青少年は悩みの塊10 「弁慶も義経を信じてくれれば」
たくさんの備品を確保してすっかり浮かれていたオレは、つい静かに行動するのを忘れ、勢いよく第三レッスン室のドアを開けた。
ガラッという音が響くと、読み合わせをしていた役者陣が一斉に振り返る。全員緊張しきった顔をしていた。
「あ……す、すんませーん、続けてくださーい……」
へこへこ頭を下げ下げ、まだDVDにかじりついている東海林姐さんのところへ向かった。
当然望月さんも隣にいる。少し気まずくはあるけど、もう怯まない。
近寄ると、東海林姐さんが気付いて振り返る。
「お帰りー、随分長かったネ?」
「備品保管庫にも行ってたんだ。それでさ」
班長達と保管庫に行ったこと、そしてあの和太鼓のことを告げると、東海林姐さんは目を輝かせた。
「マジ? いやぁ、嬉しい! パーカッション欲しいと思ってたンだ~、でも和太鼓なんて調達できないと思ってたしィ。ありがとー!」
「ならよかった」
東海林姐さんの屈託のない笑顔につられ、こっちまで笑顔になる。
「陸奥と伊達はナニ中なの?」
ピアノの傍らで、なにやら額を寄せて小さくハミングしている二人を見て尋ねる。
「さっき、二人がどのあたりの音域が得意なのか聴かせてもらったトコでサ。むっちー凄いよ、高音突き抜けすぎ。伊達っちもいい声してる。
それに二人ともコーラス出身だから、アタシが主旋律だけ指示出すと、勝手にハモり考えてくれんの。こりゃ楽だワ」
二人のことを誉められて、素直に嬉しいと感じる。そう思えた自分が嬉しかった。
見ててと言って、東海林姐さんは二人に声をかけた。二人はピアノの方に向き直る。望月さんはイスに座って三味線を構えた。
東海林姐さんの長い指が鍵盤を叩くと、それに合わせ望月さんが弦を弾く。原曲に比べ随分テンポが速い。
改めて思うと、ピアノで長唄の伴奏をするなんて考えつきもしなかった。
ピアノと三味線が織りなす不思議な音に耳を傾けていると、伊達が息を吸い込む。
『旅の衣は篠懸の』
伊達が耳障りのいい低い声で朗々と歌い出すと、
『旅の衣は篠懸の』
輪唱のように陸奥の高音声が追いかける。
『露けき袖や しおるらん』
長唄独特のうねるような節回しは排され、こういう唱歌が元々あったかのように聞こえる。それでいて、日本的な音階がいいアクセントとして残っていた。
『往くも還るも別れては 知るも知らぬも逢坂の山』
今度は東海林姐さんの評価通り、陸奥の突き抜けるようなソプラノが主旋律を紡げば、伊達は少し声を落とし、柔らかな低音でその鋭利な印象の陸奥の高音を包みこむように歌う。
本当に余計なお世話ではあるんだけど、二人とも歌を続けたらいいのに。勿体なさすぎる。
伊達は目標があるからまだ分かるとして、陸奥は明確な夢があるわけじゃないのに。
伊達だって、ミュージカル俳優やポップオペラ俳優を目指せばその歌唱力が生かせるのに、全く無関係な朗読をやりたいなんて。
朗読をやりたい伊達と、目標を見つけることが目標の陸奥。それぞれの夢は応援したいと思ってはいるけど、友人として二人が折角の才能を無下にしてしまうのは残念に思えた。
東海林姐さんが和音を奏でて終えると、にっかり笑ってオレを見た。
「どう? まだ仮なんだけど」
オレは言葉にできなくて、鳥肌の立った腕を彼女の前に突き出した。彼女の目が三日月のように細くなる。
「なかなかイイっショ?」
「なかなかもなにも、凄くイイよ! 東海林姐さんも望月さんも、楽譜もないのによく弾けるね!」
「いやいやァ、むしろ楽譜になんて起こせないから、音と感覚で覚えるしかないんだワ。伊達っちとむっちーにも、酷なようだけど全部耳で覚えてもらうよ」
東海林姐さんがすまなそうに言うと、陸奥はけろりと笑う。
「大丈夫大丈夫。ね、伊達」
伊達はいつものようにうっそりと頷いた。
その時、不意に誰かが背後に立つ気配がした。振り返ると天野だった。読み合わせの監督をそっと抜けてきたらしい。
「いいですね。四人ともお見事です」
「こんなカンジでいっかなァ? 長唄らしい節回しは入れなかったんだけど」
「むしろそれがいいです。歌舞伎を知らない人の耳にも受け入れやすくなりますし。ところで、伊達左近と陸奥右近をお借りできますか? 読み合わせでそろそろ台詞のある場面なのですが」
東海林姐さんと望月さんは顔を見合わせる。
「もうちょっとで一曲固まりそうな雰囲気なんだよ、今凄くノッててサ。ダメ?」
「構いませんよ。ではジャン君を代役でお借りします」
「え、オレ?」
四人に軽く手を振って離れ、天野のテーブルのところへ連れてこられると、いつの間にかイスが二脚に増えていた。
「あれ?」
「あとでジャン君が戻ってきた時のためにと思いまして」
そう言って天野は自分のイスに座った。促され、オレも隣のイスにおずおずと座る。
なんだか妙な気分だった。
イスに座って、床に座り込んだ役者陣を見下ろす。演出やブタカンとしては普通なのかもしれないけど、オレは元々あちら側の人間だ。
それに、ただの代役なら役者陣の輪に入って演るのが一般的だと思うのに。
代役をするにしても『役者』じゃないんだなと思うと、少しだけ喉の奥が酸っぱくなった。
おっといけない、台本を開かないと。
読み合わせは終盤に差し掛かっていた。
義経を山に帰したあとのこと。姉あやめの行く末を見届けてから一行と合流したきさん太が、それを知って弁慶を呼び出し、詰め寄る場面だった。
「……そんな。なら、姉上は一体なんのために……なんのために犠牲になったのですか? 姉上は、姉上は……!」
まだ読み合わせの段階なのに、きさん太を演じる三河の目にはもう涙が浮いている。
読み合わせの最初の数回は、言い回しや漢字の読みなどを確認し合う意味合いが強いので、さらっと流す人は流す。
それでも全力で読み合わせに当たる三河に好感を抱いた。
「我が子まで犠牲にしたのですよ? 誰のために……!」
悲痛な叫びをあげる三河きさん太の台詞に、相模弁慶の声が重なる。
「義経様に忠誠を誓い、盾となり死んでいった者など数知れん。あやめと子だけだと思うてか」
一方で、相模は随分力を抜いているようだった。声はそこそこ張っているものの、感情移入はあまりしていない。
オーディション前に、互いに希望する役の台詞を何度か読み合わせたけど、その時の生き生きとした様子がない。この場面こそ悪役らしく演れば映えると思うのに。
「分かっています! でも弁慶様には……弁慶様だけには、そのように言われたくありません! 姉上は義経様のために囮になったわけではありません。義経様をお守りしたいという弁慶様のお心に添いたいと、その一心で!」
「言うな」
「姉上の子は弁慶様、あなたの……!」
「止せ、きさん太」
「あなたの子ではないですか!」
「やめろ」
そっと相模の顔をうかがう。台本に目を落としてはいるけど、どうも心ここにあらずといった風に見える。
こっそり肘で隣の天野をつっつく。
「……なぁ、相模どうしたんだ? 読み合わせの時いつもあんなカンジ?」
耳打ちすると、天野は役者陣を注視したまま小声で答える。
「今のところは……少し意外ですが、これが彼の読み合わせのスタイルなんでしょう」
「そっかなぁ……」
読み合わせだから力を抜くなんてらしくない。前の合同授業の練習の時でさえ、毎回全力投球だったのに。
納得できずに顔をしかめていると、急に天野が首ごとこっちを向いた。感情の読めない黒い瞳がオレを捉える。
……だから恐いって、ソレ。
「もしくは、悩みごとでもあるのかもしれませんね」
確かにここのところオレに対する態度がおかしい。他の皆に対しては普段通りなのに。
それが大事な稽古にまで影響してるって言うのか?
「……なんでオレに言うんだよ。オレのせいだって言いたいのか?」
「言ってませんよ」
「じゃあなんでこっち見んだよ」
そう言うと天野はまたぐりんっと首を回して役者陣に向き直る。
「……弁慶も、義経を信じれてくれればいいんですがね……」
「え?」
ぼそりと呟かれた言葉の意味が分からず困惑していると、天野が開いた台本を指差す。
「ほら、もうすぐ右近と左近の出番ですよ」
「あ、うん」
慌てて台本を構えた。
きさん太がその場を立ち去り、一人立ち尽くす弁慶の耳に天狗達の歌が聞こえてくる。歌は省略。辺りを見回した弁慶は、天狗達の姿を見つけて言う。
「なんだ……お主ら、また来たのか。お役目は済んだはずだろう、なんの用だ?」
「用はない。ただ、面白そうだと思い観に来た」
オレが右近の台詞を読み上げると、陸奥じゃない声に何人かが顔を上げた。相模と三河も。
三河はオレに気付いて小さく手を振ってくる。相模は一瞬ぎょっとしたような顔をして、慌てて顔を伏せた。
「な……なにが面白いものか。こちらは命懸けだと言うのに、物見遊山か。義経様はご無事であろうな」
相模弁慶は……いや、もう『相模』だな。相模は動揺しながら台詞を言う。オレは今度は左近の台詞を読む。
「身体はな。お前が酷く罵ったお陰で、あれ以来牛若はまるで抜け殻のようだ。なにを観せても食わせても、眉一つ動かさん。僧正坊様も大層お嘆きだ」
代役で、しかも本人達が実際の読み合わせでどう演じていたか見ていないので、なるべく抑揚をつけず正しく台詞を読むことに専念する。
「牛若をそうしたのは破戒僧、お前だぞ。どうしてくれる」
「……御身が息災であれば、それでいい」
「本当にそう思うか?」
「あれは今や抜け殻、生きた屍のごとくだ」
「御曹司に向かって屍などと言うな」
抑揚をつけないオレと、弁慶の役を被り損ねた相模の、淡々としたやりとりが虚しく続く。
そこで、見かねた天野が手を叩いた。役者陣が一斉に詰めていた息を吐き、顔を上げる。
「相模君、代役と演るのは苦手ですか?」
天野に名指しされ、相模がぎくりと強張る。
「え……いや、別に……」
しどろもどろに答える相模に、天野は更に言う。
「そうですか。なら、もう少し感情を乗せてください。通しの読み合わせは、もう五度目ですからね」
「……はい」
『演出』に対する『役者』であるときは、皆丁寧語になる。
相模が頷いて答えると、再び読み合わせが再開した。
けれど、結局相模は感情移入することなく、淡々とこの場面を終えた。再び天野が手を叩く。
「ふむ……今六時ですか。皆さんお疲れのようですから、ここで一五分休憩にしましょう。音響班の皆さんも、キリがいいところで休憩に」
え、ここで? あと少しなのに?
そんな疑問に満ちた役者陣のざわめきに、
「このまま続けても無意味です」
天野はぴしゃりと言い放つ。その顔は、明らかに相模の方を向いていた。
誰かがチッと舌打ちをした。鞍干だ。鞍干が立ち上がったのをきっかけに、役者陣がバラバラと休憩に入りだす。相模は誰にともなく、黙って頭を下げていた。
「……ちょっと、相模のトコ行ってくる」
痛々しい相模の姿に見かねて、天野に言い置き相模に駆け寄る。
「なぁ、相模。ちょっと話あんだけど」
なるべくキツくならないよう、フラットに声をかける。相模はこちらを見ないまま、ポケットの中の小銭を探る。
「……悪ぃ、俺飲み物買ってくるわ」
「じゃあ、オレも一緒に……」
「一人にしてくれよ。お前も役者なら分かんだろ?」
確かに今、演出である天野から厳しいこと言われたばかりで、気落ちするのは分かるけど……
「いや、でも、あのさ」
言い募るオレを置いて、相模は廊下へ出て行こうとする。
「あ、おい相模っ!」
その背中を追いかけようとすると、誰かにTシャツの裾を掴まれた。三河だった。
三河は幼い顔いっぱいに苦さを浮かべて首を振る。
「……今はダメ。きっと、今日はダメ。相模君、ちゃんと話、できないよ」
途切れ途切れに、それでもハッキリと断言する三河に向き直る。
「どういうこと? 三河、なんか知ってるのか?」
三河は小さく頷いて、床に視線を落とす。
「なら教えてくれよ。オレ、アイツになんかしたか? アイツなんだってあぁなんだよ」
三河は黙って首を振る。
「ジャンが裏方に回ったことを気にしてんのさ、アイツ」
背中から飛んできた声に振り向くと、休憩に入った陸奥と伊達がいた。陸奥は呆れたように肩を竦める。
「さっき神宮寺につっかかったのもそう。裏方の神宮寺とジャンが仲良くしてると、ジャンを本当に裏方に取られそうでヤなんだよ」
「……陸奥、そういうことは本人同士で……」
「だって、見ててイライラする。相模のヤツここぞってときに男らしくないんだから」
伊達の制止を振り切り、陸奥は親指の爪を噛む。陸奥の悪いクセだ。
「陸奥君、そう言わないで……」
そのやりとりが全然頭に入ってこない。
「え……だって、『本当に』もなにも、オレ裏方なんだけど」
「それを認めたくないんだよ相模は。まして、自分のせいでって思ってるみたいだからね」
「なんで? 相模がオレに義経推したから?」
伊達と三河は顔を見合わせた。ここまで陸奥がしゃべってしまったら仕方がないという風に頷き合う。
「……ここでは、なんだから……」
伊達は人目の多い室内を避けて、掃き出し窓を開けてベランダに出た。
四人並んで手摺にもたれる。もう日が延びて、六時だというのに随分明るい。橙色の夕日を浴びて、伊達が口を開く。
「……相模は……ジャンが役落ちしてしまったことを、自分のせいだと思い込んでいるんだ」
「なんでだよ。オレの実力不足じゃないか」
言わせてくれんな、こんなこと。
でもそれが事実だ。
隣で三河はブンブンと首を振る。
「違うよ、きっと。ジャン君は役落ちして裏方に回ったんじゃないよ。舞台監督にしたくて、役を外されただけだよ」
「そっかな……」
まだ天野にオレをブタカンに指名した理由を聞いていない。自信が持てず、手摺にかけた腕にアゴを乗せて息をつく。
伊達の向こうで、陸奥が口を尖らす。
「僕もそう思うよ。あんまりブタカンの仕事知らなかったけど、ただの役落ち役者にひょいひょい任せられる仕事じゃないよね? だから三河と一緒に、相模に何度もそう言ったんだけどさぁ……」
湿った風が吹く。遠くの空で遠雷が響いた。もう夏だ、夕立が来るのかもしれない。
それぞれのシャツがはためく。三河は長い前髪を鬱陶しそうに指で払った。
しばらくの沈黙のあと、伊達が小さく呟いた。
「自分には……相模の気持ちも少し分かる」
「え?」
「……自分も最初は、相模と同じように思ってしまったから」
そういえばと、伊達が昨日飲食禁止の図書室に持ち込んでまで渡してくれた缶を思いだす。
「なんだよ、伊達まで気にしてんのか?」
伊達はゆるゆると首を振る。
「最初だけだ……自分が高倍率の義経役を勧めたからじゃないかと……でも、陸奥や三河の意見を聞いて、それもそうだと思い直した。それに……自分達が気にしていたら、その……」
伊達はうまい言葉が出てこないのか、喉元で手をくるくる回す。それを見た陸奥が語尾を引き取る。
「『自分達が落ち込んでいたら、ジャンが気を遣って空元気で頑張ろうとするだろう。自分達の前で弱音だって吐けない。弱みも見せられない仲間なんて』ってことだよね?」
そう、それだと言いたげに、伊達は小刻みに二回頷いた。通訳かよ……
心の中でツッコミつつも、見透かされていたことに頬が熱くなる。
「だからさ~……ジャン君のためにも気にしない方がいいよって、言ってるんだけど……ジャン君と一番仲良しな相模君だから、どうしても気にしちゃうんだよね、きっと」
三河は悲しそうに目を伏せる。陸奥は陸奥でまた口を尖らせた。
「まったくさぁ……役落ちして一番ヘコみたいのはジャンだってーの。それなのにうだうだグジグジ……神宮寺にまでつまらないケンカふっかけて。ホント、案外女々しいんだから」
「怒ってるワリに、女々しい相模の気持ちがよく理解できんじゃん」
照れ隠しにからかうように言うと、陸奥はふっと寂しげに目を細める。
「僕も大概女々しいからね」
「そうか?」
むしろ潔くて、見た目に反して男らしいと思うけど。
伊達はその話題を打ち切るように言う。
「ともかく……一度相模と話をした方がいい」
「だなぁ……とは言え、顔すらまともに見てくんねぇような有様だからなぁ」
深々と項垂れると、
「それは、自分が」
伊達が眼鏡を外して、目を擦りながら請け負ってくれた。
「どうすんの?」
「……相模には前回の借りがあるからな。今日は難しいかもしれないが、多少強引にでも話をさせるさ」
そう言ってニヤリと唇の端を歪める。どうやら元カノが押しかけてきた時のアレを言っているらしい。
……伊達先生、頼もしいけど恐いです。
その言葉に一連の事件を思い出したらしい陸奥が、にやにやと意地悪く笑う。
「だねぇ、あの調子じゃ明日の方がいいよね。さぁて、今日はどんな女の子が校門で待ってるかなー?」
「かなーっ?」
歌うように言って部屋に戻る陸奥に続いて、三河も楽しそうに後をついていく。『校門前の女の子』は、あれ以来かっこうのイジりネタになっている。
げんなりと手摺にしなだれかかる伊達の肩をポンと叩いた。




