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いざ夏休み 「上手下手」



「……いよいよ始まるな……」


 開け放った窓にもたれ、ヤツは短く呟いた。硬い髪を湿気混じりの風が揺らす。広い背中からは、仄かな哀愁が漂っていた。その奥に秘めた静かな闘志を感じ取り、オレも並んで窓枠に手をかける。


「あぁ……いよいよだな」


「始まるんだな……いよいよ。例のブツは用意できたのか?」


 片眉を上げたニヒルな笑みで尋ねられ、すかさず鞄から一枚の紙を取り出し、その鼻先でチラつかせる。


「当然」


「流石だな」


「抜かりはない」


「さぁ、いよいよだ、ぜ……」


「いよいよだな……」


 一際強い風が吹きつけ、目を細めた時だった。


「っせーの、せ!」


 後ろから声がしたかと思うと、思いきり背中を押された。

 無防備だったオレ達二人は、たまらず窓から飛び出さんばかりに身を迫り出す。


「おわっとととっ! なんだよイキナリ!」


 揃って振り向くと、オレの背後にはケラケラ笑う三河(みかわ)、ヤツの……相模(さがみ)の後ろには呆れ顔の陸奥(むつ)がいた。


「なんだよじゃないよ、なんなの今のクッサイ小芝居。しかもシリアス気取ってる割に会話の内容ぺらっぺらだし!」


 陸奥のツッコミに返す言葉もない。ぐぅ。やっぱ相模とオレじゃシリアス路線は無理だったか……いや、気分的にはハードボイルド気取ってたんだけどね?

 三河はまだ笑いながら、相模を見上げ小首を傾げる。


「分かるよ~、夏休みに入ってこれからお芝居の練習漬けになるんだもん。気合い入っちゃうよね? でも今のやりとりは……ぷぷっ」


「あーあー、言ってくれるなよ。真面目臭い台詞(セリフ)が浮かばなくて、正直ツッコみ待ちだったさ」


 相模は降参とばかりに両手を上げる。陸奥はニヤリと意地の悪い笑みを浮かべ、


「でも、その割にはなーんか哀愁漂ってたよね。その原因は……コレかなっ?」


 相模が小脇に挟んでいた成績表を素早く抜き取った。


「あっ! 馬鹿、よせっ!」


 制止虚しく、二つ折りの成績表がバッと開かれる。


「ん……? あー、こりゃこりゃ……うん、でも辛うじてアヒルさんで済んでるじゃない。よかったねー」


 アヒルさん。つまり二だ。五段階評価のうちの二。よその学校ではどうか分からないが、このゲキ高ではギリギリ補習対象外だ。『次赤点取ったら分かってんだろうなゴルァ』という警告でもある。

 真面目な話、中間テストで赤点連発した割にはよくやったと思う。いつの間にかそばにやってきていた伊達(だて)が、心なしかホッとしたように目を細めている。相模の頑張りと、伊達先生の尽力の賜物だ。

 相模は乱暴に表をひったくり、折れるのも構わず鞄に突っ込んだ。


「うるへー。それだって親に胸張って見せられる数字じゃねぇっての! あぁ、こんなん親父に知れたら……」


 逞しい腕で自分を抱きしめ、ぶるりと身震いする相模。そんな相模よりも一回りも二回りも大きく屈強な親父さんを思い出し、心の中でそっと手を合わせた。


 ──そう、今日は一学期最終日。


 憂鬱な成績表と引き換えに、いよいよ夏休みが幕を開けた。



 五人での昼食をいつも通り中庭で済ませ、役者陣のホームベースたる第三レッスン室に向かった。まだ集合時間には間があるため、部屋の中の人影はまばらだった。

 裏方班の各班長には、夏休み中の施設利用許可書と併せて日程表を渡し済みだ。あとは役者陣の日程表を天野に確認してもらい、コピーして配ってしまえば、ブタカンとしての仕事の一山を終えることができる。


「えーと、天野はー……」


 天野の姿を探していると、背中から声がかけられる。


「早いですね、皆さん。お疲れ様です」


 振り向くとそう、天野だった。相変わらずのひどいクマと、鳥の巣のような天然パーマ。首の伸びたTシャツに、足元は洒落っ気のないサンダルだ。

 身なりに興味がないというよりも、他に考えることがありすぎるんだろう。

 年頃相応の洒落っ気がないことは、周りから見ればダサくて嘆かわしいことかもしれない。でも、そんなことも目に入らないほど打ち込めるものがあるということは、とても幸福なことじゃないだろうか。

 ……と、モブ顔・否モテ・否オサレメンなオレが言ってみる。


 改めて思うと、この劇高に通う生徒は、外見に気を遣っているかそうでないかの両極端に分かれている気がする。

 女優を目指す俳優科の女子生徒の大半は前者だし、人前に出る役目ではない他科の生徒は、見た目よりも機動性重視、あるいは独自のこだわりが見られる人が多い。

 なら俳優科の男子生徒はどうかっていうと、まさに二極化を極めている。

 オレら五人を見てもそう。

 ユニセックス物を取り入れて、華奢な自分に映える服装選びが上手い陸奥。童顔で小柄な自分の個性を活かしつつ、よく見ると品のいい服や小物で統一している三河。

 二人は間違いなく前者だ。

 伊達は……イケメン面して相変わらず練習着はおかしな文字Tが多いし、相模は運動部と見紛うばかりのスポーティーさだし、オレは……着飾ったところでモブ顔だから、最低限相手に不快感を与えない程度に気をつけているくらいだ。


 ……いや? いいんだよ。オレなんかコレで。うん。

 こじゃれたシャツ一枚にン千円払うくらいなら、小劇場にでも通うさ。

 本屋行っても、手に取るのはオサレ雑誌じゃなく演劇関連の本ばっかさ。

 うん……とっっても幸福だよ? どーせカノジョもいないしねー……


「……君? ジャン君聞いてますか? 夏休みの日程表はできましたか?」


「はっ!」


 いかん、つい自分の世界に入り込んでた!

 促され、役者陣の日程表完成稿を手渡す。練習日時を記したカレンダー方式じゃなく、天野がその日にいる面子を把握して、練習箇所を決めやすいよう、誰がいるかいないかが分かるシフト表方式を採用した。

 天野の黒い瞳が表の上を滑る。


「……なるほど。役者陣の皆さんにもこれを?」


「うん、コレをコピーして配るつもり。役者陣には見辛いかな?」


「いえ、改めて別表を作る手間が惜しいです。これでいきましょう」


「了解、後で人数分コピーしてくるよ。って、ん? 今日この後なんかオレの手が必要なことでも?」


 尋ねると、天野はぐりんと首を動かしオレを見た。


「そろそろ立ち稽古に入りたいと思いましてね」


 そう言って、ポケットを探ると二色のビニールテープとメジャーを取り出した。

 立ち稽古、それにビニテ。ピンと来て手を叩く。


「あぁ、バミるんだな。オッケー」


 天野がこっくり頷くと、傍らで相模がガッツポーズで応じる。


「よっしゃ、そんなら俺も手伝うぜ。集合時間にはまだあっから、手分けすりゃ皆がくる前に出来んだろ」


「……それなら、自分も」


「はいはーい、ぼくもー! 皆でやって、ちゃっちゃとバミっちゃお~!」


 伊達と三河も名乗りを上げてくれたが、一人だけ、陸奥が怪訝そうな顔で立ち尽くしていた。


「……なにするって?」


「え? バミるんだけど」


「『バミる』? またどっかの方言?」


 問われた意味が分からず、全員の動きが停止する。一呼吸置いてから、ようやく理解したオレと相模は吹き出した。


「あっはは、方言なんかじゃねぇよー!」


「そっかそっか。経験者が多いから、あんま基本的な用語は授業でも教えてくれねーもんなぁ」


「え? え?」


 頭の周りにハテナを飛び散らかしている陸奥に、クスクス笑いながら三河が解説する。


「『バミる』っていうのは、立ち位置や舞台の広さを、色テープなんかで床に目印をつけることだよ~。合唱の時、ステージのセンターに印つけたりしなかった?」


 ようやく合点がいったというように頷くなり、陸奥の顔がみるみる赤くなっていく。


「してたかも……ってことは、方言じゃなくて、舞台用語ってこと?」


「そういうこと! ま、お店なんかでも棚の位置の目印に『バミ』ったりするみたいだから、舞台だけの用語ってワケじゃねーみたいだけどな」


「もーっ! だったらなんで伊達は知ってたのさ! 教えてくれたっていいのに!」


 知らなかった羞恥心が怒りに転換され、その矛先は同じ演劇初心者の伊達に向けられた。

 伊達はしどろもどろに、


「え、いや……自分は、演劇のワークショップに……その……」


「ズルい、自分だけ!」


「そう、言われても……」


 照れ隠しなのか、やたらに拳を振り回す陸奥と、半分受けつつ身をかわす伊達。

 うーん、平和だ。

 二人一組になって、図面とメジャーとを見比べながら、舞台の広さをテープでバミっていく。

 教室二つ分強あるレッスン室とはいえ、さすがに袖のスペースまでは確保できない。けれど、客席から見える舞台の空間だけはなんとか作ることができた。


「天野ー。袖は作れないけど、袖入りの場所はバミっといたほうがいいかな?」


 袖は舞台の両端にある、袖幕や壁の裏側の客席からは見えないスペースだけど、端に行けばどこからでも入れるわけじゃない。舞台は客席側に少し迫り出していて、袖幕は一、二歩分下がった所に下がっている。

 例えば舞台際、お客さんの目の前で演技してから袖に駆け込もうと思ったら、少しだけ斜め後方に走らなきゃならないわけだ。本番に焦って、真横にダッシュしてしまってから慌てて背を向けて袖に入ろうモンなら台無しになってしまう。

 あ、念の為。

 舞台もテレビと一緒で、基本的にお客さんに背を向けるのは当然NG。演出上あえてすることはあるけども。

 天野は間髪入れず頷く。


「そうしましょう。ではわたしとジャン君でカミテ側をやりますので、三河君と陸奥君、シモテ側をお願いします」


 そこでまた、ピタリと陸奥の動きが止まる。

 あれ。もしかして……


「カミテ……? シモテ……?」


 ああぁ、やっぱり!

 これも授業ではやってなかったけど、基本中の基本とも言える舞台用語だ。すかさず解説を挟む。


上手(かみて)ってのは、お客さんから見て舞台の右側。左側が下手(しもて)

 ホラ、舞台に立つ役者と、それを客席側から見る演出とじゃ、右左が違うだろ? 演出からの指示が『右行けー』『左行けー』じゃ混乱するから、方向を統一するためにそう言うんだ」


「あぁ、なるほどね」


 陸奥の素人具合が予想以上だったと見えて、天野はくるりと黒目を回す。


「陸奥君……脚本の中にも、『上手(かみて)にハケる』や『下手(しもて)に下がる』など散々出てきたと思うんですが……なんだと思っていたんですか?」


 無抑揚な中にも若干恐る恐るといった色が混ざる天野の問いに、陸奥はあっけらかんとパタパタ手を振る。


「そういうことだったんだね~。僕、『上手(じょうず)にハケる』や『下手(へた)に下がる』とか、変な指示だなぁって思ってたんだ」


 天野は無言で頭を抱えた。


「だ、大丈夫っ! 大丈夫だから天野っ! 陸奥のことだからすぐ慣れるって! ト書きは声に出して読まないから気付かなかっただけでっ」


 間髪入れずにフォローしていると、そんなオレの言葉に被せるように冷ややかな声が飛んでくる。


「おい、マジかよ! 俳優科に来て四ヶ月経つってのに、袖の上下(かみしも)も分かんないって? そんなヤツが劇高祭の舞台に立つのかよ」


 声の主は天野じゃない。声の方へ振り向くと、鞍干(くらほし)がドアの所で陸奥を睨んでいた。チッと舌打ちして、銀色に染めた髪を掻き乱す。


「冗談じゃないぜぇ、お前この四ヶ月なにやってたんだ? 授業で取り上げられないくらい初歩的なことだぞ。知らなかったじゃ済まねぇよ! 本当に芝居がやりてぇのか?」


 なにか言い返すだろうか。ひやりとして陸奥を見やれば、陸奥はぐっと奥歯を噛んで小さく頭を下げた。


「……ごめん。僕が不勉強だったよ」


 陸奥の殊勝な態度に内心驚いていると、もっと驚いたらしい鞍干は一瞬目を丸くして、すぐにまた舌打ちした。


「……冗談じゃないぜ、こんなド素人に良い役持ってかれるなんて……」


 鞍干は壁際に鞄を投げ出すと、部屋を出て行こうとする。


「あ、待てよ鞍干! もうすぐ練習始まるぞ」


 その背に声をかけると、鞍干は


「ちょっと声出ししてくんだよ」


 振り返りもせず言い捨て出て行った。


「……」


 なんとも言えない気持ちで、傍らの天野を見る。天野は相変わらずなにを考えているのか分からない顔で、下唇に親指を当てていた。

 ふと気付けば、室内には微妙な空気が漂っている。集まってきた役者陣それぞれが、今のやりとりに思うところがあったんだろう。

 大役を射止めた陸奥が、演劇初心者であることを知り息を飲む音。にも関わらず、初歩的な知識さえ進んで学んでいなかったことに吐かれる息。言い過ぎじゃないかと鞍干の背中を振り返る気配。


 ……マズいな。これから芝居を組み立てていこうっていう大事な夏休みの初っ端に、この雰囲気は……


 そこで天野が大きく手を打った。


「皆さん、驚かれたことでしょう。陸奥君は俳優科生では珍しく演劇初心者です。

 けれど、それを踏まえた上で陸奥君を右近役に抜擢したのはわたしです。彼の持つ歌唱力は、この芝居には欠かせないものだと判断しました。

 このことについてなにか異議があるのなら、どうぞわたしの方へ」


 日頃声が小さな天野が張った毅然とした声音に、部屋中が静まり返る。

 バミり終えた天野が席に着くのを待って、ようやく普段の喧騒が戻ってきた。


「天野……」


 パイプイスに座る天野に歩み寄ると、四人も集まってきた。陸奥は天野の横にしゃがみ込み、眉を寄せて天野の横顔を仰ぐ。


「ごめん、天野……僕のせいで、悪役みたいにさせちゃって……」


 すると天野はぐりんと首を傾げ、無表情のまま陸奥を見下ろす。


「おや、まだ練習時間前ですから、いつも通り『モジャ()』でいいんですよ」


「茶化すなよ、僕が珍しく謝ってるのに。ともかくごめん、僕が軽率だったよ。真面目に芝居に取り組んでる子達の前であれじゃ……鞍干じゃなくても、癇に障って当然だよね」


 自分で『珍しく』と言ってしまっちゃ世話ないが。

 天野は淡々と「いいんですよ」と繰り返す。


「君の性格を思えば、咄嗟に反論して揉めなかっただけ有り難いことです。

 それに元々演出は、ある意味独裁者ですからね。悪役だのと、今更ですよ」


 独裁者。

 その言葉に少し引っかかったけど、ひとまず陸奥のフォローに回る。


「オレも、陸奥が言い返さなかったことにちょっとびっくりしたよ。よく堪えたな」


 すると陸奥は決まりが悪そうにフンと鼻を鳴らす。


「僕だって、どっちが悪いかくらいは分かるつもりだよ。

 それに、さっきのバミるだの上手(かみて)だののことで、自分がどれだけ不勉強だったのか改めて思い知ったところだったし……照れ隠しとは言え、他の皆のいる前でしていい態度じゃなかった。

 ごめん、折角抜擢してくれた天野の顔に泥塗るような真似して……」


 尚も謝る陸奥に、天野は黙って首を横に振った。

 それ以上天野がなにも言う気がないことを悟ると、陸奥は継ぐ言葉を失い俯いた。その頭に、ポンと大きな手が乗せられる。伊達だった。


「……初心者なのは自分も同じだ……それに、そうは言っても陸奥のことだ。内心、口惜しいんじゃないのか」


 その言葉に、陸奥はしょんぼりと垂れていた眉を跳ね上げて、勢いよく立ち上がる。


「口っっっっ惜しい! すっごい口惜しい! でも鞍干を見返すなら舞台の上で見返さないとねっ」


「おうよ、そのイキだ!」


「ぼくもほとんどお芝居初心者みたいなもんだから、一緒に頑張ろ~ねっ!」


 復活した陸奥の言葉に、相模と三河が手を叩く。陸奥は勢い込んでオレに向き直った。


「ジャン! 僕に舞台のアレコレ教えて!」


「え、あ、アレコレったって……」


「なんかあるでしょ、他にも舞台用語とか!」


「そんな急に言われても」


「ともかくこれ以上『役者』として、『演者(えんじゃ)』として、皆の足引っ張らないように色々教えてっ」


「う、うーん……」


 今までの比じゃないほど、芝居に向けられたその熱意は嬉しいけど。急にそんな風に聞かれたって……

 それでも今まさに燃え始めた陸奥の気持ちに水を差したくなくて、返事を探して視線をさまよわせる。

 ふと、さっきバミったばかりの色テープが目についた。


「……天野、今日これから立ち稽古するんだよな?」


「えぇ、そのつもりです。少なくとも初回はジャン君にも立ち会ってもらえればと」


 その答えに、ようやく陸奥に返す言葉が見つかったオレは、改めて陸奥に向き直る。


「そう焦るなって。用語や暗黙のルールなんかに関しては、オレが持ってる演劇関連の本貸すよ。

 でも舞台の上でソツなく振る舞うには、知識だけ詰め込んだってどうにもならない」


「じゃ、じゃあ」


 どうすればと言いかける陸奥に、にんまり笑って見せる。


「まずは演ってみて、自分の問題点を自覚することからだ。舞台経験が少ないと、どうしてもぶつかる壁がある。壁が見えなきゃ、乗り越えようがないだろ?」


「そうだけど……」


 焦る陸奥に、大丈夫大丈夫と言い聞かせる。


「陸奥はズブの初心者なんかじゃないだろ。この四ヶ月の間に、クラスの選抜として講堂の舞台にも立ってるじゃんか。大丈夫! 壁さえ見えりゃ乗り越えられるって。

 まずは今日の立ち稽古に向けて、気持ちを切り替えて行こう!」


 大丈夫大丈夫。またそう繰り返すと、陸奥はまだ不安そうながらもこっくり頷いた。




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