壁と格差と 「やりますね」
練習時間に入ると、初めての立ち稽古が始まった。
立ち回りの動きなんかも決めていないから、袖入りやハケ、立ち位置なんかを、都度中断しながら大まかに確認していく作業になる。
開始早々、オレは役者陣の中にあるハッキリとした格差を目の当たりにすることになった。
この芝居の役者陣は、およそ半数が名の通った演劇強豪校出身の推薦組で、残りの半数が一般組だ。けれど一般組とはいえ、オレ達はみ出し組のような弱小校出や初心者は稀で、その多くが県内の中堅校出身者が多い。
それなのに。
誰が推薦組で誰が一般組なのか、情報に疎いオレですら一見して分かってしまうくらいに、彼らの間には力の差があった。
まず声の出し方が違う。
最初に言った通り、この立ち稽古はほとんど確認作業だ。まだ大道具の詳細な配置や大きさも分からないし、確認したところでほぼ仮のものと言ってもいい。
それなのに、推薦組の役者達は本番さながらに声を張り、感情を乗せた台詞で一般組をリードしていく。
既に台本をト書きまで丸暗記しているのか、台本を持ったままで構わないのに、外している面子もチラホラいる。
そして動作。これが明らかに違う。
今目の前では、山中を行く義経一行が演じている。
静御前が、足を引きずりながら徐々に一行から遅れていき、遂に足を止めた。これはト書きの指示通りだ。
「大丈夫か、静」
義経役である推薦組の三ツ石が気付き、すぐに静の元へ引き返す。そしてそのまま屈み込み、気遣うように顔を覗き込んだ。この動作はト書きにはないものだ。
「申し訳ありません、義経様……足が」
「痛むか」
「えぇ、少し」
義経と静がやりとりをしているこの間、他の郎党達は立ち止まり二人を待つ。その間の所作にも明らかな差があった。
まず動いたのはあやめ役、推薦組の有村さんだった。
ト書きにはないものの、静の足の具合を看るのなら同じ女性役である自分が相応しいと判断したんだろう。義経に続いてとって返し、静の足元にひざまづき足首に触れる。そして草履の紐を調節するかのように、黙々と手を動かしていく。
他の郎党達の挙動は真っ二つに別れた。片や三人を振り返りつつも、台本を見て次の動作を確認している。片や、
「少しでも急がねば追っ手が」
「やはりおなごにこの山道は……」
なんて、小声でアドリブを交えつつ、静達を案ずる仕草をしている。
そう。前者は一般組、後者は推薦組の面々だ。
一般組の面々が台本をなぞり「確認作業」をしているのに対し、推薦組の面々は「芝居」をしている。
言ってしまえば、仮の舞台の上には「確認者」と「役者」が混在しているようなものだった。
「……こんなにも違うんだ」
気付けば、口からぼそりと呻くように漏らしていた。
俳優科生として、推薦組も初心者も一絡げに同じ演技指導を受けていた時には気付かなかった……いや、気付いてはいたけれど、ここまで明確な差は感じることができなかった。今改めて端から見ると強烈に感じる。
推薦組の彼らがどれだけの芝居に臨み、どれだけの稽古を積んできたのかを。
オレの呟きを拾って、天野が小声で言う。
「場数の差でしょう。強豪校であれば、大会や文化祭などの演目練習の他に、日頃からショートショートやアドリブの練習もしていたでしょうから……初めての立ち稽古にも全く臆する様子がありませんね」
「…………」
「まぁ、これからですよ。他の皆さんも徐々に慣れることでしょう」
「そう、だな」
それだけ応えるのが精一杯だった。
もしもオレが役を貰っていたら、彼らのように動けただろうか。
そう考えただけで、乾いた喉が鳴った。
推薦組と、経験者であるはずの一般組の差がこれだけあるんだ。ほぼ初めてきちんと芝居に挑む初心者の陸奥と伊達は……そう思い、一行から離れた場所、舞台の下手側前方に設置されるだろう大道具の岩場辺りに座る二人を見やる。
……あぁ、うん。だよな。
伊達は座ったままがっつり下を向き、台本に目を落としている。その横顔は真剣そのものだけど、「確認」することだけに集中しているように見える。
陸奥は一行を観察する様子を表そうとしているんだろう、台本から顔を上げてはいるものの、客席から顔を背け後ろでやりとりする義経達を見つめている。その心意気は買うけれど、それじゃあ残念ながら観客から顔は見えない。背を向けることと同じくNGだ。
演出である天野は、陸奥や伊達、一般組の役者陣になにも言わない。あくまで動きの指示だけを淡々と飛ばしていくだけだ。天野自身も、この初回は確認作業という認識なんだろう。
……そうだ。まだ初回、芝居作りは始まったばかりなんだ。これから一一月の本番で四ヶ月かけて、この差を埋めていけばいい。
大丈夫、大丈夫。
半ばなにかに祈るような気持ちで自分自身に言いかけ、ハタと我に返る。
……他人事みたいに祈ってどうすんだ。
オレはこの芝居の役者じゃないとはいえスタッフなんだ。しかも演出の天野を補佐する役目のブタカンって立場じゃないか。
大丈夫大丈夫、じゃない。なんとかなるんじゃなくてなんとかするんだ。役落ちした身ではあるけれど、俳優科生だからこそ、演出科生の天野が気付きにくい点や改善案なんかを見つけられることもあるはずだ。
テープの内で繰り広げられる芝居未満の確認作業を注視しつつ、指示を飛ばす天野の横で、オレは静かに脳をフル回転させ始めた。
四時近くなって、一旦休憩に入った。
稽古中気が付いたことを箇条書きにしたメモを片手に、天野に向き直る。
「あのさ天野、明日から始まる夏休み中の練習のことなんだけど、その時にさ……」
「なぁなぁ演出さんよぉ」
勢い込んでまくし立てようとしたオレの言葉を遮って、鞍干が近付いてきた。どこか苛立ったような声のトーン。
これはまさか、さっき天野が陸奥を庇ったことに対する早速のクレームか?
身構えて口を噤んだオレをよそに、天野はいたって普段通り、眉一つ動かさず鞍干を見やる。
「どうしました、鞍干君」
鞍干は天野の机の前まで来ると、しゃがみ込み頬杖をついた。天野と視線の高さを合わせ、やや声を落とす。
わざわざ相手と目線を合わせるなんて、鞍干らしくない気遣いだ。誰に対しても高慢な鞍干だけど、一応演出である天野に敬意を払っているんだろう。
「今見てて気付いたと思うんだけどさぁ。声出てるヤツと出てないヤツいるだろ? アレってさ」
……あれ。陸奥のことじゃないらしい。
そのまま言葉の続きを待ち受ける。
「今までは、練習前に実技の授業なんかで声出しやストレッチしてたから全員声出てたけど、今日は終業式とホームルームだけでそれがなかっただろ?
今声張れてたのは、練習前に自主練してたヤツだけだぜ。これじゃあ明日からの練習不安だろ」
「え、あ……」
思わず声が出てしまった。邪魔すんなとばかりに鞍干に睨まれたけど、驚いたんだからしょうがない。オレが今まさに天野に言おうとしていたことと一緒だったんだから。
鞍干の目が怖いけど、ここで怯んでなるものか。
「横からごめん。でも、オレも全く同じこと考えてたんだ」
そう言うと、鞍干のつり目が意外そうに丸くなる。
「なんだアンタ、ぼーっと見てただけじゃなかったのか」
失礼な。コイツほんとに一言余計だな。
そう思いつつ、書きためておいたメモを天野の机に乗せた。覗き込む二人に改めて提案する。
「鞍干、始まる前に『声出ししてくる』って出て行っただろ? 実際それで他の役者達より声も出てた。それで思ったんだ。
自主的にバラバラにやるよりも、練習の頭に皆で声出しや準備運動したほうがよくないかなって」
「そう、おれが言いたかったのもソレ。自発的に全員がやるの待ってるよりか、ウォームアップとして練習メニューに入れちまえばいいんだよ。
……なにせ、ロクにウォームアップのやり方も分からねぇだろう素人クンもいることだし」
そう言って、鞍干はチラリと休憩中の陸奥を見やる。
……だから、そういう余計な一言は……
言いかけたけど、次の鞍干の言葉を聞いて止めた。
「その方が、全体の底上げにもなると思うぜ?」
全体の底上げ。
今度はオレの口が開く。
コイツ、ちゃんと役者陣全体のこと、考えてたんだ……
あんまり驚きが顔に出てしまってたんだろう、鞍干は口の端を歪める。
「ンだよ。ってか、練習前に全員でアップすんのなんて、演劇部じゃフツーだろ……あ、まぁ顧問からして幽霊みてぇな弱小部じゃ、なかったかもしんねぇけどぉ?」
言葉の後半、いつものように意地悪くニヤけながら言われてしまったものの、今までよりもイラつかなかった。鞍干が意外と芝居全体のことを考えていると知ったからだろうか。
……それでも、一言多いとは思うけど。
「ふむ……ならば、アップの際のリーダーを決めなければいけませんね。わたしはその点門外漢ですから」
「じゃあさ、鞍干にやってもらったらどうかな?」
自分でも意外なほど、自然とそう口にしていた。鞍干の口も「は?」の形で止まっている。
「鞍干はなんせ、去年の中学演劇全国大会で銀賞を穫った強豪校の出だろ? その部がやってた練習メニューなら、厳しいかもしんないけど絶対効果あると思うんだ。
それに、鞍干はその演目で主演張ってたんだ、他の推薦組からも一目置かれてるトコあるしさ」
「え、あ、あぁ……」
鞍干はなんだか困ったような、戸惑ったような顔で曖昧に頷く。
大丈夫、オレだって内心こんなにすらすら鞍干を誉める言葉が出てきて驚いてる。
でも紛れもない事実だ。
確かに鞍干は高飛車だし、強豪校出を鼻にかけて気に食わないところもあるし、いらん一言は多いし、余計な喧嘩をふっかけたりするところもあるけど……あ、悪口も同じくらいスムーズに出てきちゃったよ……でも、役者としての力量と、養ってきた経験は確かなはずだ。
横で天野がこっくり頷く。
「そうですね。なら他のメンバーからも異論は出ないでしょう。今日の帰りに、皆さんに発表しましょう。宜しくお願いしますね、鞍干君」
「……天下の天野耕助クンに頼まれちゃ、しょうがねぇよなぁ」
鞍干は面倒臭そうに呟くと、休憩中の仲間の元に戻っていった。視線で追いかけていくと、なにを話していたのかと尋ねる仲間に対して言葉をぼかしつつ、半ば宙を仰いで考え事を始めたようだった。なんのかんの言いながら、早速アップのメニューでも考え始めたんだろう。
素直じゃないなぁ……
ニヤけそうになる口許を片手で覆って隠していると、天野は指の上でペンをくるりと回した。
「……意外と策士ですよね、君は」
「え?」
向き直ると、天野は器用に回されるペンに目を落としたまま言う。
「彼はプライドがとても高い……それはオーディションの時から感じていました。そして、実績と実力に裏打ちされた誰よりも強い自信」
正直扱いづらいタイプです、と天野は零した。
「その彼を、彼が希望したわけではない役……それも、わたし自身は重要だと考えていますが、出番としては少ない富樫役に当てたことで、彼は半ば腐っていました。
主役の弁慶を、無名とも言える相模君にもっていかれてしまったわけですから、ある程度予想はしていたのですがね」
「あぁ……」
鞍干の今までの言動を考えると無理もないように思えた。
それにしても天野、意外と役者陣のことをよく見てる。
「そんな彼に、練習前のアップ時のこととはいえ、『リーダー』という肩書きを与えた……短い時間でも、毎回全員の前に立ち先導する役目は、彼の自尊心を少なからず満足させてくれることでしょう。やりますね」
そこで顔を上げた天野と目があった。底なし沼のような黒い瞳が、オレを観察するように映し出す。
「別に、そんな深い意味があったワケじゃ……」
本当に? と尋ねる代わりに、骨ばった指先でペンがくるりと回る。
「買い被りすぎだよ」
探るような視線に居心地が悪くなって、目を逸らした。
本当にそんな思惑があって鞍干を推したワケじゃない。ただ少し、ヤツの芝居全体を思う志に賭けてみたかっただけなんだ。
天野はオレをどんなヤツだと思ってるんだろう。何食わぬ顔で、ひっそりと策略を練っている小賢しいヤツにでも映っているんだろうか。残念ながら、そんなオツムは持ち合わせちゃいない。
オレの推薦一つからそんな風に裏詠みするなんて、天野の方こそ日々そんな工作を練っているんじゃないだろうか。
よくよく考えれば、まだイマイチ得体の知れない相棒の横でそんな風に思っていると、休憩時間の終わりが迫ってきた。
小走りに陸奥と伊達の所へ行き、伊達には下ばかり向かないよう、陸奥には後ろを見過ぎないようアドバイスをしたところで、天野が立ち上がり手を叩いた。
「時間です。続きを」




