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レッスン室の独裁者7 「一緒にやりませんか」



 ──一週間前。

 天野と一緒に夕飯を食べた次の日。


「は……津軽弁で、ですか?」


 ぱちくりとリアルに音がしそうなほどしっかり瞬きをする天野に、負けじとしっかり頷いて見せる。


「そう、津軽弁で。天野も自分で言ってた通り、標準語で喋るとどうしてもこう、平坦になるっていうか……役者陣の皆、ニュアンス受け取り辛いトコあるみたいなんだよ」


「ていうか、それでダメ出しされると恐いんだよね」


 なるべくオブラートにくるもうとするオレの横で、陸奥閣下はその被膜を一刀両断に切り捨てた。戦慄するオレをよそに閣下は続ける。


「だからさ、いっそ津軽弁で話した方がいいんじゃないかなって。細かいことは伝わんなくても、天野がどう思ってるかは分かるじゃない。怒ってんのかそうじゃないのかとかさ。今のそれすら分からない、なに考えてるか分からなさ加減が恐いんだよ」


 天野はぼりぼりと頬を掻く。


「しかし……詳細が伝わらないのでは……」


「大丈夫大丈夫、なんとかなるよ! 僕ら東北勢で分かるところはフォローするし。ね、伊達」


 うっそりと頷く伊達。


「それにジャンだって、津軽弁辞書をゲットして準備万端だよ」


 言われてスマホの画面を見せる。

 なにかないかと探してみたら、津軽弁辞書アプリを見つけて迷わずインストールしたんだ。けれど天野はまだ難色を示す。


「けれど今更、なんと言うか……気恥ずかしいんですが」


「大丈夫だよ~天野君。もし笑う子がいたら相模君がぶっとばしちゃうんだから!」


「え、俺なの?」


 三河にも後押しされ、天野は不承不承といった感じで頷いた。




 ──その二時間後。


「そんでねそんでねぇ! 八郎あぐばで、後ろ後ろ!」


「え、えっ?」


「八郎、後ろに下がってって。弁慶に半分被っちゃってる」


「あ、ごめんごめん」


「すたっきゃ二郎め! めぇ!」


「目?」


「えっと、二郎は前に出てって。その方が気性の荒さがより出るんじゃないかな。二郎は郎党の中でも喧嘩っ早いじゃん?」


「あー、そういうこと」


「……ん、こんほがあんべいぃ。な、ジャン君」


「あんべいい? ……あぁ、塩梅いいってことか。オレもそう思うよ」


 昨日まで淡々とダメ出しをしていた天野が、津軽弁になった途端机から身を乗り出さん勢いで、指示を飛ばしながら唾も飛ばす。

 オマケに隣にいるオレに満足そうに同意を求めちゃったりするもんだから、役者陣の皆は目を白黒しっぱなしだ。


「……天野耕助って、本当はこういう性格なんだ」


「な、意外とアツいな」


 そこここでそんなヒソヒソ話が交わされる。

 練習開始前に皆に事情は話していたけれど、予想の遥か上をいく豹変っぷりに度肝を抜かれたようだ。

 あまりの衝撃に『演出には丁寧語』という不文律さえ吹っ飛んでいる。でも、ただでさえとっつきにくさを感じさせる天野が演出だ、この方がいいのかもしれない。


 オレはオレで、通訳の合間に自分なりの解釈を付け加えるようにした。

 天野の指示は細かい。立ち位置の指定は半歩分のところまで及び、動作は指先の動き一つにまで言及する。場面の見せ方に強いこだわりがあるんだ。

 けれど、それで一体どういうことを表現したいのかまでは言わないから、それが余計に役者陣を混乱させているんだと思って。

 舞台監督の本来の仕事からは外れているかもしれない。けれど、指名されたのは俳優科生のオレなんだ。なら俳優科生のオレなりのやり方で貢献しようと考えた結果だった。


「したっきゃ、三十ページのあだまっから……おや、もう三時ですね。休憩にしましょう」


 練習時間を区切った途端標準語に戻った天野に、役者陣一同盛大にずっこけた。




 ──そして今日。


「……したはんで、きさん太、そこはもっと悲しみ以外の感情があるっきゃ」


「悲しい以外の感情? うーん……」


「あやめもちっとこ、弁慶ば突ぎ放すような勢いでいってけろじゃ」


「でも、あやめにとって弁慶は最愛の人でしょ? 今生の別れになるんだし、身を切られるような辛さだと思うんだけど……」


「あやめには女性ならではの強さと覚悟ば表現してもらいてぐて」


「覚悟ね……うん、それは分かるわ。でも……」


 天野は津軽弁のイントネーションや語尾はそのままに、標準語を織り交ぜて話せるようになってきた。

 皆の反応を見て、通じる言葉とそうでない言葉をより分けて、後者を標準語に置き換えられるようになったんだ。

 次第に皆も人並みに感情を示す天野に慣れてきて、こうやって自分の意見を言えるようになった。もう今までみたいな一方通行のダメ出しじゃない。意見を言い合うことでよりよくするための議論が生まれてくる。これは明らかな進歩。現にこの一週間で、芝居は随分熟してきた。


「ふむ……」


 一方で、意見が増えてくると、天野の厄介なクセが明らかになった。

 一度物思いに沈んでしまうと他のことには一切手が着けられなくなり、そこから進めなくなってしまうのだ。


「んー……んだの……や、だばって……」


 ブツブツとひとりごちながら、鳥の巣頭を掻き乱す。こうなってしまうとどうにもならない。


「まぁた天野の長考かぁ?」


 相模のからかいを含んだ野次に、皆が苦笑いを漏らす。困ったなというよりも、仕方ないなといった風で。

 本格的に長考に入りそうな天野を慌ててせっつく。


「なぁ天野、だったら一度二つのパターンを()り比べてみたらどうかな?」


 すると天野はがばっと顔を上げ、


「したばってジャン君、あやめの演技も気になるんだばって、この場面見てたら弁慶の一人称ば気になってきでよ!」


 えらい勢いでまくし立ててくる。


「待った待ったっ! 分かった、聞く、聞くからっ」


「どうするのージャン君?」


 前のめりになる天野を押しとどめ、役者陣の方に顔だけ向き直って言う。


「じゃ、あの、そういうワケでとりあえず一〇分休憩にしよっか」


「一〇分で足りるかぁ?」


「あー……じゃあ、二〇分」


「しょうがねぇなぁ」


「あー喉乾いた!」


 役者陣はそれぞれに声をあげ、西日が射して蒸し暑いレッスン室から飛び出していった。

 考えに没頭してしまった天野に代わって休憩を入れることと、そしてその間天野の独り言ともつかない呟きに相槌を打つことが、オレの仕事に加わっていた。


「ふむ……書いた時には、弁慶は『儂』だと思っていたんですが、相模君の弁慶を見ているとどうも『俺』の方が合う気がするんですよね……」


 広い部屋で二人きりになると、天野は標準語で喋りだす。

 天野曰わく、練習中に使っている『津軽弁混じりの標準語もどき』で話すと、言葉のアクセントの置き場に困って、喋りながら自分でもにょもにょするらしい。割り切って標準語で話した方が楽なんだそうだ。


「オレは、どっちでもいいと思うんだけど」


 率直な感想を零すと、天野はぐるりと首を巡らせ凝視してくる。当然今は標準語なので無表情だ。


「どっちでもいい? ジャン君、一人称は言ってみれば重要な役割語ですよ、ないがしろには……」


「あぁ、うん。ないがしろにしてるワケじゃなくてさ。オレは弁慶が『俺』でも違和感ないよってこと」


「あぁ、そういうことですか。ふむ……相模君の弁慶は、わたしが思い描いていたよりも荒々しく熱いんですよ。けれど案外それがいい、嫌いじゃありません。是非あのまま走らせたい……そうなるとやはり『俺』の方が……いやしかし……」


「うん、うん」


 指先でペンを弄くりながら頭を捻る天野の独白に、時折合いの手を入れる。座っているだけなのにじっとりと額に滲んでくる汗を手の甲で拭った。

 すると天野は、ふとペンを止めた。


「……こうして悩めるのも、現場にいてこそですね」


「ん? まぁそうだな、実際の役者達の動きを見ていい方に変えられるもんな」


 天野はペンを置き、組んだ指の上にアゴを乗せた。少し自分語りをしてもいいですか、と言いおいて。天野が考え事を中断するのは珍しい。勿論と答えて足を崩した。


「わたしは自分で書いた脚本(ほん)を、思うまま舞台に起こしてみたくて、自ら演出することを望みました」


 あの微に入り細にわたる指示を聞いていると、そうなんだろうなと思う。きっと天野の頭の中には確固たるイメージがあって、それを舞台上に再現させたいんだろう。

 けれど、と天野は言う。


「実際に配役した役者達の芝居は、いい意味でわたしの想像を裏切ってくれることがあります……思わぬ見方を示してくれることも。

 それを踏まえてよりいいものへ変えていこうとすること、そしてそれができるということは、とても楽しいことですね」


 楽しい? 天野が楽しいだって?

 思わず天野の顔をのぞき込む。結ばれたその唇には、あるかないか分からないほどささやかな笑みが浮かんでいるような気がした。

 驚いてしばらく見入ってしまってから、不躾だったと慌てて言葉を探す。


「えっと……なら天野は、どうしてテレビドラマのシナリオを?」


 頬杖をついたまま、天野は首だけこちらを向く。


「資金集めのためです」


「資金集め?」


 なんの資金?

 尋ねる間もなく天野は言う。


「スポンサーのツテを探すためとも言えますね。人脈を作るためとも、名を売るためとも」


「え、と?」


「都心を中心に中小劇団が生まれては、数年以内に解散を余儀なくされてしまう……それが日本の演劇界の現状です」


 なんだかいきなり難しい話になったぞ?

 頭にハテナを浮かべつつも頷く。


 ちょっと懐のあったかい休日があったとして、行き先の選択肢になにが思い浮かぶだろう。

 映画館? カラオケ? ちょっと美味しいもの食べに行っちゃう? それとも日帰り旅行? ドライブやツーリング?

 大体こんなところじゃないだろうか。悲しいかな『劇場』という選択肢を挙げる人は多くない。多くない……というか、残念ながら少数派。

 そんな中で、無名の中小劇団が生き残るのはとても大変なことなんだ。


「何故そうなってしまうかと言えば、端的に言って金ですね」


「切ない話だけどな」


 集客できなければチケット代が入らない、チケット代が入っても講演にかかる費用で右から左、利益は出ない。となると当然役者やスタッフの報酬なんてない、むしろ持ち出し。持ち出しということは、別に仕事をしなければ食っていけない。

 ない・ない・ないのないない尽くし。つまり兼業必須ってことだ。むしろ収入で考えたら、本業は劇団以外の仕事ってことになる。

 そう、大手をのぞき『生き残っている』というよりも『演劇が好きだから続けられている』という劇団がほとんどというのが現実だ。


「スポンサーが得られるかどうか。それにより劇団の運命が左右されると言っても過言ではありませんからね」


 淡々と話し続ける天野を、待った待ったと両手で制す。突拍子もない話に相槌を打ったはいいけど、頭のハテナが飽和寸前だった。


「つまり天野は、将来劇団を立ち上げたいと思ってるってこと?」


「おや、言ってませんでしたか?」


「聞いてませんでしたよ?」


 つまり天野は自ら劇団を立ち上げるために、ドラマのシナリオを書いてまず自分の名を売り、資金を貯め、なおかつスポンサーのツテまで探している、と。

 今の天野のシナリオライターとしての活動は、全てそのためだってことか。

 おかしいと思ったんだ。シナリオ大賞の賞金もあって、ドラマのシナリオの収入もあるはずなのに、風呂なしでトイレ共用の部屋に住んでるなんて。


「劇団の立ち上げ……ですが劇団は立ち上げるだけでは意味がありません。存続させていかなければ。

 わたしの夢は、役者やスタッフが芝居作りに専念できる劇団運営をしていくことです。団員が皆芝居の仕事だけで生活でき、芝居に関するスキルを存分に磨けるような演劇集団……それを作るためには、ネームバリューと資金、後援者が必要不可欠ですからね」


「はー……」


 思わず声が出た。

 演劇業界の世知辛い実状を知ってはいたけど、それをどうこうしようなんて考えたことがなかった。自分でどうにかできるかもしれないなんて、逆立ちしたって思いつかなかったのに。

 けれどまだ一六歳、オレと同じ高校一年生の天野は、それに真っ向から挑もうとしている。自分の才覚のみを頼りに、本来あるべき姿とも言える専業の演劇集団……劇団を作るべく考え、既に動いている。

 驚嘆と感嘆とが混ざった息を吐き出した。


「なるほどねぇ……てかすげーな! シナリオ大賞で受賞したのが中学の時だろ? その時から色々と見越して準備してたってことか」


 ぶっちゃけオレなんか演劇が好き~、役者になりた~い、って脳内お花畑で、人脈やスポンサー云々なんて考えたことなかった。

 大手の劇団に入りたいなんて寝言でも言えない平々凡々なオレだ、どっかの小劇団に運良く引っかかったら兼業でもなんでもいいから芝居に関わっていけたらなって、そんな程度に漠然と思ってるだけだった。

 そう素直にぶっちゃけると、天野の黒い目がじっと見つめてくる。


「ジャン君の夢は劇団員ですか」


「え、あ、まぁね」


 言われて急に恥ずかしくなって頭を掻く。


「そうですか、劇団員に」


「う、うん」


「劇団員に」


「何回も言うなよ、照れるだろっ」


「なら一緒にやりませんか?」


「よせよ照れるだろ……って、え?」


 なんだって?


「天野が旗揚げする劇団に?」


「はい」


「オレが?」


「はい」


「所属?」


「いえ、むしろ旗揚げから一緒にしてもらえたらと」


「オレなんかが?」


「ジャン君が」


「ジャン君ってオレだよ?」


「知っていますよ」


 天野はいつもの無表情で頷いた。

 どうしよう。

 完全にテンパるタイミング逃した。いやテンパってるけどそれを顔や口に出すタイミング逃した。

 まっさかー、なんて冗談で流せる空気じゃない。

 どうやら天野は本気らしい。視線を逸らす気配すらない。

 夢を語るのは誰だって多少気恥ずかしい。けれど茶化すでもなく、冗談に逃げることもせず、天野は言う。


「一緒にやりませんか」


 鬼才と賞される天野耕助が立ち上げる劇団に、オレが?

 舞い上がりそうになる気持ちを押しとどめて考える。

 オレなんかになにができるっていうんだ、文化祭の演目でさえ役をもらえないようなオレが。

 あ。

 そういうことか。


「それはー……あれだろ? つまり、役者としてじゃなく、スタッフとして、ってことだろ?」


「……えぇ、そうです」


 天野は少しばかり答えにくそうに呟く。

 ですよねー、なんて、ちょっと落胆しているオレがいる。

 けれど同時に、この鬼才が生み出す芝居のためだけの集団を見てみたい、やってみたいという誘惑が胸にせり上がる。

 いや、でも……でもオレ、本当は……

 額の汗が増す。

 気づけば机の上の手を握りしめていた。

 沈黙に喉が鳴る。

 するとその時、誰かがドアをノックした。




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