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レッスン室の独裁者1 「指示というよりダメ出しね」



「はぁー……」


 午前中は三河(みかわ)の部屋でエチュードメインの自主練、午後は『鬼弁慶』の稽古。

 芝居漬けの日々は瞬く間に過ぎ、八月を迎えた。

 そんな中、今日は一度目の登校日だった。

 正直、教室でなにをやったかなんて覚えちゃいない。疲労困憊、歩けばフラつきそうな有り様だ。

 ……役者じゃないんだから身体は使ってないだろうって? まぁそうなんだけど。

 ブタカンのオレは主に精神面でくたびれていた。

 放課後、裏方ミーティングのためやって来た多目的室で、一番乗りをいいことに机に突っ伏し息を吐く。すると不意に背後から、


「どうしたのさ、元気ないねェ?」


 しゃがれたハスキーな声がかかった。

 振り向けば、ド派手なドレッドヘアの東海林(しょうじ)姐さんが、これまたド派手なスカルプリントのタンクトップ姿でやって来た。同じ歳とは思えないほどせり出した胸が生地を押し上げ、おへそが『こんにちは』してしまっている。

 哀しいかな免疫のないオレは、目のやり場に困って視線を逸らす。すると東海林姐さんの少し後ろに、望月(もちづき)さんが控えているのに気付いた。

 伏し目がちだったこの前とは違い、切りそろえた前髪の下から真っ直ぐこちらを見ている。疲弊したメンタルではブタカン志望だった彼女の視線を受け止めることができず、さり気なく机の上に目線を戻した。


「だいじょーぶ、元気だよー」


「えぇ? 全ッ然そんな風に見えないけどォ?」


 東海林姐さんは机の縁に腰掛け、顔をのぞき込んでくると悪戯っぽく笑った。


「鬼才・天野耕助の補佐って、やっぱ大変?」


「うっ」


「あちゃー図星? なぁに、そんな凄いの?」


 ……凄いもなにも。

 夏休みに入ってから、音響班の二人は別行動だったから知らないんだ。第三レッスン室……役者陣の稽古場であるあの部屋の空気を。


 夏休みに入って三日目のことだった。

 アップを終え汗だくの役者陣に、天野は言った。


「そろそろ袖入りやハケ、立ち位置などの大まかな動きは確認できたかと思います。

 今日からは芝居の肉付けを行っていきましょう」


 確認作業はもう終わり。これからが芝居作りの本番だ。

 役者陣の誰もが気合いを入れ直す。端で見ていたオレにもそれが伝わってきた。

 ところが、その宣言を境に天野が豹変する。


「そこ、もっと感情を押さえてください。一言一言丁寧に」


「動くのが早いです、もっと溜めましょう。もう一度」


「溜めが長いです……いえ、もっと早く……早過ぎます。それでは元に戻っていますよ、もう一度」


 こんな具合に、細かく細かく……それこそ重箱の隅でも突っつこうかという勢いで、役者陣に指摘し始めたんだ。

 読み合わせ、そして数回の立ち稽古の間、天野は役者陣の『演技』に対してはほとんど口を挟まなかった。読み間違いの訂正や立ち位置の指示をすることはあっても、個々の芝居内容に言及することはなかったんだ。後ろを見っぱなしという致命的なミスをしていた陸奥(むつ)にさえ、何も言わなかったくらいに。

 演出家にも色んなスタイルの人がいる。役者の一挙手一投足にまで拘る人、演技自体は役者達に委ね全体の流れや雰囲気を重視する人……天野は後者の演出スタイルなんだろうと、オレ含め皆が思っていた。けれどそれは間違いだったんだ。


「ふぅん? じゃあ皆今までとのギャップに戸惑ってるってワケねェ」


 天野が来ないかチラチラとドアの方を見ながらそこまで話すと、東海林姐さんは腕組みして頷いた。

 いつの間にかオレの横まで来ていた望月さんは「意外ね」と呟く。


「天野君は、テレビドラマのシナリオコンペで有名になったでしょう? 今も五分ドラマのシナリオ書いてる……だからてっきり書く専門なのかと思ってた」


 シナリオがテレビでドラマ化される際には、当然演出家が別にいる。


「だから劇高祭の脚本コンペの後、演出科生の間で『天野君は演出を別に置くんじゃないか』って噂もあったのよ。結構そのポジションを狙ってた子もいたりして」


 望月さんはさらさらと黒髪を揺らして小首を傾げる。ふわりとシャンプーの香りが舞った。


「天野君、本当は舞台のシナリオが書きたいのかしら?」


 どうなのよ、と言いたげに二人揃ってオレを見る。

 どうなんだろう。

 演出とブタカンとして組んでからそれなりに一緒に過ごしているのに、相変わらず天野のことはほとんど知らない。

 夏休みに入ってもなにかと忙しくて、天野と芝居以外の話をする機会がなかなか持てずにいたせいだ。

 天野が書きたいのはドラマのシナリオなのか、舞台の脚本なのか。むしろ書くことより演出作業の方が好きなのか。どんな夢を持っていて、どんな道に進みたいと思ってるんだろう。

 そもそもなんだって俳優科生のオレをブタカンにしたのかさえ、まだ聞けていないんだ。

 オレの沈黙に、二人は回答を察して肩を竦め合う。姐さんは気を取り直すように足を組んだ。


「でもさ、皆がギャップに戸惑うのは分かるよォ? でもそこでなんでブタカンが参っちゃってんのさ」


「それがさぁ~……」


 宥めるような声のトーンに、思わず情けない声が出た。


「ちょっと二人とも、普段の天野を思い出してみてよ」


 促すと二人は宙を仰ぐ。


「……無口ね」


「基本ですます口調だよねェ」


「無表情だし」


「ちょっとなに考えてるか分かンないトコあるかな」


「人を寄せ付けない雰囲気あるわよね」


「……その雰囲気のまま、淡々とあれこれ指示され続けたら……どう?」


 姐さんはぶるっと肩を震わせる。


「……怖ッ!」


「指示というよりダメ出しね」


 そうなんだ。

 さてこれからと熱気立つ役者陣に、天野の抑揚のない言葉は冷や水のように降りかかる。それは容赦なく役者陣の熱気を奪い、あらゆる角度から指摘されるダメ出しは自信さえも奪ってしまう。

 自信がなくなってしまえば、あの天野の黒々とした目の前で演技することが怖くなる。萎縮してしまい、大きな演技も新たな芝居を試みることもできなくなってしまう。

 その萎縮した芝居が更にダメ出しを生む悪循環で、レッスン室の空気は日毎冷え込みを増していた。


「……で、気ぃ遣いのブタカンとしては胃が痛いワケねェ」


「別に気ぃ遣いじゃないけどさ……皆それを天野には直接言い辛いみたいで、そのグチをなんでかオレんトコ持ってくるんだよ」


『ジャン君……天野君のあれ、なんとかなんないかな?』


『丁寧口調が逆に恐いっていうか、上から目線に感じるんだよ。なんとかなんないかね』


『ブタカン頼むよ。おれらからは、なんか言い辛いからさぁ。このままじゃ芝居ダメになっちゃうよ』


 ……そんな言葉を、ここ最近毎日のように聞かされている。

 ブタカンだからと頼ってくれるのは有り難いんだけど、皆が言い辛いことはオレだって当然言い辛い。

 それに天野があの口調なのは、お國言葉……それも多分日本一難解と言っても差し支えないだろう津軽弁を出さないためなんだ。それを知るオレがどう言えと……

 でもこのままじゃ確かにマズい。マズいんだけど……

 ウダウダ考え込んでいると、姐さんが勢いよくオレの背中を叩いた。


「いでっ!」


「なんとかなるって! 皆のグチ聞かされて胃が痛くなンのも分かるケドさ。頼りにされてるって言うか……うん、そう、なんか話しかけやすいんじゃない? ねェ?」


 姐さんが同意を求めると、望月さんは小さく頷く。


「そうね……道端でやたらと道を聞かれそうなタイプよね」


「うぐっ。仰るとーりです……普段から隙だらけなのかお年寄りにもしょっちゅう話しかけられるけど……っ! それがどうして大丈夫なのさ」


 机に堂々と腰掛けたままの姐さんを振り仰ぐと、姐さんは大きく胸を反らした。


「人一倍話しかけにくい天野っちに、人一倍話しかけやすいジャンちー。デコボコ具合ぴったりじゃん! なんとかなるっショ!」


「ええぇ……」


 てか、『ジャンちー』って。

 根拠は曖昧だけど、それでも元気づけようとしてくれる姐さんの心意気が嬉しかった。

 すると、神宮寺(じんぐうじ)が大道具班のメンバーを連れてやってきた。時計を見れば、もう集合五分前。

 裏方スタッフにあまり役者陣のネガティブな話を聞かせるのもなんなので話を打ち切ると、姐さんはまだ来ていない音響班のメンバーを探しに出て行った。

 東海林姐さんも望月さんも裏方ではあるけれど、吐き出せて少し気持ちが軽くなった気がする。ほぅっと息を吐いてから、まだ望月さんが横に居たままなのに気付いて背筋を正した。


「えぇっと……」


 まだなにか用があるんだろうか。

 前にななちゃんセンセに励まされて、彼女からブタカンの役職を奪ってしまったという罪悪感はなくなった。けれど二人きりの沈黙に耐えられるほど、まだ気まずさは払拭できていない。

 どうしたもんかと顔を見ることもできずに悩んでいると、


「……衣装班の子達から聞いたわ」


 望月さんの方から口を開いた。なんのことか分からず首を捻る。


「備品庫で、二年生と揉めたんですってね」


「あぁ、そのこと……」


 話が長くなりそうならと、隣のイスを引いて勧めてみる。けれど望月さんは軽く首を振った。

 ……はは、ですよねー……

 若干ヘコむオレに気付かない様子の望月さんは、話を続ける。


「備品泥棒しようとしてた二年生から取り戻したんでしょ? 皆言ってたわ。駆けつけてくれた五人ともカッコよかったって」


「あー……カッコよかったのは伊達や相模で、オレなんて迫力も腕っ節もないから口だけ」


「そうなの?」


 そうなんです。

 また沈黙が落ちる。胃がキリキリしてきた。


「……備品庫のこと、知らなかったって本当?」


 また望月さんの方から沈黙を破る。

 裏方なら知っていて当然のことなのに、知らなかったなんてと怒られるだろうか。ドギマギしながら頷くと、案の定その細い眉が寄った。


「困った人ね」


「ご、ごめん……」


「菜々子先生のことよ。君の担任でもあるんでしょ? ……俳優科生はそういうの知らないって分かってるんだから、ちゃんと説明しといて欲しいわよね」


 あれ。てっきり怒られるか呆れられるかと思ってたのに。

 ぽかんとその横顔を見上げていたら口が開いていたらしい。望月さんはオレを見てクスッと笑った。

 ……笑った。望月さんが。

 口を閉じるのも忘れてその笑顔に見入っていると、居心地が悪そうに早口になる。


「えっと……と、とにかく。備品の貸出のことに気付いたり、皆に相談されたり……天野君がわざわざ俳優科生の君をブタカンに指名した理由、なんとなく分かるかもって……」


「……望月さん」


 それって、少しはオレをブタカンとして認めてくれたって自惚れていいんだろうか。

 すると望月さんは、オレの我ながら不躾な視線を振り払うようにパタパタと手を振り回し、


「勘違いしないでよね? またこんな情けない姿見せたら、天野君に直談判してブタカン交代してもらうんだからっ」


 そう宣言して、戻ってきた東海林姐さんのところへ駆けていった。

 ……やっぱり自惚れだったらしい。

 いや、でも。

 それでも二人の励ましのお陰で気が晴れた。

 そうだ、こんなに頼りないブタカンなのに、俳優陣の皆がアテにしてくれるだけ有り難いじゃないか。そう自分に言い聞かせ気合いを入れ直す。

 続々とスタッフ達が集まり、最後に天野がやってきた。それだけで部屋の空気が引き締まる。

 天野はぐるりと一同を見回すと、静かに言った。


「お揃いですね。では始めましょう」




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