大人の事情3 「それだけのことです」
ななちゃんはチラッとオレを見た。
一度目を伏せ、それから天野を見やる。
また一旦下を見てから、いつもの四人を見渡す。
最後に小さく息をつき、頬を掻いた。
「……天野は一緒に来るかなぁって思ってたけど、あんた達まで一緒とはね」
ここは教科準備室。
オレがクジ引き大会での一件を話すと、当然それぞれの口からなんやかんやと疑問が出た。
で、結局埒があかないので、事情を知っているだろうななちゃんのところへやってきたわけだ。職員室にいたななちゃんはオレ達の顔を見ると、諦めたように準備室へ移動した。
ボイトレ教科担当のななちゃんは、音楽担当の先生と準備室を分け合って使っている。その先生が不在なため、部屋の中にはオレ達七人だけ。壁一面を占める書架には楽譜や声楽関係の書籍が並んでいた。
「随分大人数引き連れてきたじゃない、ジャン」
備えつけのコーヒーメーカーから、紙コップ七つに注ぎ分けつつ、ななちゃんが嫌みっぽくボヤく。
オレへの助言を……なにがあっても驚くなと、今にして思えば舞台上で取り乱して恥かかないようにとの助言だったんだろう……天野にも聞こえないように告げたななちゃんだから、本当は内密にして欲しかったに違いない。
「もちろん、他には言ってない」
「でしょうね」
やたらと確信を持ってななちゃんは頷く。
でもこんな重大な秘密を自分一人の胸にしまいこんでおけるほど、オレの胸の容量は大きくなかった。
小さなコーヒーメーカーでは七人分なんてとても作れず、配られたコップには半分ばかりのコーヒーが入っていた。
「ごめんね」
ぽつり、ななちゃんが言う。
それが分け合ったコーヒーの少なさに対する台詞じゃないことはオレでも分かった。
各々コップを手に取り、思い思いに書架や棚にもたれ、自分の椅子に腰掛けるななちゃんを見やる。
ななちゃんは一口コーヒーを口に含んでから、
「順を追って話すわね」
と、口の端に苦さを滲ませて話し出した。
「三年生が上演順について声をあげてきたのは、夏休みに入る前のことよ」
それを聞いた三河がホッと頬をゆるめる。
「よかったぁ、三年生が全学年混ぜて演ろうって言ったのはホントだったんだね~」
クジ引きの話をした際、三河が一番気にしていたのはそこだった。学校側がなんらかの理由でオレ達の演目に大トリを演らせたいがために、望まない三年生に不利益をふっかけたんじゃないのか、と。
ななちゃんはなんとも言えない顔で首を振る。
「……三年生達が言ってきたのは、『全学年混ぜて演ろう』ということじゃなかったわ。
正確には、『天野耕助の演目を最後にしろ、自分達の前に演らせるな』ってことだったの」
「え? なんで~?」
ぽかんと目と口を全開にする三河に、陸奥は「ニブいなぁ」と肩を竦める。
「天野はこうしていればなんてことない無愛想なモジャ男だけど、世間一般様からして見れば『鬼才のシナリオライター・天野耕助』なんだよ?
その天野耕助が手掛けた舞台がタダで観られるんだから、他の演目よりも当然一般のお客さんが見込めるじゃない。
で、だよ? 例えば、天野の演目がその日一番目だとするじゃない。終わるじゃない。そしたら、天野目当てで来てたお客さん、どうする?」
問われて、三河はうーんと首を傾げる。
「ぼくなら、折角来たんだし、その日の演目全部観ていこうって思うけど~……」
「それはお芝居に興味がある三河だからでしょ。
目当ての演目が終わってから、次の演目が始まるまでに片付けや準備で三〇分とか待たされるんだよ? しかも劇高祭は他校の文化祭と違って出し物は芝居だけ。時間を潰せる模擬店もないし、周りにお昼食べられるような店もない。その上一一月の寒さの中。どうする?」
「う……帰る、かな~」
しょんぼりと答える三河に、陸奥はぴしゃりと言い切る。
「ぶっちゃけ芝居好きな人じゃなきゃ苦行だよね。それに演る方だって、自分達の演目が始まる前にお客さんがわらわら帰っちゃったら悲しくなるじゃない」
だからこそ。
バラエティ番組ならオイシいところは最後までひっぱるし、対バンライブなら一番人気のあるバンドはトリが多いでしょ、と陸奥。
話の当人である天野はといえば、もともとななちゃんに話を聞きに来るのも乗り気じゃなかったこともあって、隅で興味なさそうにコーヒーを啜っていた。
「そういうこと」
ななちゃんも少ないコーヒーをちびちび飲みながら言う。
「でも学校側からしたら、天野はイチ生徒なのよ。特別扱いするわけにはいかないから却下したわ。
それでも三年生が保護者まで巻き込んで食い下がってきたから、『なら全学年混ぜて演りましょう』って代替案を出してなんとか引いてもらったの。去年までのやり方じゃ、三年生はどうやったって一年生の天野の演目の後になっちゃうからね」
保護者まで乗り出す騒動に発展してたなんて、全然知らなかった。
でも待てよ、それならなんで学校側が天野の演目が大トリになるように小細工するんだ?
尋ねるとななちゃんは、
「くだらない話よ」
と吐き捨てるように言う。
「表向きそうは言っても、学校側としたってお客さんが増えるに越したことはないでしょ。だから本音じゃ天野の演目を最後に持っていきたい、でも公立高校である以上一人の生徒を特別扱いしていると知られるのも困る……
そこで教頭があんな小細工かましてくれたのよ。
公明正大にクジ引きで決めましょーって言っといて、実際は箱の中に袋を二つ仕込んでたのよ。大トリのクジだけが入った袋と、他のクジが入った袋をね。ジャンが引くときに袋の口をすげ替えたの。
公立校の体面を保ちつつ、天野の大トリを実現するために。ほんっとくだらない」
学校側であるはずの教師でありながら、ななちゃんはその対応に怒り心頭といった様子で、飲み終えた紙コップをぐしゃりと握り潰した。
「はぁ……」
あまりの怒りようにそれしか言葉が出てこない。その顔には隠しきれない悔しさが濃く表れている。きっとななちゃんは教頭やそれに追従する先生方を向こうに回して、大反対したんだろうな。
そんなことを思っていると、それまで黙っていた伊達と相模が目配せし合って口を開く。
「……それだけですか?」
伊達は五人の中で、唯一ななちゃんに対して丁寧な口調を保っている。相模もそれに頷いて、
「おう、俺ぁ馬鹿だから難しいこたぁ分かんねぇけどよ。ちょっと不自然じゃねぇ? 言っちまえば、たかが文化祭の出しモンじゃねぇか。確かにお客が入るに越したこたぁねぇけど、タダなんだしよぉ。
学校側がそれだけのために八百長すんなんておかしくねぇ?」
言われてみれば。
再びななちゃんに視線を戻すと、ななちゃんは疲れたように目頭を揉んだ。
「……劇高祭の舞台がきっかけで進路が開けた生徒、今まで何人いるか知ってる?」
「へ?」
「そんな人いんの?」
ぽかんとするオレ達に、ななちゃんはがっくりと肩を落とす。
「うん、まぁ、表立っては公表してないからアレだけど……相変わらずの疎さねあんた達。ある意味安心するわ」
まず一人目は……とななちゃんが挙げた一期生の名前は全員が知っていた。可愛らしい童顔のそのOGは、在学中雑誌の読者モデルとしてデビューして、その後女優としても徐々に活躍の場を広げている。今のところゲキ高出身者では一番の出世頭だ。
デビューのきっかけとなったのが、劇高祭の舞台で芸能事務所関係者の目にとまったことなんだとか。
「なんだってそんな関係者が、まだ無名のゲキ高の文化祭なんかに?」
当然といえば当然の疑問を口にする相模を、ななちゃんは恨めしそうに睨む。
「無名ってあんた、そんなアッサリ……うん、まぁ、そうなんだけどさ。早い話がその関係者さん、他の一期生の親御さんだったんだわ」
「自分の子供観に来たら、可愛い子がいたんでスカウトしたってことか」
「そういうこと。まぁ最初のそれは幸運に恵まれたケースだったんだけど。
その子が活躍するにつれ、劇高祭でスカウトされたって話も少しずつ広がっていって、そういう関係者がちらほら来場してくれるようになったの。
その子も含め、劇高祭でなんらかのアクションを貰った生徒は今までで四人。何気に凄い数字でしょ。
そこへ今年は、もうテレビで名も売れてる天野の演目があるじゃない。それを見にテレビ業界の関係者も来るんじゃないかって、そんな憶測がまことしやかに飛び交ってるってワケ」
「はー、そりゃ是が非でもうちの演目の前に演りてぇよなぁ。それで三年生は親御さんまで巻き込んで……っつーか、親御さんの方が我が子可愛さで必死だったのか知んねぇけど、大騒ぎしたってことか」
「そう……でも必死なのは学校も同じよ。まだまだ新規校だから、進路実績も進路先のパイプも乏しい。
だから、少しでも多くの生徒をより大勢の人の目に触れさせたい、その目の中に関係者のものがある可能性があるのなら……って」
「恐ぇ恐ぇ」
相模は他人事のように半笑いで腕を組んでいる。
……いやいや、おいおい、相模クンや。
ポジション的にはお前が一番注目されるだろう立場なんだけど? 当の天野の演目の主役に抜擢されていながら、どんだけのほほんとしてんだよっ。
劇高祭ドリームとでも名付けたくなるような、一度きりの舞台でチャンスをものにせんとする俳優科生全三六○人の中で、一番有利な立ち位置にいるのは間違いなくお前だろうに。
欲がないと言うよりは、自分にお声がかかるかもしれないなんて露ほども思っていないからこその反応だろう。
裏方のジャン君には正直うらやますぃーですわよ。ビビりもしないその度胸ごとうらやますぃーですわよ。
そんなことを思いつつ横目で相模を見ていると、だしぬけにななちゃんは深々と頭を下げた。
「え、ちょっとななちゃん?」
「なになに、どしたの!」
慌てふためくオレ達に、ななちゃんは声楽科出身者らしい、ハッキリとした大きな声で告げる。
「ごめんね皆。大人の事情に巻き込んで、利用するような真似して……不愉快な思いをさせてごめんなさい」
「え、いや、そんな」
「ななちゃんが謝ることじゃ……」
頭を上げてと懇願するオレ達を遮って、ななちゃんはなおも頭を下げたまま続ける。
「クジ引きが始まる直前まで教頭に掛け合ったけどダメだった、ならせめてクジを引くジャンが動揺しないよう配慮して欲しいって頼んだのに、たった二枚余分なクジを入れてもらうことすらできなかった……本当に情けないわ。
巻き込んでごめんなさい。
特に天野には……もうテレビの世界で色んなしがらみの中にいる天野には、せめて学校の文化祭でくらい伸び伸びとやらせてあげたかったのに……!」
「ななちゃん……」
いつもはピアノの上を軽やかに飛び跳ねている手が、今は膝の上で固く握られ、小刻みに震えている。
情けないかなオレは、大の大人にこんなに真摯に頭を下げられたことが初めてで、戸惑うばかりだった。それもななちゃんのせいなんかじゃないのに……
悲痛な告白に誰もなにも言い出せず沈黙が落ちると、今まで黙って聞いていた天野が動いた。空になった紙コップをクズカゴに入れる。
「……くだらない」
落とされた紙コップが鳴らす、カサリと乾いた音とともに呟かれた言葉に、陸奥が思わず声を荒げる。
「ちょっと天野っ、そんな言い方しなくたって!」
「菜々子先生のことではありませんよ」
天野はいたっていつも通り、無表情のまま淡々と応じる。クズカゴの中の紙コップに視線を落としたまま、
「菜々子先生には今までにも充分かばっていただきました。
『脚本が上演されるのだから、演出は他の生徒に回してやれ』という学校側の要求を退けてくださったり……思うまま一般組の皆さんを役に配することができたのも、菜々子先生が他の先生方を抑えてくださったからこそ。
到底感謝しきれるものではありません」
え、なんだよソレ、そんなことがあったのかよ……突っ込んで聞いてみたいけど、天野が纏わせる無機質な空気の中に、かすかに張りつめたものを感じて口を結んだ。
天野は顔を伏せたままのななちゃんを見下ろした。
「菜々子先生が気に病まれることはなにもありません。顔を上げてください。
上演順など些末なことです。何日目の何番目であろうが、学校や上級生、その保護者方の思惑があろうがなかろうが、我々スタッフ九八名は持てる全てを尽くすのみ。それだけのことです」
「天野……」
ようやく顔をあげたななちゃんは、天野の黒い目を見つめた。天野はそれに深く頷いて応えると、オレ達に向き直る。
「まだ聞きたいことはありますか? なければ、練習開始時間が迫っています、行きましょう」




