ニゲラレルトオモウナヨ
「キング、バレンタインデーだからチョコあげる」
「ありがとう、鏡花ちゃん」
キングの顔が少し曇ったが、結局受け取ったようだ。
なぜこんなことになったのだ。私の頭はひどく混乱している。しかし、あのキングが自ら告白するなんてよっぽどのことがない限り、起こらないはず…だったのに!
私はあまりのショックで隠れていた草むらから出てきてしまった。
「じゃあね、また明日」
二人は別れの挨拶をして、別々の方向に歩き始めた。
あの女は私と反対の方向に歩き、キングは…私の方をくるりと向いた。
「八千代、なぜここに?!」
(ばれたぁ!)
私は脱兎のごとく逃げ出した。とにかく走った。今なら50m走を7秒くらいで走れるのではないかと思った。
「待てよ!」
キングが何かしら言っているが聞こえないふりをしてひたすら逃げる。
…さて、もういいだろう。ここまで来ればもう大丈夫だろう。一安心した私の耳にようやく他の音が入ってきた。犬の鳴き声。誰かの話し声。近くの家から大音量で流れるラジオの音。怒涛の勢いで誰かさんが追いかけてくる音。
ん?追いかけてくる音?
私が思わず振り返ると、息を切らしたキングが私の肩を掴んできた。
「今度は追いついたぞ、八千代!」
は?!
「なんで私なんか追っかけてくるのよ!彼女に誤解されても知らないわよ!」
「やっぱり見てたのか!」
しまった。墓穴掘った…。
「キ、キング!私なんか、私なんかねー!」
私はパニックになりわめきちらし始めた。
「キングのこと、ずっと前から見てるし、だから、キングのいいところも、悪いところも、よーく知ってるんだからねっ!」
「八千代?」
キングが不思議そうに私を見た。
「あんな子より、私の方がずっと、ずっと、…」
そこでパニックに陥っていた頭か冷静になった。
今まで話したことを反芻する。しまった、パニックになっておかしなことを口走ってしまった。
「ずっと?」
キングは言葉の先を待っている。
ええい、こうなったらやけくそだ。とにかく何とか言わないとこの場はしのげない。
「…キングがっ!チョコレート嫌いなのを知ってるわ!」
「お前にそんなこと話したっけ」
「は、話さなくても顔見りゃ分かるのよ!一瞬顔曇らせたじゃん!…これだけ私はあんたばかり見てて…」
再びパニックに陥りつつある頭が急に痛くなってきた。
「八千代?」
私はキングの目の前で気を失った。
***
「おい!八千代、もう日が暮れるってのに帰ってきそうにないぞ!」
「なすび、私八千代に電話かけてみる!」
私の携帯が鳴ったが、眠り続ける私の耳には入ってこなかった。
「だめだ。出ない」
「あ、メールが来た。八千代か?」
なすびはメールを確認して、何故か顔を青くした。
「八千代なの?」
「ち、違う!」
なすびはメールをさっと隠し、アンナには見せなかった。
***
「八千代、ケータイ鳴ったぞ」
ここは俺の部屋だ。八千代は俺のベッドを占領し、さっきから目を覚ます気配がない。
俺はゆっくりと八千代の言動を振り返ってみた。
『その…あの…今まで…えーと、私はあなたのことを…』
『一生いじめてやるんだから』
『私なんか、ずーっと、キングのこと見てたんだからね!』
もしかして八千代は…いや、そんなはずはない。そんなはずがあってたまるか。しかしそうならばなぜ、わざわざ、こんなところまで彼女は俺を追いかけて来たのだろうか?説明がつかない。もちろん、いじめるため、という説明はできる。でもそれだったら、先ほどのような行動には出ないだろう。
この転校は、八千代のためにもなると思っていたのに。
考えにふけっていると、今度は俺の携帯が鳴った。
突然のことでびっくりするも電話に出る。
「キング!八千代を見てないか!ずっと行方不明なんだ!」
「八千代なら俺の部屋で寝てるけど」
「えっ」
「ええっ、まさか、キング八千代に…」
これはアンナの声だ。
彼女は続けて言った。「ふしだらなことを!」
「違う!あいつが俺を尾行してたんだ!」
***
目が覚めたら、全く知らない部屋にいた。
「あれ?ここどこ?」
そして、何故か暗い。ふと上を見上げると、何故かキングが覆いかぶさっていた。
「起きた?」
「ちょっとあんた、どういうつもり?部屋に連れ込んで私をどうする気よ!」
「起こそうと思っただけなんだけど」
「絶対なんか考えてるんでしょ!」
問答無用とばかりに彼にグーパンチをお見舞いした。
「彼女もいるんでしょうが。他の女勝手に連れ込んじゃだめじゃないの!こういうだらしないとこ、ほんっと、大っ嫌い!あんた、ただでさえ外面微妙なんだから、内面よくしたらどうなの」
「八千代!」
突然、キングが私の横の壁に手をついた。少女漫画でよくありそうな、女の子の行く手を阻もうとする、あの手だ。普通ならここでキスでもするのかもしれないが、もちろんそんな雰囲気じゃない。じゃあどんな雰囲気かというと、ただならぬ雰囲気が、キングの周囲から漂っていた。
「お前なんのためにここまで来たんだ」
「決まってるわ。キングをいじめるためよ」
「そんなわけないだろ。昨日、本当は何が言いたかったんだ」
「いつのこと言ってるのか分からないわ」
「キングの悪いことも、いいとこも私の方が全部知ってるってお前がわめいてたときだよ」
「…?!」
ようやくキングが私に何を言わせたいのか分かった。
「そんなこと、今更聞いてどうするのよ。聞く必要ない」
私はキングから逃れようとしたが、腕を掴まれた。こいつ、意外に力強い。やっぱり男なんだな、こんなやつでも。
「…でも」
「放してよ!」
キングの腕力に負けないように大声で対抗した。キングはおそらく、私の気持ちに感づいたに違いない。でも、もう遅いよ。君、昨日彼女できたばっかじゃないか。彼女、悲しませるよ。いいの?
キングは無理やり私を抱きしめようとしてきたのでありったけの力で抵抗した。
「放せって言ってんでしょうが!もう遅いんだから!」
「…八千代だって、遅かったんじゃないか。八千代は俺のこと、ずっと嫌いだって言ってたのに…俺はずっとお前のことが好きだったのに…いじめられつづけて…」
突然、キングが人が変わったかのように喋り始めた。私は何だか怖くなってきた。目の前にいるのは、誰だ?
「俺は彼女ができたことで、やっとお前に復讐できる」
この一言で私の中で何かが壊れた。突き上げる凶暴な思いのままに、手が動いて、気づいたらキングの顔を思いっきりひっぱたいていた。
「最低男!」
私はそう叫んで、キングのマンションから飛び出した。
私はひとり、生気のない顔で歩きつづけた。
心の中は怒りと後悔が入り混じり、わけがわからなくなっていた。確かにさ、キング。私もね、悪かった。でもね、私の気持ちを分かっておいてあてつけみたいに言うのはさ、さすがにないよね?
「八千代!」
目の前にいつの間に来たのか、アンナが立っていた。
「あれから、キングとどうなった?」
「あれから…キングと、喧嘩した」
「何やってんのよ」
そうだよね。何をしてるんだろう。あそこで素直になれればよかったのに!
それから小一時間ほど簡単に事の経緯を説明した。
「八千代、まだキングのことが好きなの?」
「それでも私は…キングが諦められない…」
***
それから私は八千代が帰るのを見届けて帰路についた。
集合ポストの中身を確認する。
差出人が書かれていない妙な茶封筒に、印刷された私の名前、私の住所。
『三崎アンナ様』
私は恐る恐る封筒の中身を見た。中には便箋が一枚だけ入っていた。
便箋にはこうあった。
『ニゲラレルトオモウナヨ』