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幕間 たまには夢の話をしよう



 男五人で囲む鍋は賑やかに進行し、しめのうどんをつつきだす頃にはすっかり満腹になっていた。

 溶きたまごが鍋の縁から固まっていく様子を眺めていた三河(みかわ)が、ふと顔を上げる。


「そういえば、陸奥(むつ)君と伊達(だて)君はあんなに歌が上手なのに、どうして音楽科の学校に行かなかったの~?」


 それもそうだ。

 その上、合唱の名門校でソリストを張っていたとなれば、音楽科の高校に推薦で入れそうなものを。

 うどんを啜っていた相模(さがみ)も箸を止める。


「だよなぁ。二人はどんな役者目指してゲキ高に来たんだよ? しかもわざわざ東北から出てきてまで」


「……えっ、と……」


 照れたように鼻の頭を掻く伊達とは対照的に、陸奥はさらりと口を割る。


「僕は、伊達が行くって言うから」


「へ?」


 陸奥は上品な仕草で椀を置き、伊達を軽く睨んだ。


「僕は歌唱力じゃ伊達に負けてる。ボーイソプラノは、ただ単にやる人が少ないから目を引くだけだよ」


「……そんなことは」


「あぁ、そんなことねぇって。二人の声は系統違ぇけど、それぞれ上手いぞ?」


「僕自身もそう思ってたよ。ぶっちゃけ天狗になってた。それこそ、今の鞍干よりもね。でも……」


 陸奥は相模の椀が空いたのに気付き、ごっそりと取り分けてやりながら続ける。


「中二の地方大会で、伊達が初めて伊達の学校のソリストとして出てきた時に、打ちのめされた。初めて負けたと思った。

 それから次の大会まで、死ぬ気で練習したよ。でも三年最後の大会でも、伊達にはかなわなかった……

 終わった後、勢い込んで『次は高校で勝負だっ!』って言いに行ったら、高校じゃ歌はやらないって言うんだよ。神奈川の演劇高校に行きたいってさ。

 僕を負かした伊達が、歌を捨ててまでなにを目指してるのか興味が湧いてね。それでこうして、秋田から出てきたってワケ」


「それだけのために、陸奥は歌をやめたのか!」


 相模が目を剥くと、


「勝ち逃げなんて、許さないよ僕は」


 陸奥はなんでもないといった風に頷いて、箸が止まって大分経つ伊達の椀にももっさり取り分ける。

 伊達は無言で腹を撫でた。とはいえ、食べないなんてことが許されるはずもない。仕方なく箸を動かし始める。


「そうなると……伊達がどうしてゲキ高へ来たのか、ますます興味湧くな」


 せりの根をぽりりとかじる伊達に視線が集まる。

 逃げきれないと観念したのか、伊達は眼鏡をかけ直しようやく口を開いた。


「……朗読を、やりたくて……」


「朗読?」


 伊達は一向に減らない椀に目を落としたまま言う。


「……自分がいた合唱部では、ボランティア活動にも力を入れていて……老人ホームや、養護施設で歌わせてもらう機会が多かったんだ……」


 名門合唱部による慰問。それは喜ばれそうだ。


「……二年生の時、目の見えない子供達が集まる学童クラブへ行った。歌の後、交流の時間があって……本を読み聞かせることになった。

 でも自分は、人と話すのが苦手で……今よりももっとボソボソと話していたんだ。

 本を読んでも声が小さくて……子供達に、聞こえない、つまらない、と言われてしまった」


「歌うときは、あんなデケェ声出んのにな」


「歌は……別だ。しゃべるわけじゃない」


 相模の言葉に、伊達はゆるゆると首を振る。


「……それで、図書館へ通った。

 市原悦子さんの昔話や、森本レオさんの朗読のCDを繰り返し聞いて……声優の神谷明さんや、福澤朗アナウンサーの滑舌(かつぜつ)上達法の本やコラムを読んで……

 今度はちゃんと、子供達に本を読んでやりたいと、そう、思った……

 ……次に行って本を読んだ時、一人の女の子が笑ってくれたんだ。沢山の子供達の中で、たった一人だけ……でも、それが無性に嬉しかった」


「うぅっ、ええ話や……」


 おいおい、ここは茶化すトコじゃないだろ……注意しようと隣の相模を見れば、その目尻は涙で光っていた。

 なんとも情に厚いヤツだ。


「……もっと上達したくて調べているうちに、朗読劇の存在を知った。観に行って……すっかり虜になった。

 それで父に頭を下げて……もともと自分は、血を見ると卒倒してしまうし……二人の兄がすでに医大を目指していたから、跡を継ぐ必要もない……それでこうして、ゲキ高に来た、わけだ……」


 話し終えると、伊達は汁を飲むフリで顔を隠した。椀の向こうのその頬は、真っ赤になっているに違いなかった。でも、誰もそれをのぞき込むような無粋はしない。


「は~……なるほど。色んな動機があるもんだなぁ。で、陸奥は実際にゲキ高に来てみて、どうなんだよ?」


「うん、思ったより楽しいよ。どうなりたいかはまだ分からないけど、演技するのも嫌いじゃないし」


「それはよかった。卒業までに、なんかやりたいことが見つかるといいな」


 どういう理由で来たにせよ、それまで演劇と無縁だった陸奥が興味を持ってくれたことを、イチ演劇好きとして嬉しく思う。

 するとちびっこモンスター三河が、はいはーいと元気に手を振る。


「ぼくはなりたい職業、決まってるよー!」


「え、ダンサーじゃないのか?」


 首を捻ると、三河は口を尖らす。


「ダンサーはダンサーだけどぉ。それならわざわざ家を出てまでゲキ高に来ないよ~」


「それもそうか。じゃあ、三河はなにになりたいんだ?」


 三河は勢いよく立ち上がると、その場でくるっとターンして、壁にかけられたカレンダーを手のひらで差した。

 国内最大の某テーマパークのカレンダーで、よく見ると何年も前のものだった。愛くるしいキャラクター達と、華麗な衣装をまとったダンサー達が写っている。ショーの一コマらしかった。


「ぼくは、あのテーマパークのショーキャストになりたいんだ!」


「え、そんなに着ぐるみ着たいのか!」


「ちーがーう! ぼくがなりたいのはこっち!」


 三河はカレンダーに駆け寄ると、ダンサーの一人を指でつつく。そのダンサーは一人だけ違う衣装を着て、ファンタジー感溢れるタクトを振り上げている。


「ぼく、小学校に上がる前に初めてこのテーマパークへ連れて行ってもらってね~。アトラクションも楽しかったけど、特にショーに感動したんだぁ。

 キャラクター達とコミカルにお芝居して、音楽が鳴りだすと誰よりも軽やかに踊るこの人に、もう釘づけ!

 一生懸命手を振ったら、ちっちゃいぼくに気付いてくれて、笑って手を振り返してくれたんだよ~……」


 当時を思い出して、うっとりと目を細める三河。


「それって、三河がバレエ始めたのと同じ頃だよね? もしかして……」


「そう、その時からショーキャストになるって決めて、バレエを習わせてもらったんだ~。採用オーディションを受ける条件が、クラシックバレエ経験者だったから」


「……その時から全くブレていないのか、三河の夢は……すごいな」


 伊達に褒められて、三河はへへっと頭を掻く。


「この人みたいなキャストになるためには、ダンスだけじゃなくてお芝居もできなきゃいけないから……だからゲキ高に来たんだぁ」


 宙を仰いで、三河がショーのステージに立つ姿を想像してみる。

 三河のふわふわな栗毛は、おとぎの国の衣装にどんなにか映えるだろう。キャラクター達の間を飛び回る、小柄なダンサーが目に浮かぶ。

 燦然とライトを浴びるステージの上に、あるいはパレードのフロートの上に。

 皆も同じことを思い浮かべていたようで、


「うん、似合いそう」


「ぜってー可愛いよな!」


「……きっと、小さな子達にも気を配れる、いいキャストになるだろうな」


 口許を緩め、それぞれの想像の感想を言い合い、頬を上気させた三河を振り仰ぐ。


「応援するよ。三年間、一緒に頑張ろうな」


「うんっ!」


 三河は屈託のない笑みで頷いた。

 半ば忘れられていた鍋の中で、取り残されたきりたんぽが原型を留めないほどとろけている。

 うどんにからまり、とろろうどんのようになったそれを、陸奥は問答無用で相模とオレの器に盛って言う。


「で、二人はなにになりたいのさ?」


 相模は間髪入れず胸を叩く。


「俺は悪役になりてぇ!」


「え?」


「だぁから、悪役! ヒール!

 俺が最初に舞台を観たのは、小坊ン時に子供会の遠足で連れて行かれたピーターパンのミュージカルだ。そこでフック船長に憧れた!」


 右手を鍵爪のように曲げて、オレの身体を袈裟懸けに斬るフリをする。


「ぎゃあぁ、やられた! ……って、普通はそこでピーターパンに憧れるもんじゃないか? なんでフック船長なんだよ」


「いいか野郎共、よく聴け!」


 相模はすっかり船長になりきって、グラスをドンッとテーブルに置く。


「俺はかつてクソガキと呼ばれた」


「今もだろ」


「ガタガタぬかすと海へ叩き落とすぞッ!

 ……クソガキと呼ばれた俺は、連れて行かれた劇場でもジッとなんかしちゃいられなかった。ろくに観もせず、大声でしゃべったり歩き回ったりしてたんだ。

 そこへ! 手下を率いフック船長が現れた! 無能な手下どもにフックは言った!

 ──どいつもこいつも役に立たん! いっそ海に突き落としてやりたいよ!

 ……そこでふと、客席で騒ぐ俺を見た。

 ──おい、そこの君。随分元気がいいじゃないか。そう、そこの君だ。どうだ。こいつらの代わりに、このフックの手下にならないか?

 ガキだった俺は竦み上がった。ならないって叫ぶのが精一杯で、慌てて席に戻った。

 フックは荒くれ者の俺を、アドリブ一つで見事イスに縛りつけたんだ!」


 元パンツマン現船長は、クソガキの頃から変わっていないだろうキラキラした瞳で、拳を高々と掲げる。


「それ以来、じっと座ることを覚えた俺は、映画やドラマにハマった。

 爺さんと観た暴れん坊将軍のカッコよさに、剣道も始めた。

 でも心惹かれるのはいつも悪役……ターミネーターのシュワルツェネッガー!

 ワイルドスピードのヴィン・ディーゼル!

 ハムナプトラのアーノルド・ヴォスルー!

 そしてなんといってもパイレーツオブカリビアンのジェフリー・ラッシュ!

 アクションもこなす渋い悪役、これが俺が目指す役者像だ!」


 心酔しきりの相模に、陸奥が小首を傾げる。


「えー、パイレーツなら僕は断然ジョニデだなぁ」


「ぼくオーリー!」


「だまらっしゃい青二才ども! 二作目にジェフリーが出てきた時、涙した俺だぞ! 断然ジェフリー・ラッシュだ!」


 ええぇ……あそこ、泣くトコ?

 二でジェフリー演じる海賊の登場シーンを思い出し、陸奥に負けないくらい首を捻る。

 まぁ、カッコよかったことに異論はない。


「じゃあ相模は、映画の方へ進みたいのか?」


「いや、舞台でも映画でも構わねぇ。どこだっていいんだ、ああいう主役を食うくらいの悪役を演じてみてぇ」


 ……個人的には、悪役よりも戦隊ヒーローもののレッドとかの方が似合いそうな気もするけど……

 聞けば、相模は中学の夏休みは毎年、あるスタントマン養成所が開催するワークショップに通っていたという。今年の夏の分も申し込みを済ませているというんだから、よっぽどだろう。


「アクションものかぁ、相模君似合いそ~! でも時代劇の殺陣タテとかも似合いそうだなぁ」


 三河の言葉に、陸奥も伊達もうんうん頷く。そしてそのまま、オレを見た。


「最後はジャンだね」


「あぁ、うん……」


 困ったなと頬を掻く。

 夢を語るのが恥ずかしいというワケじゃない。三河や相模みたいに、具体的な夢の形がないからだ。


「オレは……舞台のそばで生きていけたら、それでいいんだ」


 地味だし、という言葉を口の内に押しとどめる。


「……と、いうと?」


「いや、言葉のまんまなんだけど……」


 この劇団に入りたいとか、相模みたいにこういう役をやりたいというのもない。

 ただ、舞台の上や袖の陰、舞台裏に積まれた大道具や、ドーラン臭い控え室……そんな場所の空気が好きなんだと素直に伝えると、特に演劇部出身じゃない二人は不思議そうな顔をする。


「だから、どうして?」


「う~ん……そう言われても」


「……舞台に関われれば、なんでもいいのか? 役者志望じゃないのか?」


「あ、いや、そりゃ役者志望だけど……主役をやりたいとかっていう願望は、特にないんだ。

 役が回ってくれば、なんだってやりたいと思うし……それこそ、呑み屋でくだ巻いてる酔っ払いでも、ゲイバーのママでも」


「ゲイバーのママぁ?」


 相模が盛大に吹き出す。

 そこでしおらしく女座りに座り直し、小指を立ててグラスを傾ける。女性役ではないから、少し膝を開くのも忘れてはいけない。


「そうよぉ、なぁんだってやるわよ! あらヤダ相模ッちゃぁん、パンツマン引退するんだって? 寂しいわぁ」


 しなを作り、相模の二の腕をツツーッと指でなぞる。椀を持ったままズサッと飛びずさる相模に、なおもしなだれかかる。

 三人はけらけら笑って、


「じゃあ次は酔っ払い!」


 リクエストにお応えし、今度はだらしなく椀の上に突っ伏して小指をしまう。


「ンだぁら……言ってんだろぉ? 言われりゃなぁんでもやんだよぉ~。

 所詮役者も歯車の一つ、演出家や脚本家がお客に伝え……うぃ……伝えたいことを伝える媒体なんら……おぉーいねぇちゃん、酒がきれたぞー!」


 空のグラスを掲げたところで拍手をもらった。ぺこりと一礼して座り直すと、伊達がアゴに手をやりしみじみと言う。


「……授業中、本の読み合わせなんかをしていた時にも感じたんだが……ジャンは、なにをってもすぐ『それ』になるよな」


「あぁ、それは俺も思ってた。違和感ねぇんだよな。最初からそういうヤツがそこにいたみてぇに」


 なによりの褒め言葉に、思わず頬が緩む。

 でも、大きな欠点がある。

 うーん、と陸奥は目を細めた。


「うん、下手じゃない……むしろ、役になりきることに関しては、僕は推薦組にだって負けてないと思うよ。素人目の感想で悪いけどさ。

 なのに、こう……いまいちパッとしないのはなんでだろう?」


 それだ。

 見てくれに華がないのは言うまでもない。

 それに加え、『それらしく』演じようというより『それになろう』としてしまうので、勢いのある他の役者達に埋没してしまう。

 リアルさを求めれば求めるほど、生来の地味さに拍車がかかる。舞台の登場人物は、なにも特別なヒーローばかりじゃないからだ。

 そういう役があったとしても、到底オレには回ってこない。

 そこから一皮剥けて、自分の色を出せるかどうか……残念ながら、まだその目処はついていない。

 そこでふと、ある人の言葉を思い出した。


「あぁオレ、演者(えんじゃ)になりたい」


「えんじゃ?」


「そう、演者」


「……?」


 顔を見合わせあう四人の顔を順番に見回す。


「ある有名な小劇団の座長さんが言ってたんだ。

 ──役者がそれぞれに目立とうと、あるいは自分が伝えたいことを全面に押し出そうとすれば、芝居は成り立たなくなります。

 人にものを伝える手段に演技を用いているだけで、役者とは決して特別な存在ではありません。

 自身が表現したいことではなく、芝居全体を通して観客に伝えたい一つのテーマを尊重しなさい。

 そのためには、精悍な若者にも、井戸端のおばさんにも、冴えないオヤジにもなりなさい。時には別の人を照らすスポットライトにも、大道具の一部にもなりなさい。

 自分だけがライトを浴びて立つだけの役者になってはいけません。

 どんな形であれ、一本の芝居を通して観る人にメッセージを届けられる演者になりなさい──って」


 芝居は役者一人で作るものじゃない。花形ではあるけれど、その芝居を構成する一つのパーツだ。

 だからこそ我欲を捨てて、芝居の一部になれということだ。

 勢いを失った湯気の向こうで、伊達が目を細める。


「……メッセージを届けられる演者、か……いい言葉だな。自分もそうなりたいものだ……」


 三河は興奮に頬を染め、ポンポンと膝を叩く。


「それじゃあ、立つ場所は舞台じゃなくても、キャストだって演者だよね! ぼくも演者になるー!」


「俺も! 悪役がいてこそ、主役が輝くんだもんなっ!」


 相模もぐっと拳を握る。ボトルを手にとり、陸奥はそれぞれのグラスをジュースで満たすと、


「僕はまだ、なにも決められてないけど……いつかは、なりたい演者の形に出会えますように」


 そう言ってグラスを掲げる。


「俺はあの日観たフック船長みてぇな演者に!」


 相模もグラスを突き出し、陸奥のグラスにかち合わせる。


「……子供達を笑顔にできる演者に」


「観る人に夢と笑顔をあげられるような演者にーっ!」


「誰かになにかを伝えられる演者に!」


 五つのグラスが出揃ったところで、一斉にグラスを打ち鳴らす。


「かんぱーいっ!」


 ……高校生活の一ページには、こんな青臭い夜があってもいい。なんせ青い春と書いて青春だ。

 春は短し、夢見よ少年。

 夢見ることは、子供と大人の狭間にいるオレ達に与えられた、数少ない権利の一つだ。

 志を同じくする気の置けない仲間は、なににも代え難い宝物だ。


 青い夜の底で、オレ達はそれぞれの夢や目標を朝まで語り尽くした。




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