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試験前でも台本読もうぜ! 「あーへん!」



「…………………」


 チラッ。

 横目で鞄を見る。

 気を取り直してノートに向かう。


「……………………」


 チラッ。

 また鞄を盗み見る。

 ……気になる。


「………………………」


 チラッ。チラッ。

 ダメだ、全然集中できないっ。

 その時、丸めたテキストで勢いよく頭をはたかれた。スパーンッと小気味のいい音が鳴る。


「いってぇ~……」


 顔を上げると、向かいに座る陸奥むつの頭にツノが生えていた。


「こらジャン! よそ見してる場合じゃないよ、明日はジャンの苦手な化学のテストあるんだから!」


「ううぅ……そ、そうだけど……」


 呻きつつ、また横目で鞄を見てしまうオレに、陸奥はため息をつく。


「あのねぇ……気持ちは分からなくもないけどさ」


 オレの鞄に入っているもの。

 それは今日もらいたてホヤホヤの、『鬼弁慶と天狗義経』の台本だ。

 今日、劇高祭で発表する演目ごとの初顔合わせが行われた。

 そこで台本が配られ、脚本を手掛けた天野からあらすじやテーマが語られたワケなんだ……けど。


「明日から期末テスト始まるぞって時に、なんだって顔合わせすんだよー! 台本読みたくて仕方ないじゃんかーっ!」


 両手でダンダンとテーブルを叩くと、三河みかわは苦笑いで顔を上げる。


「ねー、ホントだよー。顔合わせの日取りが決まった時びっくりしたもん。それだけスケジュールがカツカツってことだよね~」


「これは誰かの策略だっ! 陰謀だっ! テスト前日に台本配るなんて、勉強妨害だとしか思えないっ!」


「誰得だよソレ」


 キーキー喚いていると、今日は真面目に勉強している相模さがみにツッコまれる。期末でまた赤点をとってしまうと、夏休み中の補習が待っているから必死だ。

 今はテスト前期間で、学校は午前中で終わる。だからその後いつものように、三河の部屋で勉強会をしているんだ……けど。

 堪えきれない欲求に、ガシガシと頭をかきむしる。


「ンあーっ! 気になる気になる気になぁーるっ! オレに台本を読ませろおおぉっ!」


「あーもうっ! ジャンうるさいっ!」


「……珍しいな。ジャンが壊れた」


 陸奥に怒られても、伊達だてに壊れた人扱いされても、この欲求は止まらない。


「俳優科生の前に台本置いといて、読んじゃダメってなんの拷問? ドSなの? ねぇ、ドSなの? なんで明日からテストなんだよ……」


 突っ伏してボヤいていると、三河はパタンと教科書を閉じる。


「そんなに気になるなら、いっそ先に読んじゃおーよ! 今の状態で勉強しても、絶対頭に入んないもん」


「だよなー!」


 素晴らしすぎる提案に、大事にしまっていた台本をいそいそと取り出す。


「ちょっ、ダメだって! 赤点とったらどうすんのさ!」


「今の状態で勉強しても、頭に入んねーもーん」


 三河のありがたいお言葉を復唱して、陸奥のお叱りをひらりとかわす。


「ぼくも読もーっと!」


「俺も俺もっ!」


「……なら、自分も」


「もう……一時間だけだからねっ」


 そう言いつつ、陸奥も鞄から台本を引っぱり出す。

 なんだ。なんだかんだ言って、皆気になって仕方なかったんじゃないか。

 赤信号、皆で渡ればコワくない、だ。

 ……轢かれるのは、確実にオレと相模だけだろうけど。


「一時間だけ、一時間だけ……」


 表紙を開くと、全員台本の中の物語に没頭した。



       ◇  ◇  ◇



 時代は平安末期。

 題材は、有名な(みなもとの)義経(よしつね)の都落ち。

 兄・頼朝(よりとも)の怒りをかった義経は、腹心・弁慶(べんけい)をはじめとするわずかな郎党、それに愛する(しずか)御前を連れて都を離れる。

 鞍馬山を出奔した義経を匿ってくれていた、奥州藤原氏を頼るべく北を目指す。


 ……ここまでは歴史の教科書で学んだことと変わらない。


 追っ手の目をかいくぐり、草の根を噛むような逃避行を続ける義経一行を、つかず離れず見守る二匹の天狗がいる。

 少年時代、鞍馬寺に入れられていた義経が、天狗から剣の稽古を受けていたという有名な逸話がある。

 このシナリオではその逸話を下敷きに、義経を可愛がっていた鞍馬山の大天狗・僧正坊(そうじょうぼう)の遣いとして、二匹の天狗が登場する。

 二匹は折に触れ、義経に「鞍馬の山に帰ろう」と歌で誘いかける。

 天狗達には義経と弁慶だけが気付いていて、隙あらば義経を連れ去ろうとする二匹を、弁慶は疎ましく思っていた。


 立ち寄った吉野の里で、一行は頼朝の兵の襲撃を受ける。

 弁慶は義経や静を辛くも逃がし、敵を討ち倒しながら殿(しんがり)をつとめる。一行は散り散りになり、弁慶は『あやめ』と『きさん太』という隠密の姉弟とともに、命からがら茂みに身を隠した。

 見つかるのは時間の問題だ。敵の数が多すぎる。歯噛みする弁慶に、あやめが言う。


「私が静様のふりをして、(おとり)になります」


 無論却下する弁慶に、あやめはさらに言葉を続ける。


「どの道、私はもうこれ以上お供することができません。ならばせめて、最後にお役に立ちとうございます」


「どういうことだ」


 弁慶が尋ねると、あやめはそっと腹を撫でる。


「ここに子がおりますれば。これ以上お供することは叶いません」


 その子供は弁慶の子だった。

 弁慶とあやめは密かに恋仲だったのだ。

 子供のことを知った弁慶は、ますます囮にするわけにはいかないと拒否する。


「このままでは、義経様にまで敵が及んでしまいます。義経様の御子を宿した静様を装えば、敵は必ず私に目を向けます。どうか行かせてくださいませ」


 義経の名前に、弁慶は苦悩する。

 断腸の思いで、愛しい女と我が子を手放す決断を下した。


「私が離れましたら、敵に聞こえるよう、大声で静様とお腹の子を探すふりをなさいませ。では、どうか御達者で」


 静の着物を羽織り、あやめはきさん太とともに飛び出していく。

 一人残された弁慶は涙を堪え、大声で静の名前を呼びながら襲いくる敵をなぎ払い、義経たちを追った。


 無事に義経達と合流した弁慶は、義経にあやめときさん太のことを尋ねられ、囮にしたことだけを伝えた。

 二人の仲に感づいていた義経は、なぜそんな酷い真似をしたのかと弁慶を責める。

 義経は過酷な都落ちに、愛妾の静を同行させるほど情の深い男だ。悪く言ってしまえば、愛情を優先するあまり、大事な静を危険な目に遭わせている短慮な面もある。

 他の郎党達がきっと弁慶も辛かったはずだと取りなすも、義経は耳を貸さない。

 愛する女を見捨てるどころか囮にするとは何事だと、弁慶を酷く罵った。弁慶はなにも言わず、ただ黙って堪えた。


 ──ここまでが、第一幕。

 暗転(あんてん)し、場面が変わる。


 やがて一行は、安宅(あたか)の関にたどり着く。

 歌舞伎や浄瑠璃の『勧進帳(かんじんちょう)』でお馴染みの場面だ。

 関所には当然、義経一行を捕らえようと役人たちが待ちかまえている。

 一行は静も含め山伏(やまぶし)に変装し、関所を抜けようとした。

 けれど一行が山伏に化けているという情報は、すでに関守たちの耳に届いていて、通してもらえない。

 そこで弁慶は機転を利かせ、


「焼けた東大寺再建のため勧進をしている。邪魔だてするな!」


 と、もっともらしい嘘をつく。

 すると関守の富樫(とがし)は、


「ならば勧進帳を読んでみせよ」


 そう応じて弁慶を試す。

 弁慶はたまたま持っていた巻物を広げ、あたかも本物の勧進帳であるかのように、淀みなく読み上げてみせる。

 富樫は一行が義経達であることに気付きながらも、弁慶の度胸と機転に感服し、関を通そうとした。

 けれど富樫の部下が義経を見て、話に聞く義経の容姿によく似ていると疑いをかける。

 弁慶は疑いを晴らすため、わざと義経を突き飛ばす。


「貴様が源義経とやらに似ているおかげで通れなくなった! どうしてくれる!」


 そして、手にした金剛杖で義経をめった打ちにする。見かねた富樫は弁慶をとめ、さっさと行けと改めて通行を許可した。

 一行が去ってすぐ、あれはきっと義経一行に間違いないと訴える部下に、富樫は言う。


「主君のためとはいえ、その主君を打ったあの者の気持ちが分からないのか。真に痛むのは、打たれた者ではなく、打ったあの者の心だ」


 それを聞いた部下も弁慶の忠心に深く心打たれ、富樫とともに涙にくれた。


 ……と、ここは概ね『勧進帳』の通りだ。ここから様子が一変する。



 無事に関を抜けた義経一行は、夜を迎え山中で一夜を過ごす。

 他の者達が寝静まった後、義経は弁慶を呼んだ。弁慶の手を取り、涙ながらに言う。


「お前の機転で誰一人欠けることなく、無事に関を通過することができた。

 あやめのことは本当にすまなかった。お前とて苦渋の決断だったろうに。

 忠義に厚いお前がわたしを打つのは、どんなに辛かったことか。すまなかった」


 そこへまた、天狗達の歌が聞こえてくる。

 山に帰ろう、明日をも知れぬ道行きなどやめ、山に帰ろうと。

 それを聞き、打ち据えたことを詫びようとしていた弁慶は思いとどまる。

 そして、義経の手を振り払い、驚く義経を睨みつける。


「ただ忠義ゆえに打ったと思ったか。それは違う、儂はお前のことを内心ずっと疎んでいた。

 お前さえいなければ、こんな険しい道を往くこともない。

 お前さえいなければ、あやめは鎌倉の手に落ちずに済んだものを!

 関守の目を眩ますための一芝居にかこつけて、恨みつらみをぶつけたまでよ!」


 豹変した弁慶に、義経は戸惑う。


「そんなことを言っても無駄だ。お前の忠臣ぶりは誰もが知るところ。そんな戯れ言、信じられるわけがない」


「戯れ言なものか。考えてもみろ。

 静様が山伏なんぞに身をやつし、敵の矢をかいくぐるような道行きをしているのは誰のおかげか!」


「それは……しかし、お前がわたしを恨んでいるなど、到底信じられるものではない。

 あやめを囮としたことも、ひいてはわたしを守るためだった、そうだろう?」


 縋るような義経の言葉に、弁慶は怒りを押し殺したように言う。


「儂がお前のために失った者が、あやめだけだと思うか。

 あやめの腹には子がいたのだ。あやめはお前一人を守るため、我が身と我が子を犠牲にしたのだ」


 初めて明かされた真実に、義経は愕然とする。それなら弁慶が密かに自分を恨んでいても無理はない。

 腹心の部下の意趣返しに、義経は崩れ落ちる。


 このシナリオの中の義経は、勇ましい武将というより、繊細な心の持ち主として描かれている。

 義経の脆い心は、なにもかも自分が悪いのだという罪の意識に堪えきれず、壊れてしまう。

 弁慶は天狗達を呼びつけると、義経の身を託す。天狗達は義経を連れ、遥か鞍馬の山へ飛び去った。

 弁慶の言葉は、義経を安全な場所へ逃がすための方便だった。

 安宅の関での一件で、自分たちの手で義経を守りきれなくなる日はそう遠くないと悟ったのだ。

 ならばいっそ、義経だけでも安全な場所へ逃げ延びてもらいたかった。

 そのために義経の心を深く傷つけてしまったことを、弁慶は義経が去った空に向け、夜が明けるまで詫び続けた。



       ◇  ◇  ◇



 そこまで読み進めたところで、誰かが鼻をすんすん鳴らすのが聞こえた。

 顔を上げると、もう読み終えたらしい三河が、閉じた台本を抱きしめて目を赤くしていた。


「うわっ、三河どうした? 泣いてんの?」


 オレの言葉に、他の三人も顔をあげる。三河は慌てて目許を拭って、


「ほっ、ほんなことあーへんっ!」


「あ、あーへん?」


 どうやら三河弁で『そんなことないよ』的なことを言ったらしい。


「ってか、もう読み終わったのか! オレなんてまだ四分の三くらいのトコなのに」


「え、俺も読み終わったぞ?」


 そう言う相模の目も赤い。

 相模よ、お前もか。


「僕も」


「……自分も」


「あれ、読み終わってないのオレだけ?」


 じっくり読み過ぎたらしい。相模もずびっと鼻をすすって、手の平で台本の表紙を叩く。


「いやぁ……なかなかいいな、コレ! 義経が途中で鞍馬に帰っちまうところとかはぶっ飛んでるけど、弁慶カッコよすぎんだろ」


 相模の言葉に全員で頷く。


「僕と伊達が天野に誘われたのは、きっとこの天狗役にしたくてってことだよね」


 首を傾げる陸奥の予想は合ってるはずだ。

 天狗二匹は義経に呼びかける他にも、場面転換の時なんかに、歌でその成り行きや状況を歌で告げるナレーション、いわば歌舞伎の義太夫(ぎだゆう)のような役割を持っている。

 天狗達は、ここまで読んだところまでほぼ歌い通しだ。

 天野の構想では、今回はBGMに頼ることなく、二匹の歌とわずかな効果音のみで()ることになっている。

 ちょっとやそっとの喉の持ち主じゃ到底務まらない。だから天野は二人に白羽の矢を立てたんだ。


「ぼくはあそこが好き! きさん太が合流して、弁慶を責めるところ! どっちの気持ちを思っても泣けちゃうよね~」


 三河の言葉にぎょっとする。

 え、きさん太戻ってくんの? 生きてたの?


「……自分は……弁慶が天狗のからかいに、己の忠義を説くシーンが好きだ」


 え、そんなシーンあんの? 天狗達も戻ってくんの?


「いやぁ、やっぱなんだかんだ言ってもラストシーンだって! あの弁慶の……」


「わーやめろっ! 言うなっ!」


 オレは慌てて相模の口を塞いだ。


「オレまだ最後まで読んでないんだって! 義経が山に帰るくだりまでしか!」


「なんだよ、いいだろ別に。どうせこれから読むんだし」


「絶対言うなよっ! ネタバレ大嫌いなんだ!」


「えー、俺推理小説は謎解きのシーンから読むけど?」


「なんてヤツだ、それ台無しじゃん!」


 相模の言葉にガクブルしつつ、早く読んでしまわねばと改めて台本に目を落とす。

 けれど、陸奥の無情な一言が降ってきた。


「あ、もう一時間経つね。はい、しゅーりょー」


「えっ? オレまだ読み終わってないんだって!」


「だーめっ! 最初に一時間だけって約束したでしょ」


 陸奥は非情にもオレの手から台本を取り上げる。


「あああぁ、待って待って! オレこのままじゃ気になって、余計勉強できないっ!」


「最初に一時間って約束したのに、ゆっくり読み過ぎたジャンが悪いんでしょ」


 うぐ、ごもっとも。


「さ、皆台本しまってー、ノート出してー」


「ちょ、ま、えぇ!? マジで!? シャレじゃなくて?」


「はーい、ジャンうるさーい。ノート出してー」


「ウソだろ、こんなん生殺しだって!」


「うるさーい」


 鬱々とするオレをよそに、勉強会が再開する。皆なんでそんなドライなんだよ……いや、オレが切り替えできないだけか。

 確かに、ここで赤点をとって補習対象になれば、夏休みの舞台稽古に影響しかねない。しっかりこなしておかなけりゃ……って、理屈は分かってもどうにも気になる。気になって仕方ない。

 なんだってオレってヤツは、こうも要領が悪いんだろう。気持ちの切り替えも、時間配分も。

 悶々とするオレをよそに、勉強会は夜まで続いた。




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