レッスン室の独裁者6 「どんだけえげんだものであっても」
「『大丈夫れす』っつったぞ今」
思わず隣の相模と顔を見合わせる。他の三人も困惑顔だ。まさか本当に炭酸で酔っ払うなんてことがあるなんて……都市伝説じゃないのかよ。
戸惑うオレ達が見守る中、天野は真っ赤な顔のまま話しだす。
「えぇと、ジャン君をブタカンにした理由れしたね」
「え。あ、うん」
「それはジャン君が、『弁慶を信じます』と言ってくれたかられすよ」
「?」
なんの話だと、四人がいちどきにオレを見る。
オレもすぐには分からなかったものの、キャスティングオーディションの時のことだと思い当たった。
義経役のオーディションを受けた時のことだ。実演を終えたオレに、天野は尋ねた。
『君が義経なら、山に帰りますか?』
ワケが分からなかったけど、こう答えたんだ。
『帰りません。弁慶を信じます。弁慶をシバき倒してでも残ります』
そう説明すると、相模はくしゃりと髪をかき上げる。
「そんなことがあったのか。お前、案外自分のことは言わねぇよな」
「そうだっけ?」
そういや言ってなかったと苦笑いしていると、天野が話を再開する。
「最初に行った弁慶のオーディションれ、既に私の中れ相模君を弁慶にというのは固まっていました。
しかし、今日ジャン君にも言ったことれすが……ジャン君はいいにはいいんれすが、三ツ石君を超えて推せる程の決定打がありませんれした」
気になる。
気になる! 『れ』がすっげー気になるっ。けど続きも気になる。
皆もそうなんだろう、あえて誰もそこには触れず話の続きを待つ。
「皆さんの仲がいいことは、いつも中庭れ見かけていたのれ知っていました」
「ちょっと待って、天野もいつも中庭にいたの? あの時だけじゃなくて?」
陸奥が口を挟むと、天野は黙って頷いた。あの時というのは、天野に初めて遭遇した昼休みのことだ。
知らなかった、こんな特徴的なヤツがいたら気付かないワケないのに。そういえばあの時、天野は茂みの中からごそごそと出てきたっけ。いつもあんな風に茂みの中でひっそり過ごしているんだろうか。
ツツジの木に囲まれ膝を抱えている天野を想像すると、なんだか笑える。
すると天野はそんなオレの頭の中を見透かしたように、
「あそこが一番静かれ、独りになれますから。シナリオのイメージを湧かせるのに丁度いいんれす」
と言いおいて、話を元に戻す。
「わけても、ジャン君と相模君は二人で購買にいるのをよく見かけていましたから。らから、ジャン君にアドバイスをもらった相模君らけを配役した場合、二人の……その後のオーディションを見て、五人の、となるわけれすが……間に亀裂が入ってしまうんらなひかと」
……おいおーい、天野くーん!
ますます呂律が回らなくなってきてるよ!
ハラハラするオレ達を尻目に、天野はますます饒舌になり、口調は熱を帯びていく。
「らからジャン君に聞いたんれす。
『君なら山に帰りますか』と。
ジャン君はなにより力強い言葉れ答えてくれました。
『弁慶を信じます』と。
そう答えてくれたジャン君なら、一人裏方に回ることになっても腐らず努めてくれると思ったんれす。そしてジャン君はわたしの期待に応えてくれまひた……なのに」
そこまで言うと天野は胡乱な目つきになり、相模の肩をがしっと掴んだ。
「あぃだおん、ながあまくせぐえへっで○▲*☆◇~! 役に就いらながふて腐ってどーすんずっ!」
呂律が回っていない上に、どうやら津軽弁が混ざってきたらしい。最早カオス。けれど眉を吊り上げ、掴んだ相模の肩をガクガク揺すぶっているから、なにか叱ってるらしいことは分かる。
けれどなにを叱られているのか分からない相模は、同じ東北勢の二人にヘルプを求める。
「え、な、なんだって?」
「分っかんないよ! ……あ、でも『えへる』って秋田の北の方でも言うかも。『いじける』とかそんな意味だったような?」
「……最初の頃、読み合わせに相模がきちんと打ち込めていなかっただろう? それに対して怒っているようだ……」
役に就いたお前の方がふて腐れてどうするんだ、と。
伊達がそう言うと、天野は二度三度と頷く。
「んだおん、ジャン君は君を恨みましたか? 恨みませんよ『信じる』と言ったジャン君れすから、らのに君という人はそんなこともわがんねばまいね!」
「お、おう。悪かった、それは俺がホント悪かったっ!」
ところどころ意味は分からないものの、天野の剣幕に圧倒され、相模は顔の前で手を合わせた。
それを見た三河が感心したように言う。
「すごいね~、ホントは強いんだね~天野君。あ、もしかしてこれが説教上戸っていうやつ?」
「……怒り上戸かもしれないな……」
「おいおい、ンな分析はいいから助けてくれよぉ」
まだ揺さぶられ続けている相模が情けない声をあげる。
普段の全く感情を示さない鉄仮面っぷりも不気味だけど、これはこれで確かに恐い。
「まぁまぁ天野っ、それについてはオレがきちーんと説教して、相模も改心したからさ。なっ? だからそのへんで……」
そう宥めると天野はパッと手を離し、元の無表情に戻って息を吐く。
「そうれすね」
……酔っ払い恐い、恐いよ酔っ払い!
やっと解放された相模は、少し伸びてしまったTシャツの首元を直しつつ咳払いをした。
「あー……で? 今のはジャンを裏方に取ることにした理由だよな。裏方の中でもなんだってブタカンに?」
「それは……ひゃくっ」
鳥の巣頭の酔っ払いは、一瞬真面目な顔で俯いたかと思うと、耳まで真っ赤にしてケタケタと笑い出した。
「こ、今度はなんだっ」
ナニもうちょっと恐いんですけど!
「それはれすねぇ、あの合同授業でビビッと来ちゃったんれすよー♪」
「合同授業?」
六月に演出科と講堂でやったアレか?
「皆さんの実技を見た時にれすねー、もうピンときちゃったんれすねー。わたしが演出するとしたらこうするなというのとほぼ一致してて、もう……ふひひっ。ピンというかビビッというかぁ、とにかくきちゃったんれすよー」
「お、おう」
正に『お、おう』状態。
目まぐるしく変わる天野のテンションについていけないっ。
「誰が演出したのかと思い尋ねたら、ジャン君らって言うじゃありませんか!
そして弁慶のオーディションの時、一人だけダークヒーローのように演じて見せた相模君に、もしやと思い誰かに相談したかと聞いたらば……なんとそこでもジャン君の名前が出てきたじゃーないれすかー!
くふふっ、これはもう運命れすよ! 運・命♪ 演出のわたしの相方たる舞台監督を任せられるのはジャン君、君しかいません!」
「お、おう」
顔の横で手を組み、うっとりと明後日の方を眺める天野に、それ以外返す言葉が出てこない。未成年のオレには酔っ払いあしらいスキルなんざ皆無です。
とりあえず、相模の脇を肘で突く。
「……ホラな? やっぱりお前のせいじゃなかったじゃん、オレが裏方になったの」
小声で囁くと、
「でも俺、それでなんか天野の別の鐘をリンゴーンしちまった気がしてならねぇ」
「リンゴーンなによ?」
「鐘の音」
「それを言うならカランコローンじゃね?」
「リンゴーンだって」
ボソボソ言い交わすオレらの向かいで、三河がぽそっと呟く。
「これが世に言う笑い上戸か~」
「僕個人的にはきゃぴるん上戸と名付けたい気分」
「……乙女上戸でもいいかもしれない……」
伊達までなに言っちゃってんの!
酔人百面相に恐れをなし、皆が全力で現実逃避を開始した時、天野はふと真顔に戻った。
「……けれど、それは所詮後付けの理由でしかないかもしれませんね……」
そう掠れがちに零して俯く。また一転した雰囲気に驚いてその顔を見れば、黒々とした瞳にうっすらと涙が浮いていた。
「えっ、ちょっ、天野? どうし……」
その肩に伸ばしかけた手を、思いっきり両手で握り締められる。
「ひっ! 今度はなんだってんだよーっ」
酔っ払いに絡まれるなんていう初体験の恐怖に、思わず声をあげる。するとその目からぽろりと涙が落ちた。
「……君だったんです……わたしが神奈川に来てから、初めてまともに言葉をかけてくれたのは」
「え?」
なんのことだ?
テンパった頭を必死に回して思い出す。
そういえば、ブタカンになってすぐの頃天野の教室に行って、コミュニケーションをとろうと青森の話とかしたっけ。確か天野は言ってた、『こちらに来てから、人とこんなに話すのも、心配されたのも初めて』だって。
その時のことかと言うと、天野は首を振る。
「いいえ。初めて会った中庭で。
覚えていませんか?
わたしが二人の歌に興奮して出て行った時。突然現れたわたしに声をかけられ、陸奥君には当然ながら警戒されてしまいました。他の皆さんにも……
けれど君は、言ってくれたんです。
尋ねてくれたんです、わたしに。普通の声で。
『それで君はどちら様?』と」
「えっ? まさか、こっちに来てから初めてまともにかけられた言葉って、ソレ?」
天野はまた一つ涙を零して頷いた。
「わたしのことは、皆が知っていましたから」
「あぁ……」
中学生にしてシナリオ大賞の特別賞を掴み取り、映像化まで果たした鬼才・天野耕助。
同年代で演劇を志す者なら誰もが耳にしたことがある名であり、特に脚本家や演出家を目指す演出科生にその名を知らない者はいなかったんだ。
本人が望む望まないに関わらず、鳴り物入りでの入学となった天野を、級友達は敬遠してしまった。
確かに天野の風貌は独特だし、喋り方も淡々とした丁寧口調で、近寄りがたい空気を纏わせている。けれど多分それよりも、自分が目指す世界で既に成功している天野が眩しくもあり、妬ましかったのかもしれない。だから誰も声をかけなかったんだ。名前すら尋ねない。だって知っているから。
知らなかったのは、本当に、我ながら穴があったら入りたいくらいに、どこまでも果てしなくだらしなくのほほんとしていたオレ達くらいだったんだ。
それにしたって、いくらなんでも初めての言葉がオレなんかのそれじゃ、寂しすぎる。
「地元を離れて寂しい気持ち、ぼくも分かるよ。でも、こうやって皆がいてくれるから……天野君はずっと一人だったんだね」
つられて涙ぐむ三河の言葉に頷く天野。ならさ、と陸奥は言う。
「自分からどんどん話しかけていけばいいじゃない。僕らみたいに天野を知らない……とはいかないまでも、気にしない子の一人や二人いるんじゃないの?」
その言葉には首を振り、
「わたしはこんな性格ですから……青森に居た時も、周りから見れば芝居や本ばかりにのめり込み、同世代の人達と共通の話題も持たない無口な変人……
それでも言葉は通じましたが、こちらではそうもいきません。伝わる言葉で話そうとすればこの有様です。話し慣れず、感情一つ乗せられない言葉など音の羅列に過ぎません。口を開けば開いただけ、ますます周りを遠ざけてしまう……
自分から誰かに声をかけ、理解されたいと願うことなどおこがましいとすら思え、とうに諦めてしまいました」
「そんなぁ……」
そう言って、三河は膝の上の手をぎゅっと握りしめた。この中で誰よりも地元の言葉を引き摺っていた三河だから、余計に気持ちが分かるのかもしれない。
地元にいた時には共通の趣味や目標を持つ人に恵まれず、ゲキ高に来てやっとたくさんの同士に出会えたと思いきや、今度は言葉が通じない。その絶望感はどれほどのものだったろう。
天野は顔を上げて真っ直ぐにオレを見た。
「そんな時に、君が声をかけてくれたんです。
分かりますか?
君にとっては、というより、他の人にしてみればなんてことはない、ただ誰何しただけの一言でしょう。
けれどわたしにとっては……
わにとっちゃ、どんだけえげんだものであっても、いだわししていだわしして……」
最後はお國言葉でそう言うと、天野は胡座を組んだオレの足の上に突っ伏し、おいおいと……文字通りおいおいと声をあげ泣き出してしまった。
小刻みに跳ねる細い背中を見ていたら、あの日訪ねた天野の教室が思い出された。
オレが天野の名を呼んだだけで張り詰め、会話をすれば視線が絡みついてきて、どこか遠巻きにされていたあの気まずい空気。
天野は入学してから毎日、そのただ中に居たんだ。故郷から遠く離れ、知り合いもいない土地なのに、名前を尋ねられることすらなくたった一人で。
それでも『独り』になりたくて、昼休みの度に茂みに隠れていた天野。その心情を思うとわっと叫び出したくなる。
孤独なはずの教室では、居る限り誰かしらの目が追ってくる。それから解き放たれ、ツツジの木陰で本当の孤独に潜める時が、唯一息を吐ける時間だったんだろう。
その孤独を労るように、労うように、そっと背を叩いてみる。
とんとん、とんとん。
おいおいと咽び泣く声が、少しずつ小さくなっていく。
とんとん、とんとん。
嗚咽はどんどん小さくなり、途絶えたかと思うが早いか……盛大ないびきに変わった。
「……寝た」
そこでようやく顔をあげて皆の顔を見回せば、一様に耳を塞いでいた。
「言われなくても分かるよっ」
「うちのお父さんもお酒が入るといびきかいてたけど、これはすごいね~」
「相模のいびきを超えてるね」
「なにっ、俺いつもこんなにうるせぇの?」
「……最後は泣き上戸か……一通りやったな」
お前らよ。
あれ聞いて最初の言葉がそれですかい。
どこまでものほほんと通常営業の四人の顔に、どこかホッとしてため息が漏れた。




