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裏方の矜持1 「仕込み図」



「うわぁ、いつの間にこんなシロモノが……!」


 中庭で大道具班に合流したオレは、組み上げられたセットの出来に感嘆した。



 夏休みが終わり、九月に入った。

 今まではなんだかんだで役者陣と……というか演出の天野と行動を共にすることが多かった。けれど二学期に入るといよいよ裏方各班が本格的に動き出すので、舞台監督のオレは別行動になる。

 津軽弁の通訳も、天野が他の人にも聞き取れる津軽・標準折衷語を身につけたのでお役御免。


 最初にやってきた大道具班は、大物のセットを組み上げるため作業場所を中庭に移していた。

 他の演目の大道具班の姿もあり、中庭にはトンテンカンと小気味のいい槌の音、ペンキのツンとした匂いが満ちている。


「おう、ジャンお疲れス」


 班長の神宮寺に声をかけると、神宮寺は頭に巻いたタオルを解き、顔をぐっしょり濡らす汗を拭う。

 まだまだ晩夏の日差しが厳しい。大道具班は道具の重さやシンナー臭さだけじゃなく、暑さとも戦わなきゃならない。

 オレは抱えてきたクーラーボックスを芝生の上に下ろした。


「あのさ、コレうちの母さんからの差し入れなんだけど、よかったら皆で飲んで」


「差し入れ? お母さんから?」


 お母さん、と復唱されるとなんだか気恥ずかしくなってまくし立てる。


「えっと、授業終わりに合わせて、さっき車で届けてくれたんだけど、その……氷溶けちゃって、あんま冷えてなくてごめんな」


 神宮寺がボックスを開けると、中にはスポーツドリンクや炭酸飲料のペットボトルが詰まっている。神宮寺は三白眼を嬉しそうに瞬かせると、まるで戦利品のように高々掲げた。


「おーい、ジャンのお母さんから飲みモンの差し入れ頂いたぞー! 皆取ってけ、一旦休憩だ!」


 作業していた班員達が諸手をあげてすっ飛んでくる。一様に汗でテカテカした顔で、ボトルを手に木陰に腰を下ろす。

 神宮寺は皆が取り終わってから、残ったコーラに口をつけた。並んで木にもたれて座り込む。目の前には、陸奥右近と伊達左近の足場であるベニヤ製の大岩が鎮座している。まだ組みかけだけど、間近で見るとかなり大きい。


「すんませんね、お母さんのお気遣い本気でありがたいッス」


「えと、ちょ、あんまお母さんお母さん言われると思春期ハートがもぞもぞするからっ」


「ソレ、思春期じゃなくて反抗期じゃ」


「反抗期かもだけどマザコンとかじゃないからっ」


「へぇ」


「へぇって流すなっ」


 神宮寺は喉の奥でクツクツ笑ってから、頭上の青葉を見上げる。


「いやでも羨ましいッスよ、理解のある親御さんで。うちなんか兄貴が跡取りになる気でいるのに、未だに継げ継げっつーんですよ。兄貴を手伝えーって」


「神宮寺ン家、宮大工さんなんだもんな。こっちこそお父さんに木材カンパしてもらったりして申し訳ないよ」


「使えるものは親でも端材でも使うッスよ」


「端材と同列に並べるなよ」


 そう言うと神宮寺はまたクツクツ笑った。

 最初はおっかなくてビビりまくりだったけど、こうして打ち解けることができてホントによかった。恐いのは顔だけで、中身はとってもいいヤツだ。


「お母さん、本番観に来るんスか?」


 う。

 だからおかーさんのはなしはやめよーっつってじゃないのさ神宮寺クン。

 いいヤツのはずの神宮寺はニヤついて首を傾げる。オレは頭を抱える。


「おー、来るよ……『ゲキ高はイケメン多いらしいじゃん!』って鼻息荒くした妹まで。でもオレさ、上演日言うまで裏方になったこと黙ってたからさぁ……」


「配役発表からこっち、ずっと?」


「言えなかったんだよ、役者になりたいっつってゲキ高通わせてもらったのにさぁ……

 案の定、母さんは鳩が豆鉄砲くらってクルッポー顔からの気ぃ遣いモードんなって重いし、妹にはクソミソに貶されるし……! ああああぁぁもーイヤだぁぁ!」


「あぁ……」


 神宮寺は少なくなったコーラを軽く振る。

 そう。

 ブタカンになったと言うと一瞬ぽかんとした母さんだったが、「そんな大事なお役目貰ったなら皆のためになにかしないと!」とはっちゃけた結果がコレいうわけだ。


 ありがたいんだけど……ありがたいんだけど……!

 息子はなんだかもにょりますお母様。

 てか、役につけなくてごめんなさい。

 そのせいで要らん気ぃ遣わせてごめんなさい。

 でも、こう、なんか、なんかあぁ……!


 いたたまれなくて頭をかきむしっていると、神宮寺は一息にコーラを飲み干して、空のボトルをコツンと置いた。透明なボトルの内側で、カラメル色の雫が木漏れ日にきらきら光る。


「ジャンが役者になってたとしても、そういうお母さんならきっとなにがしか差し入れしてくれたんじゃないスか?」


「え、そっかなぁ」


「そうスよ」


 神宮寺は頭にタオルを巻き直して言う。


「ジャンが出ない舞台でも、息子が関わる芝居ならって観に来てくれる人じゃないスか。あんま深読みしてヘコむことねぇっスよ、有り難くご厚意に甘えたらいいんス」


「神宮寺……」


 なんだか泣きそうになって神宮寺を見上げる。

 神宮寺は強面に男らしい笑みを浮かべて……


「ごっふっ」


 盛大なゲップを吐き出した。

 いや、お前……確かに炭酸飲んだあとだけどさ、分かるけどさ、台無しだよ色々と!


「うっし、休憩終わり! 作業に戻るぞ!」


 神宮寺は何事もなかったかのように皆に声をかける。

 オレも若干気の抜けたまま後に続いた。



「大道具の色塗りって、結構ざっくりなんだなぁ」


 組みかけの大岩に対し、朽ち折れた巨木のセットは既に組み終えていて、色塗りに入っていた。これも天狗達の足場になるものだ。

 班員達は、ペンキを含ませたスポンジで幹にざっくりと緑を乗せていく。苔だ。


「強い照明が当たると、細かいグラデーションは飛んで小汚く見えたりするんスよ」


「はー、なるほどねぇ」


「色のコントラストをはっきりさせた方が映えるんス。客席の近い小さな会場なら別っスが」


 太陽光の下、それも手が触れるほど近くで見ると大雑把に見えてしまうけど、ちゃんと舞台映えを考えて作ってるんだなぁ。

 裏方のことにとんと疎いオレは、感心しっぱなしで頷く。


「それにしても、現物見るとどっちの足場もかなり高さあるなぁ。伊達と陸奥が高所恐怖症じゃなくてよかったよ」


 傍らの大岩と自分の背を比べるように手をかざす。すると神宮寺は難しい顔をした。


「いや、それなんスけど……」


「ん?」


「いやぁ……舞台には()()敷くじゃないスか」


 リノはリノリウムの略で、舞台の面を養生するために敷くものだ。ゴム板みたいに滑りにくく弾力があって、役者達の足音を和らげてくれたりもする。


「だから舞台上に設置する巨木の方はいいと思うんスけど……舞台下に設置する大岩の足元にもリノ敷いた方がいいんかなって。落下した時のために」


「でも二人が立つ場所は肩くらいの高さじゃん、いるかなぁ……てか落ちるかな? 割と余裕もって幅とってくれてるし、大丈夫じゃないか?」


 楽観的に構えるオレに、神宮寺の顔がより険しくなる。


「暗転時は暗いスから。こんな高さでも下が板張りの床だと、受け身取り損ねりゃケガしかねないッス。万が一事故になったら舞台監督のジャンの責任になるんスよ? ちゃんとしておくべきッス」


 そうだった。

 事故を防ぐために手を尽くすのが舞台監督本来の仕事じゃんか。あの二人にケガさせるわけにはいかない。


「そうだよな、ごめんオレ自覚足んなくて。じゃあ神宮寺達に任せてもいい?」


「勿論ス。ただ……」


 頼もしく請け負ってくれた直後、神宮寺の顔が曇る。周りにいる班員達も手を止めて、気遣わしげにこちらを見ている。


「え、ちょ、なになにこの雰囲気?」


 おどおどと尋ねると、神宮寺はいきなり頭を下げた。


「エラそうなこと言っておきながらすんません! 実は……舞台上のリノ張りは学校側で持ってくれるんで忘れてたんス。舞台下に張るリノにかかる費用は各演目持ちだってこと」


 思わずぎょっとなる。

 ここへ来て予算外の出費……!

 すると班員達が神宮寺を囲むように寄ってきて、


「ブタカン違うんだよ、忘れてたのは見積もり表作ったおれらで……!」


「養生関係は全部学校持ちだと思ってたんだ、ホント申し訳ない!」


 口々に班長である神宮寺を庇う。そんな彼らを神宮寺は一喝。


「馬鹿野郎、チェックして最終的に見積もり提出したのは俺だ、黙ってろ!」


 随分皆に慕われてるなぁ、神宮寺。

 心温まる光景にほっこりするけど、数字は無情、うちの帳簿はあったかいどころか火の車だ。

 確か残りの予算は……カツカツの帳面を頭の中で繰りながら、顔に出さないようなんとか堪える。


「えぇっと、確か小さいサイズのリノ自体は備品庫にあったよな? とすると要るのってリノテープくらい、かな?」


「……ッス」


「いくらぐらいになりそ?」


 内心こわごわ尋ねてみると、神宮寺は片手の指をパッと広げた。


「樋口さん一枚ッ?」


「まさか! 桁一つ下ッス」


 なんだワンコインか。そりゃそうだよな、テープ一巻きだもんな、落ち着けオレ。

 残金と照らし合わせて胸を撫で下ろすと、親指を立てて答える。


「よかったぁ!」


「ホントすんません!」


「いやいや、オレはなんもしてないから。皆が材料持ち寄ったりして、切り詰めてくれたお陰だよ」


 安堵して作業を再開する班員達を見送ってから、また神宮寺は頭を下げた。


「だからオレはなんもしてないってば。それより嬉しいよ。こっそり自腹切ったりしないで、ちゃんと報告してくれて」


 素直な感想を漏らすと、神宮寺はなんとも言えない顔で鼻を掻く。


「いや、だって……ジャンがカンパ集めたくなくて、必死に駆けずり回ったの知ってるしよぉ」


 あぁ、見ててくれてたんだ。

 汲んでくれたんだ、オレの気持ち。

 なんだかまた心があったかくなる。

 でも、それよりも。


「やっとタメ語で口きいてくれた!」


「え、あ、今のはその安心してつい」


 慌てて背筋を伸ばそうとする神宮寺を肘でつつく。


「いいんだって、そっちのがオレ嬉しいもん」


 神宮寺の三白眼がさまよう。それから仕方ねぇなと肩を落として、


「じゃあ、タメ語解禁で。ビビんなよ? ビビられる方も結構ダメージあんだから」


「だいじょぶだいじょーぶ」


 見下ろしながらの「ビビんなよ」にすでにビビったとか言えない。迫力満点の顔はヘタレ顔のオレからすれば羨ましいけど、それはそれで苦労もあるんだなぁ……


「これだけの大物もあるし大変だろ? 手が足りないときは、呼んでくれたらできるだけ来るよ」


「おう、悪ぃな。でもジャンも忙しいんだから無理すんなよ」


 口調が砕けると、ガタイのよさもあって相模と話しているような気になってくる。

 犬猿の仲の二人だけど、仲間内に慕われたり、責任感が強かったり、案外似たもの同士なんじゃないだろうか。

 しげしげとその顔を見上げながら、大事な用件を切り出す。


「神宮寺、うちの演目の前に()る三年生と話したんだったよな?」


「あぁ、例の下手袖に置きっぱなしてぇっていうセットの件でな。確認したらうちの道具の搬入には問題なかった……って、これは言ったっけか」


「聞いてる、だいじょぶ。いや、オレもアイサツしておきたいんだけど、もしあっちのブタカンか演出の先輩知ってたら教えて欲しいなって」


「それなら……」


 神宮寺は伸び上がり中庭を見渡す。西日に目を細め、ややあって渡り廊下近くに陣取る一団を指差した。


「あれがその演目の大道具班だ。丁度ブタカンも来てるな」


「ラッキー! んじゃ、オレ行ってくるよ」


「なら俺も一緒に」


 班員に二、三言言いおいて、神宮寺は先導して歩き出す。行ってくるよとは言ったものの、見ず知らずの先輩達に単身突撃かますのはちょっとおっかなかったので、心底ありがたかった。

 歩きながら、神宮寺は声を落として目配せする。


「あの分厚いファイル持った眼鏡の人が、向こうさんのブタカンだ」


 見れば、確かに大道具仕事には不向きな白いシャツを着た先輩が一人。ファイルをめくりつつ指示を飛ばしている。尖った鼻に細い指、少し神経質そうな印象を受ける。


「ちょっとクセがある。気をつけろ」


 あ、やっぱり?

 気を引き締めて笑みを作ると、神宮寺はブタカンさんと話している大柄な先輩に声をかけた。


「お話中すんません先輩、ちょっといいスか」


 いかにも大道具さんといったいでたちのその先輩は、神宮寺に気付くと人のよさそうな笑顔を見せる。


「神宮寺か、どうした?」


「なにかとお世話になりますんで、うちのブタカンがご挨拶しておきたいと」


 完璧なお膳立てをしてくれた神宮寺に心の中で拝み倒しつつ、モブ顔なりに精一杯の笑顔で自己紹介をした。

 すると先輩は「あぁ!」と手を打つ。


「知ってる知ってる、オマエ三年の間でも有名だよー。俳優科生のブタカンだろ?」


 う。マジか。オレ有名なのか!


「純日本人顔なのに、外国人みたいな名前で呼ばれてるってなー」


 それでかよ!


 ジャンというあだ名の由来を説明すると、先輩は腹抱えて爆笑した。

 ……恥かいたけど、ともあれあだ名と顔は覚えてもらえたみたいだ。

 ホッとしたのも束の間、今まで黙って聞いていたブタカンさんが眉を寄せた。


「雑談したいなら後にしてくれないか。時間が惜しい」


「あっ、すみませんお邪魔して……」


 謝るオレに、ファイルから数枚の紙を取って差し出す。


「君が欲しいのはこれだろう」


 渡されたのは舞台の図面。

 それにセットの設置場所を書き込んだものや、照明関係のものと思しき表や図が数枚。


「え、と?」


 見慣れないものに戸惑っていると、ブタカンさんの眉間のしわが深くなる。


「セットの仕込み図に照明の吊り図、配線図などだ。不足かい?」


「い、いえ、とんでもないです。もうこんなに決まってるんだなって感心してしちゃって……」


 とっさに出てしまったヘラリ笑いに、彼はますます機嫌を損ねたようだった。呆れ半分、軽蔑半分といった目をしてため息を零す。


「その様子じゃ、そっちの吊り図なんかは持ってきていないようだな」


「え? うちの演目の方が後なんですけど……必要ですか?」


「必要なければ言わない。そっちで使わない機材はこちらで撤収するなり、協力できることはある」


「すみません、出来次第持ってきます!」


 ひ、ひええぇ……!

 おっかねー! 神宮寺とは別の路線でおっかねー!

 ガクブルしていると、ブタカンさんは指先で苛々とファイルの表を叩く。


「……『もう』だって? 『もう』二学期に入っているんだ。本番まであと二ヶ月以上あるように思うだろうが、実際は授業や試験のため芝居に費やせる時間は少ない。

 割り当てられたスタリハの日までに、各スタッフの動きを確認・周知・徹底しておく必要がある。むしろまだ決めずにいることが驚きだ」


「そんな風に言うなって。一年生だぞ? 慣れてなくて当たり前だろ」


 取りなすように言ってくれる先輩を一瞥すると、ブタカンさんはくるりと背を向け立ち去った。


「悪いなぁ、アイツ愛想なくて」


「いえ、お忙しいのに邪魔してしまってすみません!」


 ひょいっと頭を下げる先輩に負けじと深々お辞儀しつつも、胸の内は一気に噴き出した焦りでいっぱいだった。

 二学期に入ると学校行事で忙しくなるのは分かってたけど、他の演目はもうそんなに準備が進んでるなんて。

 てか吊り図ナニ? 書かれてるこの記号ナニ? これもブタカンが管理しておくべきモンなの?

 ヤバい。

 役者陣の方にかまけすぎてたかな。

 裏方のことまだまだ勉強不足だな、オレ……


 自分達の作業スペースに戻りながら悩んでいると、いつかのように神宮寺に背中を叩かれた。痛い。

 仰げば、神宮寺は眉を跳ね上げる。


「情けねぇ顔してんなよジャン。ともあれ催促されちまったからには、照明班の葛原に吊り図を出すように言え。こっちも仕込み図を清書して渡すから」


「お、おう。ってか……あの……吊り図ってナニ?」


 恥を忍んで尋ねると、


「仕込み図が大道具の配置表なら、吊り図は照明機材の配置表だ。記号の意味は葛原に聞いた方が分かるだろう」


 神宮寺は呆れもせず、貰った図を指差して説明してくれる。

 ふんふんと真面目に聞いていると、また叩かれた。


「そう焦るな、大丈夫だ。俳優科生が芝居の勉強してるように、俺ら裏方科生はこういうことを学んでる。各班とも裏方科の班長が指揮してんだから、ジャンはしっかり音頭とってくれりゃそれでいい」


「ううう……ごめんな、皆に頼りっぱなしで」


「任せろ総大将」


 神宮寺はニッと笑って親指を立て……


「ごっふっ」


「…………」


 …………

 …………だぁから。

 台無しだよ色々と!





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