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異臭騒動 「香った」?



 翌日。


「だぁかぁらぁっ。伊達の歌い方じゃ歌詞が伝わりにくいじゃない!」


 頬にかかる黒髪を乱し、陸奥は今日何度目かの台詞を口にする。


「……歌のみのシーンはともかく……他の役者の台詞に重なる場面では、陸奥ももっとブレスの割合を増やすべきだ。台詞が聞き取りづらくなる」


 対して、鞍干の助言を受けて今日からコンタクトデビューした伊達は、慣れない目を瞬かせつつこちらも今日何度目かの反論をする。


「なんのために僕らの足場を舞台前に迫り出して作ってくれてると思うのさ、歌詞をしっかりお客さんに届けるためでしょ?」


「観客は観客であって聴衆じゃない……」


「言葉遊びしてんじゃないんだよっ」


「遊んではいない、芝居全体のバランスを考慮したほうがいいと言っている」


「だぁかぁらぁっ!」


 放課後、いつものように第三レッスン室へ向かう道すがら、伊達と陸奥は熱烈な議論を交わしていた。

 と言うか、今日一日休み時間全部こんな調子だ。


「……なんでイキナリこんなことに?」


 隣を行く相模にこっそり尋ねると、相模は肩を竦める。


「演奏班の曲作りが難航してたみてぇで、昨日ようやくほとんどの曲付けが終わったんだってよ。で、二人は立ち稽古から離れて本格的に歌の練習に入ったんだけど……」


 相模はチラッと先行く二人を見やる。話は相変わらずの平行線、なんとか宥めようと三河は二人の間をちょこまか飛び回っている。


「入った途端コレよ」


「はー……で、ナニ言ってっか分かる?」


 相模は再び肩を竦めた。

 レッスン室が見えてきたあたりで、陸奥がくるりと振り返る。


「皆はどう思う?」


「え、ナニ?」


「ナニじゃないよ、僕らのやりとり聞いてなかったの?」


 陸奥の頭にみるみる角が生えていく。ように見える。

 相模と一緒に慌てて首を振り、顔の前で両手を合わす。


「スイマセン、無知なオレ達にも分かるよーに」


「噛み砕いて説明して貰えませんでしょーか」


 すると陸奥は少しだけ語気を和らげる。


「だからね。歌うときのブレスの割合の話をしてるんだよ」


「……と、言いますと?」


「音に対してのブレスの割合」


「ブレスって息継ぎのこと?」


「ちっがーう! あぁもう、なんて言ったらいいのかなぁ」


 もどかしそうに爪を噛む陸奥の横で、伊達がフォローしてくれる。


「……台詞を言う時、声の大きさを極力下げず囁いているように話すことがあるだろう? そういう時はどうする?」


 三河はんーっと首を傾げ、


「声と一緒に吐く息の量を増やすかなぁ? あ、ブレスの割合ってそういうコト?」


 伊達は小さく頷き、


「そうだ。歌うときも同じで、声とブレスの割合を調節するんだが……陸奥はほぼ全曲一〇:〇で……」


「そんなことない、伊達の方が全体的にブレスが多すぎるんだよっ」


「場面によって調節しているだけだ……」


「僕が見境なしに毎回全力出しっぱなしだってぇの?」


 また始まってしまった。

 伊達に詰め寄ろうとする陸奥の鼻先で、三河がパタパタ手を振る。


「も~そんなケンカ腰にならないのっ。端から聞いてみて気付くこともあるだろうし、天野君に聞き比べてもらおうよ~」


「そうそう、それに二人はピンマイクつける予定だから、音響との兼ね合いもあるし」


 付け加えて言うと、陸奥はむむっと口を尖らせる。


「……それもそうだね。でも! 台詞に被るところはともかく、歌パートのトコはもっと遠慮せずガンガン来て欲しいんだよっ!」


「遠慮というか……主旋律を立たせるようにするのは当然だろう?」


「二人きりで歌うのにどっちが主旋律もクソもあるかっ」


「クソとはなんだ」


「説明要るソコ? う」


「要るか、馬鹿」


 コンタクトはリミッターにならないらしい。いつもより強気で言ってドアを開ける伊達。が、すぐにその背がぐらり傾く。


「え?」


「ちょっ、伊達どうし……うっ」


 ドアに力なくもたれた伊達に駆け寄った途端、もの凄い匂いが鼻腔を襲った。


「は……はひほへぇ?」


 両手で鼻を覆った三河が涙目になる。

 ドアの向こうは、大層乙女チックなフローラルの香りに満ち満ちていた。

 嫌な匂いではないけれど、なんせ強すぎる。鼻の粘膜がピリピリするほどに。オマケにやたら粉っぽい。この匂い、最近どっかで嗅いだような……

 堪らず相模が大きなクシャミをした。その音で中にいた面々が振り返る。


「あっ、天狗の兄弟に弁慶サマ、きさん太きゅーん! ついでにブタカーン☆」


「あぁっ! 伊達左近サマ眼鏡がなーいっ!」


「『眼鏡とったら美少女』パターンはよくあるけど、『眼鏡とっても美男子』とはっ」


 中にいたのは、相変わらずテンション高い衣装班・小道具班の面々だった。

 ……いや、あの、その伊達サマはこの匂いで死にかけてんだけど。

 すでに来ていた役者陣は、香りから逃れるよう各々窓にへばりついている。

 鼻の痛みに顔をしかめつつ両班員の輪に近付くと、一段と匂いがキツくなる。どうやら匂いのもとは彼女達だ。それも一人じゃない、そこここから漂ってくる。香りがピンク色のモヤになって立ち上るのが目に見えるようだった。


「あのぉ……ちょ、コレは……?」


 栗沢姉妹に尋ねると、


「ヤッダー! 昨日演出に頼まれたじゃなーい、履き物と武器持ってきてって!」


「丈を合わせるために、出来かけの衣装も持ってきたんだぉ★」


 そう言って傍らのスーツケースをバンバン叩く。

 ソコじゃねぇ。


「いや、この匂いは?」


 すると栗沢妹がポッと頬を赤らめ、くねくねと身を捩る。


「だってぇ~……伊達左近サマが、この香りが好きだって言うからぁ~」


 はい?

 全員がくたばりかけている伊達を見やる。

 部屋に入ることができず入り口でぐったりしている伊達は、ワンテンポ遅れて視線に気付き、


「え? ……あ……はぁ……」


 なんとも曖昧な呟きを漏らす。

 それには構わず、一番ガッツリと香りを纏わせた栗沢妹は、頬に手を当てうっとりと宙を仰いだ。


「昨日ね、制汗スプレー変えたら伊達左近サマが『いい香りですね』って誉めてくれたのぉ~! でもでもぉ、その幸せ独り占めはよくないじゃないっ? ドル様は皆のドル様よ? だから皆にも教えたの~★」


 思い出した!

 どっかで嗅いだ匂いだと思ったら、昨日服に突っ込んでシューッとしてたあのスプレーだ!


「ドル様は遠くにあって愛でるモノだけどぉ」


「でもせめてその方が好きな香りをさせてたい……いじらしい乙女心よ~!」


 あ、自分で言っちゃうんだソレ。

 つまり伊達に誉められた栗沢妹がそれを両班員に伝え、伊達のファンである子達が皆してこれでもかと同じスプレー振りまくってきたと。

 たった一言でこの異臭騒ぎを引き起こすとは……いやはや、モテる男は大変だねぇと振り返れば、色男は色白の面を更に白くし冷や汗ダラダラかいていた。

 何故なら隣には、無表情のままこめかみを引きつらせた陸奥がいるからだ。

 陸奥はパキポキと指を鳴らし、冷ややかに伊達を見上げる。


「へぇ? Tシャツを受け取ったあの短い時間で、そんなやりとりをねぇ……? 歌い方についてあんなに一生懸命話してた僕の話はそっちのけで、女の子にコナかけてたんですかそうですか」


「いや……違う、そうじゃない」


 伊達が否定すると、今度は栗沢妹が「えぇっ!」と声をあげる。


「違うんですかぁっ? あれぇ、でも確かに『香った』って声かけてくださって、制汗剤変えたんですって言ったら『いい香りですね』ってぇ……!」


『香った』?

 そんなキザったらしさ全開な声のかけ方ある? イケメン界隈ではあんの?

 そう思って伊達に目を戻せば、


「あ、いや、それは……」


「言ったの? 言ってないの?」


 陸奥の追求にしどろもどろになりながらも、栗沢妹の潤んだ瞳に気付いた伊達は観念したように、


「……言いました」


「よぉしソコに直れ! このムッツリ無節操ヤロー成敗してくれるっ!」


「おいおい陸奥っ、落ち着け!」


「そ、そうだ落ち着け、これには訳が……」


「やっかましい! 浮気ヤローの鉄板みたいな台詞ほざくなっ、何度目だ!」


「いやぁっ! ちょっとどうすんのよー、陸奥タンがヤキモチをっ」


「誰がヤキモチ焼いてるかっ!」


「んもー、だからドル様は遠くにありて愛でるものだってぇ」


「そういうお姉様こそたっぷりスプレーかけてたじゃなぁい!」


「もーだからやめなって言ったのに! 美男子は美少年の横にあってこそでしょーが、あんたらが色気出してどーすんのよぉ」


「なによぉっ、アンタは三ツ石義経サマ派だったからつけなかっただけじゃないっ!」


 もうカオス。

 花畑もかくやという芳香の中、あちらこちらで小競り合いが勃発する。


「ちょ、ちょっとタンマ、皆落ち着いてくれよ!」


 両手を掲げて制すも誰も聞いてない。

 あぁもうどうすれば……痛む鼻を押さえて途方に暮れた時、ぺったぺったと聞き慣れた足音が聞こえてきた。校内でサンダル履いてるのはアイツしかいない。

 予想通り、天野が鳥の巣頭を揺らして現れた。開けっ放したドアからぬっと顔を突っ込むやいなや、無表情だった顔がみるみる紅潮していく。

 そして……


「……っ! ……どォんだんずこッかまりゃああぁぁぁぁっ!」




 普段マイクなしには聞き取れないほど小声の天野が初めて轟かせた大絶叫により、第一次異臭騒動は終結した。第二次はないよう心から願う。

 匂いの発生源である両班員には、天野から津軽弁でこっぴどいお叱りがあった。……通訳したのはオレだけど。ちなみにさっきの絶叫は『なんなんだこの臭いは!』という意味だった。

 部屋中、そして面した廊下の窓という窓を開け放ち換気をしている間、陸奥による伊達糾弾会が行われていた。両班員達に聞かれるとまた面倒そうなので、廊下の隅で。


「……ったくもう、なに考えてんのさこのムッツリヤロー!」


「まぁまぁ陸奥君落ち着いて~」


「いや、俺は評価するっ! 『香った』なんて歯の浮くような台詞でオトメゴコロを掴むなんざ、やっぱイケメン様は違うよなぁ」


「相模君、それは誉めてるんですか?」


 噛みつきそうな陸奥に困り顔の三河、ニヤけた相模にツッコむ天野、そしてなにがなにやらぽかん顔のオレで伊達を取り囲む。

 伊達は疲れたように鼻の付け根に指を当てがう。いつものクセで眼鏡を押し上げようとしたらしい。それがないことを思い出し、上げた手を所在なさげに漂わせつつ、


「だから……違うんだ」


 行き場を失った手と相まって、なおさら頼りなく響く声。


「なにが違うってのさ?」


 対してますます尖っていく陸奥の言葉。

 例の急所蹴りを警戒してそろりと距離を取り、色男はやや早口に弁明する。


「……いや、だから……自分は『香った』とは言っていない。そもそも彼女に声をかけてすらいない。そう誤解されたんだ」


「え?」


 もれなく全員の頭上にハテナが浮かぶ。


「どういうこった、なにがどうしてそんな勘違いされたってんだ?」


「それは……」


 こういうことだった。


 昨日、伊達と陸奥の二人は練習開始からずっと、新しい曲を覚えるためピアノに貼りついていた。

 東海林姐さんは曲のアレンジはできても譜面に起こすことができないため、曲は全て耳で覚えることになる。

 天才肌とでもいうのか、感覚型の陸奥は初めての曲でも一度聞けば歌詞も旋律も大体覚えられるのに対し、努力型の伊達はそれなりに苦労していたようだ。

 曲数もハンパない上、なんとか掴んで歌い出すと横から陸奥があれやこれやと指摘してくる。Tシャツが届けられた時にはすっかりくたびれてしまってたらしい。


「それで……彼女がやってきて話し合いが止んだ時に、ついひとりごちてしまったんだ。『がおった』と……」


「『がおった』?」


 伊達はまた無意識に眼鏡を押し上げようとして、決まり悪そうに頷く。


「……仙台弁で、疲れたとかしんどいとか、そんな意味だ」


「じゃあ栗沢妹は、『がおった』を『香った』と聞き間違えたってことか?」


「だろうな……」


 たまたま昨日から新しい制汗剤を使っていたばっかりに、栗沢妹は伊達の独り言を自分に対する言葉と勘違いしたんだろう。

 伊達もすぐに彼女の勘違いに気付いたそうだが、


「……あんなにニコニコと『制汗剤変えたんです』なんて言われたら、聞き間違いだなんて言えるわけがない。それで……」


 言いながら三度目のエアメガネをやらかしてしまって、四度目防止のためしっかりと腕を組んだ。

 伊達でもこんなミスすんだなぁ、なるほど眼鏡は身体の一部らしいやなんて感心していると、相模はうんうん頷いて伊達の肩を掴む。


「それで咄嗟に話し合わせて『いい香りだ』って誉めたワケか、女子に恥かかせるわきゃいかねぇもんな。うむ、それでこそ男!」


「そういうことだったんだな、なんか変だと思ったよ」


 意外な真相に苦笑いしていると、陸奥は「やっぱりねぇ」と大袈裟に肩を竦めて見せる。


「ウンウン、そんなことだろうと思ってたよ僕はー」


「ウソつけ、怒り狂ってたの誰だよ」


 思わずツッコむと、陸奥は絵に描いたようにニパッと笑ってむやみやたらと胸を張り、


「やだなぁ、僕ぁ信じてたヨー、心の底から信じてたヨー。

 衣装班と小道具班が来る度にあの粉っぽさ漂わされたら、役者陣の喉がやられちゃうじゃない。止めて欲しくても、僕には天野みたいに女の子にイキナリ怒鳴り散らす度胸なんてないしぃ。

 だからホラ、彼女達の趣向を踏まえて『ぷりちー☆陸奥タンのヤキモチ大作戦』を実行したワケさー」


 効果テキメンだったでしょ、とウインクまでキメてみせる。

 ぷりちー☆ て……

 ぷりちー☆ て……

 色んな意味で破壊力満点の台詞で皆の疑惑を煙に巻くと、陸奥はくるりと身体を反転させ軽やかに駆け出す。


「さぁて、換気できたかなー? 衣装楽しみ、早く戻ろ!」


「あ、待ってよ陸奥君~。もー、怖がらせた伊達君に謝りなさーい!」


 三河も栗毛を揺らして慌てて後を追いかける。

 取り残されたオレ達四人は、なんとも言えない顔で……内二人はほぼ無表情なワケだけど……顔を見合わせる。

 まず天野が、小さく小さく何度も頷きながら伊達の肩を叩いた。次いで、相模が反対の肩を苦笑いで叩く。もう肩が満員なので、オレは口を半開きにしたまま背中をポンポンした。


「……そんな眼で見てくれるな……」


 色男は深々とした溜め息とともに、結局四度目のエアメガネをやらかしボヤいた。




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