球技大会前編 「ジャス」
ゲキ高に入学して三週間。
新入生が学校に馴染んできた頃合を見計らい、県下の公立高校の多くで行われる、とある行事がある。
入学して、あるいはクラス替えをして、新たなクラスメイトと親睦を深める目的で行われるものだ。
「おっしゃあ、遂にこの日が来たぁ! 各方、準備はよろしいかーっ!」
晴天の下、カーマインのスウェットに黄色い腕章をつけた相模が、戦国武将よろしく雄叫びをあげる。
「おーっ!」
血気盛んな男子を始め、ノリのいい女子が歓声で応える。勿論オレも力一杯拳を揚げた。
入学して一月足らずだけど、身体も声もデカい相模は、クラスの盛り上げ役として定着していた。
相模は手にしたバインダーを軍配よろしく振りかざす。
「俳優科一年五組、狙うは各競技の優勝! くれぐれも怪我のないようにヨロシクぅ! 健闘を祈るっ!」
そう言うと相模は、校庭の隅に設営されたテントへ慌ただしく走っていった。
腕章には、「大会実行委員」の文字が光る。
そう、球技大会だ。
「相模君、忙しそうだねー」
鮮やかな黄色い膝丈のスウェットを着た三河が、手首をコキコキ鳴らしながら相模の背を見送る。
新年度が始まってすぐにある大会の実行委員は、本当に大変そうだった。特に一年生は入学して間もない。
クラスの雰囲気を鑑みて、担任の独断で実行委員を仰せつかった相模は、右も左も分からない中よく頑張ったと思う。
ここのところ、昼休みは五分で弁当をかっこみ、委員会準備室にダッシュしていた。
そんな姿を見てきたから、是が非でも盛り上げねばと気合いが入る。
「相模の頑張りに応えるためにも、初戦敗退だけは避けなきゃな」
頷くオレは紺のスウェットを着ている。制服がないゲキ高には、指定の運動着もない。皆思い思いの格好をして大会に臨むのだ。
黒いスウェットを着た伊達が、対戦表が掲示されたボードの前から戻ってきた。
「……自分達の試合は、第三コートの第二試合だった」
「おっ、サンキュー伊達」
「サッカーなんて久しぶりだな~、頑張ろー!」
「おーっ!」
「……あぁ」
意気込んでいるオレ達の背中に、
「あ~、ダリぃねぇ……」
間延びした声が飛んできた。見れば数人、ブルーシートに座り込んでいる。
推薦組の面々だった。声をあげたのは、推薦組で中心的存在の……
「なんでこの学校に球技大会なんてあんのかねぇ」
思い出そうとしている間に、次の言葉が飛んでくる。
推薦組リーダー格、鞍干だ。
鞍干は着替えもせず、襟の尖ったシャツに錨付きのジーンズといういでたちだ。やる気のなさを隠す気もないらしい。
鞍干といえば、入学式の日にド派手なホストスーツ姿で、オレの度肝を抜いてくれた男だ。薄い耳朶にガーネットらしいピアスが光る。
鞍干の他にも数人、通学時から着替えてないヤツがいた。思わず近寄って声をかける。
「そう言わずにさ、せっかくのイベントなんだから楽しくやろうぜ?」
鞍干は今初めてオレの存在に気づいたとばかりに目を丸くし、すぐに細めた。
「イベント? ただのお遊びだろ。こんなくだらないことに割く時間があるんなら、演技科目の一つもやってもらいたいもんだねぇ」
「ホントに。せっかくゲキ高に来たっていうのに、どうしてこんなことしなくちゃいけないの」
鞍干に追従して、数人の女子が声をあげる。
鞍干は、去年の全国大会で銀賞を穫った演目の主役を演じていたそうだ。そのため、同じ全国大会出場経験者達から、絶大な支持を集めている。見栄えのする顔で、特に女子のシンパが多い。
「あーやだやだ、日焼けしちゃう」
「……女子は体育館でバレーの試合があるだろう? 行ったらどうだ」
手鏡をのぞいてぼやいた女子に、伊達が体育館を目で示す。ところが彼女はツインテールを振りながら勢いよく立ち上がり、
「だぁかぁらぁ、ボール遊びなんてしたくないの!」
「……体育館なら、少なくとも日焼けはしないと思うが……」
「体育館はホコリっぽいのぉ!」
目をギラつかせて伊達に食ってかかる。
ナニコレ、これがシンパ? 超コワい……誰だっけ、この子。まだクラスの半分程しか顔と名前が一致しない。
いや、とりあえずそれは置いといて。
「でも、行かないと試合が始められないじゃん。他の女子はもう体育館行ったぜ?」
すかさず伊達のフォローに入るも、彼女は子供っぽい仕草で……それも狙って幼さを演出していると分かるようなワザとらしさで……頬を膨らませてそっぽを向く。
「誰か代わりに入るでしょ」
「そんな、ちゃんと人数割り振ってチーム分けしたじゃんか」
そのチームを決めるのに、相模がどれだけ苦労したと思ってるんだ。
そもそも、全員が参加希望競技を挙げれば簡単だったのに、非協力的な態度で話し合いを難航させたのはお前達だろ。
そう言いたくなるのをぐっと堪える。ここで揉めてしまえば、それこそ相模の努力が水の泡だ。
どうしたもんかと、伊達と顔を見合わせた時だ。視界の端に桜色のジャージ姿が映った。
「あ、ななちゃんセンセ」
長い髪を頭の天辺でお団子にまとめたその人は、担任の桜井菜々子先生、通称ななちゃんだった。
ななちゃんは手にしたファイルをひらひら振った。
「やっほー、頑張っとるかね諸君!」
「いや、まだなにも始まってないけど……」
「あらそう。なによ、どうかした?」
本人達を前に答えられず口を閉ざすと、ななちゃんはぐるりと周りを見回した。鞍干達は視線を逸らす。
ははぁと小声で頷いて、ななちゃんは任せなさいと言うように、オレの肩をファイルで叩いた。
それからもう一度辺りを見やり、
「あれ、小島は?」
「小島って誰だっけ?」
伊達と首を傾げる。後ろからこっそりと三河が、
「相模君のことだよ!」
と教えてくれた。そういえばアイツ小島だったな……あんなデカいのに。
「相模……あ、小島なら実行委員会のテントに」
白いテントを指差すと、ななちゃんは大きく頷いた。
「さっすが小島ね。委員に召集かかってるわよって言いに来たんだけど、必要なかったみたい。あたしの人選、我ながら大したもんじゃない!」
「ははぁ、仰せのとーりです」
調子を合わせて拝むと、ななちゃんはブルーシートの方を向く。
「あらやだ、なんなのあんた達その格好! まさかそれでサッカーだのバレーだのやるつもりじゃないでしょうね!」
「いえ、これは……」
気まずそうに言い訳する推薦組に、ななちゃんは更なる追撃を繰りだす。
「球技ナメんなぁ! そんなナメた格好して初戦敗退なんてしたら、校庭一〇周走らすわよ!」
その言葉に、彼らはのそのそと更衣室のある校舎へ歩いていく。
頼むからそのままバックレたりしないでくれよ? そう思ってしまうオレって、心が汚れているんだろうか……
今までオレの背後に隠れるようにしていた三河が、ようやく顔を出した。
「はぁ~、キョーレツ~! びっくりしたぁ!」
ななちゃんがやれやれと溜め息をつく。
「なにがあったか見てはないけど、なんとなく分かるわ。あんた達、お疲れ様だったわね」
「……分かって、しまうんですね……」
「分かるわよぉ! 困ったもんだわ、あの子達ったら。普通科の先生方から、授業態度が悪いって苦情出てんのよ?」
ななちゃんの眉間に寄った皺の深さから、苦情は一件や二件で済まないことが伺える。
そうだろうとも。
彼ら推薦組の普通科目の授業態度は、同じ生徒としても目に余るものがある。
教科書に隠れもせずに寝る、しゃべる、しゃべり通す、しゃべくり倒す、携帯をいじる、提出物は出さないなどなど。
それなりの進学校と同等の難関校だとはおおよそ思えない授業風景が、普通教科のたびに繰り広げられる。
ななちゃんは人気の消えたブルーシートに座りこんだ。オレ達三人も釣られて腰を下ろす。
「それなら、今みたいにななちゃんがビシッと言えばいいのに~。ていうか、各教科の先生が注意すればいいことだよね? なんで言わないの~?」
三河がくりんと小首を傾げる。さっきの女子とは違って、装った幼さとは違う天然の仕草に、なんだかほっこりする。
伊達は体育座りした膝に頬杖をつき、遠い目をした。
「……彼らには彼らの役割があるんだろう」
「三年後の進路開拓か」
それを思うと、オレも一緒に遠い目になってしまう。
「え、なに、どういうこと?」
三河はオレと伊達の間で、交互に顔をのぞき込んでくる。もう一度深いため息を吐き、ななちゃんは肩を落とした。
「あんた達そこまで分かってるのね。
そうよ。あの子達はもともと、成績は半ば度外視で、進路開拓者として有望だってことでここに来てるの。
だから学校としては、三年後にそれなりの進路実績を残してくれれば文句ないってわけ」
「?」
まだ分からない様子の三河にフォローする。
「ゲキ高はまだできて四年、卒業後の進路実績はまだ一期生の分しかないじゃん? 今はまだ目新しさで生徒が集まるけど、何年も経つのにロクな進路実績がなかったら、誰も来なくなるだろ?」
「……特に全国でも少ない公立の演劇高校だ。
卒業後にそれなりの劇団に入団したとか、国内外の劇大に進学したとか……そういった実績をあげられなければ、演劇を扱う学校を公立校として存続させる意義も、問われてしまうだろうな……」
「まっ、そういうことね」
だから多少成績や態度が悪かろうが、学校としてはおいそれと留年などさせられない。
本人たちもそれが分かっている。だからあんな態度ができるし、普通科の先生もあまり煩く言えないんだろう。
「あぁ、なるほど~。でもそれじゃあ、ぼくら一般組はなんにも期待されてないの?」
……悲しいことをそんな無邪気な顔で言ってくれるなよ、三河クン。
ななちゃんは、なに言ってんのよと三河を小突く。
「期待してないわけないじゃない!
そもそも一般入試があるってことは、演劇をこれから知りたい、やってみたいって子達にも門戸が開かれてるってことよ?
そういう子達に三年間で演劇のいろはを叩き込んで、進みたい道に進ませてあげられる……その力がなきゃいけないのよ、この学校には!」
そこまで力強く語ってから、ななちゃんはがくりと項垂れる。
「なきゃいけない、んだけどさぁ……なにせ開校したばっかりだから、絶賛試験運用中っていうか……進路先のパイプが乏しいのは否めないのよねぇ。はぁ」
だからこそ、進路開拓者として有望な推薦組を、粗雑に扱うことはできないということだ。
けれどそんな学校の姿勢が、彼らの横柄な態度を助長しているのは明らかだった。
「ってか、そういう話をオレ達生徒にしていいの?」
「ダメに決まってるじゃない、当然オフレコよ」
平然と言ってのけ、ななちゃんは唇に人差し指を当てる。オレ達も人差し指を立ててそれに応えた。
するとななちゃんは、あらっと声をあげた。
「あんた達、一人足りなくない?」
「あ、そういえば陸奥君は?」
伊達が無言でブルーシートの隅を指す。
シートの一辺が、不自然に盛り上がっている。なにかがシートの下に潜り込んでいるようだ。
「え、うそ、あれ?」
恐る恐る回り込んでみると、確かに陸奥がいた。
白いスウェットが汚れるのも構わずしゃがみ込み、シートを頭の上まで引き上げ、すっぽりと被っている。
さながらどこぞの難民だ。
「ちょっ……なにしてんのか聞いていい?」
異様な姿にドン引きのオレ達に構わず、陸奥は地面の一点を虚ろな目で見据えている。
「………日差し強すぎ……無理、無理これ、関東日差し強すぎ……日焼けする………」
なにかの呪文のように呟かれた言葉を聞き、オレは無理矢理シートを剥ぎ取った。
「どこのギャルだお前はーっ! 聞き飽きたわソレ!」
「なにすんのさジャン、やめろよっ!」
取り返そうと立ち上がる陸奥を、伊達が後ろからがっしりと捕獲する。ナイス伊達!
「やかましいっ! もう次の試合なんだぞ、支度支度! 日差しがなんだっ、日焼けがなんだっ!」
「春の日差しナメんなぁっ、意外と春は紫外線が強いんだよっ」
「ナメてんのはどっちだ! だったら白いの着てんな、伊達を見習え! 黒を着ろーっ!」
ハッとしたように陸奥が伊達を振り返る。一呼吸置いた後には、陸奥は伊達から剥ぎ取った上着をしっかり着込んでいた。
伊達は代わりに押しつけられた陸奥の上着を着ようとしたが、小柄な陸奥とじゃ当然サイズが違う。諦めて、腕の部分を腰で結んだ。
居たたまれなくなって、伊達にそっと耳打ちする。
「な、なんかごめん、伊達……オレの上着貸そうか?」
オレと伊達なら一〇センチも違わない。もう少しマシだろうと提案したが、伊達は首を横に振った。
「……こんなことで済むなら……女子を説得するより容易い」
「うう、ホントごめんな」
「伊達君、紳士だなぁ~」
感心しきりな三河の横で、陸奥はまだぶつくさ零している。
「球技とかホント苦手……ていうか、球技ってナニ? 球技って生きていく上で必要? 短距離走くらいなら頑張るから、勘弁してくれないかな……」
「おーい藤原。あだ名、陸奥だっけ?
陸奥クンや、その球技大会の実行委員は、お仲間の相模クンだよ? ちょっとはやる気出してもいいんじゃない?」
ななちゃんの言葉に、陸奥ははたと口を噤んだ。憑き物が落ちたような顔で、オレ達の顔を見回す。
「あれ? 僕達の試合、何試合目?」
「……二試合目だ」
ざっと校庭に視線を走らせる陸奥。
「やっばい、もう第一試合終わりそう! ほら、行くよっ!」
「ええええぇ……」
ダッシュでサッカーコートに向かう陸奥に呆気にとられていると、ななちゃんは呵々大笑。
「やっぱりあたしの人選、間違ってなかったわね! ほら、あんた達も行った行った、後で応援に行くからねーっ!」
「はーい」
なんとなく釈然としないまま、先行く陸奥の背中を追いかける。
伊達は小さくなった陸奥の後ろ姿を見つめたまま、
「……陸奥のジャス……汚れてるな」
ぼそりと呟いた。
じゃ、じゃす?
思わず足が止まりかけたところを、三河に袖を引っ張られた。三河はこっそり顔を寄せてきて、
「……ジャン君、じゃすってなに?」
「わ、分からん」
「仙台の方言かな?」
「さぁ……でも、伊達が訛ってるの聞いたことないぞ?」
ボソボソ言い交わしている内に、少しずつ伊達から遅れていく。
三河はなにやら深刻そうな顔になる。
「方言じゃないってことは、英語かなんか? じゃす、ジャス……碧玉じゃないし……あ、正義?」
「おぉ、天才現る」
「でもさ、それだと陸奥君の正義感とか心が汚れてるってこと?」
「うーん……まぁ確かに、あのウダりっぷりだったからなぁ……」
「そんな! 陸奥君、あぁだけどいい子だよ、口悪いし毒吐きだけど!」
「なぁ、それフォローしてんの?」
「してるよ、ぼくは陸奥君好きだよ!」
「オレだって、根はいいヤツだと思ってるよ」
そこまで言って、前を行く伊達の背中が、小刻みに震えているのに気づいた。
……笑ってやがる。
足を早めて伊達に追いつき、
「なぁ、ジャスってなんだよ」
「陸奥君はいい子だよ、そんな風に言わないでよ伊達君!」
二人して言い募ると、伊達は多分笑っているんだろう顔を伏せて隠し、サッカーコート脇で待つ陸奥の所まで走った。
「ちょっと、遅いよー。もう第一試合終わっちゃうよ……って、なに笑ってんの伊達?」
日ごろ無表情な伊達の笑い顔に、陸奥はギョッと身体を強張らせる。伊達は気にせず、いたってにこやかに言う。
「……皆、陸奥のことが好きだそうだ」
「はぁ?」
「え、なに、どういうこと?」
希少な伊達の笑顔と、好きという言葉にたじろぐ陸奥のスウェットパンツを指差して、
「……ジャス」
伊達は一言そう言った。
ワケがわからない。
疑問符を振りまくオレ達の前で、伊達は陸奥に後ろを向くよう促す。
すると、陸奥の白いスウェットのお尻の部分が砂まみれになっていた。地べたに座っていたからだ。
「……ほら、ジャスが汚れてる」
「んん? つまり?」
「……仙台の学生は、上下揃いのジャージやスウェットをジャスと言う。他では言わないのか?」
「えええぇぇ! 言わない言わないっ!」
また一つ謎の方言が発覚した。
方言、奥が深いぜ……
「なぁんだ、ジャージのことだったんだぁ。よかったぁ~」
「なにがよかったのさ、なにもよくないよ!」
陸奥はしきりにお尻をパタパタ叩いて、砂を落とそうと必死だ。
球技大会に白ジャスで参戦するなんて、日差し云々抜きにしてもチャレンジャーすぎるわ……
その時、第一試合の終わりを告げるホイッスルが鳴った。周囲を見回し、校舎から出てくる鞍干達の姿を見つけホッとする。
やっぱり、汚れているのは陸奥のジャスじゃなくオレのジャスティス感だったらしい。
……む、やっぱちょっと言い回しに無理があったな……
ともあれいよいよ出番だ。気合いを入れて腕をまくる。
「よしっ、やるぞーっ!」
「おーっ!」
オレ達は拳を突き合わせ、コートに出陣した。