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手羽先の誘い後編 「ジャン」



 ──二時間後。


 地図に書かれていると思しき建物の前で、オレ達三人は途方にくれていた。

 学校の最寄り駅前で買い物をして、荷物を手に歩くこと三〇分。ゲキ高から直接歩いたなら四〇分くらいの場所だろうか。

 地図を頼りにたどり着いたのは、見上げるような高さのマンション。それもちょっとどころじゃなく小洒落た感じの、言うなればデザイナーズタワーマンションとかいうヤツだったのだ。

 握った地図とマンションとを何度も見比べ、相模が目を瞬く。


「なぁ……三河の言ってたアパートって、ホントにコレか?」


 オレも地図をのぞき込み、書き込まれた建物名を再度確認する。


「うん……あってる、はず。三河って、家族で引っ越して来たんだっけ?」


「いや、一人暮らしって聞いたぞ。じゃなきゃ実家の誰が手羽先送ってくれんだよ」


「ごもっとも……じゃあ、一人でこんなトコ住んでんの?」


 身なりがいいとは思ってたけど、どんだけ裕福なお坊ちゃんなんだよ三河……

 普段はあまり感情を顔に出さない伊達も、さすがに面食らったようだった。ズレてもいない眼鏡を指で押し上げ、そういえばと宙を仰ぐ。


「三河のお父さん……国際線のパイロットだそうだ」


「え!」


「ガチの金持ちか、アイツん家!」


「お母さんは、元キャビンアテンダントだとか……」


「マジでか!」


 伊達は寡黙な分、人の話をよく聞いている。やるな、伊達……


「おいお~い、母ちゃん紹介してくれよ三河ぁ!」


「人の母親紹介されてどうしようってんだ」


 夜空へ向けて吠える相模をいなしていると、サンダルをぺたぺた鳴らして陸奥が来た。


「ごめんごめん、遅れたー」


 そう言いながらも、急ぐでもなくゆったりと歩いてくる。髪が濡れっぱなしだ。手に持った紙袋を掲げて見せる。


「実家から送ってきた、いぶりがっこ持ってきた」


「いぶりがっこ?」


「秋田名物の漬け物、ちょっと変わった沢庵ってトコかな。意外とクセになるよ」


 黙っていれば可愛い顔した陸奥と、漬け物の組み合わせがなんだか意外だ。漬け物を手に美少年は肩を竦める。


「もうさ、『けったでこりん』がなにかわかんなかったから、適当にこれでいいやーって」


 三河弁で言ってたのが、秋田名物のことだったらびびるわ。本当に適当に持ってきたな……

 半ば呆れるオレ達をよそに、陸奥は躊躇うことなく立派なエントランスに入っていく。慌ててついて行くと、陸奥は中扉前のパネルを操作して、三河の部屋を呼び出した。


「……随分、手慣れてるな……来たことがあるのか?」


「ううん、初めて。あ、三河? 僕達だよ、開けて」


 伊達への返事もそこそこに、陸奥がパネルに向かって声をかけると、中扉のロックが解除される。

 この立派すぎる建物に圧倒されず、ごく普通に振る舞うとは。実は陸奥もそれなりのお坊ちゃんなのかもしれない。

 そう感じたのはオレだけじゃないようで、誰かがオレの肩に手を置いた。

 相模だ。


「……なぁ、鮎川クンよ。お前は『実はセレブでした~』なんてこと、ねぇよな?」


「フッ……相模クンよ。我が家は悲しいほど一般家庭だよ……」


「……俺ン家、父ちゃんブルーカラーだよ」


「素晴らしい! 製造業こそがこの国の発展を支えてるんだっ!」


 右手を差し出すと、相模は大きな手で力一杯握りしめてくる。

 男同士の絆が結ばれた感動の瞬間だ。


「ちょっと……なにやってんのさ、気持ち悪い。さっさと行くよ」


 我に返り、そそくさとエレベーターに乗り込む。陸奥ばかりか、伊達の訝しむような視線が痛かった。

 エレベーターは一七階を目指し、実に静かに上昇していく。ドアの向かいの壁がガラス張りになっていて、上がるにつれ窓の外に夜景が広がっていく。


「ところで、みんなはけったでこりん対策、どうしたの?」


 陸奥の問いに、オレはごそごそと袋を漁る。


「全然わかんなかったから、とりあえず甘いモン買ってきた」


 袋から出したのは、休日には行列の絶えないことで有名なドーナツ店の箱。それとお菓子が少々。

 なんだかんだ言って、オレも陸奥のことは言えない。考えはしたけれど結局分からず、有名店のドーナツで許してもらおうという心づもりだ。


「俺はやっぱ、なんかデコるんかなぁと思って」


 そう言って相模が取り出したのは、クラッカーやらキラキラしたモールやら……どんなパーリィするつもりだお前は。伊達は伊達でも伊達さん違いだ。

 それでも、一人暮らしの部屋にお邪魔するのだからと、紙皿やプラコップを買ってきたのは評価する……ごてごてとイラストの書かれたパーリィ仕様であったとしても、だ。

 伊達は袋を開いて、確認するように中味を列挙していく。


「……手羽先があるなら、主食がいるだろうと思って……総菜の太巻きやサンドイッチと……副菜もいくつか。あとは飲み物だ……けったでこりんは、分からなかった」


 伊達の袋が二つともパンパンなわけだ。重いだろうと一つ引き受けたところで、エレベーターのドアが開く。

 ドアの向こうでは、すでに三河が待ちかまえていた。


「待ってたよ~! さ、こっちこっち!」


 柔らかそうな頬を染め、飛び跳ねるように前を行く三河に、もうなにからツッコめばいいのか分からない。

 お前どんだけセレブだよ、けったでこりんってなんなんだ……でもそんな問いかけも、部屋のお洒落さ加減に溶けていく。

 説明すればするだけ切なくなる気がする。広い。綺麗。新しい。テレビがデカい……もう、こんなもんで勘弁して欲しい。

 各々がテーブルに置いた袋を開け、三河のテンションがますます上がっていく。


「わぁ、たくさん買ってきてくれたんだねー! このドーナツ前にテレビで観たことあるっ、食べてみたかったんだぁ! あれ、これはー?」


 いぶりがっこを手に首を傾げる三河にまた説明をして、陸奥は勝手知ったる部屋とばかりにソファに腰を下ろした。

 それを合図に、各々座り込む。伊達は陸奥の横のソファに浅く腰掛け、相模はローテーブルの横にどかりと胡座をかいた。

 座り方一つ見ても個性が出ている。

 オレは所在なく相模の隣に座って、そばにあるビーズクッションを引き寄せた。


 オレが袋から総菜や菓子類を出して並べ、伊達が手際よく紙皿やコップを配っていく。

 陸奥はテレビのリモコンをいじくり、相模はテレビ台に並んだゲーム機に目を輝かせる。

 お前ら、あのな……

 レンジがチンと鳴り、大皿いっぱいに並べられた手羽先を持って、三河がキッチンから戻ってきた。


「おぉっ! うまそー、さすが本場!」


「……すごい量だな」


 食欲をそそる香りと、照り艶のいい皮の色に、思わず腹の虫が鳴く。

 全員で両手を合わせ、


「いただきまーす!」


 言うが早いか、我先に手を伸ばし手羽先にかぶりつく。

 うまい。二十歳過ぎなら確実にビールが欲しくなるところだろう。指も口の周りも、甘辛いタレでべとべとになる。むしろもっとタレまみれになりたいくらいだ。


「誰か、お手拭き取って」


「あ、俺が買ってきた袋ン中」


「取って」


「俺だって手ェべとべとだぞ」


「オレも……って、なんで人に頼んでおいて自分は食べ続けてんだよ、陸奥っ」


「んー、おいしい♪」


「……旨いな」


「よかったぁ~!」


「あれ、ポテサラの上に乗ってたミニトマトは?」


「……いただいた」


「ちくしょ、狙ってたのに!」


 女が三人集まれば姦しいと言うが、野郎が五人集まると喧しい。

 手羽先を三、四本食べた頃、ようやく腹が落ち着いてきた。

 そこでふと、思い出したように顔を上げる三河。


「そうだー、駐輪場の場所わかった?」


「駐輪場?」


 なんのことかと、三河以外の咀嚼が止まる。


「そう、駐輪場ー。建物の横に入口があるから、ちょっと分かりづらかったでしょ? 地図に書けばよかったなー、ごめん」


 はてと四人で顔を見合わせる。


「いやぁ、誰も自転車で来てないぜ? 俺と鮎川と伊達は、駅前で買い物して、駅の駐輪場に置いてきたし。陸奥は下宿先から近いからって、一旦帰って歩いて来たし」


「えぇ~、駅から歩いてきたの? 大変だったでしょ、なんで自転車で来なかったの?」


「自転車停められるか分かんなかったしさ」


 あれぇ、と三河が首を傾げる。


「ぼく、バスがなくなるから自転車でおいでって言わなかったっけ?」


 今度は四人で首を傾げる。


「……言われたっけ?」


 一拍おいて、伊達が小さく「あっ」と漏らした。


「けったでこりんって……『自転車で来い』って意味だったのか」


「えぇっ!」


「あ、あれっ? ぼく、ケッタでこりんて言ってた?」


 三河自身、気付いていなかったらしい。


「つい地元の言葉が出ちゃったんだ~、ごめんごめん! 『ケッタ』は自転車で、『こりん』はおいで、だったんだよー」


 三河は照れ笑いして、赤くなった頬を掻く。衝撃の事実だ。


「自転車をチャリとは言うけど、ケッタは初めて聞いた」


「俺もチャリ派だなぁ」


 同じ神奈川出身者同士、相模と頷きあう。


「……仙台もチャリだ」


「秋田はチャリかチャリンコだなぁ」


「えー、チャリ率そんなに高いの! 『ケッタマシーン』とか言わない~?」


 随分強そうな自転車だ。

 オレ達も衝撃だが、三河は三河で衝撃のようだ。


「日本は小さいけど、広いモンだなぁ」


 思ったまま呟くと、三河は首がもげんばかりの勢いで頷く。


「ホントだよ~、ケッタってメジャーだと思ってたぁ。

 二人はいいなー、神奈川だからそんなになまりないでしょ? ぼくなんか演技指導の度に、イントネーション注意されてばっかだもん」


 日本に方言は数あれど、演劇においては標準語が基本だ。

 方言を生かした芝居もないわけじゃないけど、標準語が使えないとやっぱり厳しい。


「でもいいじゃんか、方言。お國言葉ってヤツ。なんかカッコいいよ、郷土の誇りって感じするじゃん」


 オレなんて特にないからつまらない。そうグチると、相模がゲラゲラ笑って背中を叩いてくる。


「特にないだぁ? 俺に言わせりゃあ、日常的に訛ってンのは三河に次いでお前だぜ」


「え、オレ? オレなんか訛ってる?」


 いぶりがっこをポテチかなんかのようにかじっている三人を見れば、陸奥にクスクス笑われる。


「鮎川、気付いてないの?」


 気付くもなにも。

 変わった言葉はないと思うし、イントネーションだって指摘されたことはないのに……

 三河が楽しそうに足を揺らす。


「鮎川君って、何気に天然じゃ~ん」


「天然というより、横浜が首都だと思ってんじゃん?」


 陸奥のからかいに伊達までもが笑って、


「こら、二人とも……鮎川が困ってるじゃん……」


 小さく肩を震わせている。

 ……あれ、これって……じゃあ……


「もしかして語尾の『じゃん』?」


「正解じゃ~ん!」


 陸奥と三河が楽しそうに手を叩く。


「あー、そういえば。これって浜言葉なんだっけ……」


 呆気にとられて呟くと、相模に頭を小突かれた。


「ぬぁ~にが浜言葉だ気取りやがって、早い話が横浜の方言だろーが!」


 うぐ、ごもっとも。

 口を噤むオレに、三河が言う。


「それに浜言葉って言うけど、その『じゃん』ってもともと三河の方言なんだよー」


「えっ! そうなの?」


 三河地方出身の三河曰く。

 三河出身の徳川家康ご一行が、江戸幕府を開くため関東に来ていた際使っていた言葉が、横浜の人達に浸透したものなんだとか。

 うわぁ……なんだか本家本元の三河人の前で「じゃんじゃん」言ってたのかと思うと、やたら気恥ずかしい。

 それに本や漫画で、横浜出身でもない人物が使っていたりするから、方言だと意識したことがなかった。

 浜言葉……もとい、三河言葉というよりも、若者言葉という感覚でいた。


「あ、鮎川のあだ名さ。ジャンでよくない?」


 唇を三日月のようににんまり歪め、陸奥が唐突に恐ろしい提案をした。

 相模も伊達も三河も、異議なしと拍手喝采。


「や、やだよそんなん! なんだよジャンって!」


「うるさいよジャン。あ、コーラ取って」


「……ジャン、いぶりがっこ旨いぞ」


「ジャン君、手羽先まだあるよ~」


「よかったなジャン! ようやくあだ名が決まったな!」


 よくないよくない、なんにもよくない!


「絶対嫌だ! 断固拒否する!」


「ジャーン、うるさい」


「……ジャン、近所迷惑だぞ」


「ジャン君、ドーナツの箱開けてい~い?」


「ジャン、肉なんて嫌いよ!」


「不思議の海の人混ざってんよ! てか今の子分かんねーよ! やーめーろおおぉぉぉ!!」


 叫ぶオレを無視して、男達の食事会はより賑やかに進行していく。

 叫ぶオレを置き去りにして、皿の上の料理が瞬く間に消えていく。


 ──これは戦なのだ。

 表面上は和やかに談笑しつつ、まだ誰のものでもない大皿やトレーに並ぶ料理を、いち早く自らの皿に取り喰らう。

 オレは不名誉なあだ名をつけられ取り乱している内に、気づけば戦線から外されていた。


 ……おのれ、策士どもめ。


 気を取り直し、座り直す。右手に渾身の力を込め、戦国原と化した大皿に手を伸ばす。

 もう、こうでも思わなきゃやってられん……

 掴み取った手羽先に、思うさましゃぶりついた。




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