現実逃避行後編 「べべったかり」
オレ達は『がっしょうき』な相模が『せどっか』から貸し竿を取ってくるのを待って、爺さんの軽トラで指定された三番のマスに向かった。
管理釣り場というから、てっきり人工の溜め池の釣り堀のようなところを想像してたけど全く違う。
川の本流から人工的に支流を引き、その支流を橋や積み上げた川石で十数マスに区切ってある。川の水は石の上や隙間から流れていくけど、魚は越えられない仕組みだ。
人の手で整備された釣り場とはいえ充分な流れがあって、渓流釣りの気分が味わえそうだ。
爺さんはオレ達と荷物を下ろすと、クラクションを一つ鳴らした。
「んじゃ、夕方にまた来っから! 頑張って釣れよー!」
「ありがとうございました!」
爺さんを見送ると、相模は早速釣りの仕掛けの準備にかかる。
三河と陸奥はクーラーや買い物袋を開け、
「飲み物たくさんあるね。とりあえずなんか飲む?」
「カルビに豚トロ、ウインナー! 早速焼いちゃ~う?」
「ちょ、釣りより食い気かよっ」
「いやいや、それよりも先に!」
オレは先走るみんなを制し、相模に向き直る。
「え、なんだよ」
「『がっしょうき』ってなんだ?」
「……『せどっか』も、気になるな……」
伊達もオレの横で首を捻る。相模は一瞬きょとんとしてから膝を叩いた。
「あー、それか! 『がっしょうき』ってのは、俺みてぇにデカくてがっしりしたヤツのことだよ!」
「えぇ?」
相模の説明によれば。この辺では上背があって逞しい、いわゆるゴリマッチョな男を『がっしょうきな男』と表現するらしい。
背が高くても、細マッチョな伊達は『がっしょうき』とは言わないそうだ。
「へー、それもどこかから取り入れた方言なの?」
「いやぁ? 多分地元に元々あった言葉じゃねぇかな。隣の地区じゃ通じねぇから」
陸奥の問いに、相模は太い腕を組む。
相模の地元であるこの辺り一帯は、一昔前に養蚕で栄え、東北を中心に色んな場所から人々が流入し、独特の言語圏を形成している。ある程度は地元言葉も残っているらしい。
「それじゃあ『せどっか』は~?」
「いやぁ……難しいな。誰かに『アレはどこだっけ?』って聞かれて、答えるときに使うんだけどよ。家の裏、つーか……その時にいる建物の裏の方のどっかっつーか」
「どういうこと?」
「だから、ざっくり言うと『家の裏手のどっか』なんだけど……
必ずしも裏だけじゃなくて、例えば『家の横にある物置の中だよ』って時にもせどっかっつーし、『隣の畑にあるよ』って時もせどっかなんだよ」
「んん? そんなに範囲が広いと伝わらなくないか?」
「そう、だから尋ねた方もある程度見当がついてそうな時限定っつーか、身内限定っつーか……改めて標準語に訳そうとすると難しいな」
相模は眉間のしわを深くする。
標準語では言い表せない微妙な言い回しができるからこそ、古い地元言葉が残ってきたんだろう。
「……家の背、つまり母屋じゃないどこかが短縮されて、『せどっか』ということか?」
「面白いねぇ~!」
伊達の推察に手を叩いた三河の腹が、元気よく鳴った。
「……とりあえず、なにか焼いてつまみながら釣るか」
「さんせーい!」
「よーしっ、じゃあ誰から釣る?」
相模の言葉に真っ先に手を挙げたのは、意外にも陸奥だった。他の三人もちょっと驚いたようで一斉に陸奥を見やる。
陸奥は視線を受けて空を指差す。
「釣るなら太陽が低いうちにと思って。紫外線が強くなる前に」
……左様で。
そういうわけで、最初は釣り初体験の陸奥と三河を、相模が教えながら釣ることになった。伊達とオレは焼き係だ。
まずはパラソルを広げて確保した日陰に、クーラーや食材をセットする。
受付のおばさんの計らいで、すでに炭は赤々と燃えて準備万端だ。
「伊達ー、なにから焼く?」
「……そうだな。このあたりか」
伊達は買い物袋の中からヤキソバとカット野菜を取り出した。
「そだな、肉なら後ですぐ焼けるし」
手分けして袋を開け、鉄板に油をひく。肉と野菜を放り込むと、ジューッといい音がする。
「相模くーんっ! すぐエサが取られちゃうよー!」
「しっかり針につけたかー?」
「相模ー、釣れなーい」
「諦めンの早過ぎだろ!」
背中から賑やかな声が……というより、相模が三河と陸奥の間を右往左往している気配がする。
気になって伊達と様子をうかがってみる。
三河と陸奥は互いの釣り糸が絡まないよう、川のあちらとこちらに別れて竿を出している。
「陸奥、そんな手前に投げたって釣れるワケねぇだろ。もっと奥に投げろ、川の真ン中あたりに」
「そんなこと言ったって、うまく飛ばないんだもん」
相模が陸奥に竿の振り方を教えようとすると、向こうで三河が手を振る。
「相模くーん、針取れちゃったー!」
「えぇ! 魚もかかってないのにか!」
陸奥は後回しにして、相模は飛び跳ねるように橋を渡って三河のところへ行く。
「……よしできたっ。ホラ、これでまたやってみ」
「わぁ~すごい! 相模君器用だねー!」
三河が拍手するが早いか、また陸奥が声をあげる。
「さーがーみー、釣れなーい」
「だぁから、もっと流れの真ン中に……」
「あ。なんか引いてる」
「それで釣れたのかぁ!?」
「ちょっと、どうすんのこれっ?」
「引け引けっ! 竿立てろ!」
相模が橋を渡りかけると、その背後で三河の悲鳴が上がる。
「相模君っ、ぼくのもかかっちゃったー!」
「なんだとーっ!?」
……カオス過ぎる。
伊達と無言で頷きあい、鉄板を一度火から下ろして助太刀に走る。
釣りって、こんなにドタバタするモンだっけ……
とりあえず、三河は相模に任せて陸奥のフォローに入り、なんとか二〇センチほどのニジマスを釣り上げた。
陸奥は初めて釣った魚を高々と掲げ、
「穫ったどー!」
……なんだかんだ言ってた割に、相当テンションが上がっているらしい。楽しめてるようでなによりだ。
対岸ではまだ三河が魚と格闘していた。よほどの大物なのか、竿が大きくしなり左右に振られている。
「無理に引くとバレるから、少しずつ竿を立てていけよ?」
相模は三河の傍らで、タモ網を手にスタンバっている。
「重っ! 重い! ……バレるってなに?」
「魚が逃げるってことだよ、ちなみにコレは方言じゃなく釣り用語な」
「へぇ~! って、それどころじゃなかったっ! ううぅ、重いぃ~……だあぁっ!」
気合い一閃、三河が勢いよく竿を振り上げる。
糸に引かれて水面から飛び出したのは、遠目にもデカいと分かる尺越えの大物だ。
「おぉっ!」
ニジマスは銀の鱗を陽に煌めかせ、大きな弧を描いて宙に舞う。タモを構えた相模の頭上を遥かに越えると、針から外れ背後の茂みにすっ飛んでった。
「あ」
「……あー」
茂みの向こうに魚が消えるのを見送ってから、相模は三河の肩を叩く。
「ま、その辺にいるって。ちょっと探しに行くか」
「うっわ、ごめんごめ~ん! 勢いよく上げすぎちゃって!」
「大丈夫、どんまいどんまい!」
茂みに分け入って行く二人の背中に、また伊達と顔を見合わす。
「子供の頃、オレもアレやったことある」
「……誰でも一度はやるんじゃないか?」
「だよなー」
談笑しつつ、陸奥が釣った魚を針から外そうとしてふと気付く。
釣った本人がいない。
「あれ、陸奥は?」
「え…………あ」
辺りを見回した伊達が固まる。視線の先には、パラソルの下で一休みしている陸奥がいた。
「お前自由だなっ!」
思わず力一杯ツッコむも、陸奥は首を傾げる。
「え? なにが?」
「釣りっぱなしじゃんか。魚を針から外して、網に入れてやらないと……」
「生きた魚触りたくない。目がちょー怖い」
「女子かっ! さっき『穫ったどー』してただろーがっ!」
「あれはノリで」
「最後までノッとけよ、もー!」
伊達はオレの肩に手を置くと、分かるよと言いたげにため息をついた。
◇ ◇ ◇
昼まで頑張った三河と陸奥の釣果は、それぞれ三匹ずつだった。結局相模は二人のフォローに追われ、竿を出せずに終えた。
二人が釣ったニジマスを相模が捌いてくれて、その場で塩焼きにする。大量の肉と野菜に新鮮な川魚、それにヤキソバが揃った豪勢なバーベキューになった。
釣りたて焼きたてのニジマスをかじって、三河がうんと幸せそうな顔をする。
「ん~、おいしいね~っ! 自分で釣った魚食べたのなんて初めてだよ!」
「頑張って釣った甲斐があったねー」
「ね~!」
なにも知らない三河は、陸奥と笑顔で頷き合っている。
頑張ったのは、むしろフォローに走った相模やオレ達のような……ツッコもうとしてやめた。陸奥もにこにこと頬張っているのを見ると、まぁいいかという気になる。
食べ終えると、今度は伊達とオレ、そして今度こそ相模が釣る番だ。
相模ほどではないにせよ、伊達もオレも何度か釣りをした経験はある。午前中とうって変わって、午後の川縁はとても静かだった。
「あー、落ち着く。釣りってこういうモンだよな……」
相模は橋の上に座りこみ、足を揺らしながら糸を垂れる。
「お、来た」
「タモ網いるかー?」
「大丈夫ー」
誰かの竿がしなる度に、こんな会話を繰り返す。それ以外は川のせせらぎと、頭上を旋回するトンビの声がするばかりだ。
「あー……平和だ」
「……平和だな」
「平和だ……」
あんまり静かすぎて逆に恐くなる。
なんでこんなに静かなんだ? あの二人はなにしてる?
パラソルの方を振り返ると、三河も陸奥も姿を消していた。
「あれ? いない」
「トイレにでも行ったんじゃね? 受付の建物まで戻らないといけねぇからさ」
「あ、そっか」
相模の言葉に納得して、また竿の先に視線を戻す。
天気のいい昼下がりに、こうして水の音に耳を傾けながらぼーっと過ごすなんて、なんだか贅沢な気分だ。もうすぐテストがあるなんて信じられな……いや、どんなに忘れようとしたって実際にあるわけだけど。今はこののんびりとした時間に浸りきることにする。
しばらくして二人が戻ってきた。
「ねぇ、ちょっと一休みしようよ。アイス買ってきたからさ!」
受付カウンターの横にあった冷凍ケースを、二人は見逃さなかったらしい。
陸奥に声をかけられ、手が空いていた伊達とオレはすぐに竿を引っこめる。相模はちょうどヒットしたところで、
「先に食ってて、コレ上げたら行くわー」
「りょうかーい、頑張れ!」
一足先にパラソルの下に戻ると、なんだか三河が浮かない顔をしている。
「どうかしたか、三河?」
「え、あの……あのさ」
三河はアイスのフタを開けつつ、妙なことを口にする。
「ぼく、なんか憑いてる?」
「え?」
あまりの突拍子のなさに、さすがの伊達も目を瞬く。
三河は自分の肩や背後をチラチラと気にしながら、
「今、陸奥君と別れてトイレに行ったとき、受付にいたおっきいオジサンに会ったんだけど……そしたらオジサン、ぼくを見て言ったんだ」
ぶるっと身震いして、声をひそめる。
「……『べべったかり憑いてるぞ。後でちゃんと祓ってもらえよ』って……」
「べべったかり?」
三人でオウム返しに繰り返す。
「ジャン、べべったかりってなに? 神奈川の言葉?」
陸奥に聞かれて首を振る。
「聞いたことないぞ? またここの地元言葉じゃないか?」
「なんか妖怪の名前っぽくない? 『キツネたかり』とか言うよね? ホントになんか憑いてたらどうしよう……!」
取り乱す三河を、伊達は少し落ち着けと宥める。
「……『キツネたかり』も初めて聞いたが……なにかの聞き間違いじゃないのか?」
「そ、そうかなぁ。でも……」
三河が涙目になったところで、後ろからゴホンと咳払いが聞こえた。
見れば、いつの間に釣り終えて来たのか相模がいた。
相模はニヤけた口元を引き締めると、もう一度咳払いをして背筋を伸ばす。
「案ずることはないっ。俺が祓ってしんぜよう!」
胡散臭さ満点の口調で言うと、相模は三河を手招いた。
「祓いたまえ~清めたまえ~」
相模はむにゃむにゃと祝詞らしきものを唱えながら、三河に後ろを向かせる。
「あっ」
その背を見て思わず陸奥が声を上げる。
三河の背中には、トゲトゲした草の種……いわゆる『くっつきむし』がいくつかついていたのだ。さっき茂みに入った時についたらしい。
相模はそれをパンパンと手で払い落とす。
「ほい、払った!」
「え、え? なに? どういうことっ?」
どや顔の相模と、ワケがわからずオロオロする三河の対比が可笑しくて、必死に笑いを噛み殺す。
相模は地面に落ちたくっつきむしを一つ摘まんで、三河の目の前にかざす。
「コレ、この辺の言葉で『べべったかり』っつーの」
三河がその意味を飲み込むまで、たっぷり一〇秒はかかった。
それから顔を真っ赤にして、からかったなと相模をぺしぺし叩く。
「もーっ、ホントに怖かったんだよーっ!」
「悪ぃ悪ぃ、まさかそんなに怖がってると思わなかったんだって」
なにはともあれ、無事解決したところで、五人そろって溶けかけたアイスを食べる。
まだ顔の火照りが引かない三河に、伊達が半ば感心したように言う。
「……三河は、本当に想像力豊かだな……『ジャス』をジャスティスから正義感にまで発展させた時も驚いたが……」
「え、なにソレ?」
「俺も知らねぇ、なにがあったんだよ?」
その時に居合わせなかった陸奥と相模が興味深々で身を乗りだすと、三河は慌てて伊達の口を両手で塞ぐ。
「なっ、なんでもないっ! なんでもないからっ! ね、ジャン君?」
「そういうことにしとく」
「もーっ! ジャン君までー!」
三河が暴れ出す前にアイスをかっこんで退散する。パラソルの影から出ると、陽はすでに傾きかけていた。
相模がうんと伸びをする。
「さて、もうちょい釣ったら帰り支度すっかね」
「だな」
◇ ◇ ◇
結局、オレ達の釣果はオレが六匹、伊達が七匹、相模が一二匹だった。
帰り支度を終えた頃には、山の端に夕日が差し掛かっていた。
受付で丁寧にお礼を行って出ると、朝の爺さんではなく、相模によく似た大男……相模の親父さんがバンで迎えに来てくれていた。
息子の級友を軽トラの荷台に積むとはどういうことだと、爺さん怒られてしまったらしい。
「馬鹿息子め、お前もちったぁ考えろ!」
相模の腕も太いけど、それよりも逞しい相模父の豪腕が相模の関節をキメる。
「いででっ、親父勘弁っ!」
入学して初めて相模を見た時に小山のような男だと思ったけど、相模父はさらに大きく屈強で岩山のようだ。
「は~……がっしょうき」
親子のやりとりを見守るオレ達は、誰からともなく呟いていた。




