってごもっとも。
今の授業の進み方は一学期より大分早くなっている。劇高祭直前は授業を潰して準備に当てるから、その分幅寄せ食っているんだ。うかうかしてたら本当にやらかしかねない。
このクソ忙しい時にそんなことになって堪るか、なんとしても赤点だけは回避せねばっ!
板書を写すべくシャーペンを握ると、ふと視線を感じた。こっそり振り返ると、離れた席の相模と目が合う。ヤツは口パクで「バーカ」と言って笑った。が、それをセンセに見咎められて当てられた。ざまぁ。
……って、こんな時になにやってんだろ。
なにかと期待されている演目の主役とブタカンになっても、オレら二人のアホさ加減は相変わらずで、あとで揃って陸奥に叱り飛ばされるに違いなかった。
センセの問いにない頭捻る相模の立ち姿はそりゃもうアホの子丸出しで、あの日見た勇猛な弁慶の面影は欠片もない。
そう、確かにあの時はカッコよかった……はずなんだけど。
そんなことを思っていると、またほけーっと回想に引っ張られていった。
胴鎧以外が仕上がった衣装に身を包んだ相模は、正に弁慶そのものだった。
見栄えのする大柄な身体に纏うは、弁慶と言えば誰もが思い浮かべるだろう黒の僧兵服。一振りで眼前の全てを薙ぎ払ってしまうだろう立派な金剛杖を携えた、骨ばった大きな手。首には一粒が子供の拳くらいありそうな大ぶりの数珠が下がる。
相模は今に伝わる弁慶の姿を見事に体現していた。
「……おぉっ」
やっとのことで喉から声を絞り出すと、相模はオレの反応に気をよくして両腕を広げて見せた。
「どぉよ! 我ながらなかなかの弁慶っぷりじゃねぇ?」
ぐぅ。くそぅ、悔しいが仰るとおり!
「孫にも衣装だなぁ!」
軽口を叩くと金剛杖で小突かれた。痛い。
突かれた脇腹を撫でさすり、再度剛毅な僧兵を眺める。普段馬鹿ばっかやってる相模だけど、上背があることもあって本当に見栄えがする。体格のよさも一つの才能だ。努力だけではいかんともし難い。
この姿を見たお客さんの一体誰が思うだろう。コイツの正体がパンツマンだって。
あの華やかな三ツ石義経の横に立ってもなんの遜色もないどころか、柔と剛の対比が際立ちお互いを引き立て合うことだろう。
そこまで考えてふと思う。
……やっぱオレ、義経役落ちてよかったかもしんない。
この偉丈夫の横に立つ貧相なモブ顔義経と化した自分を想像して、あまりの情けなさに思わずぶるっと身震いする。
が、そこへまた金剛杖が降ってきた。
「あたっ! なにすんだ」
暴力反対と睨むと弁慶は……いや相模は、なにもかもお見通しといった顔で眉を跳ね上げる。
「おう、なんか今ネガティブなこと考えてたろ?」
図星。
「いいぃえぇ、別にぃ。それにネガティブじゃなくてネガティヴだし」
「ウソつけ、ネガティブのスペルの最後は『bu』だろ? だから『ブ』だ『ブ』」
「バッカ『vu』だって、だから『ヴ』」
「いンや『bu』だね」
「『vu』だって、しつけーなぁ」
「どちらも違います、『ve』ですよ」
言い争っていると、天野がいつもの無表情で淡々とツッコんできた。
そういやそうだったかも……
相模と顔を見合わせる。気まずい。せめて笑えよ、笑っとけよ天野っ。真顔での指摘は心底切ない。いや本当に切ないのは自分達のバカさ加減なワケだけど。
相模と薄ら笑いを突き合わせていると、天野はドアの方を目で示す。
「ジャン君、葛原君達が迎えに来たようですよ」
清書してもらった仕込みや図吊り図を持って、一緒に前演目のブタカンさんを訪ねる約束だったんだ。
まだ三河に陸奥、伊達は戻ってきていない。衣装姿見たかったなと後ろ髪を引かれつつ、オレはレッスン室を後にしたのだった。
「……あぁ、やっぱあん時もバカだったや」
浸っていた記憶から浮上して呟き、思い出し笑いを噛み殺す。と、突如目の前にぬっと那須センセの顔が突き出された。思わずガタッとイスを鳴らしてしまう。
「……あの時がどの時かは分からんし、誰のことかも知らんがね。今現在君の友人が先週の復習問題を解けずに苦戦している、先週やったばかりの問題にだ。君は馬鹿ではないのだろうから手を貸してやるといい」
なんのことだと見れば、さっきセンセに指名された相模は、まだ黒板の前でチョーク片手に悩んでいた。目が合うとまたニヤリと笑う。
……くそぅ、巻き込みやがって!
ん? そもそもオレが巻き込んだのか?
黒板前に引っ立てられ、相模と並んでチョークを握ったはいいけど、まぁ解けるはずもなく。
授業が終わったあと、オレ達は那須センセの皮肉混じりのお小言をたっぷり頂戴するハメになった。
◇ ◇ ◇
「だっからさぁ、もうなんなんだよ二人揃ってー! 全く情けないったら!」
帰りのホームルームが終わると、今度は案の定陸奥閣下のお説教が始まった。バカ二人、並んで机の上にひれ伏す。
「面目なーい」
「あいスンマセーン」
「もう明日のスタリハのことで頭がいっぱいでー」
「長台詞覚えんのに頭の容量使い切っちまってぇー」
「言い訳なんか聞きたくないね。これで主役・ブタカン揃って追試にでもなってみな、まぁた鞍干に嫌み言われるよ!」
あぁ、ありそー……
横目でチラリと教室の中を見渡す。果たしてヤツはいた。こちらを憐れむような目で見て嗤い、鞄を持って出て行った。
……ていうか、素朴な疑問なんだけどアイツ頭いいのか? 推薦組は成績度外視で入学してるんだよな? 普通科の授業態度は相変わらず悪いけど……
そんな余所事を考えていると、見透かした陸奥に思い切り頬を抓られる。
「いでででで」
「聞ーいーてーんーのぉー? ったく、僕だって伊達だって三河だって、いっぱいいっぱいなのは同じなんだからね! 毎度毎度試験前に教えてもらえると思ったら大間違いなんだから!」
「えぇーそれは困る!」
ぎゃあぎゃあ騒いでいると、三河がオレの机の上にあるものに気付き小首を傾げた。
「あれぇ? ジャン君台本二冊持ってるの~?」
言うが早いか、その内の一冊を広げ目を瞬く。
「ちょっと三河、まだ僕の話は終わってな……」
「うわぁ~見てコレ、スゴい書き込み! あちこち細かく書いてある!」
話を中断させられて不満そうだった陸奥も、静かに話を聞いていた伊達も、釣られてそれを覗き込む。勿論、勝手にお説教終了と決め込んだ相模もだ。
「細かっ! えっと……『UHL・LHL共にFO』、『枯木下手より(神宮寺、滝、三平)』……え、なにこれ?」
「天野に予備の台本をもう一冊貰ったんだよ、裏方のことを書き込むために」
元々持っていた方の台本も広げて、書き込み内容を比べて見せる。
古い方の台本には、天野の横で役者陣の演技を見ていた時に気付いたことや、天野から役者陣に飛んだ指示に関して書き込んである。余白はほとんど残っていない。
新しい方の台本には、何度も打ち合わせして決めた裏方各班の動きが記してある。いつどのタイミングでライトを点けるのか、大道具はどこから入れるのか、その担当は誰なのかなどなど。
「っはー! この一ヶ月練習中ほとんど姿見ねぇと思ったら、しっかりブタカンしてたんだなぁ!」
ことさら感心したように頷く相模をじとっと睨む。
「遊んでるとでも思ってたのかよ、ちゃんと仕事してたっつーの! 本番のキュー出しはブタカンの仕事だから、把握するのに必死だよ」
「それもジャン君の仕事なんだ~、演出の天野君がするのかと思ってたやぁ。でもキュー出しってどうするの? 皆離れた場所にいるよね?」
「それはインカムを使って……」
「ねぇねぇジャン、UHLってなに?」
「アッパーホリゾントライトの略で……」
「この絵はなんだよ?」
「それは当日のスタッフの配置表」
「……この『醤油(栗沢姉)』とは……?」
「はぁ? 醤油~?」
「えっと、それは……」
「ねぇジャン、これは?」
「こっちはどういう意味~?」
「なんだコレ、道路標識みてぇな記号だな!」
間断なく質問されて、段々おっつかなくなってくる。
無理もない、オレだってブタカンになってみて初めて知ることばかりだったから、役者陣の皆にとっては未だ謎だらけなんだ。特に鞍干に不勉強を責められた陸奥は、誰よりも貪欲に突っ込んでくる。それを嬉しく思うものの、なにせ今は時間がない。これからまた練習があるんだ。
「じゃあ三河の部屋行ったときにゆっくり説明するよ。その代わりオレには勉強教えてくれよなー」
「……そうだな、ジャンには」
「うん、教えたげるよジャンには」
「え、俺は? なぁ俺は?」
焦って周りを見回す相模を放ったまま各々立ち上がったところで、ひょいっと三河がオレの顔を覗き込んできた。
「ジャン君……目の下、下~」
「え、なに?」
聞くと三河は自分の下まぶたを指でなぞって見せる。
「うっすらクマできてるよ~? 天野君ほどじゃないけど……ちゃんと寝れてる? そんなに忙しいんだね~……」
マジか。急いで自分の目許を触ってみたけど、手触りで分かるはずもない。さり気なく机の上の物をまとめてほにゃっと笑う。
「へーきへーき、ありがとな」
「そう? ならいいんだけど~……」
笑顔で誤魔化しながら、纏めた荷物を抱え急ぎ足で教室を出る。
「また帰りになー」
「うん、あとでねー」
手を振って別れてから、ほうっと息を吐く。
咄嗟に胸に押しつけるようにして隠した紙の束をつまみ上げ、一人苦笑した。
「こんなん作ってるなんて知られたら、余計に心配させちゃうもんなぁ……」
それはさっき皆が見ていた新しい台本から書き出した、裏方の動きを順に纏めたタイムライン表だった。
ブタカンどころか本格的に裏方に回るのも初めてなオレは、本番当日のキュー出しなんていう責任重大な役目に今から緊張してしまっていた。
ミスがないよう、不備がないよう、オレが慣れていないせいで皆に迷惑かけないようにと、自分なりに分かりやすく纏めたのがこのタイムラインだ。まだ決まっていないところは虫食い状態だし、きったない字だけど、それなりに制作時間はかかっている。
「明日のスタリハ、上手くいくといいんだけど」
呟いて窓の外を見た。講堂の丸屋根が見える。その下では、前演目の先輩達がスタリハを開始した頃だろう。あのおっかないブタカンさんがキビキビと指示を飛ばしている姿が目に見えるようだった。
明日はいよいようちの番だ。
疲労で丸まっていた背を伸ばしてから、スタリハ前最後の打ち合わせに向かった。




